慶應プロ野球ファンサークルSphere

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巨人軍「珍」応援歌レビュー

こんにちは。

いとそです。

先日の「職業勉強会」や野球知識検定の様子については、後日、報告させて頂きます。

 

ここ最近のブログのテーマを振り返ると、朝日軍、ライオン軍、千葉茂、名古屋金鯱グランパス。

あまりのマニアックさにドン引きの人も多いでしょう。

こちらとしてもそういう話をしたいので、仕方がないことです。

 

しかし、サークルは我々のように知識偏重の過激派だけで成り立っているわけではありません。
贔屓チームの勝利を純粋に願い、球場やテレビの前で時には声を枯らして応援し、時には固唾を飲んで見守る。

世間一般が言うところの「野球ファン」とはこういったものでしょう。

この姿勢が今の我々に欠けていることは明白です。
一人でも多くの野球ファンに来てもらいたい、その理念は今も昔も同じです。
と言うわけで、今回は比較的ライトな内容で書いていこうと思います。
残念ながら、研究会も名古屋金鯱グランパスも登場しません。

さて、そんな私ですが昔はかなり熱心な巨人ファンでした。
歴代の応援歌を覚えていることなど当然のこと。

巨人ファンになったのは父親の影響ですが、その父親が野球を観ながら原、篠塚、クロマティなど昔の応援歌を口ずさんでいたことから、応援歌には自然と興味を持つようになりました。

2010年、中学3年生の時に発売された「読売ジャイアンツ選手別応援歌コレクション」は、そんな私にとって願ったりかなったりのアイテムでした。

巨人

巨人の歴代OBの応援歌を詰め込んだ3枚組CDです。

収録曲数はちょうど100曲。

貪るようにこのCDを聞き、応援歌を覚えまくりました。
これには残念ながら外国人選手の曲が一曲も収録されていないのですが、その部分はネットに落ちている動画を漁って補い、とにかく知識を蓄えました。

 

特に80年代は名曲の宝庫です。

シンプルで、かつクセになる美メロ。

原はもちろんのこと上田、鴻野、岡崎、山倉、中畑、駒田、吉村、桑田…

好きな曲は挙げればキリがありません。

 

前置きが長くなりましたが、本日、このブログで5年ぶりに「応援歌レビュー」の企画を復活させます。

これなら、純粋な野球ファンの皆さんにも楽しんで頂けることでしょう。

前回の記事はこちら。

http://blog.livedoor.jp/hakattanasyaa3/archives/19583064.html

 

「正直終わってる大学生」ことジョニーが日本ハムの応援歌について熱く語っています。

是非、こちらもご一読の程を。

 

今回は巨人の応援歌を紹介するわけですが、先に挙げた原、岡崎など多くの人が名曲と認める応援歌について今更取り上げてしまうと、やはりニワカのそしりは免れません。

ライトな内容と言いつつ、捻らないと気が済まないのです。

 

「巨人軍・珍応援歌レビュー」

これが今回のテーマです。

元々名曲が多かった巨人の応援歌ですが、90年代に入る頃から、あまりにも荒唐無稽で意味不明な歌詞の曲が量産されるようになります。

これは巨人に限らないことですが、「CD版」と「球場版」で歌詞が違うというのはよくあることです。(そもそも曲自体まったく別である場合も)

今回紹介する曲の中にも、球場では別の歌詞で歌われていたものが当然あります。

しかし、大真面目にCDに収録されていた珍曲の数々を、熱心な巨人ファンなら必ず記憶しているはずです。

最近巨人ファンになったという人にも今回のレビューを機に、これらの曲に興味を持っていただければ幸いです。

クロマティの歌詞もなかなかのものですが、あまりにも有名なのでここでは省きます。

 

それでは、ランキング形式で発表していきます。

なお、ここでは「球場版」の歌詞については特に言及せず進めます。

また、大人の事情で、歌詞の代わりに応援歌のおおまかな「ストーリー」を紹介することとします。

ご了承ください。


10位 ジェフ・マント(1996年在籍)

 

ジャガーの瞳が光っているなあ!

真っ赤なマントもなびいているなあ!

メジャーのパワーと!メジャーの頭脳で!

狙え!超すごいマント!


徳光和夫が作詞したとも言われるこの曲。

70発は打つだろう」と期待されながら泣かず飛ばずで、渡邉オーナーの「クスリとマントは逆から読んだらダメなんだ」という迷言まで生まれました。

歌詞には「ジャガーの瞳」、さらに「真っ赤なマント」とあります。

これはどう考えても、仮面ライダーアギトの第1話に登場した怪人、「ジャガーロード パンテラス・ルテウス」のことを指しているとしか考えられません。

画像は掲載しませんが、検索してみてください。

赤いマントを羽織ったジャガーです。

その怪人とマントの関係性は不明ですが、とにかく暴れまわってほしいという期待の表れだったのでしょう。

仮面ライダーアギトの放送は2001年、マントの在籍は1996年。

5年も前にその怪人のことを歌詞に盛り込んだ先見性には脱帽です。

9位 マイク・ブラウン(1990年在籍)

 

眉を寄せてごらんなさい!キリリと!

男性の顔というものは、履歴書なのだ!

さあ、恋も!愛も!夢も!まとめて!

掴んじゃえよ!


.2827本、29打点という何とも微妙な成績を残し1年で退団したブラウン。

応援歌に「恋」が登場するのは後にも先にもこの曲だけ。
昨年「恋ダンス」が流行したことは、記憶に新しいですね。
しかし、皆さんは知っていますか?
星野源のあの曲より26年も前に「恋ダンス」を流行させたこの曲のことを。
ブラウンが打席に立つと、東京ドームのライトスタンドを埋め尽くしたファンのみならず、一億人の日本国民すべてが、応援歌に合わせて「恋ダンス」を踊ったのです。



8位 ヨーキス・ペレス(1992年在籍)

 

今、南の国では

お花が盛りらしい!

さあ、お花を摘もうではないか!

その左腕で!


一軍登板わずか3試合で退団したペレス。

南の国でお花を摘んでいろ、というこれまたトンデモな歌詞。

巨人で言うところ南の国とは、当然キャンプ地の宮崎のことを指します。

ずっと宮崎で遊んでいろとでも言いたかったのでしょうか。

7位 ヘクター・デラクルーズ(1991年在籍)

 

人生は楽しいなあ!

言ってみれば、陽気なサンバだなあ!

人生はVサインのようなものでもあるなあ!

愉快にやっていこう!

 

呂明賜やブラッドリーと在籍が被り、外国人枠の関係で出番に恵まれなかったデラクルーズ。

この頃の巨人に散見された「人生への応援歌」とも呼べる応援歌群の一作です。
何と言っても「サンバ」がこの応援歌のポイント。

ブラジルでは122日が「サンバの日」と定められていますが、122日と言えばあの伝説の大投手・権藤博の誕生日でもあります。

おそらく権藤のように1年目から35勝を挙げる活躍を見込んで作成された応援歌なのでしょうが、残念ながらデラクルーズ選手は投手ではありませんでしたし、当然登板の機会も皆無でした。


6位 ダン・グラッデン(1994年在籍)

 

陽気な空に、太陽が輝いているなあ!

楽しくやっていこうや!

生きてごらんなさい、ほら!

良いことがあるよ、きっと!

 

10.8」の1994年に主に1番打者として活躍したグラッデン。

「太陽」の部分が太陽ロビンスへのリスペクトに由来することは、言うまでもありません。
そしてこれは、またしても「人生への応援歌」です。

人生に何の意味があるのか?

時に人は、このように考えて虚無感に苛まれるものです。

そんな時は、このグラッデンの応援歌を歌いましょう。

そして、静かに目を閉じると浮かんでくるはずです。

乱闘騒ぎでヤクルトの中西親志捕手と殴り合うグラッデンの元気いっぱいな姿が。

5位 斉藤宜之(1995~2007年在籍)
 

流れ星が流れていくなあ!

そこは広い広い砂漠の空なんだよなあ!

メルヘンなスイングで打っちゃおう!

ウルルへホームランを!

5位にして初の日本人選手です。

2002年は故障離脱の清原の穴を埋める活躍を見せ、日本シリーズでも優秀選手賞を獲得するなど、輝きを放った斉藤。

そんな斉藤の入団は1995年ですが、この応援歌の発表は1997年です。

直前の199612月に「国際連合砂漠化対処条約」が発効されていることは、この「砂漠の空」という歌詞と決して無関係ではないでしょう。

但し、どのような関係があるかは全くもって不明です。

また、「ウルル」はかの有名なオーストラリアの「エアーズロック」を指す言葉です。

確かに2002年の日本シリーズ第4戦、斉藤が放った先制2ランはそのまま流れ星となってエアーズロックまで届いたと一部では噂されています。

総じて、国際色豊かな歌詞と言えそうです。


4位 ルイス・サントス(1997年在籍)

 

ドミニカ共和国の恐竜推参!

打率3割のすごいやつらしい!

ルイスザウルス! ルイスザウルス!

ルイス打って、ホームラン!

 

「台湾のイチロー」の異名をとりながら結果を残せず、一年で解雇されたルイス。

「打率3割ですごい」というやっつけ感がイイですね。

それにしても、かなり「恐竜」推しのこの応援歌。

ドミニカで有名なのは恐竜の化石と言うより琥珀、それも虫入りの琥珀なのですが。

ルイスの打棒が恐竜の雄叫びどころか虫の羽音ほどの迫力しか持ち得なかったのも、当然です。

3位 清原和博(1997年~2005年在籍)

 

藪を突いてみたら、虎が出た!

空を裂いて、龍も現れた!

池の鯉を叩き!港に輝く星を退治!

ついでに乳酸菌飲料も一気飲み!

 

3位はこの男、清原。

仮にも球界のスター選手である清原にこの歌詞です。

この「敵チームを倒していく様」というモチーフは中日の「燃えよドラゴンズ!」等にも見られるものですが、なぜそれを清原の応援歌でやる必要があったのか。

色々と解釈を試みてみましたが、これはなかなか難解な曲でした。

 

2位 エリック・ヒルマン(1997年~1998年在籍)

 

朝が来ても怯まんよラララ!

夜が来ても怯まんよラララ!

パワフルな打線が相手だろうと!

絶対に怯まんよ!

 

「左肩に小錦が乗っているようだ」の発言で有名なヒルマン。

その発言以上に印象的なのがこの応援歌です。

朝日軍の林安夫投手が1942年に記録した、シーズン投球回541と1/3という空前絶後の金字塔。

朝も昼も夜も休まず投げまくり、そこに迫ってもらいたい。
そんな期待が込められていたのかもしれません。

皮肉なことにロッテから移籍1年目の1997年は2試合に投げただけで、投球回は僅かに 6。

流石に要求が高すぎると思ったのか翌年にはCD版の歌詞も変更されましたが、その年は1試合も投げず、退団となりました。

 

1位 石井浩郎(1997年~1999年在籍)

 

秋田名物ですよ、ヨイヤ!

石井はハタハタだ!

ヨイヤ!キタカイ!ホイサッサ!

ソレソレ!打って!ホームラン!

 

堂々の1位は、石井浩郎。

郷里・秋田県とその県魚であるハタハタへのリスペクトに溢れた歌詞。
1位の曲にごちゃごちゃした解釈は不要です。
巨人軍第65代4番打者の石井ですが、清原などとポジションが被り、必ずしも先発出場は多くありませんでした。

しかし、代打で出場した際の石井はまさに水を得たハタハタの如し。
その豪快なバッティングで東京ドームのファンを沸かせたものです。

なお、この歌詞も後に変更になっています。


「珍応援歌」とは言ってみたものの、私はいずれの曲も大好きです。

独創性に溢れ、実にユニーク。

素晴らしいではありませんか。

やはり私は巨人ファンです。

そう再認識することができました。


長々と書き連ねてきましたが、以上で今回のレビューを終わります。

この駄文を前にして、最後まで挫折せず読んでくださった方、本当にありがとうございました。

 

文責:いとそ


 



名古屋金鯱グランパス戦記

一章 結成
 誰しも皆大学生のうちに叶えたい夢があるだろう。 もちろん私にもある。それは、慶應塾長杯フットサルの大会に野球好きのメンバーで出ることであった。とある日、この夢を青木一三氏と松井信勝氏に打ち明けると青木氏、信勝氏も同じ夢を抱く同士であった。意気投合した我々は、早速チーム名を考えることになった。話し合いの結果、戦前に存在した伝説の球団「名古屋金鯱軍」の名を借り、名古屋金鯱グランパスを結成したのであった。話し合いの中で名古屋金鯱軍が出てくるあたり流石であると自負している。




二章 紅蓮
 我がプロ野球ファンサークルSphereは、野球経験者は勿論、サッカー経験者など皆無である。
そんな中、メンバーを集めるのは至難の技であった。だが、そこは「マムシの一三」と呼ばれた名スカウトの青木一三氏である。後の主力となる与田剛氏や天野浩一氏らを次々と引き抜いたのであった。名古屋金鯱グランパスに一筋の光が見えてきたと同時に勝利への炎が私の心の中で静かに燃えていったのだった。



三章 童心
 青木氏の活躍により人数を揃えた我々はついに名古屋金鯱グランパスとして塾長杯にエントリーしたのである。ここで塾長杯について簡単な補足をしたいと思う。
塾長杯とは慶應義塾大学体育研究所が主催する大会であり、フットサルの他にバレーボール、バスケットボール、ソフトボール等の大会がある。昨年、初めてSphereとして塾長杯ソフトボール大会に出場したことがあるが、敗北したためここでは言及しないでおく。
後日配られたエントリーシートの記入事項の一つに【チーム紹介】という欄があった。よく見ると小さな字で「書いて頂いた文章は実況で使用させて頂きます」と書かれていた。
これはと思い、少年のように無我夢中で名古屋金鯱軍の歴史について書き連ねたのである。
今思えばチーム紹介などではなく、金鯱軍の紹介であった。そして最後の行に一言
 
江口行男選手のように走り回りたいです」


と書いておいた。これが後に名実況を生むことになるとも知らずに。



四章 含羞
 エントリーを済ませ、抽選会の会場に向かうとそこにはライバルが集結していた。
名古屋金鯱軍のライバルであるため東京セネタースや同郷の名古屋軍などがいるのではと心踊らせていた私であったが、染髪している者の多さにアナクロニズムを感じたのであった。
抽選会では、チーム名が次々に呼ばれ、書類を提出するのだが、「名古屋金鯱グランパス」の名前が呼ばれると一瞬会場が静まり返った。
恥ずかしそうに受付のある前方の机に向かうと、場の空気を察したのか主催者の方が、
君たちはみんな名古屋出身なのかな?」と訪ねてきた。「名古屋金鯱軍というのは戦前にあった球団でして…」
あまりの緊張と羞恥心で何を言ったか良く覚えていない。ただ、大会のダークホースに躍り出た瞬間でもあったのである。




五章 呉昌征
 大会のダークホースに躍り出た我々名古屋金鯱グランパスであったが、一章でも述べたように経験者など皆無である。信勝氏から、練習をした方がいいのではという指摘を何度も受けたが練習はしなかった。普段運動しない我々が練習などしたら怪我のリスクがある。怪我のリスクと技術向上とを天秤にかけた結果、練習を実施しなかったということだ。
人間機関車であった呉昌征選手には到底及ばない我々であった



