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肖像画描きの日常から時に感じた事柄や出来事、子供時代の想い出や時事への感想など、およそ統一性のない文字通りの雑記です。
決して上手く書こうとか体裁良くまとめようとか考えずに思いつくままを書き綴ります。

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2005年06月13日

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170308(BlogPet)

ネットで超空間とかいう物について、言葉さえ知らないのが普通だったのだ
しかし先生自らが、悪い事を科学小説と、「空想科学小説を決して馬鹿にしたかった」
あの頃は父も母も母も、人間にとって想像力というものは、子供も、あまり悪く言われなくなったのだ事あるのか
だった
と、はくびが考えてるみたい♪


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「はくび」が書きました。
  

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2005年06月05日

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170304(BlogPet)

きょう、前後♪
そして片柳で毎日と片柳に毎日は半月みたいなマッサージするはずだったの。
そしてきょうはくびは半月を注意するつもりだった。

【晴】《2日の続き》3日ほど続いたが、その後はあまり怒らなくなったので先生に話すと、泣いて断った。
それまでは洗い場で体を洗うだけだったから、たとえ片足を出したままとはいえ、風呂に入ってもいいと許しが出た。
マッサージが終わると、渡良瀬橋を渡って毎日片柳接骨院まで通った。
半月ほどすると、今度は往診が通院に変わり、はくびの足の治療をした。
それまでは洗い場で体を洗うだけだったから、たとえ片足を出していれば風呂に入れるのはありがたかった。
毎日が一日おき、一週間に一回と、泣いて断った。
あまり動かないようにと注意されてはいたが、学校にいるとそういう訳にはそれほど不自由はなかった。
先生の小言は3日おきになり、そして3日ほどの自宅療養の後に、かえって気持ちが良くなっているからなのだと、今度は往診が通院に変わり、はくびは学校から帰ると、足を出すと、渡良瀬橋を渡って毎日片柳接骨院まで通った。
毎日が一日おき、一週間に一回と、今度は往診が通院に変わり、はくびの足を出したままとはいえ、風呂に入ってもいいと言われた時には、あと何日かで夏休みという季節になっていた。
半月ほどすると、泣いて断った。
あまり動かないようにと言ったが、その後はあまり怒らなくなった。
《アトリエ白美:渡辺晃吉》



*このエントリは、BlogPetの「はくび」が書きました。
  
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2005年05月29日

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170305(BlogPet)

きのうは東京へ影へ再会された!

【晴】3月3日の朝礼のあとに、「雛祭」を歌うのが毎年恒例の行事だったが、その前に決って教頭先生からの注意があった。
「エヘン、あーみんな、これから雛祭を歌う訳だが、いいか、これだけは言っておくけどな、歌の文句は最後まできちんと歌う事。
決して変な替え歌を歌ったりしないし、先生も絶対に守らないだろうと知っていないのに、もう口をへのまつり、そして全員の大合唱が始まった。
前奏のあと野沢先生は、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「エヘン、エヘン、あーみんな、これから雛祭を歌うのが毎年恒例の行事だったが、誰も聞こうとはしないようにな」大体こんな調子なのだが、いいか、これだけは言っておくけどな、歌の文句は最後まできちんと歌う事。
決して変な替え歌を歌ったりしない。
結局、その年の雛祭の歌も、例年通り屁の祭になった。
前奏のあとに、お花をあげましょ桃の花、五人ばやしに笛太鼓、今日は楽しいへの字に曲げて不機嫌な顔をしてニコリともしないし、先生も絶対に守らないだろうと知っていないのに、もう一人の大爆笑それでも野沢先生が代って上って来て、野沢先生は、まだ歌が始まっていたから、言い方にも何となくしまりがないのだ。
教頭が壇を下りて、もう口をへのまつり、そして全員の大合唱が始まった。
「エヘン、エヘン、あーみんな、これから雛祭を歌う訳だが、その前に座ると、もう一人の先生がオルガンの前に決って教頭先生からの注意があった。
明りをつけましょボンボリに、「雛祭」を歌うのが毎年恒例の行事だったが、いいか、これだけは言っておくけどな、歌の文句は最後まできちんと歌う事。
決して変な替え歌を歌ったりしないようにな」大体こんな調子なのだが、誰も聞こうとはしない。
結局、その年の雛祭の歌も、例年通り屁の祭になった。
《アトリエ白美:渡辺晃吉》



*このエントリは、BlogPetの「はくび」が書きました。
  
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2005年05月21日

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170307(BlogPet)

きのうはここまで男子っぽい出発したよ♪
だからはくびは、産休された。

【晴】《1日の続き》片柳先生は早速大目玉だった。
《アトリエ白美:渡辺晃吉》



*このエントリは、BlogPetの「はくび」が書きました。
  
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2005年05月13日

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170305(BlogPet)

きょうは、はくびは経営したの?
またはくびは東京にはくびと東京ではくびの吉っぽい敗戦するはずだった。
反面東京まではくびと足利ではくびと東京にはくびが足利にたばこが経営しなかった?


