2009年03月28日
序 言
『日本国憲法』とは一体何なのか。悠久の祖国に生を享けた者として、この「異形の掟」にたじろぎ、とまどひ、悩み、怒りながらも、このことを自問し続けながら今日まで来た。
「井を掘るは水を得るが為なり。学を講ずるは道を得るが為なり。水を得ざれば、掘ること深しと云ども、井とするに足らず。道を得ざれば、講ずること勤むと云ども、学とするに足らず。因て知る、井は水の多少に在て、掘るの浅深に在らず。学は道の得否に在て、勤むるの厚薄に在らざることを。」(講孟余話)。
これは、吉田松陰の教へである。
浅学ゆゑに汗顔の至りではあつても、この教へは守り続けた。そして、昭和は遥か彼方に遠のいたが、やつと明確な結論が得られた。この『日本国憲法』といふ占領憲法は、憲法としては絶対に無効であるが、帝国憲法第七十六条第一項に従ひ、同第十三条の講和大権に基づく講和条約の限度においてその効力を認めざるを得ないが、このやうな占領統治の遺物による桎梏から脱却して、他国に侮られずに世界に尊敬される強くて清く正しい祖国を再生できる「道」をついに発見し、この書でそのすべてを説明できたものと自負してゐる。
しかし、思へば長い道のりであつた。私の父は、召集を受けて北平(北京)にあつた支那駐屯軍司令部付の特務機関に将校として配属され、停戦協定後の武装解除手続を完了させて祖国に復員したが、私が生まれる前の昭和二十三年六月十九日に衆参両議院で教育勅語(教育ニ関スル勅語)などを排除し失効させる決議がなされたことに対して、痛惜の思ひを抱き続けてゐたのであらう。父は、私が教育勅語を暗誦できるやうになると、その無念さを語り出した。平成二年十一月一日に身罷つたが、その遺言状にはたゞ一言、「教育勅語を復活させよ」とあつた。これを義命の存するところと受け止めて、私はその後の人生を決めた。
それまで推考してきたことに加へて、さらに独自の研究を行つた結果、新たな占領憲法無効論(新無効論)を完成させ、父の遺言を実行する第一歩として、今上陛下に占領憲法無効宣言を諫疏する天皇請願を行ふ請願書を、平成四年五月二十六日に当時の内閣総理大臣宮沢喜一宛(総理府宛)に届けた。それから、この理論を初めて世に問ふた前著『日本国家構造論』を完成させて上梓したのが翌平成五年十二月八日である。その十一日後に、この意義を深く理解してくれた母が急逝した。私は、母の柩に前著を入れて父の元に届けてもらつた。それから平成六年七月三十日の祓庭復憲の「草莽崛起」運動の提唱へと進んて行つた。
しかし、このやうな理論と運動に対する周囲からの風当たりは、まことに厳しいものがあつた。運動は牛歩の如く遅々として大きくは進展しなかつたが、それでも様々な困難と迫害を乗り越えてここまで来られたことは、神仏のご加護の賜であつたことを衷心より日々感謝申し上げてゐる。
そのやうな日々の中で、これまでに得られた細やかな光明の一つとしては、いはゆる左翼とか極左に分類されてゐる人たちの中からも、私の新無効論を理解する人が少なからず出てきたことである。彼らからすれば、不本意ではあるが、論理を追求して行けば新無効論に到達せざるを得ないといふのである。だからと言つて、そのやうな人たちとは、立場を明確に峻別して新無効論の共同戦線を組むことはあつても、決して連帯することはない。なぜならば、新無効論は、国体護持と自立再生論の実現のために必要な理論ではあるが、所詮はその一里塚にすぎないからであり、本書の題名を国体護持としたのも、私の悲願は、このことを措いて他にはないからである。
ところで、ある人によれば、むくつけき戦後空間において、徐々に戦後体制からの脱却を指向してゐる動きがあり、新無効論が理解される雰囲気が生まれてきたとの指摘もある。しかし、反面教師である共産党などの研究を長くしてきた私からすれば、その雰囲気といふのは、逆に大きな危険を孕んでゐると感じてゐる。それは、「天皇抜きの民族主義」が席巻する土壌の生まれる危険と表裏の関係にあると感じてゐるからである。
近い将来、皇室制度と民族主義との不可分一体性を否定する「天皇抜きの民族主義」から、さらに堕落して、天皇を民族の敵として位置づける「反天皇民族主義」へと誘導させる二段階の天皇制打倒論が、それなりの政治勢力となつて浮上してくると予測される。といふのは、日本共産党(以下「日共」といふ。)のこれまでの歴史がそれを示唆してゐるからである。
大正八年、レーニンの指導により世界の共産主義化を目的として設立されたコミンテルンの大正十一年十一月の第四回大会で、全世界の「君主制」を根絶するとの基本方針を決定し、このとき、コミンテルン日本支部として正式に承認された日共は、「天皇制の廃止」(天皇の政府の転覆及び君主制の廃止)を闘争方針とし、「民主主義的なスローガンは現存天皇政府に対する闘争において、日本共産党がもつ一時的武器にすぎないものであつて、党の当面の直接的任務が完成されるや否や、直ちに放棄さるべきものである。」と宣言した。これは、いまもなほ厳然として日共の理論的支柱となつてゐる。
また、昭和二十一年四月三日に極東委員会が天皇の戦犯除外を決定するまでの経緯において、日共の野坂参三が深く関与してゐたことが明らかになつてゐるが、日共は、その過程の中で、天皇個人と天皇制とを区別し、天皇の処罰(処刑)と天皇制の廃止とを区別し、さらに、天皇個人の退位と天皇制の廃止とを区別するなど、様々な「二分論」や「二段階論」による天皇制廃止戦略を組み立ててきたのである。それゆゑ、今後において、「天皇抜き」と「反天皇」といふ二段階で、「民族主義」を利用した天皇制廃止戦略を打ち立てることは必至である。
