日本で1番の歴史 我が道を守る 多田 ハジメ HTスケートボードスクール ブログ

HTスケートボードスクール理念「人々とスケートボーディングを繋ぐ架け橋である」 多田 肇(ただ はじめ)1973年11月神戸市生まれ在住のプロスケートボーダー。スケート歴30年。1987年14歳で始め入門3年目でプロ転向。10年目の1997年AJSA全日本スケートボード東京大会プロストリート部門で準優勝。日本で2位となる。現在HTスケートボード・スクール運営中。日本で常時きちんと開催されるスケボースクールを最初に開校させた第一人者の多田が、スクールの様子や役立つ情報を掲載します。「流行にとらわれず本質を見極める」といったスピリッツも伝えていきたいと思います。(こうやって皆さまと繋がっていられることに感謝しております)パソコン画面での閲覧を推奨しております!

他人を理解できるようになる方法

他人のことが分からない。

こうした他人を理解できない方は、そもそも自分を理解できていないとも言えます。

愚かな自分を覆い隠すように、(無自覚に)良い子ぶって生きているのです。 

ぼくは28〜29歳の頃に、自分が思いつく限りのワガママな夢やこだわりを書き出してノートにまとめました。それを「これが正直な自分です」と第三者に見せたこともあります。

当時こんなことをしたのは、ワガママを直すためではなく、ワガママを叶える為でした。

そして当時の自分が考え出したワガママを叶える方法は、「ワガママを叶え、貫くにはお金もいる。しかし人様から1円でもお金を頂く資格のある人間になるには、自分の欲や自尊心は一旦捨てて忘れ、徹底的に人様を喜ばせなければいけない」

そう考え、自分のHTスケートボードスクールで「自分がされたくないことはしない」「自分が他人からこうされたら夢の様に嬉しいこと」を10年間徹底的に貫いてみました。人間だれもが抱えている「自分を最優先に大切にしたい願望」を徹底定期に封じ込めたのです。それは我慢ではなく、当たり前だと思えました。

結果は、みるみるうちに生徒さまの数が増え、1日3時間で30人を教える教室となり、増え続けるご予約に制限を設けさせてもらわないといけないぐらいになり(連続ご予約は無理)、ほぼ100%の生徒さまに喜んでもらえ、一部の方からは「先生には徳がある」と一生に一度でも言ってもらえることは難しいようなお言葉もいただけました。着いてくるご家族も含めると、一日に5〜60人の人々を(ほぼ自分がメインで)必ず一人ひとりと会話も交わしながら、人々を喜ばせることに集中しました。(いま振り返ると、これは体力と社会性とがバランスする30代だからこそ出来たことだと思います)

そこで学んだことは、
1、個々の性格は違っても、自分と他人は同じ人間である。同じことに喜び、同じことに怒り悲しむ。

2、自分のワガママを叶えることが幸福だと思っていたことは恥ずかしい妄想であり、自分のワガママを抑え、他人のワガママを叶えてあげ、幸せそうに帰られる相手の後ろ姿を観ることこそ、真の精神的幸福である。(とても上等である)

ということを実体験で学べました。 殆どの愛好家が自我を垂れ流しにするような楽しみ方をするスケートボード界。こうしたスポーツジャンルの中で、ぼくは本当に稀で貴重な体験が出来たと思います。

そして考えてみれば不思議なもので、ぼくはまず自分が世間を気にせず徹底的にワガママに成るノートを作ってみたお陰で、最終的には、人間のワガママは妄想であり馬鹿げていることを発見でき、(根絶はできませんが)ある適度は卒業できたのです。

そして、世の中のすべての他人の心が透けて見通せるようにもなれました。100メートル先からこちらへ歩いてくる人だって同じ人間。他人は自分でもあるのです。そして世の中には良い人と悪い人がいるのではなく、誰の心にも両方の性格が戦っていて、ちょっとした引き金で、良い人にも悪い人にも変身するのです。

このブログ投稿のテーマは「他人を理解できるようになる方法」ですが、
ここで言えることは、

1、まずは正直にワガママな夢やこだわりを語ってみる。(あくまでも他人に迷惑をかけず、自分の脳力を担保とする健全なワガママです)

2、ワガママを叶える為には、人間的な能力をアップさせたり、お金も必要なので、一旦は自分のワガママを完全に抑えこんで、仕事(社会への貢献)に励む。

3、そうすることで自分の心が静かになり、他人のワガママ(ニーズ)を鋭く理解でき、叶えてあげる工程を続けることで、能力もアップするし、人間というものがとても理解できた。

4、自分の心にはワガママな部分が無いかの様に社会で振る舞ってみることで、世の中のすべての人間が、如何に自分だけを愛して生きているかを知った。例えば殆どの人はムスッとした暗い顔で町を歩いたり、乗り物を運転したりしています。これだけでもワガママなのです。自分が町を明るくする素材の一つとになりたい、すれ違う人々を気持ちよくさせたいと本心で感じれば、にこやかに歩くべきなのです。それは他人の為のみならず、健全な自尊心も養えるのです。

これが「他人を理解できるようになる方法」の一つです。
これは読むだけで習得することは不可能で、ぼくの場合はHTスケートボードスクールを通じて少なくても10年間は掛けました。仕事(社会貢献)で交流させて頂く人数や、仕事の経験が少ないと、適切な統計(フィードバックの平均値)が取れず、正しく人間を理解できないのです。

また同時に発見できた面白いことは、
私が助けてあげようと思う相手の方(助けてもらう側・生徒さま方)にも才能が必要だということです。才能というよりも、心の清らかさと言ったほうが適切かもしれません。私が手助けして実際に上達し、良くなってゆく人々は、必ず変なプライドは持たず指摘されたことにも怒ることなく、凄く嬉しそうにしてくださるのです。助けを助けと理解してくださり、ひねくれていないのです。

ですから助ける側になることも挑戦ですが、助けてもらえる人間であることにも謙虚さが必要です。

ですから人間心理として、苦労なく中途半端に上手くなれた方ほど、この輪(助け合いの輪)に入ることが出来ずに悲しい顔をしているようにも見えました。彼らは教えられることに対して形(かたち)的にプライドが許さないし、かといって人を助ける立場になることよりも、自分で自分を愛することに忙しいのです。
ぼくは昔から「たとえチクタクが出来ただけでも人は助けられますよ。 仲間に入って手伝ってください」という気持ちで語ってきましたが、この本質を理解し、協力してくれた方は非常に少なく、砂漠の一粒の砂ぐらいの人数しか居ませんでした。(今も本当に感謝しています)

宇宙の法則で、自分を愛することは、絶対に他人は協力してくれないし、絶対に誰も心からの称賛はしてくれません。自己愛に対して「叶える」という単語を使うことすら滑稽(こっけい)です。しかし人を助けることは、ここに書いた多大な成長もありますし、その行為自体が自分へのご褒美でもあるのです。 