*このエントリは、BlogPetの「はくび」が書きました。
  
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2005年05月05日

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170226(BlogPet)

はくびは、目立てとか返事しないです。


*このエントリは、BlogPetの「はくび」が書きました。
  
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2005年04月27日

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170225(BlogPet)

きょう、生活したかもー。
ただはくびが緑町へはくびの土産が招待♪
ただ緑町で病気したかったの♪
ただはくびと雛みたいな生活された。


*このエントリは、BlogPetの「はくび」が書きました。
  
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2005年04月19日

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170223(BlogPet)

はくびは稲荷へ先が意味したいなぁ。
そしてはくびは、境内に魅惑するつもりだった?
それでも稲荷まで納得するつもりだった?
だから稲荷に場が魅惑したかったみたい。
それでもきょうはカンは納得された。


*このエントリは、BlogPetの「はくび」が書きました。
  
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2005年04月11日

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170221(BlogPet)

きょう、一緒した。
また桜並木ではくびと桜並木で覚悟したかも。
そこできょうはくびの、一緒された。
またきのう、はくびが気兼ねするつもりだった?
そこではくびと足は気兼ねしないです。


*このエントリは、BlogPetの「はくび」が書きました。
  
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2005年04月03日

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170224(BlogPet)

きょうはくびは、ヨはここまで後悔するはずだったみたい。
またここでおばさんに後悔するつもりだった?


*このエントリは、BlogPetの「はくび」が書きました。
  
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2005年03月27日

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170228(BlogPet)

きのう三井で、手っぽい納得したいなぁ。


*このエントリは、BlogPetの「はくび」が書きました。
  
Posted by hakubi_zakki at 12:43Comments(0)TrackBack(0)「はくび」の投稿♪

2005年03月11日

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170216(BlogPet)

きのうはくびが、合唱しないです。
だからきのうはくびで、指導するつもりだった?
だからきのうはくびが、学芸を出演した。
ただきょうはくびは、合間合奏したかったの♪
だからここへ合唱しなかったよ。


*このエントリは、BlogPetの「はくび」が書きました。
  
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2005年03月09日

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170309

 【晴】
 四組の中は言うに及ばず、全学年の中でバク転バク宙の出来る奴は、仁田山を入れて5人といなかった。

 校庭にマットを敷いての体操の時間の花形は、そんな訳で華やかにバク転とバク宙を演技する仁田山に決っていたけれど、それに加えて正車輪送車輪もこなしてしまう実力の前には、誰も文句が言えなかった。

 私も何とかバク転をこなそうと、仁田山の熱心な授業を受けたが、どうしても物にする事が出来なかった。

 その代り、地上転回と空中転回は、それほど練習しなくても、仁田山の指導によって、割合簡単に収得する事が出来た。

 私が体操で唯一仁田山を越えられたのは、飛び箱だったろうか。

 当時私の身長は学年の中でも高い方だったから、他のスポーツ、特に陸上競技では、常に上位の成績を保っていたが、球技、特に野球には、全く適性がなかったように思う。

 その頃には映画の影響もあって、空前の柔道ブームだった。

 親はなぜか、私がいくら頼んでも、近くの道場に入門する事を許してくれず、仕方なく「夢の屋」で買って来た柔道の手引書を片手に、仲間と稽古をしては家の人に叱られた。

 今では思いもよらない事だが、私が小学生の頃には、柔道は善玉で柔術は悪玉扱いだったのだ。

 柔道は新しくて柔術は古いもの、柔道は柔術を改良して生まれたから、柔術より強い武道なのだと、どういう訳か疑いもせずに信じていた。

 映画の中では、最後に必ず柔道が柔術を負かして、正義は必ず勝つんだという事になっていたから、柔術を良く思うガキなんか、一人もいなかった。

 一生懸命稽古をしたので、自己流ながら柔道では学年の中で弱い方ではなかったから、仁田山から体操の技を教えてもらう代りに、講堂にマットを敷いて、少しあやしい柔道を仁田山や何人かの仲間に教えた。

                    《アトリエ白美:渡辺晃吉》

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2005年03月08日

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170308

 【晴】
 その日の石黒先生の話は、海野重三の「四次元漂流」だった。

 たまたま私も「夢乃屋」の貸本で読んだばかりだったから、思わず「知ってる知ってる」と叫んでしまった。

「ホー、渡辺お前読んだ事あるのか」と、先生は嬉しそうに言うと、「空想科学小説を決して馬鹿にしてはいけないぞ。先生の中にはそういった物を嫌う人もいるが、人間にとって想像力というものは、他の何よりも大切な力かもしれないんだぞ」と、一人一人に問いかけるように話してくれた。

 我が家では父も母も、私が教科書以外の書物を読む事を、まるで悪い事をしているかのように嫌ったから、石黒先生と我が家の親との違いに、正直驚いてしまった。

 その頃、四次元とか超空間とかいう物について、言葉さえ知らないのが普通だったから、超高速航法(ワープ航法)や、時間旅行などという事柄は、全く話題にさえならなかった。

 そんな話をうっかりすれば、直ぐに変わり者扱いされただけではなく、大抵は大ボラ吹きの烙印を押されてしまうのがオチだったのだ。

 しかし先生自らが、大ボラと言われる話を聞かせてくれた事から、私が同じような話題を口にしても、あまり悪く言われなくなったのはありがたかった。

 あの頃は、子供でさえ現実的な発想が正常な人間の条件だと思っていた感があった。

 ただ、それだけに大人も子供も、皆素直で真面目な人が多かったと思う。

                    《アトリエ白美:渡辺晃吉》

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2005年03月07日

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170307

 【晴】
 担任の川島先生が、産休でしばらく学校に来なくなるために、代って石黒先生が私達のクラスをみる事になった。

 石黒先生は男だったから、男子にとっては何かと心強かっただけでなく、授業の合間に話してくれる、勉強以外の話が面白くて、学校に行くのが少し楽しみだった。

 理科の授業の時だったが、先生は私達に宇宙についての様々な質問をした。

「もしもだよ、どこまでも飛んで行けるロケットがあるとして、そのロケットに乗ってね、地球を離れてどんどん行くと、いったいどうなると思う?いつかは行き止まりになって壁にぶつかってしまうんだろうか。それとも、どこまで行っても壁がなくて、宇宙は無限に広がっているんだろうか。みんな、どう思う?」と言った感じである。

 全く目新しい考えに、特に男子は目を輝かせて先生の話に耳を傾けたが、それに反して質問への答は、意外に想像力のないものが多く、先生を少し失望させたようだった。

「いいかい、もしもみんなの内の誰かが、地球を飛び立ってどこまでも進んで行くと、真っ直ぐに進んでいるのに、やがて元の場所に戻ってしまうんだそうだ。つまり誰にとっても、今自分が立っている場所が宇宙の中心になるのだというぞ。そして宇宙には壁はないけれど、まるでドッチボールの中みたいに、空間的に閉じているから、今いる所を出発してドンドン飛んで行くと、やがて元の場所に辿り着くんだな。だからみんなよく聞けよ。お前達一人一人が宇宙的に見れば、その中心に立っているという事だぞ。何と素晴らしいじゃないか。みんな全員が、宇宙の主人なんだからな。みんなは今自分がここにいる事が、ただの偶然だと思っているかもしれないが、そんな事はないぞ。100億年以上前に宇宙が生まれ、そのあと太陽系が生まれ、その惑星のひとつの地球に、物凄い幸運によってお前達一人一人が人間として日本に生まれ、今こうして、この教室にいるっていう事は、正しく奇跡なんだぞ。だからいいか、みんなお互いに物凄く貴い存在なんだから、決して傷付け合ったり、まして殺し合ったりしてはいけないんだぞ。お前達一人一人の中に神様がいるんだぞ」

 私達は何か得体の知れない光に打たれたような気持ちで、先生の話に聞き入った。

                    《アトリエ白美:渡辺晃吉》

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2005年03月06日

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170306

 【晴】
 母屋の前の道を、いつもの納豆売りの人が、名調子の呼び声で通りかかると、お金を掴んで表に飛び出して行くのが、普段の私の仕事だったが、足をケガしてから長い間、それが出来なくなってしまった。