さらに、日共は、過去から現在まで、革命の目的のためには手段を選ばないといふ二分論によつて、本音と建前とを使ひ分けて転々と戦略の変更をしてきた。たとへば、昭和二十一年六月二十八日、帝国議会において、衆議院議員野坂参三は、帝国憲法の改正案を衆議院で修正することは帝国憲法第七十三条違反であることや、国家の自衛戦争を否定することはできないといふ本音の主張したのであるが、今の日共は、建前論として占領憲法第九条を堅持するといふ原理主義を掲げてをり、まさに今昔の感がある。
昭和二十一年一月十二日に野坂参三が帰国してからの日共は、「愛される共産党」といふスローガンによつて「占領下平和革命論」を唱へた。武装革命路線を放棄したのである。ところが、昭和二十五年一月六日にコミンフォルムが野坂理論を批判する「五十年問題」が起こると、再び武装革命路線に転換して突き進み、昭和二十六年二月二十三日の四全協、そして『五十一年テーゼ』を採択した同年十月十六日の五全協で武装革命路線を確定させ、長期にわたつて各地で様々な武装闘争を展開してきたが、昭和三十年七月の六全協でその路線を放棄して今日に至つてゐる。現在では、武装闘争路線へと再び転換する可能性は少ないが、さうであればこそ、この二分論や二段階論による柔軟路線による戦略を選択する可能性が極めて高くなつてゐる。否、既に選択してゐたと云つても過言ではない。わざわざ「日本」共産党と名乗り続けてきたことは「民族主義」へ転換するための布石であつたし、古くから選挙用ポスターに富士山を登場させてゐたからである。
このやうなことは、日共固有の戦略ではない。他の左翼勢力も同様の戦略を立てゝゐる。今や、日共を含む左翼勢力が「天皇抜きの民族主義」を主張することに何らの支障もない時代であり、左翼勢力が自民党左派や民主党左派を取り込んで連立政権を打ち立てるについて、思想的な障壁は全くなくなつてゐる。
最近、占領憲法第九条を改正して自衛軍を創設せよとか、愛国心教育を行へとか、保守層の琴線に触れるやうな様々な保守論壇の主張がなされてはゐるが、その中には、尊皇と皇統護持の至誠を保持せず国体護持の情熱を喪失してゐる言説が多い。まさに画竜点睛を欠き、似て非なるものに他ならない。あからさまに「天皇抜きの民族主義」を掲げる言説であれば、それに対する保守層の警戒心も湧くが、お為ごかしに、その本心を隠した「ハーメルンの笛吹き男」の言説も跋扈してゐるので、保守層はこれを真に受けて騙される。そして、早晩、この騙しの手法に便乗して権力中枢に入り込む不逞の輩が出現するだらう。これまでの日共や旧社会党などの主張の変遷過程から推断すると、左翼勢力は、このやうな手法によつて保守層を取り込む戦略を選択し、さらには自民党や民主党などに工作隊を送り込んでくるであらう。
「天皇抜きの民族主義」と「反天皇民族主義」との共通項は、文字づらでは「民族主義」といふことになるが、実はさうではない。この両者の糊代部分(共通部分)は、民族主義ではなく、実は「国民主権論」といふ反国体思想であつて、その源流は、おぞましいルソーの思想である。つまり、反国体同盟は、ルソー同盟であり、ルソー党である。国民主権論自体がそもそも「容共思想」であり、「容ルソー主義」なのである。護憲派は云ふに及ばず、腐りきつた占領憲法を改正すれば真面になると信じてゐる脳天気な改憲派も、ともにルソー思想を支持することにおいては完全に一致してゐる。
保守層の者は、「民族主義」といふ言葉を聞くと、思考停止となり無批判に共感してしまひ、「ハーメルンの笛吹き男」が導く方向が正しいものと錯覚してしまふ。慣れとは恐ろしいものである。異常なことが反復継続すると徐々に麻痺してきて、そのうち、その異常さを感じなくなる。そして、ついに「釜中の魚」の運命を辿ることになるのである。
その運命の果ては、野合による国体破壊である。それは、第一条(天皇条項)と第九条(武装解除条項)を同時に削除して、「日本共和国」となり、軍隊のある「普通の国」となることである。これは既視感ではない。これこそ、占領憲法の制定過程の辿り来し道である。占領憲法制定においては、占領憲法の第一条と第九条は、合はせ鏡の如く表裏の関係にあつたことを思ひ出してほしい。
その野合する具体的な内容はかうである。
「皇室に対して、占領憲法制定によつて没収した皇室財産の一部を分与返還し、我が国最長の名門家系として存続させることは保障するが、憲法上の地位は喪失させ、第一条以下の天皇条項を削除して、皇室を憲法外の地位とする。このことと引換に、第九条第二項の武装解除条項を削除して、正式に軍隊を保持できる普通の国になる。」と。
つまり、このやうな政治決着によつて占領憲法を改正するといふシナリオである。これは、自民党の左派、民主党の左派、公明党、社民党、日共などが大連立することによつて実現しうる。これらの勢力に共通するのは、ともにルソー教に入信した「国民主権論」の鞏固な信者たちであるといふ点であり、野合するための共通項としては、それだけで充分なのである。これにより、「共産」と「非共産」の区別は消失して統合される。過去に、犬猿の仲であるとされた「共産VS非共産」といふ政界図式が解消され、国体破壊を目指す国民主権論者同盟としての「反国体同盟」が結成され、これによつて国体の完全壊滅を実現しようとする。犬猿の仲であつた薩長が倒幕のための同盟を結んで倒幕を敢行したのと同じ戦略である。
