【京セラフィロソフィーからの学び】

各々に気づきがあり、仕事、業務に活かしていきます。
個々人としてもすばらしい人生を送るために‘心を高める’ことを継続していきます。
同じ想いを共有する仲間を増やしていきたい、と強い想いがあります。
京セラフィロソフィーは、稲盛和夫氏が「人間として何が正しいのか」を自分自身に問い、
真摯に仕事や経営をする中で、生まれた考え方です。

手の切れるような製品をつくる
 私たちが作る製品は「手の切れるような製品」のような“すばらしい製品”でなくてはなりません。
製品には作った人の心が表れます。大雑把な人の作るものは大雑把に、繊細な人が作ったものは繊細なものになります。たくさん作ったものの中から良い品を選ぶという発想では、決してお客様に喜ばれる製品にはできません。
 完璧な作業工程のもとに、一つも不良も出さないように全員が神経を集中して作業し一つ一つが完璧である製品を目指さなくてはなりません。

手の切れるような製品とは
 手の切れるような製品とは、最高の品質を持った完璧な製品、ということです。
できた製品が、性能的にも、見た目てきにも美しいものとなるまで品質を追求していくことが重要です。


●製品だけでなく社員にもつながる
 この話は製品だけでなく、社員の立ち振る舞いに対しても言えることです。社員の立派な立ち振る舞いを通じて、社風にも品格が備わり、「手の切れるような会社」となると思います。
またそのような会社にならなければなりません。
 京セラフィロソフィは、一種の‘戒律’でもあり、‘人間として何が正しいのか、正しいことを正しいままに貫いていく‘というものです。
『人生の方程式』の中にある『考え方』をすばらしいものに高めていくためにも、自分自身の心を磨く必要があります。心を磨いていけば、望まなくても会社は立派に成長していくはずです。会社が立派になっていく、作り上げていく過程で磨き上げた自分の人格、人間性こそが財産となるのだと思います。


〇自分自身を高めるには、このような心を高めることで身につくのではないかと思います。
「手の切れるような製品」イコール「手の切れるような会社」にしていくためにも、自分自身の心を高めていくことが大切であると実感します。