2019年01月14日

  生まれて初めての十三


1月12日の土曜日、ドン引きタツジと横浜コタジの3人で飲み歩きをした。

毎年の事だが、年の初めの飲み歩きはドン引きとこの会社とする事にしている。

これはゲゲゲの壷屋がうちの担当をした時からの習慣であった。

そんなゲゲゲの壷屋は現在東京で頑張っている。

いつかまたゲゲゲの壷屋とも飲みたいと真剣に思っている。

この日は生まれて初めて十三で飲む事にした。

ドン引きタツジと横浜コタジとは阪急電車十三駅西口改札前で3時に待ち合わせを

した。

私は2時45分頃に到着した。

すると二人は既にそこに立っていた。

流石はTちゃま倶楽部のメンバーなのであった。

Tちゃま倶楽部のメンバーは思いっきり時間厳守なのであった。

先ず向かったお店は焼肉の『請来軒』であった。

ここはほんまに十三駅の改札口の真ん前の『十三ウエストⅠビル』の3Fにあって

歩いて3歩の距離に位置していた。

ほんまに真ん前。


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店内に入ると早い時間帯だったのでわりと空いていた。

我々は入り口近くのカウンター席に座った。

早速注文をした。

注文は、バラ、ハラミ、ツラミ、シンゾウであった。

先ずは『トップグロンEX』で乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!

引き続き生ビールで乾杯をした。


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乾杯ー!!


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バラとハラミとツラミとシンゾウ

味わい的には極々普通の焼肉で安心しながら美味しく頂けた。

値段的に妥当な味わいで結構満足出来た。

この日十三で飲み歩きをするきっかけは。

それは越後のちりめん性行為の後任者がきっかけだった。

越後のちりめん性行為の後任者も個性があって中々面白い。

聞くと寝屋川に来る前の担当が東京みたいだった。

ところが後任者の出身が何と十三だと言う。

『昔は十三駅前のションベン横丁へよく飲みに行きました』と言う。

『ション、ションベン横丁ー??!!

なんじゃー、そりゃー』

『ションベン横丁』と言うキーワードで俺は十三に物凄く興味を持った。

それでこの日訪れる事にした。

越後のちりめん性行為の後任者は十三出身と言っても学生時代までで今は全く違う

所に住んでいる。

その後任者が『もう何年も前の事なので。火事にもなっていますし。今はどう

なっているかははっきりと分かりません。何なら、この正月休みに久しぶりに

十三へ行って来ます。その時に一杯写真を撮って来ます』と言った。

越後のちりめん性行為の後任者は何や知らんがめっちゃ気合が入っていた。

それを聞いた俺は益々十三に興味が湧いたのであった。

ションベン横丁

大阪市淀川区の阪急電鉄・阪急十三駅西口に隣接する飲食店街の通称。

正式名称はトミータウン。第2次世界大戦後、闇市や飲食店が集まってできたと

される。

昭和の風情が色濃く残っていることから、たびたび小説の舞台に取りあげられ、

1989年公開の米映画「ブラック・レイン」のロケ地にもなった。

2014年3月、火災により飲食店36店舗、延べ約1500平方メートルが全焼。

同年4月、再建に向けた署名や募金活動が開始された。

戦後、空襲で焼け野原となった阪急十三駅西口一帯に飲食店が集まった繁華街。

近くにトイレがなく、酔客が線路沿いの壁に用を足していたことからこの呼び名が

ついたという。

南北約150メートルの狭い路地沿いに大衆酒場やホルモン焼き店など約50店が

集まり、サラリーマンらの憩いの場として親しまれている。

実際に十三に行ってみて確かに憩いの場として親しまれる理由が十分に理解出来た。

ほんまに下町ロケットって感じで存分にその魅力が味わえた。

これを契機に再び十三を訪れたいと真剣に思った。

猛牛ポーズをした。


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猛牛ポーズ!!

そんな感じの焼肉の『請来軒』であった。





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基本、業者の皆は素直で真面目である。

ところが横浜コタジはその5倍ぐらいのびっくりする程に真面目だ。

真面目で実直で真っ直ぐな性格。

だからウルトラマンのビーム光線のポーズをする。

あのポーズにはそんな真面目な人間性の深い意味が含まれている。

まだまだepisodeは11である。

何とか可能な限り数を伸ばして欲しいと思っている。

今後を大いに期待したいと思っている。

『何時頃に来たん』

『2時頃です。早目に来て、今日行く予定のお店の下調べをしておきました』

これって凄くないか。

1時間前に来て、下調べって。

これをどう捉えるか。

そんなに無理する事はないと思いつつも。

待ち合わせ時間10分前はちょっと考える。

まあー、30分前ぐらいで手打ちにしましょうや。

30分前ぐらいで。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日は鍋を食べる事にした。

フィレ肉で作ったローストビーフを食べながらの鍋が最高に美味しいのであった。


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このフィレ肉、枚方市の国道1号線沿いにある『ミートピア河富』で生まれて