六章 金城鉄壁
 練習はしなかったが、作戦は用意していた。名古屋グランパス伝統の堅守速攻である。ゴール前で守備を固め、GKの青木氏を中心にゴールを守り、与田剛氏の個人技でゴールを奪うサッカーを理想とした。
サッカー初心者が上級者に勝つにはこの方法しかないのである。
この作戦を青木氏に伝えると、「名古屋金鯱グランパスのGKが出来るなんて光栄です」とGKを快諾してくれた。
初心者の守備陣ではGKが軽い拷問になるのではないかと一抹の不安を抱いていたが、青木氏の力強い言葉にその不安は払拭されたのであった。




七章 アイデンティティー
 渋谷区の飲食店で開かれた青木氏との意見交換会にてユニフォームを作り、決戦に向けて
士気を高めようではないかという話が上がった。私もその案に関しては賛成であったが、名古屋金鯱軍のユニフォームなど見たことが無かった。
そこで、日吉キャンパスのメディアにて名古屋金鯱軍のユニフォームについての資料を探したのである。
連日朝9時から夜9時までメディアに籠るもの趣がある。数少ない資料を頼りに名古屋金鯱グランパスのデザインが完成したのだが、多くの問題があった。
その一つに、ユニフォーム作成会社の方から、「鯱」の字は文字化けする可能性があると言われたのである。
どうしても「鯱」の字を入れるとなると時間がかかってしまうとのことであった。
大会に間に合わなくては意味がない。我々は断腸の思いでユニフォーム作りを諦めたのであった。




八章 struggle
 練習をすることなく、決戦当日となった。この決戦に集結した名古屋金鯱の戦士は七名となった。
みな、名古屋金鯱軍の信念に共感した志願兵である。出陣式に出席するため、朝10時に戦場
である日吉記念館に集合した。青木氏は、決戦に備え 湯漬けを食してきたと言う。
戦国時代の合戦並みの心意気に我々は感動したのであった。出陣式を終えた我々は、名古屋金鯱魂を注入するため、「名古屋金鯱グランパス」と書かれたガムテープを体中に貼ったのである。
これはいわゆる戦いの御守りである。私も、腕にも鯱の絵が入ったキャプテンマークを巻き、ついに運命の初戦の火蓋が切って落とされたのである。




九章 一気呵成
 初戦の相手はFC高須氏であった。スターティングメンバーはGK青木氏、フィールドプレイヤーは天野浩一氏、与田剛氏、伊藤万喜三氏、島秀之助氏であった。
対戦相手の素早いパス回しに翻弄されるも、GK青木氏の活躍により、ゴールを死守していた。
そして、相手の隙をついた与田剛氏、天野浩一氏らの個人技から何度も惜しい場面を作ったのであった。
我々の健闘に、会場も異色のチーム「名古屋金鯱グランパス」を応援するようになる。
そして、我々は次第に名古屋金鯱軍の本拠地である鳴海球場にいるような錯覚を覚えたのであった。
約80年の時を越えて名古屋金鯱軍が復活した瞬間だった。
前半は完璧な立ち上がりだったが、後半ににつれ、普段の運動不足が露呈することとなる。
DFのミスから失点を許すと、緊張の糸が切れた我々は立て続けに失点するのであった。
そこで、状況を打開すべく山根雅仁氏を投入するが、島秀之助がベンチに居座る事態が発生してしまった。
ここは洲崎球場ではないのである。山根氏も流れを変えることは出来ず、結局0対4で敗北したのであった。




10章 暗中模索
 初戦を落とした我々はすぐさま作戦会議を開いた。話し合いの結果、敗因は戦略的なものではなく精神面の弱さだという結論に至った。
ガムテープの貼った数が足りない、つまり御守りの効力が薄かったのではないかと思い、初戦より枚数を増やして次戦に挑むことにした。
次戦はFCバニラ氏であった。結果を先に言うと0対11で敗戦した。いわゆるワンサイドゲームである。
点差が広がるにつれ、得点を取ろうと青木氏も攻撃に参加するパワープレーを見せたが、ゴールはあまりにも遠かった。この試合に敗戦した後、我々は重大な事実を知ってしまうのである。
それは、DFリーダーの伊藤万喜三氏が1試合18失点という記録を持っているということである。
この事実を知った我々は絶望の淵に立たされた。なぜもっと早くに気づかなかったのか。
しかし、見方を変えれば、もう失点はどうでもよいということである。
得点を取ることに集中しよう。最終戦に向け、青木氏御用達のラーメン店「どん」で英気を養おうという話があがったが、点数以外に吐き出すわけにもいかなかったので丁重に断ったのであった。




11章  感涙
 初得点を取ることにだけを目標にして挑んだ最終戦の相手は強豪のマルコFCの第四部隊であった。塾長杯では、三試合のうち任意の一試合で実況をしてもらえるのだが、どのような実況がされるかという問題は、初得点をあげるということよりも、実際のところ重要だった。
キックオフの笛がなるとすぐさまボールを奪われ、開始1分も経たないうちに失点をしてしまった。
その後も立て続けに失点を重ね、この試合も二桁失点に到達した。弱い者を応援したくなるのが人間の本能なのだろうか、実況の方は、完全に名古屋金鯱グランパス寄りであった。
私が抽選会の際に提出したチーム紹介を繰り返し読んで下さるだけでなく、Sphereの紹介もしていただいた。
そして、後世に伝わる名実況は生まれたのである。青木氏のロングボールは天野浩一氏へと繋がり、右サイドを攻めると実況の方が、叫んだ。

江口行男選手のように走れ、走るんだ、名古屋金鯱グランパス!」
 

会場に一瞬の静寂が訪れる。その静寂の中、私は名古屋金鯱グランパス結成までの苦労、そして今こうして試合を行っている喜びに浸っていた。嬉しかった。夢が叶ったのである。
今思い返せば、頬を伝わったのは汗ではない気がする。試合は0対15惨敗であったが、
誰一人として下を向く者はいなかった。
名古屋金鯱軍のために闘い抜いた勇敢な戦士たちのである。
試合後、主催者の方から大会を盛り上げてくれたと労いの言葉を頂いた。初心者ばかりの我々でも大いに楽しめた大会であった。この場を借りてこの大会に関わった全ての方々に御礼申し上げたい
次のバレーボール大会にもぜひ出場したいがその時はどうか弱いチームと対戦させて欲しい。
今度こそは初勝利をあげたいものである。記念館を出ると、川上哲治のバットのように真っ赤に
燃え上がった夕焼けが我々を包んだ。名古屋金鯱グランパスの挑戦はまだ始まったばかりである。




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編集後期
 Sphereとして初めて出場したフットサル大会は、結果としては惨敗でしたが、Sphereの知名度向上には一役買えたのかなと思っています。このブログの執筆はいとそ氏に頼まれたものですが、お気づきの通り、ブログの文章の体をなしていないことを陳謝したいです。
このブログの読者の方にもSphereに興味を持ってくれた方もいるかもしれません。誤解してほしくないですが、我々は野球を見るのが主な活動です。今年に入っても東京ドーム、神宮、横浜スタジアム、慶早戦の観戦会など、多くの観戦会を行いました。その他の別の顔として、草野球などの運動企画、マニアックなクイズ大会、千葉茂研究会等の遠足や年二回の野球観戦合宿などがあります。弊サークル員一同、皆様と野球の話が出来るのを楽しみにしています。非常に長いブログで嫌気が差したと思いますが、最後までお付き合い頂きありがとうございました。
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