History of Tamasaba, First tamasaba breeder?
(玉サバの歴史、最初の繁殖?)
■詳しい写真や本などは残っていませんので
誰が最初に作ったのかは不明ですが
山古志のお爺さん達の話しによると
1917年(明治)頃(今から約100年前)には
確実に山古志地域などで玉サバは確認されている。
当時の呼び方は『玉サバ』ではなく
『サバ尾』、『さばご』と呼ばれていた。
しかし第二次世界大戦が始まり1939年~1945年
食糧難になった日本は、日本軍からの命令で
鯉や玉サバを食料として食べられ数が激減しました。
この時に玉サバは『幻の金魚』と言われ
絶滅の危機になりましたが
それでも山古志の人々が全てを無くさないよう少し隠し
復活にも取り組んだおかげで
玉サバは復活し現在は世界の人を魅了しています。
「金魚伝承第三号」(2002年12月10日発行)によると
鯉師が作り始めたと言われているのが1966年頃。
玉サバに流金やコメットを交配させたり
三色玉サバを作ろうと朱文金を交配させたと書かれている。
この頃から、それぞれの生産者が作りだす色々な形の玉サバが作られ始めました。
また純粋な血統を守ろうと他の金魚の血を入れない生産者もいました。
新潟という地域は錦鯉を生み出したブランドだからこそ
生産者の技術が常にどこよりも進んでいて
品種改良も行われてきたからこそ
その技術や経験をもとにして
玉サバもこのように進化してきたんだと思います。
(玉サバの歴史、最初の繁殖?)
■詳しい写真や本などは残っていませんので
誰が最初に作ったのかは不明ですが
山古志のお爺さん達の話しによると
1917年(明治)頃(今から約100年前)には
確実に山古志地域などで玉サバは確認されている。
当時の呼び方は『玉サバ』ではなく
『サバ尾』、『さばご』と呼ばれていた。
しかし第二次世界大戦が始まり1939年~1945年
食糧難になった日本は、日本軍からの命令で
鯉や玉サバを食料として食べられ数が激減しました。
この時に玉サバは『幻の金魚』と言われ
絶滅の危機になりましたが
それでも山古志の人々が全てを無くさないよう少し隠し
復活にも取り組んだおかげで
玉サバは復活し現在は世界の人を魅了しています。
「金魚伝承第三号」(2002年12月10日発行)によると
鯉師が作り始めたと言われているのが1966年頃。
玉サバに流金やコメットを交配させたり
三色玉サバを作ろうと朱文金を交配させたと書かれている。
この頃から、それぞれの生産者が作りだす色々な形の玉サバが作られ始めました。
また純粋な血統を守ろうと他の金魚の血を入れない生産者もいました。
新潟という地域は錦鯉を生み出したブランドだからこそ
生産者の技術が常にどこよりも進んでいて
品種改良も行われてきたからこそ
その技術や経験をもとにして
玉サバもこのように進化してきたんだと思います。
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