2009年03月15日

向いてない

大学を中退して社会人になったのはちょうど20年前のことです。社会に出てからずっと言われてきたのは「お前はこの仕事に向いてない」でした。

最初に言われたのは「プログラマには向いてない」です。その後「マネージャには向いてない」と言われ、コンサルティングファームに転職したら「コンサルタントには向いてない」と言われました。最近でも「あなたは所詮技術者やコンサルタントであって、経営者には向いてない」と言われ続けています。

不思議なのは、今の私に対して「プログラマに向いてない」「コンサルタントに向いてない」「マネージャに向いてない」とは誰も言わないということです。それは実績があるからなのでしょう。経営者に向いてないと言われる昨今ですが、あと10年もしたらさすがにそうは言われなくなるのかもしれません。

ではどうして向いてないはずの私が今は適正があるかのように言われるのでしょうか。幾つかの可能性が考えられます。向いてないという評価が間違いであって、実は向いていたという考え方があります。もうひとつは、向いてないという評価は正しいのだけど、頑張ってきた結果実績が積み上がることで、実力があるように見えるようになったという考え方もあります。個人的には後者のほうが事実に近いように感じます。

ならば向いてない私はどうして頑張ったのでしょうか。それは単純に家計が苦しかったからです。稼ぐしかなかったからです。母親の入院費と死後のあれこれ・父親の定年後の家のローンやら何やら・妹の入院費など、それらを補うために積み重ねられた借金を返すためには、土日祝日もへったくれもなく少しでも働いて稼ぐしかなかっただけです。

ですがそうやって山のように積み重ねた経験と実績は、結果として実力として自分の中に蓄積されました。他人が盗もうとしても決して奪えない財産です。お金は無くなっても、私の経験とそれに裏付けられたスキルは使わないうちに衰えることはあっても、決してなくなりません。

逆に漠然とした「これが好きだからやりたい」といったことは、飽きっぽい私には続きませんでした。続かないから地力がつきませんでした。私の実力の全ては、向いているからでもなければ好きだからでもなく、単純に生きるために必要だからひたすらそれを反復して習得してきたというだけです。もちろんそこで「こんなのは嫌だ」と思わずに済んだという偶然はあります。

私は仕事上で嫌いな人はいましたが、嫌いな仕事というものはありませんでした。苦手な仕事というのはもちろんありますが、それが必要なことであれば普通の人の数倍の時間がかかったりしながらも習得してきました。私は鈍くさいので普通の人が2・3年でさっさと出来るようになることであっても、10年とかかかってしまうのでしょう。この差のことを周囲の人は「向いてない」というのかもしれません。ですがその向いてないと見えることであっても、さすがに20年もやってると人並みにはなれるらしいということが、この年齢になって少し実感してきました。

向き不向きだけで生きていけるほど、人生というのは単純ではないのかもしれません。あるいはそんな小賢しいことを考えてどうにかなるほど、底の浅いものではないということなのかもしれません。ただひとつ言えるのは、向き不向きに懊悩する暇があるならその分手を動かして失敗の一つも積み重ねた方が、よっぽど未来につながるのではないのかな、と。そんなことを考えさせられることの多い、今日この頃です。

habuakihiro at 14:49│TrackBack(0)人生 | 仕事このエントリーを含むはてなブックマーク

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