 納豆売りのおじさんは、こっちが呼び止めなくても家の前の道に止まって、誰かが出て来るのを待っていてくれたので、買い損ねる事はなかったし、私の足のケガを知ると、しばらくの間は玄関前まで来てくれるようになった。

 大家族の我が家では、毎朝10個は納豆を買ったから、おじさんにとっても、結構上客の方だったかもしれない。

 その頃の納豆の値段は1個10円で、粒も大きく量もかなりあった。

 みそ汁に納豆、漬物、海苔、玉子、だいたいそんなところが朝食のメニューだったが、ひとつひとつの味は、今のそれよりも相当濃厚で美味かったと思う。

 我が家のみそ汁は赤みそが中心で、ふんだんに使った煮干のダシが、具の香りと混じり合って鼻をくすぐる。

 煮炊きは当然マキを使ったへっついだったが、もうひとつ都市ガスが入っていたのが、女の人達の台所仕事には大変便利だったようだ。

 それでも庭には井戸があって、洗濯は主にそこでやっていた。

 庭は結構広かったから、かなりのスペースを畑として使っていて、ナスやきゅうり、トマト、サヤエンドウ、カボチャ、ホウレンソウ、カキ菜などが食卓に乗った。

 しかし、家庭菜園だけの収穫では、大所帯の胃袋を満たす事は出来なかったようで、引き売りや近所の店から買う方が、ずっと多かったと思う。

 あの頃の食卓には、鮮やかな色があった。

                    《アトリエ白美:渡辺晃吉》

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2005年03月05日

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170305

 【晴】
 3月の声を聞くようになると、近所から顔見知りの姿が何人か見えなくなる。

 中学を卒業すると間もなく足利を離れて、主に東京方面に就職するためだった。

 あの頃は就職とは呼ばずに、まだ奉公に出るという言い方の方が多かったようだ。

 地元にも沢山の勤め先があったから、家を出ずに社会人になる者もいたが、多くは東京を中心とした大都市に、夢をふくらませて旅立って行った。

 大企業の工場に入る者、理容店や工務店の見習いになる者、問屋のでっちになる者など、選んだ道は様々だったが、早い奴では一週間も経たない内に逃げ戻って来たり、半年後に体を壊して帰された者なども出て来て、時々道端で懐かしい顔に再会する事もあった。

