白山神駈道の風露草(かみかけみちのふうろそう)

白山の古道 加賀禅定道(18km)と美濃禅定道(19km)の統一呼称。 白山最高峰御前ヶ峰2702mをはさんで加美(神)両道を股に掛け(駈け)る道が白山神駈道。あわせて37kmのこの道を一日で歩きぬけるのが荒行登山、二日で歩き通すのが難行登山、三日なら苦行登山。 加から美が順駈 美から加が逆駈登山。2011年8月から書き始めたこの道を愛し歩こう会のまじめでマニヤックなブログです。

白山神駈道登山。サポートは昨年でお終い、今後は志のある方それぞれが計画を立て登山してください。時期は、7月では残雪で危険、8月は熱中症が心配、10月では山中で不時仮眠は寒すぎるで、やはり9月が最適です。

昨年、最後のとき加賀馬場白山ひめ神社から歩き出し、その日のうちに石徹白に到着。翌日、美濃番場白山長滝社まで歩かれた方がいます。その方は今年9月、午前0時、長滝社を出て旧道を登り峠を越え、石徹白登山口から白山に登拝、その日のうちに一里野登山口まで歩き通された方がいます。

卯辰山の悲哀碑めぐりの秋(2)  白山神駈道の風露草


小さい秋 卯辰山悲哀碑
(後編)

仏舎利塔から引き返し河北潟が望める望湖台まで行って谷間の旧湯座屋跡へ行きました。

㉕卯辰山仏舎利塔 2018-09-16 044_1024






















哀しみの長崎・天草潜伏キリシタン悲しみの卯辰山獄屋跡

㉗」






㉘卯辰山キリシタン殉教碑





















































今年3月九州一周で長崎・天草のキリスト教会堂を多く見た。
6
月に中国地方一周途上、萩と津和野で浦上四番崩れの隠れキリシタン弾圧場所を見た。
今回見たのは卯辰山である


徳川幕府の禁教令の下、弾圧に耐え長崎浦上・天草のキリスト教徒は300年間ひっそりと信仰を守り抜いてきた。浦上を中心とする信者の信仰を崩す検挙・弾圧をくずれと言う。
寛政の浦上一番崩れ、天保の二番崩れ、安政の三番崩れ、そして幕末明治初期の四番崩れ
番崩れで検挙された3394人の隠れキリシタンは萩、津和野、福山など各地に流罪。
加賀藩預かりとなった500余名も船で七尾港に移送され、冬のさ中に金沢まで一週間歩かされ卯辰山の廃墟となっていた谷間の湯治場「湯座屋」に閉じ込められた。藩役人は長時間雪中に座らせる寒ざらしの拷問など彼らの改宗を迫った。
欧米列強の抗議で明治政府が禁教令を廃止したときには卯辰山で100名以上、全国で650人以上亡くなっていた。

わたし風露草と連れ合いが中国地方一周で戻った数日後の6月30日、長崎・天草の潜伏キリシタン関連遺産が世界文化遺産に登録された。
子ども時代までいた家の隣がプロテスタントの教会だったこともあり、高校時代に洗礼をうけたわたし。今は信仰心はないがキリスト教には特別の関心がある。連れ合いもミッション系の中高に通っていて二人が今あるのも教会での繋がりがあってのこと。
カトリックキリシタンではないが昔なら裸で雪に座らせられ凍死していたに違いない。


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そんなことを考えながら日蓮聖人像まで戻り、反対側の小径を七稲地蔵さんのある東山旧観音町に下る。








㉛松尾神社









麓まで下ると加賀藩以来の酒屋の神様、
松尾神社がある。







㉙卯辰山御嶽神社




もう少し下ると木曽の御嶽神社、そして毘沙門神社に出て七稲地蔵の寿経寺になる。






浅野川右岸歩道を上流に向かって歩き家に戻る。9月16日 3時間の散策だった









卯辰山の悲しみ碑 哀しみ碑めぐりの小さい秋  白山神駈道の風露草

小さい秋にいざなわれて  その2

①キンモクセイ















抜けるような青空の下でキンモクセイの香りが街じゅうにただよっています。

その芳香に誘われて今日も風露草は裏山の
141m卯辰山徘徊老人です。
卯辰山の「心が左右に引き裂かれるほどの辛く悲しい」人たちの記念碑を、
「せつなさを口に出せず、心を帽子と衣に包んで隠し笑う哀しい」人の記念碑を
徘徊しました。



卯辰山山麓の浅野川右岸を天神橋まで下り、東山茶屋街に行きました。

旧観音町外れの寿経寺の七稲地蔵さんお参り。

➁七稲地蔵の寺



















③④















観音坂の男坂を登り観音院脇の日暮ヶ丘から浅野川左岸小立野台地末端の金沢城を望み、
安政の泣き一揆町民2000人の慟哭に思いをはせました。(画像上でクリックし拡大する)


⑤卯辰山碑


菖蒲園から卯辰三社への参詣坂階段を登ります。

⑥卯辰山碑 2018-09-16 006_1024⑦卯辰山碑 2018-09-16 007_1024












二の坂を登ると咸泉ヶ丘、ここに日本陸軍創始者大村益次郎の命を救って死んだ加賀藩士安達幸之助碑がある。

⑨⑩咸泉ヶ丘













⑪安達幸之助















咸泉ヶ丘には戊辰戦争で出兵した加賀藩小川隊の碑もある。
鳥羽伏見の戦いに参戦出来ず、明治維新に乗り遅れた加賀藩最後の殿様前田慶寧(よしやす)が新政府への恭順の証しとして小川仙之助など7000人派兵、戊辰戦争最大の激戦地長岡(新潟)での戦いなどで280人死傷。慶寧は卯辰山に招魂碑を造らせた。

⑮卯辰山招魂碑 2018-09-16 015_1024

















一の坂の階段を上がりきると卯辰三社境内地。
在原業平の井筒だと言われる古い井筒(井戸囲い)がある。


⑬卯辰神社業平井筒 2018-09-16 017_1024

















13














伊勢物語に出てくる超モテ男ありわらのなりひらが井戸囲いで背比べしたことを歌にして幼馴染の女を口説き妻にしたが浮気浮気で女を捨てて戻ってこない。待ちくたびれ悲しく亡くなった女が亡霊となって井戸に棲み付いたという世阿弥の謡曲「井筒」の舞台だ。

風露草は高校時代、古典の時間に習った歌
「筒井筒 井筒にかけし まろがたけ 生いにけりしな 妹見ざるまに」をまだ覚えていて口に出る。

⑯卯辰山碑 2018-09-16 019_1024



















⑰卯辰山碑 2018-09-16 023_1024

















浅野川右岸常盤橋から登ってくる歩道、風露草のトレーニングの坂道が赤い太鼓橋の下を通っている。その脇に日中国交回復前に造られた中国副総理郭沫若揮毫の友誼団結碑がある。
⑱卯辰山碑 2018-09-16 025_1024

















卯辰山碑 2018-09-16 024_1024



日蓮像
とその近くの旧社会党系大衆運動活動家顕彰碑














卯辰三社参詣坂を登りきると仏舎利塔までの間に幾つもの碑が点在する。

⑲卯辰山碑 2018-09-16 034_1024












一束の花が添えられている石川県殉職警官之碑
殉職者の奥さんだろうか、哀しみを感じます。


⑳卯辰山碑 2018-09-16 032_1024





核兵器廃絶、折り鶴を差し上げ
平和を祈願する少年少女像
金沢市近郊の二つ小学校の児童が供えた千羽鶴。









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平和を祈願する少年少女像をスケッチし手ぬぐいに染めて像建立資金出資者に配った風露草の亡き妻、今は近くの石川解放運動戦士之碑に合祀されている。

