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★先生のお怒り

★〈教育コミュニティづくり〉の研修会で、僕の実践を発表する機会があった。
 その中で、僕が敬愛する大先輩◇沢◇太郎氏の論文から引用し、プレゼンソフト(パワポ)を使ってスクリーンに提示した

 発表が終わって質疑応答の時間になった。
 会場の真ん中付近から、サッと手が挙がった。
 ◇沢◇太郎氏だった。
 まさか来ていらっしゃったとは!!
 胸が高鳴る!
 きっと、発表内容をほめてくださる……あるいは、僕の引用に対する感謝のおことばがいただけるにちがいない……と思ったが、それは大まちがいだった!

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 「他人(ひと)が縦書きで書いたものを、勝手に横書きにするとは実にけしからん!
 かなりのお怒りのご様子だった!
 瞬時に僕はステージの上の演台におでこを擦りつけるようにして「先生のお怒りのご心中、お察し申し上げます。心よりお詫び申し上げます」と平謝り!

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★キツネとタヌキの化かし合い

発表会が終わって控え室でひとりになる。
 僕はブツブツと自問自答をはじめる――

 「縦書きと横書きについては、僕自身もこれまでの人生の半分くらいの期間、悩みつづけてきたことだ。さらにいうなら縦書き派として横書きの洪水と戦ってきた」(註①
 「戦ってきた」なんて、ずいぶん大袈裟なもの言いだが、9教科の中で、板書も縦書き、試験問題も縦書き、子どもたちのノートも縦書き……というのは国語科だけだ。
 日本文化の中で「縦書き派」の孤軍奮闘は大きな意味があるのだ。
 「原稿を業者に渡すとき、『この原稿のとおり、サンプルのとおり縦書きで……絶対、横書きにしないでくださいね……』と念を押さなくてはいけない場面が何度もある(できあがった冊子をみたら、たしかに僕の原稿は縦書きになっているのだが、横書き派の陰謀で?いちばん末尾にオマケのように掲載されていたということもあった。)」
 「この心情は◇沢先生のお怒りとピッタリ、シンパしている」
 「だから、僕は瞬時に謝ったのだ」
 「ただし、はたしてプレゼンの引用で、『縦書きを横書きにしました』という断りが必要なのか?」
 「短い引用だったのでカギ括弧にいれて記述し、カギ括弧の外に出典を明示し、アナウンスでも確認した。これでいいのでは?」

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 「自問自答」は延々とつづいていく。

 そして気づいたら、僕はベッドの中だった。
 カラダの右側を下にしてブツブツやっていたのだ。
 だが、夢から覚めて「ああ、夢だったのかぁ~」という感じではない。
 夢の中のブツブツとベッドの中のブツブツとが、切れ目なく、つながっている
 どこまでが会場の控え室で、どこからが目覚めたあとの布団の中なのか?の区分がつかない

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 キツネにつままれたような話だ
 今、僕は、僕の夢の中にいるのか? 現実の中にいるのか?
 わからない。
 こういうのって、ちょっと不安だなぁ~。
 このまま僕は夢の中で生きていくことになるのかも? もうハルコにも会えないのかも?……と思うと、すごく恐い。

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★キツネにタヌキが加わってきた(ひとつの「オチ」として)

 ところで、今、いったい、何時なのだろう?
 枕元に置いたスマホのディスプレイを暗号ノック(トントコトン)すると、時刻は午前4時38分だった。
 Yahoo!NewSを開くと、眠る前と同じ記事が並んでいた。
 産経ニュースを開くと、こちらは更新されていた。

 産経の見出し=「日韓首脳対話 無断で撮影 韓国が周到に準備、不意打ち

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 記事本文出だし=「韓国大統領府が公表した安倍晋三首相と韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領による面談の写真は、韓国側が日本側に無断で撮影、公開していたことが7日、分かった。いわゆる徴用工判決で生じた日韓請求権協定違反を是正することなく日韓関係を改善させたい韓国が、一方的に首脳間の対話を内外に示そうとしたためだが、日本政府は用意周到な韓国側の“不意打ち”に対韓不信を強めている。」(以下、略)

