白山神駈道の風露草(かみかけみちのふうろそう)

白山神駈道は白山の加賀禅定道(18km)と美濃禅定道(19km)両古道の統一呼称。白山最高峰御前ヶ峰2702mをはさんで加美(神)両道を股に掛け(駈け)る道。加賀から美濃へ歩くのが順駈 美濃から加賀へ向かうのは逆駈登山、あわせて37kmの道を一日で歩きぬけるのを荒行登山、二日で歩き通すのが難行登山、三日なら苦行登山という。 このブログは神駈道広宣のため2011年8月から続けているものです。

白山神駈道登山のサポートは終わり、今は志のある方それぞれが計画を立て登山しています。登山時期は7月中は残雪で危険、8月は熱中症が心配、10月では山中での不時仮眠を考えれば寒すぎ、やはり9月が最適です。

9月某日午前0時加賀馬場白山ひめ神社から歩き出し、その日のうちに石徹白に到着。翌日、旧道を登り峠を越え美濃馬場白山長滝社まで歩かれた方がいます。 その方は別の日に長滝社から峠越で石徹白から白山を登拝、その日のうちに一里野登山口まで歩き、翌日白山ひめ神社に到着しました。この完璧な白山神駈道登山をされたのは東京の方です。どなたか再チャレンジし、その記事をこのブログに投稿してみませんか。

カフカの変身虫 実感     白山神駈け道の風露草

実存主義は「自分らしく生きること」を目指す考え方。
わたし風露草は学生時代からサルトルなどに触れ影響を受けた思想です。
それで実存主義のカミユやカフカの小説にのめり込みその不条理観に衝撃を受けました。


読者のみなさん
アルベール・カミユ「ペスト」を読みましたか?
昔、欧州でペストが大流行したときの架空の物語で、アフリカ地中海岸の港街オランがペストでロックダウンになり、閉ざされた都市で献身的に治療活動を行う医師リウ―たちをめぐるはなし。
コロナの今、日本でも読みなおされているみたいです。

フランツ・カフカ チェコ生まれのユダヤ人(1883年 - 1924年  61歳)作家 

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カフカ変身」: 読まれましたか?

小説の主人公グレゴール.・ザムザは父の借財のため嫌々ながら毎日国内各地を見本を持って顧客を尋ねる毛織生地セールスマン。 ある朝、目覚めたらが自分がベッドの中で巨大な虫に変身。
ザムザの実存は虫?それとも人間?彼は家族から疎んぜられ虫としても人間としても生きることが出来ず不条理にさいなまれながら父に投げつけられたリンゴが背中に刺さって腐り死んでゆく。


最近のある日、卯辰山を歩いていてわたし風露草も自分がグレゴールのように虫になった気分になってしまった。

以下、風露草の変身バカ物語です。
家の向かいから卯辰山仏舎利塔に向かう車道。登り始めてまもなくの左側竹林にコンクリートの階段がありこれを登ると墓地、墓地を抜けると兼六園のための石川県の植栽地に出る。
車道からは鉄柵門で閉鎖、出入り禁止。


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脇の溝を腹ばいになって門を潜り抜けようとした。頭をあげられず落葉の積もった溝で足にも力が入らず進むも退くも出来ず溝縁のコンクリートで腕を擦って血まみれ。カフカの虫に変身した気分になる。通りかかった軽自動車のおばさん、溝でモゾモゾ悶えている風露草を見て「大丈夫ですか」と引っ張り引きずりだしてくれた。IMG_1222


















