2010年09月01日

 夏には昔から今は亡きご先祖様を弔う先祖祭りやそれにまつわる様々な先祖祭りもあり地域独特の”お盆”の行事が行われている。国民的はイベントであり民族移動の季節でもある。

 さて、前置きはそれだけにして、そのご先祖様が俄かに”この世”にまだ存在しておられたという。もちろん戸籍台帳ではあるが、何しろ幕末に至っては笑えない文化・文政の徳川斉彬時代にもさかのぼる時代からぐっと下がっても安政から慶応にいたる時代にお生まれなさった方も帳面上に残っているのです。驚くなかれ1859年(安政6年)生まれで御年151歳という。地元の新聞に掲載されていてもうびっくり!
H.22.8.30 夕刊

 殆どの日本人は戸籍法が明治時代に整備されていて国際的にも誇れる法整備の一つと自負していた。そして平均寿命も世界1と自慢していたではないですか。それが砂上の城だったのです。崩れてしまい国外での”笑いもの”になっているという。これでは笑われてもしかたないだろう。
 では何辺にこの悲惨な現実離れした超高齢者が台帳に長い間身近な役場という行政に残ったままだったであろうか。
また、小生も資料等を読んで次回に述べてみたい。しばらく猶予を願いたい。ブログを開いた諸氏、ご期待くだされ!



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2010年07月03日

 高知城のあるべき姿を市民たちと共に活動して保存と整備を要望してきたわれわれ仲間に新たな活動が生まれようとしている。既に数冊の冊子も出版して城郭の復元を要望してきて、北曲輪も県が予算をつけて買い取った。

 しかし、その後の整備を進めないと”宝の持ち腐れ”になる。いつまでも駐車場では情けない。あるべき姿を市民と共に将来展望を論ずることが急がれると信じる。西曲輪も今は裁判所が竣工して久しく、新たに検察庁の仮庁舎となっているが、ここも市民が公有地として働きかけてやっと県の執行部が買い取り文化財と成ろうとしている。 どちらも公有地化として整備して県民・市民の憩いの場所としてもらいたい。

 そこでこの運動を風化させてはいけないと平成22年3月6日に松江市で開催された「お城サミット」の報告があり、その後4月30日には高知城を国宝にする運動を起すことに集中した論議が上記の考える会を中心にしてもたれた。

 現在、日本国内では姫路城、彦根城、松本城および犬山城の4つの国宝があり、高知城ほか8つの重要文化財に指定されている城があるようだ。そこで、前回松江市で開催されたサミットでは国宝に指定するよう要望する連絡会が開かれたようである。何とかして一ランクアップの「国宝 高知城」とあり名を高めたいと話し合ったが、なかなか困難な環境がいろいろあるようだ。ご存知のように追手門の突き当たりの石柱には「国宝 高知城」と刻印されてどっかと鎮座しているではないかと誰もが思うが、あれは昭和9年の指定であり75年以上経った現在では文化財の法律が改正されているので仕方がないのである。

 さて、その後の高知城を考える会(略称)の推移と活動の経過は次回に譲りたい。ご期待されたい。
いよいよ「高知城跡の保存と整備を考える会」の継続と拡大となり活動が再開するに至った。初代会長梅原憲作氏も地下でよろこんでおられることだろう。以下、県の担当部署にわれわれの計画および思いを提出することになった。

 高知県教育委員会 教育長 殿          平成22年
   文化財課長  気付
                        高知城の保存と整備を考える会
                               会長  和田  章
                         事務局  平和資料館・草の家
                              事務局長 岡村 正弘

     高知城の未来を見つめた保存と整備について

(あいさつ書面)に続いて、
 さて、私達は本年3月、重文天守閣保有の8市長の「お城サミット共同宣言」に基づき「高知城を国宝にする準備会」を結成致しましたが、種々の理由により「高知城跡の保存と整備を考える会」に名称を変更しました。理由の一つに、現在県都中心部の活性化を図るため「東西軸エリア活性化プラン」の波が高知城にも押し寄せております。
 そのため、国宝化もさることながらこの際高知城の現状を見つめるより一層良い状態にして、後世に伝えることが責務であり長期的観点にたって、埋蔵されている貴重な文化遺産を少しでも復元・再現し活用することが重要だと考え、当会の検討項目を下記のとおりと致しました。
 つきましては、当局の22年度以降における検討項目につきまして貴殿の忌憚の無いご意見を賜りたくお願い申し上げる次第です。
 なお、細部日時等につきましては調整させていただきたく存じます。

                        記

1、高知城北曲輪遺跡の活用について

  現在は、県庁補修員H.24.10まで駐車場として使用中ですが、作業が終了次第遺跡の保存・活用について今から検討する必要があると判断します。その際配慮することは、
☆植樹・・・花木・大樹とならない樹木
☆花壇・・・草花・園芸用花
☆小規模日本庭園・・・枯山水
☆芝生   などが考えられる。

2、旧 藤並神社(山内一豊銅像) 入り口の整備について

  入り口東側の藤並茶屋(俗名)・自動販売機・空き缶入れ及び西側の分学館・図書館・歴史の道案内板などの撤去をすること

3、観光バス等の駐車場位置変更について

  城北側にあるバス等の駐車場を追手筋方面に変更し、乗客(観光客)の城への案内は追手(大手)門より行うのが適切です。または、駐車場は現状のままで追手筋側で下車させ車両は現在の場所に駐車さすなどに変更することが適切である。

4、内堀(水掘)の復元について

  内堀は戦後埋められたが、これを復元して本当の城を市民や観光客に見てもらうことで嘗ての高知城の真の姿のありのままを披露できるものになることだと認識します。(詳細は省略)     以上

               



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2010年06月02日

 「地域の学校は地域と共に育てよう!」との掛け声で自分も地元小学校で今日から4,5,6年生の計46名と放課後それぞれ分かれてこどもたちと関わることになった。前週、開校式があり久しぶりにこどもたちを前にこれからの勉強や遊びで交流を深めていこうとあいさつしたことであった。

 少し詳しく説明すると、多くのご家庭の中ではこどもが放課後帰宅しても留守がちなご家庭に対して教育的な見地から行政が地域の”おとな”たちが何か役立つことはないかと計画を立てた事業が”放課後学習室”であり、関わるおとなが学習アドバイザーというわけである。

 今日の実質的な学習開始でお互いに緊張感もあり、こどもの待つ学習室に出向いたアドバイザーたちもちょっぴり緊張したことであった。
さて、名前を確認して今日のメニューは1時間目は「宿題とドリル学習」をしようと指示をして始めたのです。各学年には元教員と高知大学の学生のコンビで彼らと学習に向かったのです。初めは質問があったら腰を上げて問題の回答のお手伝いをしようと思っていたが、どうしてどうして、こちらから積極的に机に横にどっかと座って昔の先生の気持ちを彷彿する頑張りでこどもとぴったりで問題に向かい解答をして、自分ながらよく頑張ったとうれしい反省をしたことであった。久しぶりに新鮮で若々しい血潮が騒いだと感じたことであった。

 5年生15名を自分と大学生とで”国語のドリル”や”算数の計算”に向かったことでした。文字指導(書写指導かな)なども黒板に模範的な筆順などを示したことであった。”おお、自分も我ながらやるわえ”と鼻高々となったことだった。
 2時間目はお天気にも恵まれて全学年が運動場に出て”ドッジボール”や”なわとび”などをして身体を使って汗をかいたことであった。
喜んで飛び跳ねているこどもの姿はまぶしく感じたのである。

 僅か2時間のかかわりであったが、年を取った自分も久しぶりに元気をもらったことであった。すっかり仲良しになって”一輪車乗り”をしたいと申し出るこどももあり今後が楽しみである。  植田 幸作
        

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2010年05月02日

去る4月11日(日)高知県須崎市の某所に77名の多くの同窓生が集合して、とても有意義な同窓会が行われた。

前回でも平成8年11月に開催したのだから実に13年半前に60名ぐらいが集っている。当時はまだ先生たちも6名の方が元気に参加していた写真が手元に見えるのだが、今回は先生たちも亡くなられた方が多く、ただ一人だけ京都から来られただけである。時の移りの速さが分かりその方も80歳を越しているとのことである。

さて、われわれ同窓生も戦後の教育改革制度発足して5年目の卒業です。当時は”新制中学”といい、それが旧制と分けて使っていてのが通説であった。年齢は去る3月で全員73歳となっている。同窓生280名ほどの中で死亡された方も判明した中でも67名を数えという残念な数字がある。当時を回想することが出来る方も数名あり、「あの友達が亡くなったのか、残念だな」と自然と弔いの気持ちが出てくる。

でも参加した77名は比較的元気で中でも女性たちはメークしているとは言えずっと若く見えてうれしい姿や容姿を披露していただきうれしい限りである。
当時は小生たち10名ほどが世話人を買って出て約半年、20数名の消息不明を除いて案内を発送したのが2月に下旬であった。

そして4月11日の当日は申し込んでいた中でも体調不良で欠席する方が数名出てくると思ったいたが、逆に当日1名の”飛び入り”があり急遽座席を構えたしだいであった。うれしい悲鳴の連続であった。当日の楽しい話題等は次回に譲って一先ず閉めるとしよう。


須崎1須崎3須崎2



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2010年04月01日

 前回、当ブログサイトに須崎中学校の同窓会の開催を出していたが、今回4月1日現在78名の参加の申し出があり、幹事としても驚くやら嬉しいやらで気持ちが弾んでいます。

 何しろ58年前の卒業以来お目にかかってない同窓生もいるわけです。申し出ている方が元気に再会できる日を楽しみにしています。遠くは東京都から来られるようで、旅の無事を祈っています。

 当時の恩師も僅か1名の参加であり、お互いにそれなりに年を取ってきたと思わざるを得ません。体調不良などで出席できない方も約70名の方が欠席のメッセージを送ってきています。とっても残念です。
その方たちも次回は出席するから計画を立ててほしいとの知らせもあります。胸が熱くなります。

 では、4月11日(日)の同窓会を楽しみにしたいものです。楽しい集いは次回のブログに載せたいと思います。高知県須崎市での開催に向けて最後の世話人会を5日(月)にもって支障の無いようにチェックをしたいと思います。  代表幹事  植田幸作

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2010年03月02日

 それは終戦の翌年、昭和21年12月21日の早朝のことであった。突然”グラ、グラ〜#$!?”大きく床が浮き上がってき、縦にも”ドスン!”激しいゆさぶりが後に続いたと感じた数十秒間であった。
 ”あッ、地震だ!”と親が叫んでいた。上を見ると漆喰の白壁が”パリ、パリ”と大きく皹が入ってきたのを覚えている。”逃げろ!”と再び叫ぶ声。
 ちょうど窓が開けれたので”はだし”で庭に出た。夏みかんの木が数本植わっていたのでそれにしがみついた。数分後、さあここから出るということになり堀川沿いの道に出た。すると、まだ真っ暗い時間帯であって、足元も不安であった。しかしいつの間にか”下駄”を履いていた。親たちの後を追って逃げたところが、小学校の裏の「天神様」の境内であった。
 
 かなり多くの住民が避難していた。小学校の4年生であった小生は人の話を聞いて何が起こって、どうなっているか判断をしていた。すると、後から来た数人が”つなみがきたぞ”、”駅前や浜町のものは北に逃げたがみんな助かるろうか。”と心配そうに声を出していた。

 すると、”つなみ〜だ!”、”大分飲み込まれたにかわらんぞ。材木が湾いっぱいに流れ出したようじゃ”と叫んでいた。
 そして、後で分かったことだが北に逃げた者は湾が狭くなっているので波が急に高くなって大きな力が襲ってきて海に引き込まれたのである。須崎市内で限られた住民が数十名の犠牲者がでたのである。

 天神様の境内に逃げた小生たち4名の家族と親類のおばさんと5名がしばらくそこで待機せざるを得ない事態になった。何も飲むものや食べるものもなく佇んでいるとやがて夜も明けてきた。緊張と怖さや寒さで声もしばらくでなかった避難者たちがやっと少しずつ口を開くようになってきた。
 「いや、怖かったねえ。戦争が終わったと思ったら今度は大地震に見舞われるとは、、、。」と悔やんでも悔やみきれない泣きたい表情を浮かべていた。
 また再び、”海は材木でいっぱいで逃げよったのんはかなり波に飲み込まれたと”だれかれと無く話していた。すぐ下の堀川に大きな波が襲ってきたとの話もあった。この世の地獄だと怖かった状況を話していたのを覚えている。 前編の終わり

 



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2010年02月01日

同窓生諸君、集まれ!
 
 昭和26年度高知県須崎市(町)立須崎中学校の同窓会を計画して、昨年来「世話人会」を立ち上げた次第である。何せ14年前平成8年11月以来である。われわれ同窓生がミニ同窓会はよく開いて旧交を温めているが200名余りの同輩が一堂に会することは14年ぶりである。
当時の恩師も数名参加されるとの情報が入っている。
 
 すっかりそれなりの年齢になり”いいおじいやおばあ”になっていることであろう。しかし、世話人の10名ほどは数回会合をするがぐっと若い恰好であり驚いている。察するに今回の同窓会に出席する同輩は元気いっぱいで心わくわくで駆け参じてくれることだろう。またそのように念じているこの頃である。
 
 どうか、かつての青春時代を思い出し大いに語ろうではないか。諸君、どうかそれまで健康に配慮して近くのご当地は言うに及ばず、遠方の同輩も年金を工面して以下の案内状を見てほしい。


<案内状>
1、日時:平成22年4月11日(日) PM,3:00〜6:00
2、会場:須崎プリンスホテル  須崎市西崎町(大間) 電話:0889−42−7700
  ☆アクセス:JR土讃線および黒潮線の利用者は自分で検索してほしい。
3、会費:ここには記載しない
4、連絡先:代表幹事  植田幸作 電話:088−843−0314
               E-メール:k_ueta70@yahoo.co.jp
      
   その他世話人   大石泰亮 電話:0889−42−8666
              
              高橋(旧姓 堅田) 敦子   電話:0889−42−3882

              遠藤(旧姓 浪越) 多賀子 電話:0889−42−3122続きを読む

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2010年01月01日

新年明けましておめでとうございます。
 
 今年は高知がNHK大河ドラマ「龍馬伝」で勢いづいている。TVや新聞のマスコミが地元では毎日取り上げて龍馬、龍馬で沸いている。そのことが地元新聞の「声ひろば」に市民から「これを契機にうんとやれ」式なエールを送る内容の記事があれば、また反対に「なんぼいうたちやりすぎやないか」と自重を促す声もあり紙上は賑わっている。
 
 坂本龍馬といえば高知県民ならずとも日本国中知らないものはいないであろう。140年あまり前幕末の日本を”せんたく”した人物である。飛び切り上等の人気者である。その龍馬を大河ドラマで1年間放映するのだから高知県の宣伝になるのは目に見えて解る。
さて、その御仁の登場に県や市は経済効果を見込んで知事や市長を初めあの手、この手とアイディアを凝らしている。その一つに「お城からはりまやばし」までを人が行き来する賑わうエリアにしようと考えておられる。
 高知県人ならそこがどのような地の利を得ているかみんなが知っている。「そうだ、そうだ!」と諸手を挙げて賛成しているであろう。しかし県都高知市がここ20年来人の往来や消費経済はその中心地から随分離れた大型店舗に移っていて今は寂しい限りである。「あの通りもこちらの通りも寂れたのう」の語らいが胸を痛める。この経済事情は国中至る所同じあろう。

 そこで目についた元日の新聞記事に「高知城・東に新歴史館」構想ががトップに出ているのである。そしてすぐ近くに国の建物も買い取ることを視野に入れて戦国時代から江戸時代、すなわち山内家を見通した歴史館を建てて「観光立県」を目指そうとの構想と受け取った次第である。

 小生たちはこのブログサイトにお城を考える会(略称)の名前で訴えてきた経緯から十分頷けれる構想だと受け止めた一人である。しかしと疑問が出てくる。それは建物を増やすだけでは後世に残るだけの器にはなりきれないであろうと想像する。
 紙面が制約されるから完全な願いは書けないが、一つは文化財専門家が高知県(市)は他の県や市と比較しても数分の一しかいなく、日頃から不安があり専門家の間で悲しんでいるのである。もう一つは、お城の復元を優先的にしてはどうかと思うのである。
 
 小生が書いたブログに出ているが、お堀を元のように復元して本間物の高知城を見せてやることが先だろう。駐車場に占領された今、戦前のお城が泣いているではないだろうか。皆さん方、どう思いますか。一先ずここで筆をおきます。どうかコメントをいただきたく存じます。
加筆すると、県の文化財行政の文化庁へ取り組んでもらった甲斐あって西と北曲輪を血税を払って買い取ることができたのだからできるだけ早くgrand designを描いてもらいたい。そして県民に将来展望に明るさを投影してもらいたいと強く望むしだいである。 県民は期待してやまないのである。
                        高知城の保存と整備を考える会  植田 幸作

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2009年11月04日

 高知城郭でこれまで訴えてきた公有地化とそれに伴う国史跡化がこの度高知県の文化行政の努力でやっと成功裏に終わりを期することができました。そして、09年11月3日(火・祝)に旧JR土佐荘の跡地の北曲輪(きたくるわ)で70名もの市民が集まって祝賀会を開催することができました。  

 今日これまでに至るまで大きな存在であった梅原憲作氏が去る6月の病死されるというの中であっただけに余計真剣に受け止め悲しさを超越しての開催でした。過去2回、いいえ小会合を含めると3〜4回のシンポジウムを開催して高知城周辺にはマンションを建てささない運動を起こしてきました。専門的な見地から多くの学者や地元の大学教授もシンポに来ていただき行政にお城の歴史的菜価値と国史跡を訴える請願書等も提言していただきました。その結果この祝賀会には多くの仲間も含めて公有地化して国史跡となった喜びを祝うことになりました。県の行政の努力にも感謝したいものです。  

 3年前の西曲輪の建設業社から買い取りを求めた運動から、今日の北曲輪の買取までの運動はたくさんの市民の賛同の結果です。人間の鎖ならず絆として当該の土地を手を繋いでともにやっていこうというコラボレーショイン精神を発揮したのが今日の成功に至ったとも思います。当時を思い出して感慨そのものでした。  岡村館長さんの開会の挨拶でも「やってみるもんじゃのう」と今は亡き大川町の公文会長さんの呟きを披露したり、故梅原氏が「高知城の西側の土地歴史公園化は夢か」と高知新聞の「声ひろば」に投稿した記事を再びみんなに披露して今は亡きお二人を偲んだことでした。特に「城郭と景観を守る会」(略称)の千葉悦子さんや「大高坂松王丸祭会長」(略称)会長和田章さんからも強くて熱い訴えがありました。何度も建設業社 穴吹工務店との交渉から「会社は07年9月1日に何が何でも建設着工」との表明に怒りをもって”おばさんがたちあがるぜ、ええかね!”とのガイな表現で叫んだことも話題にしたり、いろいろのエピソードが話題になりました。  
 熱い気持ちは既報の冊子をそれぞれ計2冊出版したことでした。1つは、”保存と整備を考える会”出版の「高知城は県民の宝」であり、”景観を守る会”出版では「日本の宝 高知城」です。もし購入されるなら高知市升形の「草の家」でお買い求めください。

  経過報告の中で、千葉さんは島根県松江市で過日全国で重文の城をもつ8市が「お城サミット」(略称)が開催されたとき高知市から岡崎市長代参で安藤副市長さんが参加してシンポジウムで高知城を国宝にするようにアッピールしたと報告がありました。それが地元の新聞記事に出ていました。しかしよく考えると請願書を提出したが、高知市議会は不採択になったのです。今になって高知市が表に出るとは少し厚かましいではないだろうか。そのように彼女も訴えていたので付け加えて記載する次第です。 

 最後のコメントだが、このイベントに高知大学人文学部 人間文化学科の学生 辰見知香さんが熱心にわれわれにインタビューして取材活動をしていたのが印象的でした。何でも史学を勉強して学芸員になって各地の歴史から史跡を究めたいとの話でありました。彼女の将来に期待したいものです。
また、この祝賀会の会場のあらましは参加していただいた”春名なおあき”さんのホームページに早速画像入りで出ています。ご覧になってください。(お名前を検索してCIMG6907ください) CIMG6911  CIMG6914

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2009年09月29日

高知県民および市民のみなさん  今度高知城郭の北曲輪(くるわ)を民間の建設企業から高知県が買い取ったのです。言わずとも知れた高知城の一郭を占めている大事なところです。そこが、戦後あたりから旧国鉄の所有地となり、また売りに出ると県は財政的に買取ができないというわけで民間の穴吹工務店の建設会社が買い取り所有者となったのです。そしてそこにマンションを建設して分譲しようとする動きがあり、反対する市民が遂に反対運動起こしたのです。  その代表は今は亡き梅原憲作氏であり、多くの賛同する市民や県内外の城郭専門家等も集まってシンポジウムを開催してこの地を歴史的に貴重なところと周知さして高知の宝であり、今反対の運動を示さなければ将来笑われ者になるとまでも言われて事あるごとに輪を広めていったのです。  さて、学者の方も日本城郭学界の第一人者である近藤英夫先生等をお迎えしたのです。北曲輪の歴史的に貴重なところであり将来高知城をどのようにするか、県民がグランドデザインを描くときであると提言していただき、また地元の高知大学史学 市村高男教授も数回にわたるシンポや出版物に原稿を寄稿していただきました。その中で高知城だけでなく、朝倉城と浦戸城全体で捉える中で意味があるのだと提言していただいたのです。  さて今度県が買い取り公的な土地として今後文化庁と協力してどのようなデザインを描くか楽しみであります。幕末には武器庫が建っていて武士が管理をしていたことでしょう。このことは2004年3月に高知県教育委員会が出版した絵図に描かれています。われわれ「高知城の保存と整備を考える会」の冊子にも出ています。このブログにも冊子を載せていますので是非お買い求めてください。  この事実を喜び高知の将来に明るい観光ポイントとなるように一層整備を働きかけたくおもい、次のような日時で祝賀会を開催したく思います。どうかご参集いただきともに祝いましょう。

   イベント:高知城北曲輪・国史跡追加指定の祝賀会のご案内                                                          高知城と景観を守る会       
                  地元町内会会長およびこれまで関わってきた関係機関   
                                                           代表  和田 章      
                        事務局長 (高知城北・土佐荘跡を穴吹工務店
                                     より買い戻す有志の会    千葉悦子              
                 電話:088−873−4929 (小津町10−41−114)                                       記 (要綱の詳しいことは記載なしです)         

とき:2009年11月3日(火・祝日)午前11時〜午後1時(雨天:近くで祝う)         
ところ:高知城北・旧土佐荘の跡地 丸の内2丁目         
会費:3,000円(祝賀会参加者・現地でお弁当およびのみもの)            
但し、”もちひろい”に参加する方は経費無用です         
締め切り:10月20日      
以上  お断り:案内の詳細を記載できなく申し訳ありません。

 成功裏にこのイベントが終了しました。参加して祝福していただいたみなさん、ありがとうございました。
 
高知城郭の保存と景観を守る会    
 実行委員長 千葉悦子 (代弁)植田幸作

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