「正月一日、風なく晴れてあたたかなり。炭もガスも乏しければ湯婆子(ゆたんぽ)を抱き寝床の中に一日をおくりぬ」。今からちょうど70年前にこう記したのは作家の永井荷風である。昭和16(1941)年辛巳(しんし)、「荷風散人年六拾三」の元日だった
「去年の秋ごろより軍人政府の専横一層甚しく世の中遂(つい)に一変せし今日」という。当時、4畳半で自炊生活を送っていた荷風だが、こんな世相下にあってかえってそのわびしさや不便さにも愛着がわいてきた心境をつづる
「時雨ふる夕、古下駄のゆるみし鼻緒切れはせぬかと気遣ひながら崖道づたひ谷町の横町に行き葱(ねぎ)醤油(しょうゆ)など買(こ)うて帰る折など(中略)哀愁の美感に酔ふことあり。かくのごとき心の自由空想の自由のみはいかに暴悪なる政府の権力とてもこれを束縛すること能(あた)はず。人の命のあるかぎり自由は滅びざるなり」
当時の日本は日中戦争から抜け出せず、戦時経済下の人々の心は閉塞(へいそく)感に覆われた。この年の12月に日本は対米英戦という破滅の川を渡ったが、その開戦の報を鬱屈を打ち破る快感と共に聞いた人は少なくなかったという
何も歴史は繰り返すと言いたいのではない。ただ昨年来の世相を覆う行き詰まり感、時代の方向感覚失調に陥った政治家、統治能力の欠陥をあらわにする政府−−これらを引き継ぐ新しい年を迎えるにあたり、ちょっと70年前の荷風の心境を振り返りたくなったのだ
むろん2011年の日記が書かれるのは今からだ。未来へ向かう時間を刻み直し、目前の壁を破れるかどうかは人々の自由な挑戦にかかる。その日記に袋小路の向こう側の風景は記されるだろうか。
余録 , 毎日新聞 1/1
創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge
「去年の秋ごろより軍人政府の専横一層甚しく世の中遂(つい)に一変せし今日」という。当時、4畳半で自炊生活を送っていた荷風だが、こんな世相下にあってかえってそのわびしさや不便さにも愛着がわいてきた心境をつづる
「時雨ふる夕、古下駄のゆるみし鼻緒切れはせぬかと気遣ひながら崖道づたひ谷町の横町に行き葱(ねぎ)醤油(しょうゆ)など買(こ)うて帰る折など(中略)哀愁の美感に酔ふことあり。かくのごとき心の自由空想の自由のみはいかに暴悪なる政府の権力とてもこれを束縛すること能(あた)はず。人の命のあるかぎり自由は滅びざるなり」
当時の日本は日中戦争から抜け出せず、戦時経済下の人々の心は閉塞(へいそく)感に覆われた。この年の12月に日本は対米英戦という破滅の川を渡ったが、その開戦の報を鬱屈を打ち破る快感と共に聞いた人は少なくなかったという
何も歴史は繰り返すと言いたいのではない。ただ昨年来の世相を覆う行き詰まり感、時代の方向感覚失調に陥った政治家、統治能力の欠陥をあらわにする政府−−これらを引き継ぐ新しい年を迎えるにあたり、ちょっと70年前の荷風の心境を振り返りたくなったのだ
むろん2011年の日記が書かれるのは今からだ。未来へ向かう時間を刻み直し、目前の壁を破れるかどうかは人々の自由な挑戦にかかる。その日記に袋小路の向こう側の風景は記されるだろうか。
余録 , 毎日新聞 1/1
創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge