慶應プロ野球ファンサークルSphere

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夢の球場=Sphere~魔術師たちに魅せられて

D8B10D53-9EE6-4FE8-B0AD-B9595B1797FF2年生の義澤です。大学は長い春休みに入り、その休みが明けたらこのサークルを去っていってしまう4年生の先輩方を思って僭越ながらブログを書かせて頂きます。

私がSphereに入った2年前、3年生としてサークルを取り仕切っていたのが、現4年生の方々でした。入部早々同級生の松井君は松井信勝の渾名を頂き、浅野高校出身の同級生は飯田徳治研究会に招待されるなど、先輩方の野球知識の深さに「この人たち何でこんなこと知ってんだ?」と驚き、狼狽しました。また、「こんな話してて面白いのか?」と思ったのも正直な所です。
  
しかし、時が経つにつれて先輩方の野球トークを聞くのが楽しみなっていく自分がいました。今になって考えてみると、映画『フィールドオブドリームス』と同じ現象が私に起こっていたのだと思います。

唐突に『フィールドオブドリームス』を出してしまいました。観たことのない読者に簡単に説明しますと、ケビンコスナー演じる主人公レイは農業を営んでいました。ある時、レイは野球場を作れというお告げを聴き、それに従いトウモロコシ畑の真ん中に野球場を造ります。しばらくするとレイは何者かが野球場で楽しそうに野球をやっているのを目撃するのです。

それは、ブラックソックス事件で永久追放されてしまったホワイトソックスの選手達でした。彼らはなんと100年前の選手です。レイは甚だ驚きましたが、楽しそうに野球に興じる彼らの姿を見たレイたち家族は野球のすばらしさに気づくのです。

説明はこれくらいにして本題に戻ります。フィールドオブドリームスつまり『夢の球場』。これについて深く考えてみたいと思います。『夢』とは『時間を超越した理想の世界』。これはSphereそのものなのではないでしょうか。

ホワイトソックスの元選手たちが、レイの造ったの夢の球場でプレーしたように、先輩方が過去のプロ野球選手の話をすると、松井信勝や飯田徳治が、プロ野球ファンサークルSphereという『夢の球場』に現れ、まるでプレーをしているかのような錯覚を覚えたのです。

つまり、先輩方は往年の名選手を夢の球場に現出させる『フィールドの魔術師=三原修』だったのです。

私達下級生はレイの家族のようにただベンチに座って、『夢の球場』でプレーする、名選手たちの野球を観ているだけで無邪気に楽しめました。そう、私達の眼前には、松井信勝が19球粘るさまや、大杉勝男が引退スピーチをする様子がありありと浮かんでいたのです。そして、私たちは、野球というスポーツの面白さを『夢の球場=Sphere』で学びとったのです。

新歓バーベキューで高らかに歌われたデストラーデの応援歌、食事会で当たり前のように飛び出す「深見安博ですね!」の一言等々、そのすべてが私に野球の魅力を認識させてくれたことは間違いありません。

しかし、そんな楽しい日々にも別れは必ずやって来ます。日が暮れるとホワイトソックスナインがトウモロコシ畑に消えていくように、四年生の先輩方はSphereという『夢の球場』を去らなくてはなりません。そして我々後輩は、素敵な魔術師たちが創りあげてきた『夢の球場』を維持管理していく責任があります。選手のいないグラウンドは寂しいものです。我々下級生が夢の続きを紡いでいきます。超二流になるべく。

最後になりましたが、Sphereを卒業していく4年生の先輩方は私達に野球という『夢』とSphereという『球場』を与えて下さいました。本当にありがとうございます。そして、今このブログを読んでいる新入生の皆さんには是非、慶應大学という広大なトウモロコシ畑の中にぽつんとひとり輝くSphereという『夢の球場』に脚を運んで欲しいです。ラストシーンのどこまでも続く車列のように。


追記
 『フィールドオブドリームス』を見たことがない方には意味不明なブログになってしまいまし申し訳ありませんでした。個人的には『フィールドオブドリームス』はとてもいい映画なのでぜひ一度ご覧になってみてください。

茂林寺の特訓

   いとそです。まだ雪も解けないこの冬に、遠い日の夏へ旅立ったある日の話。

 

