晩ごはん

メモブログ

2008年10月

アイドルマスター 765プロのアイドル達をThe Smithsにのせて描いてみた。




律ちゃんが若林神に見えてしかたありません。やっぱりかわいいなあ。
あとは真がとてもよかったですね。コメントにもあったように、女の子から見たカッコイイ真ってこんな風かなという感じを受けました。戦記で剣振り回してたりの勇ましい方の「かっこよさ」を良く見かけるのですが、設定通りのこういった画は意外と少ないのかなと思いました。




あと今日から少し旅に出ます。旅先で更新出来るかな?
それでは、また。

アイドルマスター 夢想歌 [コメントアートmix]






ニコニコにおいて動画とコメントの関係を考えたとき、やはり多くの場合は動画に対してコメントは主従の関係にあります。
その上で動画とコメントの主従を自覚的に反転させた動画として、初めて「職人クエスト」を見たときは驚きました。ドラクエ風のコマンドや攻撃時のエフェクトなどを全て投稿者コメントで表示し、コメントが主体でも動画として成立するのだとコメントの可能性を示した作品だったと思います。
そしてMCFPによる「you give」と「夢想歌」。CAを自分の動画の中で投稿者コメントを使って描き出すことによって、動画とコメント両方をもって一つの作品とした秀作でした。自分もそうなので人のことを全く言うことはできませんが「you give」は、なぜ埋もれていたのかと思わせるくらいよい出来だと思います。タグにもありますが1:50にながれるエフェクトは一見の価値があります。「夢想歌」はまずサムネが秀逸だったと思います。白いキャンバスの画像に[コメントアートmix]のタイトルに「まさか」と思った人も多かったのではないでしょうか。また、自分の中ではこのキャンパスによって、この作品は動画とコメントにおける主従関係を超えた作品になったのではないかと思いました。動画説明文にあったように「you give」の際はコメントは非常に高質の、けれど動画を彩る装飾でした。けれど「夢想歌」においてはコメントによってイラストがキャンバスに鮮やかに描かれたことによって、動画とコメントが両輪となって自覚的に作り上げられた先駆的な作品となったと思います。
また、このMCFPの動画はCA職人という出自から偶発的に生まれたものではなかったのではないでしょうか。動画説明文に掲載されていたMCFPのマイリストには、メモリーで保存された動画がコメントと解説つきで紹介されていました。こうした分析の蓄積の上で作り上げられた作品だからこそ、意図的にかつあれだけの質が確保されたのではないか、そう考えます。あと、このマイリストに入っている作品はどれも見ごたえのあるものばかりで驚きました。こちらも必見です。


コメントと動画の関係については、ある種ニコニコの根幹を成す部分でもあるので、本気で丁寧に考察しようとしたら大変なことになりそうですね。今回もこれだけ冗長になったにも関わらず、作品のインタラクティブな可変性などまだまだ思考する余地はあります。そういう意味でも色々考えさせられる作品だったかもしれません。

チカチカわた春香さんと千早ちゃんがバチバチ




上の作品から遡行して下の作品を見る。びっくりした。なんとなく病的だな程度に思っていたらここまでアヴァンギャルドな作品が飛び出すなんて。
コメントに言われて気がついたのだけれども、確かに水野純子を彷彿とさせる部分がある。絵柄ももちろんあるのだけど、どこか作品に漂っているインモラルな雰囲気にその通じるところがあるのかもしれない。あとタコ春香さんが実にエロくて困る。そのせいもあってか「チカチカ〜バチバチ」はずっと見ていると妙なテンションの高まりを感じてしまう。それが不気味でもあり、やっぱり楽しくもある。
ズブロカP。またニコマスの楽しみが一つ増えました。


あと関係ないけれど、この作品を見ていたらバキュラとタコ、メカに熊など、そう千早と春香はそれぞれキャラとして無機と有機の記号性を帯びているのだなどと妄想が広がってしまった。短絡に過ぎますね。けれど、二次創作物で役割や主張をキャラ毎に配置するときの参考程度にはなるのかもしれないと思いました。

ニコマスメドレー 〜2008 秋の祭典〜



とりあえず早速ipodに入れて運転しながら流してました。
この技術力には舌を巻くばかりです。「ShinySmile」「SunnyDaySunday」と「最強パレパレード」あと「もってけ!セーラー服」が好きだなあ。特にパレパレは音楽に合わせてキャラクターが動いてるだけでも楽しいと久しぶりに思った気がします。

春香はすごいキャラなのかもしれない





なんとなく追っていたアイドルなり俳優が、気がつくとすごい表現者になっている。「この子、こんなことも出来るようになってたんだ」という感嘆とはこういうものだろうか。ただ自分は普段映画やドラマはほとんど見ることがないので、もし〜ならの仮定ではあるのですが。

上記の作品を見た後、そう思わせられる勢いのようなものを春香に感じました。
「歌のないアイドルマスター」の春香は従来のドジキャラを踏襲しています。にもかかわらず、これまで例えば嫌マスの春香であったり、コーメイの罠等と呼ばれたような自己主張の手段としてのドジとは一線を画しています。むしろ、これまではそう思わざるを得ない程彼女は浅はかであると私たちの目から見えていたように思えます。けれど、ここで描かれた春香のドジは自己ではなく他者に向いているように自分には見えました。1:11で転んだ後もなお笑顔で舞台を続ける春香には、ドジも自己のパーソナリティとして受け入れ現状で出来ることを精一杯やろうという意志を感じます。気持ちが他者へと向いていたからこそ、観客は盛り上がり千早を惹きつけることができたのではないでしょうか。千早とともに舞台に上がった後の転倒も、笑顔でしかしドジである現状をけして良しとはしてない諧謔を春香はもっていました。千早のあの変化も、そうした春香の内面を感じたからではないでしょうか。転んで泣いている春香の頭を撫でるような、ゲームのオフィシャルPのもとではこうした春香は生まれなかったでしょう。ここでは描かれなかった春香の決して楽ではなかったであろうこの場末の舞台への道のりがあったのだろうと邪推してしまう程に、この作品の奥行きと春香の可能性を感じました。
一方で「樹海の糸」は自己の黒い感情と徹底的に向き合う春香の心情が歌われていたように思えます。いわゆる黒春香の攻撃的な感情が他者ではなく、自己の内面に落とし込まれていったら。圧倒的な存在感を持つ黒春香ですが、他方で非常に危ういバランスの上に成り立っているのではないか、改めてそう思わせられました。
かつては没個性として不遇の時を過ごした春香でしたが、ここに来てかなりの表現の受け皿を持つある意味でオールマイティなキャラへと変貌して来たのだなあと感じさせられます。最近よく見かける気がする「黒か?白か?」「愚民か?春香ファンか?」という旨のコメントは、春香の成長に受け手である私たちが対応しきれていないことによる戸惑いの声なのかもしれないと思いました。
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