2025年03月10日

同級会、30年前の接し方、いなかった人

遡ること2ヵ月前、磐梯町立磐梯中学校の同級会に参加してきた。
40歳を過ぎた頃から、地元に残った連中からちょこちょこ声掛けがあり、
なかなかタイミングが合わなかったものの、昨年、町の観光大使を拝命しているうえ、今回の年末年始は気が狂ったような連休だったこともあいまって、重い腰を上げたのだった。

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集合写真

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どの加工をしてもゴシップ記事みたいになってしまうが、このご時世仕方ない。今思えば、この写真を撮ったその場で、SNS等への掲載の可否を口頭で確認しておけば良かった。ちなみに観光大使のタスキは、撮影の時だけ、磐梯町とのご縁の深い先生に託した。

ほとんどが成人式以来の再会。
太っている奴、髪の毛がなくなっている奴、ほとんど変わっていない奴。
結婚した人、離婚した人、再婚しそうな人、独身の人。
子だくさんの悪友、もうすぐ孫が生まれる仲間、配偶者と死別した幼馴染、30歳上の旦那と暮らしている転校生。
色んな人生があるものだなあ。
今回は恩師も2名ご参加くださり。一方は、僕に数学の面白さと物事を客観的に見る目を植え付けてくださった小林先生。もう一方は、中学時代はほとんど接点はなかったものの、その後磐梯町との接点が増えてなぜか我が母ともしばしばやり取りされていたという岡崎先生。我々を送り出してくれた後の彼らの人生も、それはそれは紆余曲折で。
色んな人生があるものだなあ。

同級生たちとは、中学時代に3年間一緒だったとはいえ、地元に残って今も交流が続いている人たちと、久々の再会でまずは近況の共有が必要な人たちとがいて、その狭間に、抗えないコミュニケーションギャップが、さすがにあった。それでも、何年も同窓に通い、感受性豊かな時期を共に過ごした面々だけあって、すぐにそこここで騒がしくなる。騒がしくなったとはいえ、当時の関係性にスッと戻るかというとそんなことはなく、むしろ、当時どんな風に接していたかほとんど思い出せなくて。まあ当時は「この人とどんな風に接しようか」なんて考えずにコミュニケーションをとっていたわけだから記憶に残っていないのも当然で、たとえば自転車には乗れるけど「乗り方を説明しろ」と言われても難しいのと同様で。
それでも、一人一人にマイクを回して順々に近況報告をする時間に、ゲストである先生が喋っている最中、先生そっちのけで違う話題でギャーギャー盛り上がる男友達に、あの日の教室を思い出す。そうそうこんなだった。荒れていたとは思わないけれど、真面目だったとも思えない、気の置けないクラスメイトたち。
こちらがどう接しようかなんて気にするまでもなく、呼び捨てで「おめー大概テキトーだもんな(笑)」と突っ込んでくる奴や、「タバコ吸ってきていいか?」と確認しておきながら返事を待たずに席を立つ奴など、まあ、おおらかだった。

2時間足らずの一次会はあっという間で、誰かとしっかり話す間もなく終わってしまった。帰り足の都合で二次会には参加できなかったが、お店を時間無制限で確保していたそうで、二次会でこそ、思い出話に花が咲く状態が巻き起こっていただろう。深夜にLINEグループに流れてくる泥酔した中年男女の楽し気な写真に、何とも言えない感慨を覚える。

そしてどうしても、そこに、いなかった人たちのことを思い出す。
彼らは今頃、どうしているだろうか。
短距離走ナンバーワンでゲーマーで引きこもりがちだったあいつ。
根拠もないのに臭い汚いと言われがちだったあいつ。
緊張すると赤面してまったく喋れなくなるあいつ。
16歳で首を吊ったあいつ。
19歳で首を吊ったあいつ。

ずっと会っていないけれど、どこかで元気でやってくれていることを祈る。
命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。

hakoniwa_enbukyoku at 21:00│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック  | 

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