やっぱりマジカ!が好きマジカカンファレンス2009

2009年10月10日

セパレイト・ウェイズ

人生というのは何かを得るのと引き替えに何かを諦めることの繰り返しなのかもしれない。そんなことを感じたりしています。

例えば私は大学中退です。ですから大学を卒業するとはどういうことかというのを知りませんし新卒入社という体験は一生できません。その代わり中退するとどういう風になるかということを知っています。あるいは私は転職してますし起業もしました。ですから新卒から定年までひとつの会社で勤め上げるということを今生で体験することが出来ません。ですから起業について話は出来ても、終身雇用というものについての実感は一生得られません。

例えば私はプログラミングの経験があります。これは「プログラミングを知らない人の感覚が理解出来ない」ということでもあります。つまり「何も知らないユーザの気持ちがわからない」ということなのかも知れません。

進学、就職、転職、結婚、出産、育児、その他あれやこれや。人生の至る場面で分岐点があり、進める道はいつもひとつだけです。そしてその道を選ぶが故のメリットやデメリットがありますし、コインの裏表のように選ばなかった道にあったであろう可能性と危険性というのも存在するのでしょう。

例えば大きな病いに遭う人もいれば健康に格別気を遣うこともなく人生を送る人もいるでしょう。健康の有り難みというものへの実感にはやはりそれぞれに違いがあるかと思います。あるいはまた例えば子供がいる人には子供がいない人生は実感できないでしょうし、逆もまた同様でしょう。

この人と結婚すると決めて結婚した人生と結婚しなかった人生。あるいはこの会社に入社する人生としない人生。この仕事をする人生としない人生。この人を信じる人生と信じない人生。野良猫を拾う拾わない。子供におもちゃを買ってあげる買ってあげない。小さな事から大きな事まで、様々な分岐点があると感じます。

それぞれその先の道は別々であり、ひょっとするとどこかでまた交差するときもあるのかもしれませんが、それが今なのか既に過ぎ去った時期なのかはたまた未来なのか、検知することはできません。どちらの選択が良い・悪い、正しい・間違いではなく、人は数多ある道の中から一本だけしか歩けないということなのでしょう。

自分の選択が間違いだとは思わないですし、思いたくないというのも事実です。ですが一方で、では他の選択肢が間違いだとも言えないのですから他人の選択をとやかくいうのも変な話です。そして自分の選択の結果不利益を被ったとしても、それは結局は自分自身の選択のせいなのですから、他の選択肢に対して未練があったとしても残念ながらそれはそれで仕方のないことです。

そのように考えると、この先の人生どれほどの距離があるのかは終わってみなければわかりませんが、まだまだ数多の分岐点があるのでしょう。その都度トレードオフに悩みながらも、どれかひとつの道だけを選ぶことしか出来ないのですから、あれもこれもと欲張って結果として未練だらけに終わるようなことのないように、譲れない一点だけは見失わないようにいつも意識をしたいと感じる今日この頃です。




…どーでもいいけど、ライブDVD見ましたがアーネル・ピネダいいじゃないですか。Separate Waysはやっぱり名曲だと思います。個人的には中3のときにコピーしたのは良い思い出です。ジョナサン・ケインには割と影響受けたですよ。懐かしさにふと振り返る。

habuakihiro at 06:28│TrackBack(0) 人生 このエントリーを含むはてなブックマーク

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