2019年01月08日

  封建制のもと地方割拠社会


ちょっと遅い目のランチをした。


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つけ麺が無茶苦茶最高に美味しいのであった。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日は鍋を食べる事にした。


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小松菜を入れた鍋が無茶苦茶最高に美味しいのであった。











中世ヨーロッパにおける東西ヨーロッパの社会の特徴。

時代が異なり支配の関係が異なるから先ず中世ヨーロッパを俯瞰する必要がある。

11世紀に最盛期となる中世ヨーロッパ社会は宗教の違いにより3つに分かれる。

①ギリシャ正教を信奉するビザンツ帝国とロシア

②イベリア半島南部(時期によってはシチリアを含む)のイスラーム社会

③イベリア半島北部からイタリア・フランス・ドイツ・ハンガリー

・ポーランド・北欧のカトリック社会

①の首都コンスタンチノープルは伝統的なローマ社会ですが、東方からの攻撃を

受け、軍地域司令官に強権を与えたテマ制をとっていた。

ロシアは開墾時代である。

②イベリア半島から北アフリカ、エジプトは高度な都市文明をもつ文化的な

領域で、農業技術も進んでいた。

西ヨーロッパ社会は多くをここから受け取る。

③がいわゆる西ヨーロッパ社会である。

カトリックキリスト教会の権威の元、概念的にはローマ皇帝制度が継続していると

信じていた。

事実上は文化的にも政治的にも封建制のもと地方割拠社会である。

神聖ローマ皇帝と言いながら彼が支配権をふるうためには常に武力を示して領主や

都市に臣従を誓わせていなければならない。

これが実質ドイツ王国でありながら神聖ローマ皇帝がイタリアへ遠征を繰り返さな

ければならなかった理由。

フランス北部やドイツ北東部からさらにその東は中世の大開墾時代を経て成長期に

あった。

その中心は北部フランス・フランドルからライン川下流部である。

中世はここと地中海世界を結ぶ交通路を幹に動いていた。

かつて交易の海であった地中海は一度イスラーム教徒の勢力下に置かれ、その後

イタリア海港都市がそろそろと東方貿易を開始したところである。

また北ドイツを中心に成長を開始した都市が連携したものがハンザ同盟である。

11、12世紀の中世西欧はこのように経済成長し、農民も都市も領主も豊かになって

行き、そしてその中で王権が力を強めているところだった。

しかし、13世紀末頃から数百年間続く気候不順な時期が始まり、従来の農業では

成長が難しい時代となった。

端的には栄養不良から、ペストが大流行し、ヨーロッパ人口の激減となり、そして

レジームチェンジが生じ近世に向かった。



h_t_tomoto at 06:29 
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