 キツネとタヌキの化かし合いの話だった

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★註①=縦書き派として横書きの洪水と戦ってきた

ある年の大晦日

★新しい年、いくつかのシステムを変更することにした。
 いま、その1つについて書く。

 ①まず、この文章(=「日記」)について。

 【〈縦書き〉から〈横書き〉へ】

 理由――他の文章(例=保護者や他の教師への通信・各種校務分掌などの報告・研究報告・学習指導案……)で、縦書きを使うことはめったにない。
 国語科の試験問題と国語の授業記録と子どもたちのノートとそれに対する僕のコメントと、そして僕の私的な手紙くらいのものだ。
 もちろん、だから、この文章(=「日記」)も……と考えているわけではない。
 「だから……」に近いけれども、しかし、微妙に違う。
 どう違うのか?
 うまく説明できない。
 あえていうなら、これまでのように、この文章(=「日記」)を〈縦書き〉で書こうとする「自分」――〈横書き〉の文章に抵抗を感じつづけてきた「自分」――つづめていえば、〈縦書き人間の自分〉、これを捨ててしまおうと考えている。
 こういう「変更」は、他の何に似ているだろう?
 右側通行から左側通行への変更?
 喫煙者から禁煙者への変更?
 古いペンから新しいペンへ?
 それに、昨日の「逆転」(註②)とは、どう関係するのだろうか?
 (中略)
 ここで、今、ひとり解説しても仕方がないことだ。
 まず、1ヶ月、横書きの文章(=「日記」)を続けてみよう。
 ちなみに、手紙も授業記録も「横書き」になる。(過去記群からの引用)

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縦に立て籠もる

★(前記述から3日後)1人で、ソファーに寝っ転がり、『冬休み学習帳』をみる。
 あすの「学習会のstrategy」を考えたが、頭は少しも回転しない。
 というより、やる気になれない。
 (中略)
 夕食後、やっと先の「学習会のstrategy」に向かう。
 テーブルに向かってしまえば、どうということはないけれど。
 今、僕は仕事や職場に向かい合わされている。
 新しい1年間に向かい合わされている。
 直面させられている。

 【さらされている】

 仕事や職場や、1年間に、投げ込まれかけている。
 この感覚がイヤなのだ。
 だから、〈縦書き〉が必要だったのだ(=これがホンネか?)。
 すなわち――
 【〈横書き〉は、「仕事」や「職場」や「1年間」の象徴】。
 それに対して、
 【〈縦書き〉は、「仕事」や「職場」に対抗して、立て籠もる場所】。

 年の暮れに、新しい年は、その〈縦書き〉を取り払って、〈横書き〉の世界に溶け込んでやろう! なだれこんでやろう!といっているのだ。
 しかし、それは頭でいっているのであって、カラダのほうは、まだ全然ついていっていない。
 【僕は縦書きの中に立て籠もっている】
 このことが、きょう、よくわかった。(過去記群からの引用)

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註②=逆転

★昨夜、いくつか過去の記述群を読み直した。
 読み直すことによってどんなことを確認することができたのか?
 【教育に対する姿勢が変化してきている。】
 他にもある。
 が、これがいちばん大事だ。
 「変化」というより「逆転」に近い。
 過去の記述群では、「教育」と「僕」との間に、一定の距離がある。
 正確には、その「距離」を取ろうと、必死に、努力している。
 「教育」は僕にとって「主」ではなく「従」だ、「材料」だ、「ネタ」だ。
 しかし、近時の記述では、その「距離」が消滅している。
 そのことを示す一文――
 【仁科の詩を、僕の「国語の授業」に教材として登場させる。】

 完全に「主」と「従」が逆転している!

 美しい「逆転」だ。(過去記群からの引用) 

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★画像=(安倍晋三首相と文在寅大統領の面談写真以外の画像)記事中に「今、僕は、僕の夢の中にいるのか? 現実の中にいるのか?(中略)恐い」とあるが、これらの画像のコース(=キツネとタヌキの道)も恐いルートである。
 僕は昔、このルートの途中で、キツネかタヌキに化かされ、真っ逆さまに教育の世界に突入していった。
 それが今でも覚めていない。

★参考記事=★けさフラッとゆりの木通りの光龍寺山門から長者山新羅神社を抜け吹上の街に下りてみた!人生の迷路なんだなぁ~


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