最後に「多田さんのワガママは叶ったの?」という質問をされそうですが、
答えとしては叶いました。達成できた状況は当初描いたものと同じでも、そこから得られる恩恵を自分のために消耗するのではなく、更に皆様と交流させて頂く資源(時間やエネルギー)として理解するようになりました。

20代ラストの当時は「夢を叶えたときには、夜のバーに戻って、思い切りカクテルを飲んでやるぞ!雰囲気のあるバーで思い切りR&Bミュージックに浸ってやるぞ!」と思っていました。しかし夢が叶うころには視野も広がり、エゴの世界や夜の世界には興味がなくなり、「素朴で質素でいいから、明るく健全なお昼間に楽しい仲間と過ごしたい」と気付けるようになりました。

矛盾しているようですが、
・他人を知るためには自分を知る。
・自分が良い人間に成ってゆくためには、一度は徹底的に、自分の欲やワガママを肯定しなければいけない。

ということです。

ぼくは今46歳ですが、40歳の前半までは「人の成長は、哲学を固めてゆくこと」だと思っていました。しかし最近感じていることは、その先にある成長は「人間という愚かな生き物が、一旦作った哲学を、更にゆっくりと壊してゆくことこそ成長なんだ」ということです。

他人を理解できるようになったからといって、簡単に幸福になれるわけではありません。しかし人が群れをなして形成する社会というものを、凄いものや大きいものと恐れることはなくなります。

そうした視野を得られただけでも、ムスッとした顔で(収入や資産の大小に関わらず)自分を愛することに必死で生きている人々よりも、自分を正直に理解する人は、よっぽど智慧のある人だと思います。

多田 ハジメ


私のデッキサイズは特化させます。

デッキサイズの悩みは誰もが抱えていると思います。

「これだ!」と決めては揺らぎ、また決心しては揺らぐ。そういう感じだと思います。

多くのスケートボーダーはベストの1本を探しますが、それは流線型のスポーツカーが欲しいのに、家族を乗せないといけないから、スポーティーに見える4ドアを選ぶようなもの。あれもこれも欲しいのです。結局はその一台は、美しくもなく、広くもなく、どの用途にもベストではありません。欲張る(スケベ心を出す)と、最高の体験を失うのです。(そういう意味ではスポーツカーに乗る人などは「お金を掛けて贅沢だなぁ」と見られがちですが、本当はそうではなく、ストイックなのです)

スケートボードも含めて、私にとってのサイズ感は「両極端」がベストです。

1本に絞るのではなく、その中央値を基準として、両極端の2本を持つということです。

例えば私の場合は、中央値は8インチ。
でも8インチはフリップを回すには太いし(トラックハンガーが10mmアップするだけで、プリモでミスすること=縦ノリが怖い)、安定感と言ってもそれほど「身を任す頼もしさ」が得られるほど太くはない。中途半端なのです。でもすべてのバランスや中央値で考えると8インチ。だから多くの方がこの方式にハマっていると思います。でもパッとしないのではありませんか?

ですので私のベストは、
・テクニカルな滑りには=7.75インチ(129mmトラック。53mmノーマル幅)
・本質や滑る醍醐味を愉しむ滑りには=8.25インチ(144mmトラック。53mmワイド幅)
が最高の選択です。

あくまでも私の身体(シューズ26.5cm)でのスペックですので、これが皆様のお身体や筋力になると感覚は異なりますので、基準はスライドさせてくださいね!また私と身体が似ている人でも、デッキからつま先とカカトがどれぐらいはみ出す方のが「よい感じ」とおもうかは異なります。

しかし「乗り回す味わいも欲しいな」「でも回しも軽いほうがいいな」とあれもこれも求めていると、本当に中途半端で結局どれにも切れ味の悪い中央地的なセッティングになってしまうのです。

そういう点では割り切っている人は幸せです。「味わいは捨てて、テクニカルしか興味がない」「パークでボールしかしない」という方でしたら、対立した希望が少ないので楽だと思います。
私が全日本で準優勝したときも7.75インチ。バートランプでぶっ飛んでいた時代も7.75インチでした。しかし少年時代・アマチュア時代のほろ苦いスケートボードを抱いて寝るほどボードや滑ることに恋をしていた時代の感覚は、やはりしっかりした道具感、当時なら10インチ、現代ならせめて8.25インチのセッティングが良いのです。

ただ、今書いてきたことは私が選手として、また、いちスケートボーダー個人としての感覚です。これがHTスケートボードスクールの講師となると、また違ってきます。

生徒様に迷いや不安を与えないことや、私のような自分で哲学を生み出す前の段階で、そこへ到達するためのベストなスタートという意味では8インチを勧めることもあります。そこそこ安定するし、そこそこ回せるからです。生徒様が流行を気にしても不安にならない、ということも配慮しています。

しかしビデオ撮影するような究極のキレのある滑りをするには軽さに特化したり、ライダー本人が心底楽しめていることを最優先するセッティングが必要なときは、それぞれに特化させることが大切なのです。

私の自動車も1台は完全なるスポーツカー。運転の得意な男性でも、更に何ヶ月もアドバイスを受けなければスムーズに運転すらできない、究極の「機械を操る喜びの為」のスポーツカーです。
そして、もう1台は、ゆっくり低速でノロノロと走れて、家族が乗れて、誰がジュースをこぼそうが、ボディーを凹ませようが、ケンカませず、気にしなくても良い道具グルマです。それぞれに最高なのです。

私はどちらかというと「真ん中」はあまり好きではありませんが、世の中の選択肢(住居・車・仕事場や条件・持ち物・服装や娯楽)は「真ん中」を目指した欲張りなものが殆どです。そして消費者までもがニーズとして「真ん中」を求めてしまいがちなのが現代。しかし、そんな「あれもこれも」と欲をだせば、結局はどれも完璧には得られないのです。

我々の思考ですら真ん中=バランス的な考えを良しとすることが普通になってしまっています。性格で言えば「普通にいい人」。しかし普通にいい人というのは、実は「本当は自分のことしか考えていないが、保身のために社会ではいい人の様に振る舞う」そういうズルさや欲によるバランスだと思うのです。

それなら私なら、「普段は堂々と自分勝手に生きる。けれどいざという時は、みんな仲間なのだから、自分は後回しにして、本気で人の幸せを考える」そんな生き方をする人が、もっと沢山居てもいいのかなと思います。

PS、太い8.25インチでもフリップは十分に回せます。またこの回す時に足の先を通じで前足全体に受けとめるボードの重量感がたまらなく「道具」を感じられて良いのです。
7.75インチの刹那(瞬間)的で抵抗感のないフリップも最高だし、8.25インチでのフリップも「やってる」感がすごいのです。そしてその中間の8インチだけが「う〜ん、、、悪くもないけれど、最高でもない」という印象なのです。それぞれに最高を得るためには、特化が必要です。特化するためには、他の部分への「諦め」が必要です。

これが私のとても勝手な考え方です。

多田 肇



 

スケートボーディングでの悟りについて

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オーリー・テールグラブ at Tokyo Hajime tada 2001.

悟りとは体験に基づいて知ったことだそうです。耳で聞いたり頭で考えることでは無いのだそうです。

私がこのブログで「スケートボードは競争することではない。楽しむことです」と言った場合、私はトコトン戦って来て、トコトン勝って来た体験をした上で、「勝って来たけどそれは特に大切ではなかった。それよりも、楽しかったことは人生として意味があった」と悟った上で話しています。

だから、想像で話しているのでもないし、良い人ぶって話しているのでもないのです。また上手くなる前の方々に媚びて、安心させる意味で言っているのでも無いのです。

本当に、数々の勝利というものを実体験した上で、勝つことに意味はなかった。むしろ人間を傲慢にさせてエゴを強めてしまうという意味では、むしろ勝つ体験は無い方が良い人間でいられる、とまで思っています。(もちろん少年時代はそんなことも知らず、当時は楽しくて夢中だったのですが。)

だから同じことを自分の子供にも「楽しければ、ずっとやってていいよ。でもちょっとでも誰かに勝って偉そうな気持ちになったり、負けたくないと思ってしまったら、それは良くない方向だから、気持ちを元に戻してね」と、伝えて行くと思いますし、このブログでは皆さんにそうお伝えしています。

まだプロになることやスポンサードライダーに成ることを体験出来ていない人は、私が「プロは目指すものではない。気が付いたらなってしまっていたぐらいの単なる現象でいい」と言っても、その意味を体験なしで悟ることは難しいと思います。

けれど体験すれば、「多田が言う通り、目指ざしたわけではなく、気付いたらプロになれたことは自然で良い。もし目的として目指してやっと成れたとしても、それまでのストレス、必死に構えてきた日々の心の緊張、思考が出世主義になってしまい自分の得になりそうな人間だけと付き合う性格になってしまう。そして、そうした思考でプロに成れたとしても、元々の癖になった「不安を抱く心」はいつまでも続き、心は貧しく、悟れた気持ちには成れない。だからそういうプロのなり方では、肩書きはプロでも人格はアマチュアのままかも知れない」と分かって貰えると思うのです。

そしてもしある人が必死に頑張ってプロに成りたい(または成れた)タイプなら、試合では「頑張らずにプロに成れた人間」には絶対に勝てないということも、戦う前から分かるのです。こちらは構えている。欲がある。しかし相手は楽しんでいるのです。

これは日本のプロが、世界と戦うときに一番多いケースです。日本人の多くは選手も歯を食いしばり、親も必死です。世界の選手は楽しみにきているし、皆んな仲間だと思っています。

だから「好きなこと、幸せなこと」は頑張るべきではないし、無理して上のレベルに自分を滑り込ませる必要はないと思います。

Skate for Fun.
・スケートボーディングは楽しむため。
・楽しんでそこスケート!

そして、せっかくスケートボードに出会えたのですから、競争ごとではなく、一石二鳥でご自身の心も修行してみては如何でしょう?自分の心から「競争心(他人からの挑発への反応も含め)、緊張、構え、恥ずかしさ、悔しさ(嫉妬・妬み)、物惜しみ(ケチ)」をまったく感じることなく(感じてしまったらまだ未熟だと反省すること)など」を排除する努力を1分ごとに確認して滑る。

自分だけは人々から変な目で見られても良いので、いつもニッコリと爽やかな笑顔で、スケートボードという遊びを挑戦してみてください。馬鹿にしているのではなく敬意を込めて「スポーツは所詮は遊び」です。遊びだから笑顔でいられるのです。決闘(法律で禁止)ではないのです。だから敵を倒すゲームも、心の向上にはあまりよくありません。

本当に数々の体験を経て悟れてしまうと、本当に人に見せびらかすのではなく、自分の爪は隠して、逆に目の前の経験の劣る人に「凄いね!ごめんね!頑張ってね!」と言えるのです。
そして他の人との関係の仕方は、「助ける、譲る、褒める」です。自分より技術が上の人でも下の人でも、褒めるべき点は必ずあります。

あなたが貧しい心ではなく、豊かな心でスケートボードをされているのなら、「勝つことには意味がない」「それどころか勝利というものは人間を傲慢にし、彼の周りにも依存的な人間を集めてしまい、社会の一部としても良くないかも知れない」という角度でも物事を見つめられる人であって欲しいと思います。

競争せず、楽しんでください!

多田ハジメ


スケートボードは普通に乗り回せる時点で上手い

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日本の子供達になぜ4輪のスケートボードが流行って定着しないのか?

それは難しすぎるからです。まず普通に乗れている状態まで、もって行くことが難しいのです。親御さんもどう指導してよいのか分からないのです。

しかし「普通に乗りこなすことだけでも難しいスポーツ」が出来る人はカッコいい!

今の時代はスケートボードに、スクールもあるし、簡単に閲覧できる動画(信頼性はともかく)も溢れていますが、

(2001年に、私が日本で初めて、継続的に開催し、他のメジャースポーツ並みの料金を採用し、クラス分けも設定するという、ちゃんとしたスケートボードスクールを神戸市のGスケートパークにて、創始させて頂きました。現在は神戸の公園などで、真剣に学びたい方の為に開講しております。)

私がスケートボードを始めた1987年頃は、まず日本語の情報が無い、インターネットなど無いから、ビデオもどこで売っているのかわからないし、唯一手元にあるVHSのスケートボードビデオ1本を友人同士で回し合って、同じものを1年間観続けるといった時代でした。

だから、当時は(スケートボードを)やっている時点で、そこそこ上手いし、まず物事(情報への飢えやそれに勝る情熱)を語れる人間しか、そこまで到達しなかった時代でした。

大型バイクと同じで、「運転出来ている時点で、もの凄く上手い」のです。だって、普通の人が大型バイクが目の前にあって、サッと乗って逃げていいよと言われても、まず乗れないでしょう?

私のポルシェというドイツのスポーツカーも、周りの人は「盗まれない様にね」と言いますが、まず普通の人には運転できません。マニュアル操作、シャープなスロットルの吹け上がりプログラム、もの凄い神経質なクラッチ合わせ、もの凄く重たいステアリング、席も操作系も全て左右反対、普通に街をゆっくりと流れに沿って運転すること自体が、難し過ぎるのです。そしてそれを操ることが出来ない人とは、寂しいけれど、語り合うことは出来ないのです。

スケートボードも元々はそんなスポーツなのです。

それを説明の無い時代に、見事に操っていた70年代〜80年代スタートのスケートボーダーが尊敬されないはずはないのです!彼らは一つ一つの技に血を流し、それをポジティブにフィードバックしながら、本物のスケートボーダーとして自分を固めて来たのです。流れている血までスケートボーディングなのです。

(90年代もまだインターネットが普及していない時代でしたが、アメリカでも二流のプロ達がもう我慢できない!と爆発的にブランド数が溢れ、日本にもショップ数が今よりも多かった時代で、アパレルショップまでもがスケートボードを扱わないとイケテナイという爆発したのが90年代でした。情報には困らないどころか、商品も情報も多過ぎて困る時代がスタートしたのです。当時はムラサキスポーツさん、ビクトリアさん、スパタカさん、アルペンさん、東急ハンズさん、などへもよく営業や出張アドバイへ行っていました。)

ですから、キックボードや二輪の◯◯ボードの様に、説明無しでいきなり誰にでも、そこそこ楽しめるコンセプトの乗り物には敵いませんが、

やっぱりスケートボードを片手に公園などに現れて、周りの観光客やデート中の人々が、なんとなく視線をくれた時に、その期待を裏切らない様に、サッと駆け出しボードに溶け込むように乗れる人。

それを全く知らない素人からも「あの人は知っているな」と思わせるリラックスした貫禄がある人。全く無駄がない柔らかいフォームで安定を感じるフォーム。そして表情は優しくて爽やかな感じ。そうしたことがこの特殊なスポーツでは大切な要素であり、それを天然(ナチュラル・モラリスト)で人前で自然に出来るひとは、どんな他のスポーツよりも、かっこいいと思います。

簡単に出来てしまうスポーツは、辞めることも心残りなく簡単に辞められます。辞めたことも記憶しないと思う。
しかし自分にしか乗りこなせない乗り物を、自分の身体の延長のように操れる楽しさと満足感を得た人にとっては、「死んだらこの喜びともお別れか…。」と思えるぐらい、その乗り物を生涯捨てることは出来ないと思います。
その人は人間としての力を広げることに成功しているからです。

どんな乗り物よりも、まず、普通に乗ることすら難しいスケートボードを、人生や生活として使いこなし、でも誰よりもその怖さや危なさも心得て自分のスポーツに敬意を持っている人は、素晴らしい存在だと思います。

難しいスポーツほど、それを乗り越えた先には、ご褒美がいっぱいあります。

最後に冒頭に「日本の子供達…。」と書いたことを思い出してください。アメリカではキックボードや◯◯ボードよりも、スケートボードの方が文化的に定着しているのです。そして彼らは「スケートボードこそクールだ!」と国民の過半数が言える国なのです。

目先の簡単さ、便利さではなく、難しいことこそ面白くてクールなのだとするアメリカの挑戦文化には、まだまだ日本は敵いません。

スケートボードは普通に乗り回せるだけでクールです!技が出来ないと心配する前に、普通に自然で美しくプッシュやターン出来る様になってください。

昨今の動画の風潮でも「スケートボードを◯◯日やってみた」と言うものなどは、結果=技に焦点を当て過ぎです。ということは、物事を競ったり自分を良く見せる為の手段として捉えてしまっているのです。ギクシャクしながら、無理やり筋肉的にメイクしようとするのです。

こんな表現は極端ですが、バルコニーから入ってくる涼しい風、毎年変わらない山の緑が素晴らしい道、自分の好みに仕立て上げたホッとする布団やまくら。そうしたものには競争も自慢もありません。たんに自分の中での完結であり、口ではなく、心の中が勝手に「いいな」と感じるだけのこと。スケートボードもそうしたものであって欲しいと思います。

多田ハジメ

コンテストの本質

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私は、数々の全国のスケートボードコンテストで優勝したり入賞してきましたが、そもそも「人間社会に対してのコンテストの意味」ということでは、昔から疑問があります。素直に「良いもの」「この世にあるべきもの」とは思えないのです。(ショップさんなどの小規模の温かいものではなく、地方や全国レベルの大きな大会のことです)

コンテストというものは、勝った人間に本来以上の価値が与えられます。そして技術が高かっただけなのに、人間性まで素晴らしいと思われます。逆に、負けた人間は、彼らが本来もつ価値すらないものとして扱われます。普通の人よりもよっぽど凄い能力を持っているのに、素人から暗いイメージで観られるのです。

きつい言い方をすれば、参加人数の大半を占める入賞できなかった人間は、勝者を作り上げる為に利用され、使い捨てられるような祭典とも言えます。(そして敗者=参加人数が多いほど勝者は神化されます)

会場では、その日選手は勝たなければならないストレスの中、本心ではない社交性を強要され、ジャッジや関係者には必ず挨拶にいかなければいけないし、それとは逆に、勝ちも負けもない平和な立ち位置の関係者達は、なぜか偉そうに振舞う場合もあるし、お祭りとしてもその日を過ごす。そして完全な中立なジャッジは存在しないので、どうしても「◯◯君に期待する」「できれば◯◯君に勝って欲しい」「あいつなら、良い滑りをしたら、予想外の勝利を与えても良い」そうしたバイアスは人間である限り必ずあるのです。

こうした「まず開催者側の気持ちよさありき」のコンテストで、どれほどの「純粋な楽しみ」として滑ってきた素晴らしいライダー達が、俗世間のファン達の妄想によって時には勝手に神として崇められ、「あんな奴ダメだ」と自分の何分の一にも満たない能力の人々から非難されて、その人の人生のトラウマになっただろうかと想像します。

私たち一般の善良なファンも、どんな業界の競技やコンテストの裏にも、大会の存在意義の本質は「100%選手の為」ではなく、開催関係者の別の動機が先にあり、「コンテスト」や「選手」といった要素は、建前や素材に過ぎないのが本質であることに、多少気付くべきだと思っています。

私は10代の頃から何百回という大会に参加させて頂き、運良く成績を出せてこれましたので、勝者の気持ちも分かるし、しかし20代の中盤(全日本選手としての後半期)には、自分はコンテストロボットではなく、純粋にスケートボードを愛する愛好家でありたいという(人間としての)「大会ってなにかおかしい?」と言うことも、その頃に分かって来ました。

(私は大会で勝てる側の人間でした。本来、自分さえ良いのならこうした記事は書きませんし、その成績によっての恩恵は沢山受けてきました。しかし自分が物事が見抜ける経験を重ねるに連れて、または、誰が悪いわけではなく、単に時代が清らかさを失い始めるに連れて、大会というものが純粋なものとして見えなくなり、また負けてゆく人や、出る前からアウェイな見方しかされないことが分かっている優秀なライダーを見るたびに悲しくなって来たのです)

だからオリンピックと聞いてもなにも思わないし、「そりゃあ誰かが出たら、誰かが優勝するでしょう」 ぐらいにしか思いません。

そしてどんな大会でも勝った人が偉いと思われますが、この世界で大会の光や闇を全部感じてきた私としては、勝者に憧れる入門者たちに「日の目を見なかった大勢の敗者のお陰で、たまたま、その人が勝者あつかいされているんだよ。敗者扱いされたみんなにも”お疲れさま”と感じてあげなさい」という事も分かってもらえればと感じます。

勝った人を見上げない。負けた人を見下げない。両方とも偏見です。勝った人を見上げる事も偏見なのです。

私は1997年に全日本プロストリート東京大会で準優勝出来ましたが、自分の経験を通じても想像できることは、たとえ現在アメリカの大会で神様扱いされながら輝いているトップスケーター達であっても、本音は苦しいだろうな…と思います。きっと夜ベッドで、大会に遅れたり、自分だけ何故か大会に参加できない悪夢とか見てるんだろうな、と思います。もちろん、こうしたことは本人達も認めないし、若い彼ら20代の表層意識では気付くともできない心の底のストレスだと思います。

誰かを正しいや上、誰かを間違えや下と分けたがる俗世間の文化によって、自分の才能など気にせずに、ただスケートボーディングを愛してきた貴重な人同士が、好む好まざるに関係なく、企業の経済活動や一般人の娯楽のために戦わされる。それが大会なのです…。

私は14歳のころに、別のスポーツ(自転車トライアル競技=BTR)でも関西で3位の表彰台に立っていました。しかしその後、BTRを辞めてしまいました。それまでは近所の公園の土の斜面を思い通りに走破することが喜びだった。体は地球に合わせ垂直をたもち、でもフレームは思い切り倒すことでタイヤの接地面を路面や岩にしっかりグリップさせる喜び、できるだけ体力を消耗しないように進んでゆく計算の楽しさ、本当に楽しかった。

でも14歳の私の心にあったトライルすることを愛するという気持ちを、「スポーツをやる者は、お互いに戦って上下を決めるべきだ!」という俗世間的な価値観によって叩き壊されてしまったのです。まだ若かったので自分でも自分が大切にしているものを見失い、「ああ、自分よりも明らかに、感と脚力がもっと上に生まれた人がいるんだ」14歳の私は、入賞してトロフィーを手にしながらも、気がついたら辞めていました、、。大会がなければ、純粋な人間の喜びの世界に、「何かに秀でる者を、勝者敗者に分けるスポーツの大衆娯楽化」という悪文化が割り込んでこなければ、そのあともしばらくは公園を楽しそうに走り切る15歳、16歳の私が居たかもしれません。

競うことは、たとえゲームでも、良くないと思う。それがぼくが34年間、一つの趣味(スケートボーディング)を愛しつづける中で、感じていることです。

競うのではなく、尊敬しあう。
 
競うのではなく、助け合う。

上手い人は、絶対に自分の凄さで、入門者や下の子をやっつけてはいけない。むしろ下手なフリをして「どうぞお先に!」と譲ってあげる優しさが必要です。

スケートボーディング、その日の終わり、人生での終わり。

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心の中だけでもいい。その日、スケートボーディングを終えるときは、その場所が有料パークであろうと、無料場所でも、「ありがとうございました」とお礼を言おう。

恥ずかしければ、心の中で言えばいいし、当然だと思えるのなら、堂々とパークへ振り返ってお辞儀をすればいい。

その時の気持ちは、何もパークの人にそんな筋合いはないという思考を引き起こしたり、深い意味は考える必要はない。相手には一切関係なく、ただ自分が時間を過ごしたことに「ありがとうございました」言えるだけで立派だと思います。

人間は「この人生、真面目でありたい。」という気持ちがとても大切だと思います。たとえ立派な地位に着けている人や、真っ当に生きているひとでも、そう考えられる人は世の中少ないです。

スケートボードをした後、仲間が「またね!」とその場を立ち去るなか、自分だけはパッと振り返って、さっきまで滑っていた場所を見つめて、心のなかで「ありがとうございました」とお辞儀をする。

その瞬間に、あなたは周りの人とはまったく別次元のことを大切にする人に成れていると思います。私だったらレベルに関係なくティームに入れてあげたい。だからといって、あなたが人間的に偉いということではありません。やっている人にとっては当然の生き方に過ぎないからです。

そして将来、人生で最後のスケートボーディングの日が来たとき…。

ぼくは地面にキスをすると思います。

ボード道具に対しても愛はありますが、どちらかと言えばボードは自分の身体の一部です。だから「相手」という意味では地面こそパートナーでもあり、自分を成長させてくれるための障害でもあったと思うのです。

路面よ、本当にありがとう。
いままで一切文句も言わずに、メイクしても喜びもせず、怒って板を叩きつけても怒りもせず、自分をずっと支えてくれた地面に「ありがとう」の一言で、いつかきっと遠くはない将来に、人生最後のスケートボーディングの日を終えることが出来ればいいなと思います。



フリースタイルトリック・フラミンゴ



スケートボードには大きく分けて3種目あり、ストリート、フリースタイル、バーティカルランプと3つあります。(昨今はジャンル分けが曖昧になってきています)


私は一応人から聞かれた場合は「自分はストリートです」と答えますが、「スケートボーダーたるものオールラウンドであるべき」というポリシーがあるので、バーティカルに全ての活動を捧げた時期もあったし、国内外のフリースタイラーには尊敬の念を持っています。


そして、この2ヶ月間、、、。悩み、考えに考え、、練習を続け、、クラシック・フリースタイル系トリックである「フラミンゴ」を遂にマスターしました!


皆さんもやってみてください!

私にとって人生は、外部からの知識だけを詰め込むのではなく、プラクティカルな(実践的=試して感じてみる)ものだと考えているので、みなさん自身の研究を奪わないためにも、ここでは詳しいやり方は書きません。


そして頑張ってみて、分からない所があれば是非HTスクールにもお越しください。私は悩み苦しみを知っている人間の「学ぶ態度」は半端ではないことも分かっています。


フラミンゴ

1、後ろ足を浮かせて、前足グリップで180。

2、その後 バック(後退)しながら、そのまま片足で体を倒してUターンを描く


条件

・スタート方向に対して、ちゃんとUターン方向(180度)で帰ってこなければいけない。
・90度脱出では不完全。

・最初から最後まで片足バランスを保つ(だからフラミンゴと呼ばれる)



ぼくは、日本でこれをやっているひとを見たことがありません。

ですので相談できる人がいませでした。
でもこんな優雅でスローな技で、自分がバランスできないなんて許せなかったのです。 
謎が解きたかった。これがこの技に魅了された理由です。 


ぼくは少年時代から9割9分以上のスケートボードトリックが「独学」です。だから講師として、これだけレッスンで言葉の引き出しを持てているのかも知れません。そこにはリアルな自分の苦労(経験)があるのです。


インターネットで調べてみても、フラミンゴをやっている(できる)ひとは、海外で数人しか見当たりません。


ヨーロッパでも、この技は(プロレベルの人間が観ても)やり方がすぐには理解できないという意味で「奇妙なOddities トリック(オディティース=奇妙な)」という位置づけがされています。


フェイスブックでの業界仲間からもたくさん「どうなってるの?」という質問で盛り上がりました。彼らも30年間も40年間もスケートボード界に居る超ベテランさんばかりです。それぐらいスケートボード業界の人間にとってもこのフラミンゴは門外漢なトリックのようです。


そのなかで一番多い質問は「3ウィールマニュアルって、どういうこと?」、海外でも「3ウィールアップですか?それとも3ウィールダウンなの?」という疑問が湧くようです。


ぼくは初トライからここまで持ってくるのに2ヶ月掛かりました。(2020年4月完成)


この技にトライするプロセスで感じたことは、本当にスケートボードとは「他者と競う」ものではなく、自分との戦いということです。


それは身の回りにお手本がいない場合や、この世で最初に何かをやろうとする人々に共通した心理状態だとおもいます。


一人ひとりが、かの偉大な学者達の様に自問自答する世界。それがスケートボーディングだと思います。


もう一つのエピソードですが、

この技を理解する為には、ただ練習するだけではピンと来るには事足りず、スケートボーディング界の枠を超えて、日本ローラースケート界のパイオニアでもある百済君(お互いに昔パウエルJAPANの仲間だった)とのお喋りからも学ぶ必要がありました。


なぜならスケートボード界には「3(スリー)ウィール」という概念が無いのです。ローラースケート界ではスピンの時に3ウィールを使います。2ウィールをメインでスピンし、ワンウィールを微かにこすって安定させるのです。


IMG_0617


この技は、自分の比較的、苦労せずにやってこれたスケートボード人生のなかでも、一番自分を苦悩させた技でした。しかしまったく諦める気もなく、当初まったく出来ない自分が可愛かったし「できなくても研究する日々が最高に生きている!」と思えた技でした。


ぜひ皆さんもスケートボーディングを物理学してください。


この技の面白いところは2つあり、

1、偶然のメイクは絶対にありえない

2、自分より上手くできる人のやり方は理解不可能である反面、自分よりも甘い決め方をしていると、その甘さがものすごく見えてしまうところ

です。


多田 肇


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20代のスケートボーダーさん達へ

20代のスケートボーダーさん達は、人生で一番身体を激しく動かせます。

贅肉が一番少なく、怪我の治り方も早く、視力もあり、耳も一番聴こえます。

だからこそスポーツに夢中になるのですが、30代はすぐそこ。

だから、人生計画が必要です。別に10代でも20代でも人生計画があるに越したことはありません。なぜなら人生計画をもつ少年少女は、いまの自分の趣味や遊びが将来に意味をなすものであるかどうかも知ることが出来ます。

そして30代からは、人生計画に沿って生きて行くことになります。

ぼくの場合は27歳、28歳、29歳の3年間を目覚めたように勉強し、30歳になる準備をしたのを覚えています。遊び続ける友人と考え方が合わなくなったのもこの時期からです。

<超簡単な人生計画の立て方>
1、人生計画の立て方は、まず感情に支配された贅沢な生き方(愚かな生き方)は別として、大体、平均的な普通の人が素朴に暮らせる生活費を自分なりに計算します。

例:ざっくりで良い
食費2万
服代:1万
家賃:実家でお世話になる→お礼に2万
携帯や通信費:1万
交通費+娯楽:1万
----------------------
合計 :七万円
↓↓↓
まあ、ざっくりと10万円とする。


2、そして残りの寿命をかける。

30歳ならあと50年生きたとして…。

10万円×12ヶ月×50=6000万円

これで、非常にざっくりですが、質素に暮らす一生の生活費が6000万円と計算できます。(沢山の細かい異論があるとおもいますが、こうしたライフプランを、世間のセールスマンに恐怖心を煽られることなく、自分の頭で考えられることの大切さに視点を置いています)


3、これに保険として1.5倍や、不安な人は2倍を掛けます。

※ここでは×1.5倍を採用。
6000万円(質素な生活費) ×1.5倍(万が一の余裕のため)=9000万円



以上で、9000万円を稼げば一生、大丈夫と言うことです。9000万円を定年までの年数で割れば必要な月収がわかります。

身体が元気な早いうちにアーリーリタイヤして遊びたいのなら40代〜50代で稼ぎ終わるプランを立てます。もちろん日々の負荷はドンドンきつくなりますが、これは個人個人の好みです。

また無駄な浪費の積み重ねは、引退を先送りすることになります。

プロスケートボーダーで稼ぐなら、大会で勝てるわずか5年間ほどで9000万円を稼ぎ出さなければいけません。

また、あなたがいま幸運にも9000万円を持っていれば、もう遊んで暮らせます(但しプラン以外の支出行動をとると働く必要がでます。)


また、「学費はどうするんだ?」というお声も聞こえて来そうですが、本質的には学校は目的ではありません。学校は将来良い就職先に入る為の手段であり、お金を持っていれば本質的には学校は必要ないのです。そもそも学校の歴史とは(国や文部省ではなく)実は経済界の歴史であり、私的企業が自社の従業員教育のために学校というものを作ったのが最初です。
(つい100年前ぐらいまではアメリカも日本も働く人はみんな自営業だったんですよ。日本でもサラリーマンという言葉ができてまだ100年も経たないとおもいます)
学校とは突きつめると従業員工場なんです(マクドナルド大学とかも有名ですね)。それがなぜか現代では国の公立や市立となり、人々の文化となり、青春や恋愛の場となり、疑うことなく「親がすべき子供の面倒や道徳教育」の外注先」になってしまっているのです。

(学校がなければ友達もできないのでは?と考える方も多いと思いますが、学校という人を集め会わせるシステムのせいで、人間の「街やストリートで友人を作る力」が衰えてしまっているのではないかとも思います。ぼくの友人も学校以外で出会った人が殆どです)

勿論9000万円というのは、話の上の仮での計算ですし、身体が弱い方や、浪費が好きな人は、もっともっと必要ですし、学校・住む場所・クルマなどにブランドを求める人は、もっと巨額なプランが必要となります。

けれど、ぼくが言いたいことは、そんな個人差の議論が大切なのではなくて、20代で「死ぬまでに9000万か〜」と自分で計算したことがある子は、ちょっと頼もしいなと感じるのです。雇っても影でサボったりしない人間だと思えるのです。誰から言われることなく自分で将来を考えられる子は、たとえ20代でもすでに精神的には独立した人間だと思うのです。

精神的に独立している少年少女は、できるだけ嘘もつかず、人に迷惑もかけず、素直で謙虚に生きて行くと思います。そうした若者の割合が増えるほど、世の中は良くなるとおもいます。

そして人に借金をしたり、嘘をついて逃げたりする人ほど、ライフプラン無しで生きている場合が多いと思います。

スケートボーダーさん達が、ここに記したことを考えるだけでも「これでは満足できない、キックフリップをもっともっと綺麗に決めたい」と多くの人達がする同じ発想ではなく、「回して乗れたら十分だ!それよりまだキックフリップをメイクすら出来ない人々を助けよう!自分も不完全だけど、そこは許してもらおう」と考え方が180度変わってくることでしょう。

行動が「自分のためから→世のため」に変わり始めると思うのです。

多田 肇



頑張り方で悩んでいる人

頑張り方で悩んでいる人は、人間に対して自分に都合の良い反応を求めるのを辞めてみてください。


人間は自分が一番可愛く感じながら生きています。その人間に対して、自分に都合のよい反応を求めるのは一種の幻想で、そもそも自然に逆らう行為なので、努力が割に合いません。


それよりも道具やペットなどに反応を求めてください。自分自身の訓練は必要ですが、適切に扱えばちゃんと人間を裏切らずに反応してくれます。


スケートボードなら足先でちゃんと指示を与えれば、物理学という宇宙の摂理が働いているので100%逆らわず素直に従ってくれます。


ペットならちゃんとそこに立ち止まり、OKを出すまでエサに手を出しません。そうした指示が出来るようになることで、人間を超えて生物の本性を知ることが出来ます。相手が人間であっても相手に舐められない毅然とした態度はペットに対しても共通なのです。


そして不思議なことに、人間に反応を求める生き方を辞めて、道具やペットを扱う達人になると、逆に人間からモテ始めるのです。「凄いですね」「わたしにまその経験で得たことを分けてください」となるのです。


ですので人間を追わない方が人間にモテるのです。けれど相変わらず人間を追わない生き方なので、爽やかに居られるのです。


あたなが日々他人の幸せを願わないように、この世で誰もあなたの幸せは願っていません。これは私たちの妄想を破るために気付かなければいけない真実です。


そしてその真実に気付けた方が、かえって他人に対して無償の愛を施せるのです。見返りはないと悟れているからです。


真実は一見厳しいけれど、真実に気付くことができれば必ず私たちに幸福をもたらしてくれます。逆に真実に蓋をして、自分に都合の良い妄想ばかりを膨らませていると、あなたにとって真実ほど残酷なもなはないでしょう。


人を追わない。人を気にしない。人がやっていること、やらない事を気にしない。自分がやりたい事を他人の世界を交えずにやる。


これが実は人から信頼され、尊敬される結果にも繋がるのです。なぜならそこには下心がなく、純粋な趣味への愛だけがあるからです。


最初に言った「人間に対して自分に都合の良い反応を求めるのを辞めてみてください」というたった一つの事を辞めるのは至難の技です。


なぜなら食べてゆけることが当たり前になった現代の人々が求める次のケモノ的な欲求は、他人が自分に都合よく振る舞ってくれることだからです。しかし冷静に理性で考えると、とても汚らしく傲慢な思い上がりで、叶えれば叶えるほど人間はダメになってゆくと思います。


多田 

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スケートボーダーとお金のお話 2020年4月10日

私たちが暮らす世界は、一応資本主義ということになっています。資本主義は白か黒かの世界。情状酌量(同情して許してあげる=スーパーで1円おまけねという考え方は認めてもらえません。

しかし人間は感情の動物であり不完全な生き物です。人間には知性があるといっても、世の中を見渡せば、知性を相手との駆け引きにつかったり、損得を必死で考えたり、自分を大切にしすぎたり、戦争をしたり、高いものを買って見栄を張ったりして、せっかくの知性をロクなものには使っていません。ですから獣(けもの)とほとんど大差はないどころか、かえって獣の方が環境破壊せず、不必要な食料や富を溜め込まないという意味では、獣は人間よりもよっぽど偉いのではないでしょうか。

そしてこの資本主義という理性と、獣同様に生きている人間の感情が、白でも黒でもなく、グレーという微妙なバランスで成り立っているのが、この世の経済だと思っています。株やプレミアム商品の世界でも値動きは欲や恐怖という「感情」であり、それを処理するシステムが「理性」なだけであり、経済界というものは「人々の動物的な感情を、情状酌量のないルールという理性で処理している世界」だと感じています。

(物々交換の時代が終わった現代は)生きてゆくためにはお金が必要です。「お金では買えないもの」を大切にするためにも、お金は必要です。


お金を投じ、もっと多くのお金を産むことを「投資」と言います。俗世間的に言われるギャンブル(投機)とは別のものです。ちゃんと元を回収できるリスクも計画されています。電車も投資、ビルも投資、ショッピング施設も投資、エネルギーの施設や設備もすべて、民間人による投資によるものなのです。私たちの住む様な家は35年ローンなどですが、六本木ヒルズなどの壮大な投資(収入が返済を上回ることを目論んで行動・管理すること=投資という)は一人の人間の現役寿命を何倍も超えた80年ローンなどで着手されています。次の世代も払い続けられるという「世代を超えた信頼」が必要なのです。


「投資」という言葉をギャンブルとごっちゃにして感情的に嫌悪する場合も多いですが、大小関係なくあなたの職場環境も、病院も、娯楽施設も、自動車会社も、電鉄も、食品会社も、駐車場も、家具も、インターネット業界も、すべて誰かの投資によって実在出来ているものなのです。いかなる従業員の給料もすべて投資があるから支払われているのです。資本主義的な機関だけではなく、学校や教会といった共産主義的な場所でさえ、源流は資本主義のルールの則っているので、簡単に増やせないし廃校にもなるのです。

そう考えると、投資という不安定なものに担保されている従業員のお給料や籍も「本当の意味では安定していない」ことが見えるようになります。この視力は、目の視力ではなく、理解の視力です。


しかしあなたが多くの人々と同様に「お金を投じずに(投資せずに)お金を得たい」と考える場合は、お金ではなく自分の身体(身柄)を差し出さなければならない。これを労働と言います。そしてその代わりに会社がお金を投じ、あなたが出向く社屋や机を用意してくれています。休憩室や食堂まで用意してくれているかも知れません。あなたがやってることは労働で、会社側がやっていることは投資なのです。


とても簡単に言うと、投資は(投資をしている人間にとっては)お金がお金を産む世界ですが、労働は言い換えると命の切り売りです。我々は「命はお金に変えられない」と感情では思いながら、日々職場へ自分の寿命を切り売りしながらお金を得ています。命をお金に換えているのが真実なのです。例えば私が「お金が欲しい」という目的で講師としてスケートボード・スクールに出向くと、家での準備に2時間、移動とレッスンに3時間、休憩と帰宅に3時間という風に、わずか2時間の1回レッスンに8時間の命を切り売りしてるのです。これに生徒様のご注文が加わると更にメーカーとのやり取りで1注文で取り寄せから納品準備までに更に3〜4時間掛かることになります。(私はこれを好きなこと=愛する作業であることによって、命の切り売りではなく、人生でやらせて頂きたい事としています)

もちろんみなさんも将来、私のように、自分なりの小さな資産を築き終わっておれば(私は過去20年掛けてきた)、生徒さんとお互いの健康や交流を充実させるという「本来の自分自身の人生目的」が優先目的となり、お金を得ることが第一の目的ではなくすことが出来るので、自分のやっていることが命の切り売りではない、と形を良く変えて行くこともできます。(だからといってそれで多田さんには迷惑を掛けてもいいんだと思う人は受け入れたくはないと思っています)。


自営業者であっても、物理的に毎日職場に行かなければ行けないという時点で、職場に勤める従業員と立場は同じです。繁盛したり出世するほど益々家族との時間は無くなります。自分の仕事が自分をこき使うのです。成功するほど自分の仕事に自分が潰される。自分よりも自分の仕事の方が偉くなってしまい、自分の人生を逆に支配しようとする。これが従業員と自営業者に共通する「労働者の世界」です。良い悪いではなく経済を解剖するとこうなります。ですので自由な(時間持ちの)投資家は真逆のものなのです。(投資には種類もサイズも方法も何百とあり、100人いれば人生哲学も100種類あるので、ここでは説明しません)


時間持ちの投資家になる為には10年間ほど贅沢と娯楽を辞める覚悟をし(本当は一生の決心なのですが)、その倹約の覚悟をむしろカッコいいと理解し、ある程度の資本を作り、同時に自分で自分の人生を導く(厳しい資本主義社会を生き抜く)能力を学ばなければいけません。しかし達成できれば、其処には自分の人生を全て自分や愛する人の為に使える自由な世界があります。お金を得るという労働者の考え方から、お金を活用するという投資家の考えに変わってくると、世の中の経済の裏がもっと見えてくるので、街を歩いていてもとても楽しくなります。

私がなぜこんなコラムを書いたかというと、いわゆる一般的なお仕事は定年までできますが、プロスケートボーダーは一番身体が動くわずか10年間ほどで「一生食べられるお金」を稼がなければいけない道だからです。だからスポーツ企業などの広告に煽られてそこの商品を消費し、自分の人生は苦しくなってゆくばかり」となるのではなく、このような厳しい世界でヤケドをする前に、最初から「スポーツは単に趣味として楽しむべき」と言っているのです。私自身がこの世界で奇跡的にすべてを上手く幸運にやってこれたからこそ、逆にその難しさがわかるのです。

そしてもう既に選手として走り出している子達は、早く自分の労働(肉体的なプロ活動)に依存しない収入を確保する状況を作り出さなくてはいけないのです。それは誰もやってくれません。達成した人もこのスケートボード界で、私は自分以外に観たことがあいません。「他人の人生目標」や「企業の経営目標」を手伝って、お駄賃(給料)をもらうことはできても、本当の意味で経済的に自分の人生に安らぎを与えるためには、そんなことではいつまでも解決できないのです。あなたの人生目標のプランニングとそのためのアクションは、あなた以外に地球上の誰もやってくれません。もっと本当のことを言えば、あなたがここに書いたようなことを考える賢い人間になってもらっては、雇い主は困るのです。独立心を持たないまま、退職せずに、ずっと働いていて欲しいのです。

子供からお年寄りまで、普通の市民が(スケートボードやサーフィンをやらない市民でさえ)ボード・ブランドのアパレルやシューズを消費し、高級百貨店でもボードブランドがテナントとして入るアメリカ西海岸などなら就職口も多いですが(アメリカの殆どの80〜90年代のTOPプロは、現在は逆にボードメーカーに雇ってもらっている=立場が逆転している)、日本では趣味と割り切るほうがヤケドしないし、スケートボードに執着せずに自由に「人々に尽くせる活動」を探したほうが、ほんとうの意味での人生目標は達成しやすいのが現状だと思います。もちろん例外もありますが、たぐいまれなるスケートボードに対する愛情と能力が必要になってきます。

この世界は愛なしではやっていけません。

多田 肇

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ぼくの推奨アイテム↓


↑バーティカルランプやボールやプルーといったスケートスポットを鑑賞することで、「あれを何と呼ぶのですか?」という質問力が付く入門者に最適なDVD。この一本は技の宝庫!スケートボーディングの「渋さ」を存分に味わえます。プロでさえ、この作品を観なおすことで、良い滑りには「余裕」が必要なのだと目からウロコ状態になります。ここのお勧め欄に乗せることで現在完売になっておりますが、チャンスがあれば是非ご覧ください。多田肇

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↑いまHTスクールで一番オススメするスケートボードDVDです。スケートボードからファッションやカルチャーといった後から派生した価値観を切り離し、本質的にスケートボードの魅力を追及するドキュメント作品です。一作目からの視聴をオススメします。多くの方が当ブログの推奨DVDを続けてご覧頂いておりますので、Amazonでも関連商品表示されるようになっております☆多田肇

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↑マイクバレリーは僕が感じているようなことをこのDVDのなかで代弁してくれています。競争をするな、ファッションで仲間を差別するな、思ったら行動しろ、というところなど涙なしでは観れない作品。ぜひライブラリーに加えてください。多田肇
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多田肇プロフィール
神戸生まれ。プロ・スケートボーダー。1997年AJSA全日本プロストリート準優勝。日本のスケートボード・スクールのパイオニア的存在。14歳で始め17歳でプロ転向。21歳で大手国内メーカーHASCOに入社。トニー・ホーク、マイク・バレリー、スティーブ・キャバレロ等、全米TOPプロ達の日本案内役を果たす。 2000年限定で渋谷に事務所を移転しドラマ、メディア活動に集中する。2007年には1年限定でメーカーに戻り部長就任。落ち込む売り上げを160%に回復させる。現在HTスケートボード・スクール代表。 Eメール ht.sk8school@gmail.com ツイッター https://twitter.com/ProSkaterHajime
Twitter プロフィール
多田肇(タダハジメ)公式Twitter:スケートボード界の光と影を全部見てきました。対象読者:快適さやプライドよりも「成長」を優先するひとへ。
お勧めの本です

↑内容はタイトルとは全然違っていて、技術で人を動かすのではなくって「人にとって自分が気持ち良い人間に変わる方法」が書かれています。自己啓発本はこの一冊で十分です!あまり多く読む必要は帰って脱線します。僕はこの一冊で読む前に自分に一生戻れなくなりました。そして沢山の方々と気持ちよくコミュニケーション出来るようになりました。自己啓発本はこれだけ読んであとは読まなくてもいいと思います、なぜなら自己啓発は読みすぎるのも良くないと言われるからです。最初に一冊にこれは必読です。



↑エックハルトの名著パワーオブナウです。日本タイトルは気にしないでください。とにかくスピード時代の奴隷となった考え方にクセから脱出するために本です。過去と未来のどちらかを考えて苦しんでいませんか?そうするクセから脱出して今に意識を置く方法(とても難しい)が説明されています。ぼくは良い本過ぎたので2ヶ月かけてじっくり熟読しました。ものすごくお勧めです。


↑ものすごく考えさせられる叡智でした。悪いことをした人をいじめではなく正しく無視する方法などは自分の経験を照らし合わせてもとても納得させられました。「私は怒らない」と思っている人でも、人はみんな報復では自分を正当化して平気で怒ります。現代の私達の分析力を超えた分析しています。本当に役に立ちます。
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