June 06, 2008

前編:1998年の霧 1 取り引きされる勝ち負け
http://blog.livedoor.jp/hadakano_ousama/archives/51296663.html

1998年という年は、サッカーのドーピング問題にとっては特別な年だ。

当時セリエのASローマの監督だったゼーマンが、対戦相手の一部の選手がドーピングをしていると厳しく指摘してイタリア国内の大きな騒動に発展したが、それがこの1998年であり、そして、指摘した対戦相手というのが、90年代にセリエとチャンピオンズリーグで絶頂を誇ったユヴェントスである。

ゼーマンは、どういうわけか、このドーピング指摘事件のあとローマから去り、うとまれたのか、北イタリアのクラブではその後干された形になった。
中田英がペルージャからローマに移籍してくるのは、ゼーマンが辞めた直後のローマで、ゼーマンのローマではないのだが、むしろ、この微妙な移籍タイミングについては、このシリーズののちのちの記事でも触れていく話なので、覚えておくといいかもしれない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BA%E3%83%87%E3%83%8D%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3

この時代のセリエで問題になった薬物が「ナンドトロン」である。
ナンドトロンは筋肉増強ステロイドで、セリエAを中心に欧州のドーピングが問題化しはじめたこの頃、必ずといっていいほど登場した薬物。セリエAの有名選手にはいろいろと使用の噂があったものだ。
ゼーマンがドーピングをしていると指摘した対戦相手とはユヴェントスだが、当時、ジダンはじめ有名選手が多数所属していたが、彼らの中からドーピングによって4ヶ月の出場停止処分になった選手がでた。元オランダ代表エドガー・ダービッツである。

ダービッツは当時オランダ代表でもあったが、時期を同じくしてリーガのバルセロナに所属していたオランダ代表DFデブールも、ドーピングで11週間の出場停止となったため、この中心選手2人をドーピングで欠いた強豪オランダはW杯予選敗退という不祥事を招いた。

ダービッツのWikiを見ると、不思議なことに、故意に書かれていないのか、このドーピング事件のことは一切触れられていない。まったく片手落ちなWiki項目ではある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%84

こうした流れを見てもわかるとおり、ダービッツのドーピング発覚は、ゼーマンのセリエA薬物汚染という指摘が正しいものであることを決定づける事件ともいえる。

また、この98年前後以降、さまざまなクラブから処分者が出るのだが、セリエAのあらゆるクラブから処分者が出た、というわけではないことは、覚えておく必要がある。

ちなみに、つい最近バルセロナの監督になったグアルディオラは、この時代にダービッツ同様にドーピングを指摘されたが、長い裁判を戦いぬいて無罪を勝ち取ったことはよく知られている。ダービッツとは好対照である。










hadakano_ousama at 21:30│Comments(0)TrackBack(0) 「1998年の霧」 | セリエのドーピング事件・八百長問題

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