2018年09月12日

  懐かしいランゲルハンス島


『焼肉 浦江亭 福島店』にて一応『第26回 ハラミ真理教の会』は終了である。

その後私はドン引きタツジと二人で飲み歩きをした。

先ずはJR環状線に乗って京橋まで移動した。

そして向かったお店は『ホルモン 徳いち』であった。


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お店の前に来ると席が空いている事が直ぐに分かった。

思わず『ラッキー』とつぶやいた。

店内に入ると結構お客さんが入っていた。

我々は左側のカウンター席に座った。

この日も注文は『おすすめ』のボードから選んだ。

選んだ注文は、上ロースとうちハラミとシビレ(膵臓)であった。

先ずは『ウコンの力』で乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!

引き続き瓶ビールで乾杯をした。


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乾杯ー!!


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上ロースとうちハラミとシビレ

美味しい。

全てのお肉が真剣に美味しいのであった。

シビレは牛の膵臓である。

食べると歯ごたえは全く感じず柔らかさだけが口の中で広がる。

全く臭みがなくて噛めば噛む程に甘味が増して来る。

噛んでいるとβ細胞からインスリンが放出されて来る感じを味わえる。

あの懐かしいランゲルハンス島にまた行きたくなるから不思議である。

『徳いち』に来れば絶対の『おすすめ』ボードから注文する事をお薦めしたい。

本当に、本当に、全てのお肉が最高に美味しいのであった。

『徳いち』の接客は日本で一番素晴らしいと思っている。

美味しい焼肉に素晴らしい接客。

これだけで十分満足するのであった。

猛牛ポーズをした。


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猛牛ポーズ!!

そんな感じの『ホルモン 徳いち』であった。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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鯖の塩焼きがびっくりする程の真剣に美味しいのであった。







 










第1次大戦後のドイツは多額の賠償金で困っていたにもかかわらず、大恐慌が

起こるまで意外と生活レベルは高かったような話を聞いた。

どう考えてもありえないレベルの無茶な賠償を課せられた。

物凄く大変でドイツ経済が無茶苦茶な事になった。

ドイツの経済破綻、マルク暴落、誰がどう見てもドイツに賠償金を支払う力は

なかった。

ドイツが本当に潰れたら元も子もないので、連合国内でも減額交渉応じる空気が

出来てきた。

なお国による。

ドイツの賠償問題をどうするか喧々諤々。

・ソ連はラパッロ条約で賠償金放棄。

(ソ連はソ連で政治的な利は得た)

・イギリスは、支払い猶予程度は認めても良い感じ。

・フランス&ベルギーが強硬派。

「金がないなら現物で払え。具体的にはルール地方の鉱山寄越せ」

→ルール占領(武力侵攻)