初めて購入した。

何となく牛のテール肉が食べたくなった。

ところが牛のテール肉を売っているお店が中々なかった。

それでネットで調べてみた。

するとこの『ミートピア河富』がヒットした。

それで生まれて初めてここで牛肉を購入した。

購入したにはテール肉とフィレ肉であった。

テール肉は普通の値段であった。

ところがフィレ肉はグラム2,380円であった。

一瞬迷った。

元々テール肉とフィレ肉を購入するために時間を使って『ミートピア河富』まで

やって来た。

『折角来たんやから』

こんな感じで思い切って購入する事にした。

これがこれが。

全く歯などいらないぐらいに柔らかくて最高に美味しかった。

『ミートピア河富』のホームページを見ていると月末の日曜日のみの営業

みたいだ。

つまり月一の営業のみ。

常にネットで営業日を確認する必要がある。

いろいろと聞くとお客の多くは肉の業者さんらしい。

ぶっちゃけ、それなりのお金を払っても値打ちはあると思った。

『ミートピア河富』は今後も大いに利用したいと真剣に思った。

『ミートピア河富』はほんまにお薦めやと真剣に思った。











的屋のたっちゃんが『ある会社の新年会なんですが。

社長の乾杯のスピーチが長いそうです。

乾杯のスピーチの時に表彰やら今年誰が結婚したとかいろいろと紹介するらしくて

それで乾杯をするまで1時間以上かかるみたいです。

思うんですが、何も新年会の乾杯の時にせんでも、別の機会でええんと思うんです。

俺が『えっ、1時間以上もすんのん。なんじゃー、それは。それって常識、ない

やんけ。俺は非常識を自覚せんと当たり前の様に行動する奴がいっちゃん嫌いや。

非常識を常識として普通に行動する奴が全く理解でけへん。

そんな奴、実際におるんやな』と言った。

的屋のたっちゃんが『あの社長が偉過ぎて、誰もそれを指摘出来ませんからです』

と言った。

俺が『ふと思ってんけど、焼肉、焼肉、焼肉と3軒も4軒も焼肉のハシゴをして、

最終的に5軒のハシゴをする俺の飲み歩きもある意味非常識やな。それを当たり前

の様に何年も続けている事って、俺も理解不能な人間なんかな。

おそらく仁義愛将軍様は“今頃、なに言うてまんねん”って言うと思うわ』と

笑って言った。

すると的屋のたっちゃんが笑いながら『それは違うと思いますよ。T様の場合は

ちゃんと自覚しながら飲み歩きをしていますから。その社長は全く自覚していま

せん。そこがやっかいなんです。

兎に角、毎年、1時間以上を何十年やってますから』と言った。

非常識を全く自覚しないでそれを常識と自分勝手に捉えて行動する。

身内の間の事なら許されるけど第三者も参加している場では許されへんやろうな。

この辺気を付けて飲み歩きをしたいと改めて思った。

しかし乾杯の音頭や来賓の挨拶で1時間以上はあり得ないな。

風邪を引くと『今年の風邪はきついわ』と言う。

その時俺は『それって、去年も言うてたで~。それって毎年言う言葉やな』と

突っ込む。

笑えよ~~!!(^_-)-☆





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世界史に出てくるセルジューク朝やカラハン朝の「朝」

「朝」という字には朝に家臣が参内することから皇帝又は国王の政庁の意味を

持つ。(=朝廷)

転じて、ある皇帝又は国王の一族による統治時期を「朝」と呼ぶようになった。

世界史の図説を読んでいて、セルジューク朝が中央アジアなど大規模に支配してい

た11世紀辺りにはアッバース朝がいないのに、12世紀のセルジューク朝が小規模に

なりルームセルジューク朝、アイユーブ朝が出てきた時にはアッバース朝がまた

出てきた。

実際にアッバース朝という王朝が消滅した訳ではない。

この時期のアッバース朝のカリフは日本史でいえば武家政権時代の天皇の立場に

似ている。

セルジューク朝のトゥグリル・ベクはバグダードに入城し、当時のカリフからスル

タンの称号を与えられ、西アジアにおける統治権を認められていた。

この辺りは日本の征夷大将軍と同じような立場と考えれば分かりやすいかもしれ

ない。

つまり、11世紀の西アジアではセルジューク朝がイラクやイランなどの統治権を

持っていた。

だから、地図ではセルジューク朝の領土して表現する訳である。

アッバース朝に関してはセルジューク朝に保護されている様な状態だった。

ところが、セルジューク朝は比較的早い段階から分裂していき、12世紀半ばには

イラク・イランを支配していたセルジュークの本家が滅亡してしまった。

元々セルジューク朝が支配していた地域はセルジューク家の分家(ルーム・セルジ

ューク朝など)やセルジューク朝から自立したホラズム・シャー朝などが群雄割

拠する様になった。

バグダードの周辺はセルジューク家の支配が及ばなくなり、アッバース朝は保護者

を失った状態になった。

再び地図上にアッバース朝が登場するのは、その状態を表しているからである。






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h_t_tomoto at 05:53 
プロフィール

T-SIRLOIN

Hi. I'm "T-SIRLOIN", webmaster of "MEAT & SEA T-Chama Club". From Osaka, I'm broadcasting my weekend foodie tour, mainly with YAKINIKU. "We love Osaka. We love Buffaloes," is our motto, and we are Osaka's No.1 GENKI Club. Hope you like it.
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