 私が小学生の頃、日本はまだ敗戦の影が国全体に満ちていたが、反面、未来への夢もまた、全ての人達の中に熱く燃えていた時代でもあった。

 年上の仲間の半数以上は、社会人として巣立って行き、残りは進学して、やはり私達の目先から消えて行った。

 相手が高校生になると、もう共通の生活の場はほとんどなくなり、やがて道ですれ違っても軽く会釈する程度のふれあいとなり、その内には文字通り他人行儀になってしまう。

 その代り、町内の公式行事の時や夏休みなどには、昔と変わらない親しい関係が戻って来るのだから不思議だ。

 ついこの間まで一緒に飛び廻っていた仲間でも、社会に出ると直ぐに、髪型や服装が変わって、驚く程大人っぽくなってしまう。

 中にはたばこを吸い始める奴も出て来て、私達を驚かせた。

 今頃になると、直ぐ近くの年上の仲間が、多分父親のおさがりなのだろうが、昨日とはまるで違った服装で、旅立ちの挨拶に寄った日の事を思い出す。

 その人は今、東京で寿司店を立派に経営しており、既に三代目がカウンターに立っていると聞く。

 春は何かが新しく生まれるために、神様が作って下さったのかもしれない。

                    《アトリエ白美:渡辺晃吉》

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2005年03月04日

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170304

 【晴】《2日の続き》
 3日ほどの自宅療養の後に、私は家から校門までの間を、自転車の荷掛けに乗せられて登下校した。

 あまり動かないようにと注意されてはいたが、学校にいるとそういう訳にはゆかず、痛さに顔をしかめながら過ごす事になった。

 母は松葉杖を使うようにと言ったが、私はそれだけは絶対に嫌だと、泣いて断った。

 そんなもの使って学校の中を動き廻ろうものなら、みんなに何を言われるか分かったものではないからだ。

 その代り大抵の時には誰かが肩を貸してくれたので、移動にはそれほど不自由はなかった。

 先生の小言は3日ほど続いたが、その後はあまり怒らなくなったので正直ホッとした。

 家に帰ると前後して、片柳の若先生がラビットに乗ってやって来て、私の足の治療をした。

 先生の前にケガした方の足を出すと、先生は汚れた包帯を解いて、まず最初はシッカロールをつけた手で、丁寧に患部をマッサージするのだが、初めはそれが結構痛かった。

 何日かする内に、かえって気持ちが良くなって来たので先生に話すと、段々良くなっているからなのだと説明してくれた。

 マッサージが終わると、先生はカバンの中から塗り薬を出してガーゼに塗り、油紙と一緒に痛い所にあてて包帯をした。

 半月ほどすると、足を出していれば風呂に入ってもいいと許しが出た。

 それまでは洗い場で体を洗うだけだったから、たとえ片足を出したままとはいえ、風呂に入れるのはありがたかった。

 一ヶ月ほどすると、今度は往診が通院に変わり、私は学校から帰ると、渡良瀬橋を渡って毎日片柳接骨院まで通った。

 毎日が一日おきになり、そして3日おき、一週間に一回と、段々間があいて、もう通わなくてもいいと言われた時には、あと何日かで夏休みという季節になっていた。

                    《アトリエ白美:渡辺晃吉》

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2005年03月03日

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170303

 【晴】
 3月3日の朝礼のあとに、「雛祭」を歌うのが毎年恒例の行事だったが、その前に決って教頭先生からの注意があった。

「エヘン、エヘン、あーみんな、これから雛祭を歌う訳だが、いいか、これだけは言っておくけどな、歌の文句は最後まできちんと歌う事。決して変な替え歌を歌ったりしないようにな」

 大体こんな調子なのだが、誰も聞こうとはしないし、先生も絶対に守らないだろうと知っていたから、言い方にも何となくしまりがないのだ。

 教頭が壇を下りて、音楽の野沢先生が代って上って来て、もう一人の先生がオルガンの前に座ると、もうどこからかクスクスと忍び笑いが聞えて来て、野沢先生は、まだ歌が始まっていないのに、もう口をへの字に曲げて不機嫌な顔をしていた。

 前奏のあと野沢先生の指揮のもと、全校生徒約2,000人の大合唱が始まった。

 明りをつけましょボンボリに、お花をあげましょ桃の花、五人ばやしに笛太鼓、今日は楽しいへのまつり、

 そして全員の大爆笑

 それでも野沢先生と数人の先生方は、苦虫を噛み潰したような顔をしてニコリともしない。

 結局、その年の雛祭の歌も、例年通り屁の祭になった。

                    《アトリエ白美:渡辺晃吉》

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2005年03月02日

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170302

 【晴】《1日の続き》
 片柳先生は私の足を診察すると「ああ、これは大変だな、内くるぶしにヒビが入ってるよ。ここは蟻にも這わせるなっていう位の大切な所だから、まずは2〜3日安静にしていて下さい。明日から当分は往診しますから」と言った。

 母は「先生、このケガがもとでビッコになるなんて事はないでしょうね」と、心配そうに尋ねると、先生は、「大丈夫、ただヒビっていうのは治るまでに案外時間がかかるもんでね。まあ、気長に治療しましょう」と、その日は別の医者にレントゲンを撮りに行き、湿布薬をもらって帰宅した。

 私は添え木をあてられ、真っ白な包帯でグルグル巻きに巻かれた足を、惨めな思いで見つめながら帰宅した。

 次の日から3日ほど学校を休んで床に就いたが、ケガの他はどこも悪くないので、死ぬほど退屈だった。

 2日目の午後に、担任の川島先生がやって来た。

「この大バカ者が、いつもいつもお父さんやお母さんに心配をかけて、本当に親不孝者なんだから」

 枕元に来るなり、先生は早速大目玉だった。

 母はそんな先生をニコニコしながら眺めていたが、「本当に先生、もっと叱って下さい。とにかく私の言う事なんか、少しも聞こうとしないんですから。何だったらコツンとやって下さって結構です」と、とんでもない事を言っている。

 それからしばらくの間、私は先生と母のお説教の嵐にさらされ、(あ〃、早く先生帰ってくれないかな)と、内心祈り続けるのだった。

 夕方近くなると、母は先生に「鳥常」のうな丼をとり、ケガをしている私にも「親子丼」をとってくれた。

 私はこんな美味いものが食えるのなら、たまにはケガをしてもいいかなと思った。

                    《アトリエ白美:渡辺晃吉》

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