2008年03月23日

罪悪感

4cd5c8ea.jpg意識というやつは何故に、罪悪感を抱かせるのだろう

ニーチェはそれをルサンチマンと呼び、その罪悪感を超越した人を超人と呼んだ。

が、超人もきっと社会生活の中では困ったやつであるに違いない。

この土日、夜に数枚執筆した以外は(ちなみに仕事で執筆などまったくない)、信じられないほど寝てしまった

で、なんだ、この罪悪感は

ついでに人生の先行きやら、疲れやすくなった肉体とやらまで

反省し

不安になった

ついでにその間、どこからも何からも連絡などがないことから

僕はひょっとして世界でポツンとひとりなのではないかとまで思ってしまった。

これでは迷子の子供だ。

花粉と風邪にやられて先週は瀕死の有様だった。

これでいいではないか。

体は回復を欲っしていたのだと言い聞かせても

この罪悪感を感じる心というやつは

なかなか納得してくれない。

実は居心地がいいんだろう

罪悪感を感じる心と、いやいや感じる必要はないという開き直りの羽毛布団と毛布にくるまり

ぬくぬくと罪悪感に満たされている

実は居心地のよさ。



さらに罪悪感を感じることに罪悪感を感じるという

なんともわけのわからぬ状況

しかし、このわけわからぬ状況は芝居になるのではという

相も変わらぬ、意味づけ、あるいは無駄な意識のリサイクル

意識のエコ。エゴのエコ。地球環境に貢献してるのか?

生まれた意識を有効活用して人生の無駄の元をとろうというこれまた無駄。

果たして、意識の層のウエディングケーキみたいなものの

奥、無意識には行けるのか


忙しく働かねばならないという幼少時より仕掛けられた

社会性の首輪から外れることができるのか。

いや、とっくに外れているからこそ、見えざる首輪を仮想しないと

不安でいられないのだ。



こういうときは、散歩にでも出て虚しき夜の風に、孤独をかみ締め

スルメとどちらが味わい深いのか感じることにしよう。


hagure_st at 22:40│Comments(0)TrackBack(0)

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