2018年01月15日

【ご報告】家族が減りました。

年末年始のご挨拶もできず、連絡も滞っておりご迷惑をお掛けしております。
去る2017年末、12月29日午後1時32分、父直義が永眠いたしました。
新年早々不祝儀のご報告ですみません。
年末に急に倒れてそのまま意識が戻らず、最後に話すこともできないままの別れとなりました。
満67歳、享年68歳の人生でした。
本当にお疲れ様でした。


思うことは、たくさんあります。

実家の居間の、大画面テレビにもっとも近いところにどっかりと座り、
いつもつまらなそうに眺めていた父。
母の作る食事を、「味が薄い」とぶつくさ罵りながらしっかり平らげ、
出掛ける機会があれば必ずラーメンを食べて帰ってくる父。
年賀状作りはいつもギリギリ、それでも数百通を送付し、「これは俺の人生の財産なんだ」と言って、
元旦に届く友人知人からの年賀状の束をこまめに整理していた父。
祖父母先祖の法要は欠かさず、僕ら子供たちのスケジュールに合わせてまで日程を調整し、
疎遠になっていてもおかしくないはずの親類縁者を集めて故人を偲んだ父。
定年退職するまでパソコン操作には結局馴染めず、それでも自宅のノートパソコンに、
その日テレビで観た浅見光彦シリーズや戸津川警部シリーズの感想をExcelでまとめていた父。
これが、僕が大学進学と共に東京に出てきて以降17年間、帰省するたびに眺める父の姿でした。
子供の頃の父の話は、とりとめがなくなるので控えますが、とにかく大きかった。
背中も腹も、胸板も堪忍袋も。
糖尿病で体調を崩して以降、その身体はだいぶ小さくなってしまっていたんだと、今、思い起こしています。

振り返ってみれば、僕は父をただの「父親」としてしか認識していませんでした。
でも、父には父の、「古川直義」個人の人生があった、そんな当たり前のことを考えさせられました。
当然、子供時代があり、学生時代があり、社会人になりたての頃、結婚したての頃、
僕ら兄弟が生まれた頃、僕らがそれぞれ実家から巣立っていった頃、定年後の夫婦だけでの生活。
それぞれの時代に、古川直義という一人の人間がいて、その周りに色んな人がいた。
それぞれが、古川直義という人間とそれぞれの関係を構築していた。
喪主として、たくさんの弔問客の方々から父の話を伺って、そのたびに、父の人生を想いました。
頭では分かっているつもりでしたが、こうして喪って初めて、父を、僕たちと同じ人間として見ることが出来た、そんな風に思います。
ただの父親じゃなかったんです。
一人の人間だったんです。
古川貴義の父、ではなくて、
古川直義という個人、として、生きていたんです。


最も無念なのは、初孫を抱っこさせてあげられなかったことです。
11月に生まれたばかりで、しかも冬だし雪国だし寒いので、首がすわる春先にでも連れて帰ろう、
なんて悠長なことを言っていたら、それを待たずにととととーん、でした。
無理にでも早めに連れて帰っていたら、と思うと、悔やんでも悔やみきれません。

想像通り、待望の初孫だったようで、生まれる前は、周囲の友人知人に「孫の顔が見たい」と散々ぼやいていたそうです。
演歌『孫(大泉逸郎)』も、「大好きだけど歌わない!」と意固地になっていたと聞きました。
ようやく生まれた直後、病院に顔を見に来てくれましたが、ガラス越しに眺めたきり、それきりとなってしまいました。
それはそれは嬉しげな顔で、カメラ目線ちょうだい!と言っても孫から目を離さず、まともな写真が撮れませんでした。

病院で、意識なく寝かされているその手に、孫を抱かせました。
抱きかかえてはくれませんでした。
悔しくて涙が出ました。
せっかく、せっかくまともな親孝行ができると思ってたのに。

親孝行したい時には親はなしという諺は、本当なんですね。
喪って初めて気付く親のありがたみ。
親になって知る親の偉大さ。
一時に押し寄せてきて、ちょっと消化しきれていません。


今際の際、腎機能不全でむくみきっていた父の足をとにかく揉んで、体内の水分と血液を循環させようと必死にさすりました。
揉んでも揉んでも改善しないモニターの数値に辟易しながら、それでも揉むことをやめられませんでした。
これほど父の身体を触ったことは、人生で初めてでした。
生きているときに、どうしてもっと触らなかったんだろう。握手ひとつでも良かったじゃないか。
ここまで育ててくれてありがとう、産んでくれてありがとう、見守ってくれてありがとう、と、どうして伝えなかったんだ。
家に帰ればだらだらと過ごしているオッサン、くらいに思っていたんじゃないのか。
「人はいつか死ぬ、必ず死ぬ」と口では言っていて、それがよもや自分の家族に訪れるなんて考えもしなかったんじゃないのか。

結局、直接感謝を伝えることができないまま、今生の別れとなってしまいました。
ICUのベッドで心停止を告げられてようやく、亡くなって初めて、ようやく、
「今までありがとう」と伝えた僕は、とんだ親不孝者です。


お父さん、ありがとうございました。

hakoniwa_enbukyoku at 12:00│Comments(1) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote  | 

この記事へのコメント

1. Posted by 若狭勝也   2018年01月15日 13:37
この度はご愁傷様です。
僕は家族でたくさん話し合い、父に癌である事を告げませんでした。僕も直接父にありがとうと言えませんでした。
居なくなる事が前提でもっと父といろんな事を話したかった。
今でも正しかったのかどうか分かりません。
息を引き取る直前の意識のない父に「ありがとう。」と言ったら全く動かない目を閉じた父の目から涙が出ました。
お父様は足を揉んでいたのが古川さんの手だと絶対分かっています。ありがとうと思っている事は絶対伝わっています。
お父様のご冥福をお祈りします。

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