㉑卯辰山鶴彬碑 2018-09-16 030_1024

















石川県高松町の反戦川柳作家鶴彬(つるあきら)の句碑

鶴彬 最近すごく見直されている。
社会の空気が彼を弾圧し殺した時代に似てきたためだろうか。


㉒石川女子挺身隊慰霊像卯辰山碑 2018-09-16 041_1024

























卯辰山相撲場の丘の受難おとめ像

昭和20年8月7日、愛知県豊川市は米軍の無差別爆撃を受け2477名死亡。
その中に、軍事徴用で愛知県豊川市の海軍工廠に動員された石川県女学生52もいた。広島原爆投下の翌日のことだ。

長崎の原爆は4日後の8月9日、亡き妻が原画を描いた絵本「りん子ちゃんの8月11日」の富山空襲は5日後。


㉓卯辰山碑 2018-09-16 040_1024






















幾つもの慟哭の碑を見ながら金沢仏舎利塔まで歩いて行きました。



㉕卯辰山仏舎利塔 2018-09-16 044_1024






















古代インドを武力で征服統一したマウリア王朝のアショーカ王。自分の行ってきた無残な戦争を深く反省、
平和を願い全国にお釈迦さんの骨を収めた仏舎利塔を建立。二度と戦争しないことを誓い仏教政治を行うことの宣言を彫った獅子頭石柱を各地に建てた。
日蓮宗日本山妙法寺藤井日達師はガンジーに会い感化を受け、アショーカ王にならい各地に仏塔を建立し平和な世界実現を目指した。
賛同したインド首相ネルーはお釈迦さんの真骨を敗戦に苦しむ日本に贈与、日達師はそれをさらに分骨し熊本や金沢などに仏舎利塔を造ってきた。金沢仏舎利塔左脇にインド大使のメッセージレリーフがはめ込まれている。

仏舎利塔から引き返しキリスト教徒受難の碑に向かった。
長くなったので続きは次号で。





小さい秋・・・に偲ぶ    白山神駈道の風露草

そこここに小さい秋

標高60m弱の風露草家からの裏山の140m余の卯辰山に登るのに30分くらい。 酷暑日に行くと汗だくだくでした。ほんの数日前くらいから少しの汗で登れるようになり、そこここに小さい秋を感じる様になりました。

山頂の金沢市老人福祉センター千寿閣、かいた汗を落とす一風呂(¥150)
が楽しみ。春は千寿閣脇の竹林でタケノコ掘り、家に帰ってタケノコご飯が楽しみ。③


今はもう小さい秋、千寿閣から反対斜面歩道に丹波クリの木があり草むらにポロポロ、家に帰ってクリご飯が楽しみ。

千寿閣から少し西に行くと、
金沢が一望できる見晴台公園
①
今はもう小さい秋、公園脇にいろんなキノコが出てきています。
食用に美味しいものはまだのようで、家に帰って食べるのは少々怖い。
➁






千寿閣から見晴台かいわいまでに幾つもの顕彰碑がある。
この前の戦争で石川県の女学生が愛知県豊川市の軍需工場に動員され、米軍の空襲で全員焼け死んだ女子挺身隊慰霊碑等々・・・。
⑤

昨日の卯辰山散策で日蓮上人像脇に石川県大衆運動活動家顕彰があるのに気がついた。
旧社会党系政治家や連合系労働組合の活動家を合祀してあるみたいだ。





④


ほ~と思い、それならと千寿閣への戻り道にある
石川解放運動戦士乃碑にも立ち寄った。
富山空襲の悲惨を伝える絵本
「りん子ちゃんの8月11日」
の原画を描き、憲法9条改悪反対の昼デモに欠かさず参加していた亡き妻
その妻が解放運動者として合祀されている碑だ。




⑦




枯れ葉が吹き寄せられた二つの碑にも小さい秋を感じ、家に帰って妻を偲んで焼いた置物を手に取って、自分にも来ているその秋(とき)を思う








⑥

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