腕の血を拭くタオルを貸してくれ、家へ送ってくれるという親切を「大丈夫です、仏舎利塔に行きますので」と断りヨロヨロと歩き出す。

カフカは「変身」出版に際し表紙に虫の絵を載せてはならないと禁じたらしい。わたし風露草は今回自分がどんな姿のお馬鹿虫になったんだろうかと考えながら歩いていた。

次号ブログは、「変身」した虫についてです。

アシッドアタック横行のアフガン     白山神駈け道の風露草

英語で酸はAcidアシッド

誰でも手に入る濃い酸は硫酸と塩酸でかかると
皮膚が爛れる。

硫酸=Sulfuric acid 
塩酸=Hydrochloric acid
攻撃Atacks

硫酸や塩酸を人に故意に振りかけ火傷を負わせることを

アシッド・アタック

と言い欧米やインド・中東に多い犯罪である。


昔、美空ひばりが狂信的な女性フアンに硫酸をかけられたが付き人がそばにあった防火用水をかけて流し爛れた顔にならないですんだ。
昨日、東京白金駅のエスカレーターで男が後ろの人に瓶の硫酸を振りかけ火傷させ逃亡した。いよいよ日本も酸攻撃当たり前の国になるのだろうか。真似する奴が出て来なければいいのだが。

イスラム世界では女性を処罰するため顔攻撃が行われている。
アフガンのタリバンも女性の鼻や耳を削り、硫酸に浸け二目と見られぬ顔にする処刑をしている。
カブール空港で飛び立つ飛行機に死に物狂いでしがみつく群衆の恐怖心がよく分かる。


ダウンロード鼻をそがれたアフガン少女







“女性の顔”を奪う 「アシッド・アタック」という卑劣な行為6











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アフガンの思い出と哀しみ     白山神駈け道の風露草


アフガンの思い出と哀しみ


アフガニスタンはパシュートン人を中心としたアフガン人の多民族国家。

40年以上前のことだ。1978年夏、わたし風露草はパキスタンの
イストルオナール峰7403m登頂後、一人バスでカイバル峠を越え、
アフガニスタン各地をまわりイラン・トルコを経て船でエーゲ海を渡りギリシャのアテネまで行った。


元をたどれば元凶はみ~んなイギリスとロシア。

近代以降、今日までの世界の動乱の元をたどればほとんど帝国主義だったころのイギリスロシア。そして近ごろはアメリカが加わる。

平均高度5000m、世界の屋根パミール高原はさすがどん欲なイギリスもまだ手出ししていなかった19世紀の初めころ。南下を進めるロシアから植民地インド・パキスタンを守るためイギスはカイバル峠を越えてアフガンを占領した。誇り高き勇猛果敢な現地民は三度戦いイギリスを抑え
20世紀80年目にして独立を果たした。
その20世紀、東西冷戦時代。アフガニスタンは米ソ綱引きの場となり、
アフガンがアメリカ側に傾いたためソビエト・ロシアが1978年、軍事侵攻。わたしが旅から家に戻った直後のことだった。アフガン戦士はパキスタンに逃れスラム神学校生=タリバン拠点に抵抗した
アメリカは武器、サウジはオイルマネー、西側諸国はモスクワオリンピックボイコットなどで
タリバンを援助
9年間の山岳地帯での長い戦に疲弊してソ連軍は敗北、国家も崩壊。アフガンに残ったのはムジャヒデン(イスラム戦士)を核とするタリバン政権とこれに結び付いたイスラム原理主義
アルカイダで、ウサマビンラディンは1993年9・11世界貿易センタービル攻撃
アメリカは
ウサマビンラディンをかくまうアフガンタリバン政権を攻撃した。
だが20年間も戦って勝利できず
2021年このほどついに撤兵、アフガンにタリバン支配が戻ることになった。
人口3800万人の山間国が19世紀から21世紀にかけての
180年間イギリス、ソビエト、アメリカの3大国と戦い続け勝利したのである。




アフガン地図



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 以下のアフガン紀行文は「水平の旅 垂直の旅」に載せたものである。各ページ文の上でクリックすれば少し読みやすくなるでしょう。アフガンの旅68①





























アフガンの旅69➁j2







































アフガンの旅70③































アフガンの旅71.④4













































アフガンの旅72.j⑤







































アフガンの旅71⑥ )







































アフガンの旅74⑦8


































上記紀行文はタリバンが出てくる前の穏やかなアフガンです。
次回ブログは凄惨なタリバンの様子です。今、タリバン復権で国民が逃げ惑うことがよく理解できます。

まだ何冊か手元に「水平の旅」の本がありますので希望の方がお出でましたらこのブログのコメント欄でご注文下さい。多分、郵送料だけでお分けできるかと思います。

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