2017年03月
2017年03月11日
モヌケ新聞3000号〜なんととうとう3000号〜

3000号だから
きっと何か記念の何かをしたためようかとか考えつつも
そうこうしてる間に時が過ぎていくもんだからちっとも追いつかなくて
ウツウツとしている
3000号というのは3000日ということである
我ながらまるで未知の世界で
全く実感のないものであるが
3000号という事実があるのならば、まちがいなく3000枚の何かしらのスケッチを描いたということになる
1日1枚、3日で3枚という名の元で作品展に向けて絵を描いたというのがそもそもの始まりだったということも懐かしく(その時はまだモヌケ新聞ではなかったのだが)
何となくの文章を書くのも大好きで、延々続けてきたのに
この頃というもの、義務のように一週間まとめて1日1枚の絵を描いたふりをするという
まるで情けない始末
これならいっそのことヤメてしまえばいいのに、やめないのには何かしらの理由があるというのか
ない、ない、ない
ないけど、やっぱり続けておこうかとも思う
そんなこんなで3000号
思えば遠くへ来たもんだと中原中也が言った時はまだ二十代だという
そんなことも記憶の奥
それでもやっぱり、スケッチをしてはムフフと思う
まだまだ頭の中は色とりどりなのだ
そうあるうちは、まだまだ続けていこうなんて
思ったりもするのであった
何かしらのエピソードは日々生まれるのだが
1日の流れはそれをうまく流して過ぎていくのだった
このおもしろくもなんともないつまらない人間のこの人生の絵を
くだらないペースで更新しつつ
されどね
されどね
ってそれもで見てくれる人が数人いたら、それでいいのかもしれないね