そして、この「反国体同盟」のさきがけとなることを意識して実践してきたのが「読売新聞社」である。その謀略文書である改正試案は過去に三回も出されてきた。それは、平成六年十一月三日の「憲法改正試案」、平成十二年五月三日の「憲法改正第二次試案」、そして、平成十六年五月三日の「憲法改正二〇〇四年試案」の三回であるが、軍備の保持などを謳ひ上げるとともに、「第一章 国民主権」、「第二章 天皇」として、天皇条項を第二章に押しやつてゐる。これこそ天皇条項と武装解除条項を同時削除して実現する「日本共和国」提唱のさきがけとなつたのである。
いま、占領憲法を取り巻く環境として、護憲論と改憲論との「政治論争」がある。これはあくまでも政治論争である。ともに有効論であるから、改正といふ立法措置の是非を問ふ単なる「立法論」である。これに対し、無効論は、この護憲論と改正論といふ双子の有効論との間で占領憲法の効力を論議する「法律論争」をしなければならない。占領憲法の効力の有無を問ふ「法律論」である。しかし、メディアは「政治論争」だけを取り上げ「法律論争」を報道しない。無効論の存在と内容を紹介し啓蒙することをしない。メディアは今もなほ祖国を壊し続けてゐる。
このやうな状況の中で、「反国体同盟」の信者は、自民党、民主党にも入り込み、防衛問題や教育問題などに保守層には耳触りのよい言葉を垂れ流し、「反国体同盟」へと国民を取り込んで行く。特に、占領憲法改正論者は、例外なく占領憲法を有効とする国民主権論者であり、悉く「反国体同盟」に属する「ハーメルンの笛吹き男」なのである。繰り返し述べるが、国民主権論そのものが、本質的に「容共思想」であることを自覚すべきなのである。
そして、この反国体同盟は、近い将来、突如として政治の表舞台に現れて、国体破壊の暴挙に出る。これまで無効論者に対して、護憲論者に対するよりも、逆恨みにも似た謂はれのない近親憎悪を抱き、最大の侮辱と罵詈雑言を浴びせてきた愚かな改正論者は、このとき初めて事の深刻さに驚愕し、「狼少年」の悲哀を感じるのであらう。そして、無効論は本来は正しいが政治の世界では現実的ではないなどと冷笑してきた言説が、詭弁による見苦しい保身であつたことを気づくのであらうが、それは後の祭りである。保身によつて国を売る、これを売国奴と云ふのである。
それゆゑ、我々は、このやうな「天皇抜きの民族主義」と、その揺籃となり温床となつてゐる「占領憲法改正論」の論者とは、連帯することは勿論のこと、共同戦線を組むことは到底ありえない。国体破壊の国民主権論者であるから、これを明確な敵と位置づけて二念なく排撃するのみである。
また、このやうな状況にあつて、今、さらにもつと深刻な問題なのは、「反日」とか「亡国」とかの勢力の存在よりも、「煩日」と「忘国」の民の存在である。マザー・テレサは「愛の反対は憎しみではなく、無関心」であると語つた。これと同じやうに、祖国を憎悪するのは「熱」があるが、しびと同然の「冷」え切つた人が居る。祖国に無関心であつたり、祖国を忘れてしまひ(忘国)、日本(祖国)のことを煩はしく思つて語ることも考へることもしない(煩日)といふ冷め切つた愚民が蔓延してゐるのである。
このやうに現状を認識したとき、我々が救国を実現するために残された時間は極めて少ない。一刻も早くこの危機的で閉塞的な情況を打破して、占領典範と占領憲法を含めた占領統治時代に生じた膿を摘出し、自立再生論によつて祖国と世界を再生させる必要がある。しかも、国体護持は単なる理論だけで実現しえない。実践あるのみである。仮に、国体原理主義者とか天皇原理主義者であると誹られても、愚直に貫かねばならない。しかし、その実践には、やはり確固たる理論が不可欠である。ライプニッツの説く「充足理由の原理(理由律)」がここにも当てはまる。そのため、国体護持に身命を賭す多くの同志にとつて必要不可欠な純正理論を提供する必要性を痛感したのである。
そこで、今は亡き父母と、これまで様々な面でご指導を賜つた恩師である三沢貫一郎先生、表権七先生、相原良一先生、ジョージ・ウエスト博士、木村徳太郎先生、そして、心の師である清水澄博士、さらに、これまで新無効論と自立再生論を支へ続けていただいた多くの諸先生、諸先輩と同士諸君に感謝の誠を捧げつつ、後醍醐天皇と楠木正成公が合祀されてゐる吉野山の南朝皇居である吉水神社の神殿の御前に額づき、二柱の御祭神に秘事を誓つてこの書を謹んで上梓する。
血刃動心
血涙変心
動変無限
死而後已
生而知人紀之教
死而守天道之理
平成二十年七月二十四日
南出喜久治
生産至上主義の修正と破綻(第6章:第1節:「自立再生論」)
第6章 萬葉一統
第1節 自立再生諭
【生産至上主義の修正と破綻】
これらの生産至上主義の矛盾を克服しようとして、過去に幾つかの修正が試みられた。
その第一の修正主義は、「福祉主義」である。これは、生産至上主義の歪みである貧富の差の拡大を政府が是正しようとして、補助金支出や福祉予算支出などを試みて、富の再配分を図らうとすることである。しかし、生産至上主義の最大の恩恵を受けてゐる事業者がその財源を負担するのではない。支出財源は税収入であつて、あくまでも間接的な再配分である。しかし、税制の歪みから事業者には負担が薄く、国民からの均等調達によつてゐる。これは、税制と税率の様相によつては、富裕層から貧困層への間接的配分となる場合もあるが、中間層から貧困層への再配分になつたり、極端な場合は、貧困層間の再配分となつてしまふこともある。