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 東京の雪はいつまで経っても解けない。あの大雪の日からもう一週間だというのに、道の端にはまだ大きな顔をした白い塊が居座っている。いや、これが普通なんだろうか。岡山では雪が積もること自体、事件だった。雪が降ると無邪気に跳び上がって喜んだものだ。「積もって!」と。そんな願いは大抵の場合叶わず、瀬戸内海の暖かい気候が瞬く間に雪を解かした。それ程までに恋しかったセキセツとやらも、アスファルトに囲まれて東京で生きる今では、ただ鬱陶しいだけだった。

 

 野球の練習は嫌いだった。野球部では一番下手くそだったし、練習が終わる時間だけをひたすら待ち続けた。野球は好きだし本当は試合で活躍したい、けれど練習は嫌い。そんな中学生に野球の神様が味方をしてくれるはずもなかった。キャッチボールは楽しいが、冬のキャッチボールは例外。手がかじかんで痛いから。でもそれを除けば冬は好きな季節だった。学校で決められている下校時刻が夏よりも早いのだ。もうすぐ冬。練習を早く切り上げることができる冬。あと少しの辛抱。厳しい夏を乗り越えて秋口に差し掛かると、心の声がそう囁いた。グラウンドに雪が積もればそもそも練習が無くなるんじゃないか?なんて考えたりもしたが、ついぞそんな日は訪れなかった。雪が積もったところで、他の場所で練習をやるだけなんだろうけど。

 

 歓喜の冬。練習時間が短い冬。夏休みのキツい練習を乗り越えての冬は格別だったなあ。そんなことを思いながら東京の道端の白い塊を眺めていたある瞬間、ふと見てみたくなった。自分は知っている。遥か昔、地獄のような夏に耐えて歓喜の冬を手に入れた男たちがいたことを。比べるのはあまりにも失礼な話だ。片や練習が嫌いでただ冬を待っていただけの中学生、片や誰よりも壮絶な夏の果てに光り輝く冬を手に入れた猛者ども。それでも見て、感じて、触れてみたくなった。その夏、その場所に。他の誰が経験したものよりも、暑くて熱い夏に。旅立とう。まだ雪も解けないこの冬に。82年前のあの夏を追い求めて。

 

 結成から1年半あまりの1936年夏、巨人軍は存亡の危機を迎えていた。大日本東京野球倶楽部として1934年の冬に発足してからというもの米国遠征で試合に明け暮れる日々を送った巨人だが、帰国して職業野球リーグに初参加した1936年夏季大会、25敗と惨敗を喫したのである。職業野球の旗揚げを担った球界の盟主の危機は、すなわち日本球界の危機である。灯ったばかりの職業野球の灯を消すわけにはいかない。そんな中、「選手たちの根性を一から叩き直す」と、一人の男が立ち上がった。名を藤本定義という。かつて実業団チームの東京鉄道管理局を率いて巨人を連破した実績を買われ、その夏季リーグから監督として巨人に迎えられていた。

 

 米国遠征は巨人軍に貴重な経験や高度な技術をもたらしたものの、同時に驕りをもたらしていた。その結果が夏季リーグの惨敗である。秋季リーグを迎えるに当たってこのままでは勝てないと考えた藤本は、茂林寺の分福球場(群馬県館林市)にナインを集めた。まだ残暑が厳しい193695日のこと。球場とは名ばかりで荒れ放題の土地ではあったが、藤本はその大地を踏みしめてバットを握った。かの有名な「茂林寺の特訓」がここに始まったのである。

 

巨人の弱点とされていた内野陣に、ノックの嵐が襲い掛かる。「暁の千本ノック」とも呼ばれたその練習は壮絶を極めた。のちに名手と讃えられることになる遊撃手・白石敏男もそのノックの獲物の一人だった。遊撃に転向したばかりの白石には特に過酷な練習が課されていた。藤本の鬼気迫る思いはナインにも伝わっていた。白石はノック後の打撃練習で投球がこめかみを直撃しながらも、そのまま打席に向かおうとした程だった。その気迫がまた皆を振い立たせた。9日間にわたった茂林寺の特訓を通じて、巨人軍は真の球界の盟主となった。秋季リーグで阪神と並ぶ勝ち点を獲得し、冬の年間王者決定戦ではその阪神を破って初の優勝に輝いたのだ。誰よりも暑くて熱い夏。その先に待っていたのは歓喜の冬だった。

 