こんなことしてる間にもドイツ経済はどんどん悪化してついに伝説の

ハイパーインフレに突入。

ドイツ国内は暴動とかクーデターが多発。

フランスの暴挙(ルール占領関連)でイギリスがフランスに激怒。

ドイツの惨状もあって、イギリス&アメリカが進んでドイツの賠償金減額

(ドーズ案)を認める。

フランスも英米に押しきられて減額を認める事に。

ドーズ案で賠償金支払い負担が大分軽減されたドイツは頑張って経済立て直して

立ち直った。

国際連盟加入。

列強復帰等。

ワイマール黄金期。

世界恐慌発生

→の、煽りを喰らってドイツは再び大恐慌。

ぶちきれたドイツ国民により、ヴェルサイユ体制の破棄を訴える

ナチス台頭に繋がる。











テオティワカン文明は何故か文字を発達させなかったため、文明を築いた当事者た

ちが残した記録はほとんど何も無いに等しい状態である。

そのためこの文明については「自称」が分っていないことを始め、同じ時代に栄え

たマヤ地域などと比べても更に分らない部分は多いとされている。

ただ考古学的な発掘その他の研究により、この文明に対するさまざまな

(あくまで)「推論」は出ているようだ。

テオティワカン文明の素晴らしい点と悪い点。

・素晴らしい点

まず、全てにおいて他の文明よりも群を抜いて壮大である点は挙げられる。

都市の規模、建物の巨大さ、軍事的行動の推定範囲、交易を行った範囲と量。

これら全てにおいて、同じ時代に栄えた他の文明を規模的に完全に越えている。

また、これだけの規模の文明(国家)を維持するためには、かなり高度な社会体系

を作らなければならない。

つまり、多数の異民族を従え、1000kmも先にあるマヤ文明に強烈な影響を与えるだ

けの組織を現実に作り上げていたということでもあった。

また、タブー・タブレロに代表される建築様式、整然とした都市計画など建築に関

する影響は有名だが、他にも投槍器などの軍装や、オルメカなどの影響を受け継い

だ神話の整理、普及についてもやはり強い影響力を持っていたと思われる。

しかもこれらの影響は、テオティワカンそのものが滅んでしまったかなり後に

なっても各地で受け継がれて行きた。

つまり、技術力に優れ、機能的な組織を作り、様々な影響を圧倒的な規模で周辺地

域に与え続けた点が素晴らしかったと言えるであろう。

因みに、なぜこの文明がこれだけの力を持てたのかについては現在までのところ

全く分っていない。

・逆に悪い点

…だが、何であろうか。

この文明は文字記録が殆ど残っていないため、もし同じ時代に生きた人達から見て

悪かった点が有ったとしてもそれは現代まで伝わっていない。

あえて2000年代に生きる私達の尺度で考えるならば、かなりの人数を人身御供と

して殺し(例えば王宮の造成時には200人)、軍事大国として恐らくかなりの国を

侵略しただろうことが挙げられるかもしれない。

テオティワカン文明はなぜ崩壊してしまったのか。

現在でもその本当の原因は分っておらず、おそらくこうではなかったか?と言う

推測のみ出されている。

1、旱魃の影響

前の方も指摘されているが、テオティワカンやマヤが栄えた時代は、丁度この中央

アメリカ地域全体が極端な乾燥化へと向かう時期だった。

この乾燥化はだいたい250年頃から始まった大規模なもので、特にマヤ地域では

800年頃から1050年頃まで続いた強い旱魃のために多数の都市が放棄されたと考え

られている。

勿論、テオティワカンの栄えたメキシコ中央高地はマヤ地域とは気候的な違いは

あったであろう(互いに1000km程離れている)し、その崩壊もだいたい750年頃と

マヤ地域の乾燥のピークよりも少し早い時期である事が分っている。

ただ、テオティワカンはだいたい600年頃から衰退を始めた上、かなり親密な交流

を持っていたらしいサポテカ文明と言うものが有るのだが、この文明も同じ時期に

かなり衰退(滅んではいない)した事が分っているので、地域全体を覆う広範囲な

旱魃の影響をかなり強く受けていた事は間違いないと考えられている。

また推測に推測をかさねる事となるが、この旱魃により国力や支配者層の威信が揺

らいだ可能性もありえたであろう。

2、武力攻撃を受けた?

テオティワカンでは、あちこちにかなり広範囲な「火事」の跡が確認されている。

これがどのような状況で起きた「火事」なのかは現在でも分っていないが、文明が

崩壊へと向かっていた中、反乱か、または異民族の侵入が有ったのではないかとも

言われている。

またメソアメリカ文明の国家は基本的に攻め取った国を完全に滅ぼさず、そのかわ

り貢納の義務を課すと言う統治スタイルを取っていた。

つまり軍事力が弱れば他国から貢納が得られず、そのまま経済的に弱体化せざるを

得ない状況だったのだが、この「火事」はその軍事力の衰退が起きていた可能性を

推測させるものだとされている。

なお「火事」が起きた頃には人口も5000人程度にまで落ち込んでいたようだ。

(最盛期の推定人口は8万5千~20万人)

あくまで推論。

崩壊した本当の理由は分っていない。



h_t_tomoto at 06:33 
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