また、福祉主義では、産業活動に伴ふ事故や災害などの被害についても、各産業部門の受益者負担の原則は貫かれてゐない。これは、政官財(業)の構造的癒着によるものであつて、福祉主義とは、生産至上主義の矛盾を隠蔽して、生産至上主義による政策をさらに推進しようとする理念にすぎない。また、福祉予算の増大が行はれても、その増大部分の大半は、福祉の分業化による経費の増大に吸収されて、直ちに福祉の充実には結びつかない。即ち、社会的弱者を援助・介護する人員や施設が専門化して複雑となり、それらを維持管理する固定経費が増大するに過ぎず、実質的な福祉の増進とはならないことが多い。さらに、補助金行政の弊害も深刻である。これも社会的弱者救済の名目でなされてゐるのであるが、補助金に依存した弱者体質をさらに促進するに過ぎず、結果的には、補助金支給がなければ生存すら危ぶまれる社会的弱者の拡大再生産をしてゐるに過ぎない。
これが、国内に留まらず、国際化した現象がODAであつて、社会的弱者の自立更生の道を閉ざし、支配者に生殺与奪の権利を完全に付与する構造体質を完成させる。これは、現代的奴隷制社会の到来である。
このやうな福祉主義政策の矛盾は、先づ、初期の局地的な「産業公害問題」や「環境問題」の発生となつて現れた。産業公害問題や環境問題は、生産至上主義の矛盾であり、その根本解決は、少なくとも生産至上主義を換骨奪胎しなければならなかつた。ところが、その公害を直接に発生させてゐる企業と、その企業の監督を怠つた政府の責任であるとの「企業責任論」や「政府責任論」で片付けられた。さらに、この企業責任論は、訴訟的結果責任論であり、将来発生しうる企業責任を自覚させる意味を含んでゐないため、この将来の責任の引き受けを求める「企業の社会的責任論」へと展開されていつた。ここでは、企業と政府が悪、国民が善といふ善玉・悪玉論の認識であり、生産至上主義の終局的恩恵を享受してゐる社会そのものの責任といふ観点が全く欠落してゐた。
このやうな情況の下で、産業公害はさらに進んで、現在の地球規模に至る環境問題が発生したため、今度は、善玉・悪玉論では説明が付かなくなつてしまつた。そこで、企業の社会的責任論をさらに敷衍し、経済成長と環境保護とを調和させるために、生産至上主義による経済発展を抑制しようとする「減速経済主義」が登場したのである。そのスローガンは、「地球にやさしい」である。しかし、今、地球が病んでゐるのに、「地球にやさしい」といふのは矛盾である。病人もやさしく手心を加へて慢性的に痛め続けるといふ、残酷で陰湿な「イジメ」に似たものであつて、決して病気を治療するためではない。これは問題を解消しつつ産業を発展させるのではなく、問題の発生速度を緩めつつ発展を考へるにすぎない。地球環境の改善は、一個人や一企業の自覚と努力も必要ではあるが、そんなものだけでは根本的な解決はされない。これまでの管理会計的な側面に、環境会計的な手法として、マテリアルフローコスト会計(MFCA)などの小手先だけの技法が編み出されてゐるが、社会構造自体を変革することの自覚と努力がなければ環境問題の解決は不可能である。社会構造に手を付けずに、大量生産、大量消費の社会構造に身を置いたまま、趣味的な自覚と努力で一人一人が節約を続けるといふ考へ方は、新たな福祉主義として位置づけられるが、いづれも理念と現実において破綻してゐるのである。
ところで、共産主義は破綻したが、先に述べたとほり、企業と政府が悪、国民が善といふ善玉・悪玉論は、共産主義者の持つ企業に対する憎悪を共有してをり、その背後にある生産至上主義の矛盾に気づかない愚かさゆゑに、共産主義者の残党にとつては「渡るに船」の思想となつてゐる。
次に、生産至上主義の修正主義の第二として挙げられるのは、金日成の「自力更生論」と、これを人間中心主義の哲学的原理までに発展させたとする「主体思想(チュチェササン)」である。
ところが、現在、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が、人間中心主義ではなく、個人崇拝と絶対者中心主義によつて、人民に暴力と飢餓を与へる弾圧が繰り返され、日本人を含む多数の他国人を拉致するなど、邪悪な独裁体制による犯罪国家であることからすると、この理論には致命的な欠陥があつたことを推認して余りあることになる。
しかし、北朝鮮の政治形態の評価と主体思想自体の評価とは、一応これらを切り離して検討するとすれば、北朝鮮の政治形態と主体思想との歪みは、ヤルタ・ポツダム体制に対抗する第三世界の実情と分断国家の国民の悲劇を象徴してゐるものと思はれる。
この「自力更生論」とは、当時、中ソ論争の狭間に立つた第三世界建設の独自の理念として、社会主義国際分業内にあつて、可能な限り自力で重工業などの基幹産業について民族的な自立経済を創造するとの思想であり、また、「主体思想」とは、「人間があらゆるものの主人であり、すべてを決定する。」との基本認識に立ち、マルクス・レーニン主義の物質偏重思考に対して、人間の主体性を絶対的決定要因とする思想であるとされた。つまり、理念としての「自力更生論」と「主体思想」は、物質偏重思考から脱皮し、民族自決と自給自足経済の確立に向けた過渡的な試みである点において評価しうるからである。