 今日も東京は寒い。待ち合わせは新宿の西口。この新宿という街の迷宮っぷりにもようやく慣れてきた。あの夏から82年。藤本も白石も既にこの世にいないけれど、藤本監督の熱き鼓動を肌身で感じるべく、4人の猛者が集まった。あ、折角だからバッティングセンター集合にしてそこで打ち込んでから行けば良かった。新宿のバッティングセンターで出会って車で旅立つって、『GONIN』の佐藤浩市と竹中直人じゃないか。惜しい。5人いれば佐藤浩市、本木雅弘、根津甚八、椎名桔平、竹中直人で『GONIN』だったのに。でもあの竹中直人はバット持って殴りかかってくるからな。俺らの中にそんなのがいたらたまったもんじゃない。とりあえず今回は『YONIN』。「塀際の魔術師」ヒラヤマ、「平成の宮武三郎」ワタナベ、「ナビタイム」キクチ、そして「ジャイアンツ小僧」イトソ。塀際の魔術師の運転のもと、車は新宿を出発して茂林寺へ向かう。車内では「マムシの一三」ことアオキが最近巷で「当たり屋」として恐れられているということなどが話題となった。そうか、アオキも加えれば『GONIN』か。

 

 茂林寺に到着した4人を最初に出迎えてくれたのが、うどん屋「もり陣」だった。「まゆ玉うどん」が売りのお店で、昨年既にこの茂林寺の特訓を経験済みのワタナベは、その際もこの店で食事をしたと言う。まゆ玉を粉にしたシルクパウダーをうどん粉に練りこんだのが、その「まゆ玉うどん」。旅先のメシって何でこんなに美味いんだろう。

 

 「もり陣」から徒歩で約10分、ついに「そこ」へたどり着いた。冷たいアスファルトに囲まれた東京と同じで、ここにも雪はまだ残っている。やっぱり。それでも、それでも絶対に新宿と「そこ」は違った。朝は新宿で震え上がった4人、分福球場の跡地を前にしてその震えはピタリと止まっている。全く寒くない。ノックバットを握りしめて仁王立ちする藤本監督、そしてそれに食らいつく白石。その姿が目に浮かぶようだった。4人はその熱気を確かに肌で感じていた。82年前、誰よりも暑くて熱かった巨人軍の夏。巨人が巨人になったあの夏。日本のプロ野球がプロ野球になったあの夏。その夏の息吹、溢れんばかりの熱気を含んだ息吹がまだそこには生きていた。球春到来まであと2日?いやいや、ここは1936年9月5日から、ずっと夏。だから雪解けの日はきっとすぐそこ。

 

茂林寺前駅の隣の駅、館林駅には「巨人軍栄光の初V-不屈のG魂誕生の地-分福球場」の石碑が建つ。茂林寺境内への参拝を済ませた4人がそこに吸い寄せられるように辿りつくと、既に2人の男がいた。彼らはネパールから来たと言った。4人と2人はすぐ友達になった。彼らに「巨人軍というのは日本の野球チームのことだ」と説明したが、「ネパール人は野球をやらない」と彼らは言った。彼らはたまたま石碑の前にいただけだったのだ。それでも多くを語り合うことができた。石碑が無ければ彼らに出会うことも無かっただろう。野球が運んでくれた、旅先での素敵な出会いだった。その後は越谷のショッピングモールに寄ったりしながら、新宿へ帰り着いた。

 

新宿。とっくに日は暮れている。歌舞伎町のネオンは今日も眩しい。そこには多くの人が集い、エネルギーが渦巻く。でも知っている。誰もいない、いや誰もいないように見える茂林寺・分福球場跡に82年前から渦巻くエネルギーの方が、ずっと熱いことを。あの夏の記憶が、今でもそこに息づいていることを。東京の雪は、いつになったら解けるのかな。

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(編集後記)
 東京の冬って寒いですよね。館林が暖かかったのはマジです。本文中ではさもこの企画を自分が思いついたかのように書いていますが、既に昨年の冬、さかっきー氏とワタナベ氏がこの特訓を敢行しています。末筆ではありますが、自分にインスピレーションを与えてくれた2人に感謝を申し上げます。最後は不参加にもかかわらず新宿まで会いに来てくれた5人目の男、マムシの一三で締めくくります。ここまでお読み頂きありがとうございました。(文責:いとそ)

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