【京セラフィロソフィーからの学び】

各々に気づきがあり、仕事、業務に活かしていきます。
個々人としてもすばらしい人生を送るために‘心を高める’ことを継続していきます。
同じ想いを共有する仲間を増やしていきたい、と強い想いがあります。
京セラフィロソフィーは、稲盛和夫氏が「人間として何が正しいのか」を自分自身に問い、
真摯に仕事や経営をする中で、生まれた考え方です。

○小善は大悪に似たり
・人間関係の基本は、愛情をもって接することにあります。
それは、盲目の愛であったり、溺愛であってはいけません。
・つまらない「善」をなすことは、かえって「悪」をなすことになります。
子供が可愛いから甘やかして育てる。結果としてわがまま勝手に育ち、不幸な運命をたどっ
てしまいます。
上司と部下の関係でも同じです。信念もなく部下に迎合する上司は、一見愛情深いように見
えますが、結果として、部下をダメにしていきます。これ『小善』といいます。
『小善』とは、目先のことしか考えずに相手に施そうとする善行です。
その時は良いように見えても、後々悪い結果を招くことになります。表面的な愛情は相手を
不幸にします。
逆に、信念を持ち厳しく指導する上司は、けむたいかもしれませんが、長い目で見れば部下
を大きく成長させる事ができます、これが『大善』です。
真の愛情とはどうある事が、相手にとって本当に良い事なのかを厳しく見極める事です。
『大善』とは、先々のことを考え、今は相手に冷たいことを言ったりしたりしても、それ
は相手を成長させていくことを願ってする行為です。(例:下

●大善は非情に似たり
『大善』を行う事は、一見薄情な行為にうつるかもしれません。「人間、若いときの苦労
は買ってでもせよ」と言ったり「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とし、そこから這い上が
ってきたものしか育てない」という例えもありますが、周りから見れば酷いと思える行為も、
それはその人を大きく育てるために必要なことです。非情に思える行為が、『大善』なのです、

愛情ある行為は、常に相手を思っての行為として考えなければなりませんね。心がけます。

『大善』とは、 「大善は非情に似たり」
・例として、発展途上国を支援するODAの広告に、「私たちは貧しい国の人たちに魚を与え
るということはしません。ただし、魚を取る方法を教えます。」という表現がありました。
魚を与えても食べてしまえば何も残らない。どうすれば今だけでなく食べていけるかという
方法を教えるということです。
方法さえ身につければ、後は自分達で生きていけるはずであるという考え方です。
これが『大善』です。

慈善事業も、本当に相手を助けるということはどういうことなのかを考えて行わなければな
りません。
 
我々も仕事をする上で、『大善と小善』という意味を考えながら十分理解していかなくてな
らないと思います。