ところが、自力更生論といふのも掛け声だけの無内容なものであり、共産圏内での分業体制を自国に有利に構築したいとする願望に過ぎず、自給自足経済への道にはほど遠いものがあつた。また、主体思想といふ人間中心主義は、進歩・発展とは人間と自然との対決において人間が勝利を収めることであつて、これは、単線的進歩発展史観に毒された生産至上主義の真髄に他ならないのである。
しかも、生産、流通、消費といふ一方通行だけで、再生の観点が欠落してゐるのは、やはり、人間中心主義であるためであつて、必然的に地球的限界に直面することになる。
それゆゑ、これらの思想は、共産圏に属しながら第三世界の建設といふ政治的空想を抱き、しかも、自給自足経済の確立のための手段と方法が何一つ提示できない空理空論であつたため、生産至上主義の矛盾を克服するどころか、それに浸りきつたものであつて、大言壮語の掛け声だけに終はつた。そして、そのことは、北朝鮮の現在の政治状況が如実に示してをり、中共を含めその他の第三世界においても、「開発独裁」といふ全体主義的な生産至上主義を指向してゐることと無縁ではないのである。
基幹物資の欠乏 (第6章:第1節:「自立再生論」)
第1節 自立再生諭
【基幹物資の欠乏】
以上の検討によれば、生産至上主義は、人類が地球上に生存するにおいて、自らの首を絞める思想であつて、いづれの修正主義もこの本質的矛盾を克服することはできない。ベルリンの壁の崩壊に象徴される世界の変化は、資本主義が共産主義に勝利したのではなく、生産至上主義計画経済を全体主義的に展開する歴史的実験が失敗したに過ぎない。資本主義といふ生産至上主義の将来に展望が開けたのでは決してない。あたかも、同じ親から生まれた兄弟において、弟を亡くして狼狽へる兄の姿にも似てゐる。
そこで、新たな人類と地球の安定と共生のための理念を創造するについて、先づ、国家、世界、地球を政治的、経済的に不安定化する要因が何であるのか、といふ本質について、その分析と認識から始めなければならない。
思ふに、まづ、世界の「不安定化要因」の第一に挙げられるのは、食料不足に代表される「必需物資の欠乏」である。生活必需品及びそれを生産、保存、流通させるため必要な水・食料・資源・エネルギーなど「基幹物資」が確保ができないといふ危機が最大のものである。このやうな危機は、戦争や内乱などの人為的なものや、異常気象や災害などの自然的な原因による凶作などもあるが、それは一次的な原因であつて、凶作などによる飢餓と貧困は、究極的には政治的要因と云へる。
前述したとほり、アマーティア・センによれば、「貧困とは自由の欠如である」とされ、全ての飢餓や貧困は、たとへ自然災害を契機とする場合であつても、終局的には不平等と自由の欠如といふ政治的要因に全て起因するとされた。それゆゑ、たとへば、北朝鮮における人民の飢餓と貧困は、「暴政」といふ典型的な政治的要因によるものであつて、それを解決するには政権打倒しか解決策はなく、経済援助で解決のできる問題ではないのである。
ともあれ、このやうな飢餓と貧困をもたらす政治的要因の根底には、水・食料・資源・エネルギーなどの「基幹物資」を他国に依存するといふ基本的な国策が構造的に存在してゐると思はれるのである。基幹物資の安定供給は、国家の独立を経済的側面から支へる重要な要素である。国家の独立とは、基本的には政治的独立であるが、経済的に他国に従属することは、結果的に政治的独立を失ふ。それゆゑ、基幹物資を完全に自給してゐる国家こそが、真の独立国家であり、他国にそれを依存しない点において「安定国家」と云へる。なぜならば、逆に、国家が、すべての基幹物資を他国に依存してゐる場合(自給率が零)、他国の政治状況、経済状況、食料生産状況などが変化すれば、それによつて輸入ができなくなり、国民生活や国民経済などに重大な影響を及ぼして、国家の存立が危うくなり不安定化する。ましてや、その基幹物資を輸入する相手国と紛争状態になることは、国家の滅亡を招くことになる。大東亜戦争は、さういふ意味でエネルギー戦争であつた。それゆゑ、基幹物資の依存率が高ければ高いほと(自給率が低ければ低いほど)その国家は不安定であり、逆に、その依存率が低ければ低いほど(自給率が高ければ高いほど)その国家の安定度は増すといふことになるからである。それゆゑ、基幹物資の自給率は、そのまま国家の安定度指数といふことになる。
さうすると、世界は、そのやうな安定度指数(自給率)の高い国家が多ければ多いほど世界全体の安定度指数は増すといふことになるのは当然のことである。いはば、世界に占める安定国家の「占有率」が世界全体の安定度指数といふことになる。
この占有率は、国家数、人口、領土の面積などの個々の要素も考慮して考へなくてはならないが、いづれにせよ、これからの国際関係は、全世界が協力して、各国の自給率を高め、安定国家の占有率を大きくする方向こそが世界の平和と安定をもたらすことを自覚し、その方向へ向かふことが国際社会において規範化することが必要となる。
この方向は、これまで世界が歩み続けてきた自由貿易による基幹物資の国際共存関係を構築することと対極の方向となる。マルクスに決定的な影響を与へたリカードは、この自由貿易政策を理論的に基礎付けたとされるが、それは「利益」、つまり経済的利潤の獲得において自由貿易がそれを実現するといふものであつて、それ以上の理論でもそれ以下の理論でもない。アダム・スミスと同じく、これまでの重商主義的な保護貿易政策を批判して、自由貿易政策を唱へた。つまり、自由貿易によつて、各国が輸出対象となる商品の生産費が他国のそれと比較して有利(優位)となる商品をそれぞれ集中的に生産して相互に輸出して貿易することにより、国際分業を促進させ、これによつて相互に利益をもたらすとする比較生産費説(比較優位説)を根拠として主張したものである。
しかし、この理論は誤つてゐた。それは、我が国が幕末に開国して、明治期に台頭した国内産業資本の要請によつて、この比較優位説により自由貿易を展開した結果、国際競争が激化し、リカードの云ふやうな国際分業による相互利益の確保は実現はせず、欧米は自由貿易では「利益」をもたらさないと認識し、再び保護貿易主義に戻つた。アメリカでは昭和五年の『ホーリー・スムート法』による保護貿易化であり、イギリス連邦諸国では昭和七年の『オタワ会議』による経済ブロック化である。これが世界恐慌などの引き金となり、欧米依存経済であつた我が国は、大きな経済的打撃を受け、これらの「地域主義(Regionalism)」による経済ブロック化による経済破綻を回避するために、独自の地域主義である大東亜共栄圏の建設を推進しようとして大東亜戦争に突入したことは、これまで述べてきたとほりである。
そもそも、重商主義といふのは、皇紀二十三世紀から二十四世紀(西紀十六世紀末から十八世紀)にかけて西ヨーロッパ諸国において支配的であつた経済思想とそれに基づく政策のことであり、自国の輸出産業を保護育成し、貿易差額によつて資本を蓄積して国富を増大させようとするものであつた。
これに対するものとしての重農主義といふのは、ローマ帝国の衰亡が農業生産力の低下にあるとの教訓から、皇紀二十五世紀(西紀十八世紀後半)に、フランスのケネーなどによつて主張された経済思想とそれに基づく政策のことである。富の唯一の源泉は農業であるとの立場から、農業生産を重視する。そして、重商主義を批判し、レッセフェール(自由放任)を主張したのである。この考へ方はアダム・スミスの思想に大きな影響を与へた。
また、これに類似するものとして、農本主義がある。これは、西洋の重農主義とは全く無関係に古代支那では、生活必需品である食料を生み出す農業「本」として、その生産手段としての土地を重視し、それから派生して奢侈品を製造販売する商工業を「末」とするものである。つまり、古代支那における「社稷」の言葉は、建国に際して土地の神(社)と五穀の神(稷)の二神を祭ることに由来するものであり、これを特に積極的に受け入れたのが儒家(儒教)であつた。そして、これが政治思想の中核となつて、江戸時代の我が国でも受け入れられた。これは、儒家のみならず、国学においては、『古事記』にある天照大神の「斎庭稲穂の御神勅」(資料二3)からして当然のことであつた。
ところが、地球の安定のために「斎庭稲穂の御神勅」を奉じて国家と社稷との雛形構造を維持することをせず、欧米は、リカードの口車に乗せられて国富の追求のため自由貿易主義へと歩み出した。しかし、我が国がこれによつて富国を実現すると、再び保護貿易主義へと旋回した。そして、欧米は、大東亜戦争後において、過去になした保護貿易主義から再び自由貿易主義による世界を構築し始めた。初めに重商主義的な保護貿易時代から自由貿易時代、そして、この自由貿易の誤りを認識して保護貿易時代へと戻つたが、そのことが大東亜戦争の原因となつたことから、再び戦争にならないために自由貿易時代へと再び戻つたといふことに過ぎない。この自由貿易時代へと戻つたのは、自由貿易主義がリカードの云ふやうなものであると再び信じたのではなく、国際政治において、戦争の危険を回避するための政治的な枠組みを構築するための手段としての制度にすぎず、その自由貿易といふのも、現実は、各国の事情により関税障壁や特定品目の指定などをせざるをえず、完全な自由貿易といふものはありえない。そもそも、完全な自由貿易を目指すといふならば、貿易には競争力の弱い国の産業停滞や失業の増加などの問題が発生しうることは不可避であつて、これを貿易摩擦と称して国際政治紛争の種にすること自体が矛盾してゐるのである。
ともあれ、現在は、再び世界は別の意味で危険な状態となつてゐる。我が国は、徹底した国際分業と相互依存を求められ、自給率を極度に低下させ、「戦争ができない国」になつた。このことは、GHQの目的を達成したことではあつたが、この相互依存が逆に戦勝国の足を引つ張る事態となつた。それは、世界の南北問題など世界的な階層化と窮乏化による政治不安や経済不安が世界を覆ひつくしたためである。
自由貿易は、必然的に国際的分業化を促進させることになるから、基幹物資の生産分業化を推進することになり、生産国と消費国との両極分化が進行する。消費国化する国家は、当然に自給率を低下させて不安定化する。一方、生産国は、自給のための生産物を超える余剰生産物を輸出することから、その意味では不安定要因はないが、相互依存は促進されるため、その余剰生産物を消費国に輸出することによつて外貨を獲得し、自国に不足するその他の基幹物資については消費国化する。その意味では、リカードの比較生産費説(比較優位説)は、相互依存を促進させるための理論であつたといへる。
そして、その相互依存がさらに促進すると、仮に、基幹物資を全て自国で生産しうる完全自給国家であつても、継続的に余剰の基幹物資を他国に輸出産品として貿易を営む場合は、これを貿易収支上の財源として交換的に輸入した財貨も二次的な必需品として国内経済に組み込まれることになる。
なぜならば、人は、初めから耐乏生活をし続けてゐればそれに慣れることができる。しかし、その耐乏生活を続けてきた人が一旦贅沢な生活をし始めると、その生活を快適と感じて、直ぐにその奢侈な生活に慣れてしまふ。ところが、再びその奢侈生活から急に耐乏生活を強いられると、さう簡単に直ぐに慣れるものではない。つまり、奢侈生活を続けると、それに馴致し、それが当たり前の生活になるのである。過剰消費が過剰消費でなくなる。継続的に過剰消費生活が続けば、奢侈品が必需品となる。そして、それが基幹物資化してゐくといふことである。これを家計支出の観点から云へば、食料や光熱水費などの「必需的支出」と、教養娯楽、外食などの選択的サービスと家電製品、乗用車、衣料品などの選択的商品などの「選択的支出」との区別は、生活の多様化、高級化、奢侈化の流れによつて、その区別が消失していくことでもある。生産と消費が拡大するといふことは、「奢侈の必需化」を生むことである。
このやうな状況下で、消費国、生産国のいづれかが内乱・戦争に巻き込まれた場合、貿易当事国双方の経済に影響を及ぼすのであり、これらの相互依存の経済体質が国家と世界の不安定要因となるのである。この内乱・戦争の原因は、経済的要因のみならず、宗教的要因や民族的要因も加味されるので、さらに、その不安定さは大きくなる。従つて、タンカーの仕切り構造や二重船殻体構造のやうに、世界と地球全体の危険回避のための危険分散方法として、自給率の高い国家を数多く世界に出現させなければならないのである。しかし、連合国は、ヤルタ・ポツダム体制とその経済面であるGATT(WTO)・IMF体制により自由貿易の拡大による世界主義(グローバリズム)といふワン・ワールド化して経済覇権の実現を目ざしてゐるため、各国の経済は他国と一蓮托生の状況となつた。
そして、自由貿易は必然的に貿易収支の不均衡を招来する。各国の国際貿易競争力に差異があることの帰結でもある。それがリカードの致命的な理論的欠陥であつた。貿易不均衡を是正しようとする見解は、不可避的に自由貿易を制限し又は否定する保護貿易主義や制限貿易主義ないしは管理貿易主義に依拠するはずであるが、アメリカの対日要求に見られるやうに、自由貿易の徹底が貿易不均衡を是正するとの幻想と自己矛盾の満ちた連合国の主張が世界を席捲してゐるのである。連合国のいふ自由貿易とは、「連合国の、連合国による、連合国のための自由貿易」に過ぎないのである。
また、現在の自由貿易体制は、貿易為替の自由化を基軸として始まつた。ところが、現状はどうであらうか。貿易決済は、外国為替相場市場において外国為替取引によつて行はれるが、ここで取引されてゐる取引額のうち、「実業」の貿易決済の取引額が占める割合は極僅かである。その殆どすべては、「虚業」の賭博取引である。関係者は、これを「投機」と称して正当化するが、明らかに「国際賭博」であり、外国為替相場市場といふのは、「常設の博打場」のことである。つまり、為替取引は、貿易決済といふ産業資本主義のためにあるのではなく、いまや専ら博打で利鞘を稼ぐ賭博経済とそれを支へる金融資本主義に乗つ取られてゐるのである。
為替相場の推移をメディアで日常的に報道することは、賭博経済を推奨し、世界全体を賭博社会化することになる。賭博場である為替相場の存在自体が元凶なのであつて、完全フロート(変動相場制)、ペッグ制(固定相場制)、あるいは通貨バスケット制(複数通貨を基準)など、そのいづれが妥当なのかといふ脳天気な次元の問題ではない。
そして、その博打場では、様々な金融商品が取り扱はれ、それ以外にも先物市場といふ博打場まであり、基幹物資までもが先物取引される。このやうや賭博経済に世界全体が支配されてゐることから、基幹物資の乱高下を生じさせ、世界経済に甚大な影響を与へて不安に陥れてゐる。
従つて、これらを容認して包括するGATT(WTO)・IMF体制の存在は、世界的な経済格差を助長して固定化し、世界全体を不安定化させる最大の要因であることは明らかである。
放射能汚染(第6章:第1節:「自立再生論」)
第1節 自立再生諭
【放射能汚染】
次に、世界の「不安定化要因」の第二に挙げられるのは、核兵器の使用及び原子力発電所の事故などによる「放射能の汚染」の可能性である。
核兵器は、地球と世界を破壊する能力がある殲滅兵器であり、局地的な核戦争であつても地球全体への影響は計り知れない。人体はおろか、家畜、食料、水、土壌など生態系全体に壊滅的な影響をもたらすのである。また、埋蔵燃料に代はる代替エネルギーとして開発された原子力発電(原発)は、その事故に対する危険管理における技術的・制度的な限界がある。原発の安全性の基準は、基本的には物理化学法則に基づく部品性能と安全装置の確率計算といふ工学理論的なもので設定されてゐるに過ぎず、予測を超える大地震、火山活動、飛行機の墜落事故、隕石の墜落、内乱や戦争でのミサイル着弾や爆撃などによる破壊・損傷、内戦やゲリラ活動による破壊、原発管理者の故意又は過失の行為などの自然的要因や人為的要因などは全く予測の範囲外に置かれてゐる。現に、経済産業省は、国内においても、イギリスのウィンズケール原発事故(昭和三十二年)、アメリカのスリー・マイル島原発事故(昭和五十四年)、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故(昭和六十一年)などの程度の事故が起こりうる危険性があることを認めてをり、危険を承知の上で原発を開発してゐることになる。また、我が国においても、美浜原発二号機の蒸気発生器伝熱管損傷事故(平成三年)、高速増殖炉もんじゅ二次系ナトリウム漏洩事故(平成七年)などや、原発事故ではないがJCO臨界事故(平成十一年)などが起こつてゐる。
原発事故による連鎖的被害は、チェルノブイリ原発事故の事例でも明らかであり、長期に亘つて二次被害、三次被害へと次々に被害が拡大し、原爆・水爆などの核兵器による被害と勝るとも劣らないものであるから、少なくとも全世界の核兵器や大量破壊兵器の生産と保有が根絶されない限り、全世界の原発は一基たりとも認めるべきではない。また、核の平和利用と軍事利用とはプルトニウム・リサイクルといふ、いはば車の両輪の関係であつて、研究者や支配者に対して、核の平和利用のみに限定させる有効な方法がない。地球の生存を、何時破棄されるか判らない法律や政治哲学、さらには権力と組織に無抵抗な学者や識者の脆弱な良心なるものに地球の生命を委ねるわけにはいかない。いかなる理由があつても、地球や広汎な地域の生態系への危険があるものの所持は、人類と地球の将来のために絶対に禁止するといふ原則を確立すべきである。非核三原則は、我が国だけでなく、世界の原則とすべきである。
核兵器を廃絶し、その他の武器輸出と輸入を禁止して、火器、艦船、地雷、戦車その他一切武器については各国の完全自給体制を世界的に確立し、兵器の世界的企業(死の商人)の活動を終息させなければ、世界の未来はない。武器の完全自給体制を確立することは、経済的に非効率であることから、各国は、ゆるやかに軍縮へと向かふことになる。
ところが、連合国は、ヤルタ・ポツダム体制とその軍事面であるNPT体制により、核と原子力管理の独占的地位を確立し、今なほ、核兵器の廃絶を約束しないまま軍事覇権の実現を目ざしてゐるため、世界は一層不安定な状況となつてゐる。従つて、NPT体制の存在は、地球の存続と世界平和における最大の不安定化要因である。
以上からすれば、地球と世界にとつて、基幹物資の欠乏と放射能汚染といふ二つの不安定化要因の源泉は、ヤルタ・ポツダム体制とその具体的制度である国連体制、GATT(WTO)・IMF体制及びNPT体制の存続そのものに集約されるのである。
反グローバル化運動 (第6章:第1節:「自立再生論」)
第6章 萬葉一統
第1節 自立再生諭
【反グローバル化運動】
このやうに、生産至上主義による国際自由貿易、国際分業体制が地球と世界及び各国の不安定化要因の元凶であることが明白となつたが、それでも現在は、「国際化」とか「世界化」とか「国際貢献」とかの呪文にも似た空虚で欺瞞に満ちた掛け声が、あたかもそれが国際正義の実現を保障するかのやうに唱へられ、また、「釜中之魚」の如く、世界と地球に危機が迫り来るのも知らずにそれに浮かれて踊らされた多くの人々が自滅の方向へと向かつてゐる。これは、賭博経済によつて不正に巨利をむさぼり、世界を階層化、窮乏化させて世界支配を目論む覇権主義、全体主義の謀略であり、地球と世界の壊滅へと導く悪魔の囁きである。
誰のための「国際化」、「世界化」なのか。そして、何のための「国際貢献」か。これらの掛け声が意味するところは、自由貿易、即ち、経済交流に力点があり、本音は巨利の追求にあつて、文化と技術の交流ではない。特に、相手国の基幹物資の自給率を高めるための各種の交流ではなく、交換経済の果ての国際分業による自給率の低下のための交流である。このやうな交流は、「紛争の国際化」や「国際紛争貢献」に過ぎない。決して、各独立国家の安定と世界人類の福祉のための貢献ではないのである。
これと同じ問題意識を持つた国際的な運動が反グローバル化運動である。人と物と金(産業資本、銀行資本、投機資金など)が国境を越えて行き交ふ米国主導のグローバル化(globalization)が、貧富の格差を拡大させ、環境と文化の多様性を破壊するとして、これに反対する組織連帯的な運動である。平成十三年七月のイタリアで開催された主要国首脳会議(ジェノバ・サミット)に、世界各地から集まつた数十万人の反グローバル化を唱へるデモ隊が終結し、そのうちの先鋭的な団体が警官隊と衝突して、サミット反対運動では初めての死者まで出る事態となり、その後のサミット開催においては、恒常的に異例の警備措置がとられるほどの影響を及ぼしてゐる。反グローバル化運動の矛先は、サミット以外にも、世界貿易機関(WTO)、世界復興開発銀行(IBRD)、国際通貨基金(IMF)などの国際経済機関に対しても向けられてをり、個別的、具体的な規制の要求や提案を行ふ団体も登場してゐる。
今もなほ継続してゐるこのやうな運動がもたらしたものは、持続可能な成長と貧富の格差の是正といふことを世界的な問題として提起した意義はあるものの、平成十三年九月の「九・一一」事件以降は、この運動がテロ活動の温床となるとのすり替へがなされたりして、今後の運動の推進について困難な状況も生まれてゐる。
しかし、サミットにおいて、環境保護やフェアトレード(公正貿易)などを謳ひ上げたとしても、グローバル化を是とした上で、その表裏の関係にある光と陰とに分けて、陰だけを克服できるといふサミット思想の愚かさに加へ、金融資本主義といふ博打打ちだけに光の当たる制度には未来はないことから、この反グローバリズム運動が終息することはないだらう。