白山神駈道の風露草(かみかけみちのふうろそう)

白山の古道 加賀禅定道(18km)と美濃禅定道(19km)の統一呼称。 白山最高峰御前ヶ峰2702mをはさんで加美(神)両道を股に掛け(駈け)る道が白山神駈道。あわせて37kmのこの道を一日で歩きぬけるのが荒行登山、二日で歩き通すのが難行登山、三日なら苦行登山。 加から美が順駈 美から加が逆駈登山。2011年8月から書き始めたこの道を愛し歩こう会のまじめでマニヤックなブログです。

白山神駈道登山。サポートは昨年でお終い、今後は志のある方それぞれが計画を立て登山してください。時期は、7月では残雪で危険、8月は熱中症が心配、10月では山中で不時仮眠は寒すぎるで、やはり9月が最適です。

昨年、最後のとき加賀馬場白山ひめ神社から歩き出し、その日のうちに石徹白に到着。翌日、美濃番場白山長滝社まで歩かれた方がいます。その方は今年9月、午前0時、長滝社を出て旧道を登り峠を越え、石徹白登山口から白山に登拝、その日のうちに一里野登山口まで歩き通された方がいます。

♯ ボリビアに白山無いけどラパスはステキ  南米各国巡り(5) 白山探し世界の山ウエブで放浪(184)   白山神駈道の風露草 

南米に白山を探す(5)ボリビアの巻

(各図、書き込みは風露草です。 画像上にカーソルを当てクリック、拡大して見て下さい)

⓵ (1)



















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また行ってみたい国、そして街 ボリビアとラパス市


いろんな方から”もう一度行ってみたいところはどこですか”と尋ねらたら必ず
アフガニスタンとその首都カーブル、ボリビアとその首都ラパス”と答えます。

残念ながら治安が悪すぎアフガニスタンはおそらく生きている間には無理でしょう。


数年前の世界一周、ボリビアをカットしてしまったが今にしてラパスとアマゾン日本人入植地サンファンとコロニアル沖縄に立ち寄ればよかったと思う。ボリビアには白山も無いしもう無理ですね。

⑨⑥


























ラパス La Paz(The Peace=平和)

35年も前のことだ。一人、ペルーのクスコから鉄道でアルチプラノ(高原台地)を走り4000mのエルアルトから3600mのラパス駅へ。ラパスの街はすり鉢地形の斜面に張り付いて出来ている。すり鉢の底に向かい列車がラセン状にグルグル回り
ながらゆっくりと下って行く。
もう夜で、車窓から見る斜面の街灯りが上にも下にも扇形に広がりまるで深海の
ホタルイカを、いや大宇宙の無数の星々を見ているような気分。
しばらくすると同じ建物の光が上に見え、先ほどその下に見えた光が眼前になっている。すり鉢の底に向かうのでひと回りの時間がだんだん短くなる。
すごい街だと思う。

ラパスの底からイリマニ山6402mが見える。ペルーのピスコ峰のあとに登ろうかと思っていた山だ。


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わたしが行ったころ、ラパスは3600mの下町が高級住宅街、4000mの山の手の
エル・アルトは酸素の薄いため暮らしにくく労働者街。毎朝、トラックの荷台に乗って労働者が下りてきて夕方、荷台にひしめき合って乗り戻って行く。

以下4枚の古い画像は35年まえのもの。今は鉄道に代えてバス、2014年から色分けした4系統のロープウェイも使われている。


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ラパスからチリも鉄道を使い、ウユニ塩湖の脇を走り抜けてアントファガスタに向かう。

車内のインディオのおばさんの存在感には圧倒されました。

無題



⑩









ボリビアの山

ネットにはピコ・ブランコ(白山)の記述も見られたが確認できない。多分、違うだろう。
ペルーとの国境にあるイヤンプー山6368m、ワイアナポトシ山6088m。ラパスから見えるイリマニ山6402m(先住民アイマラ語で黄金のコンドル)、ペルー・チリ国境近くサハマ山6542mなどが有名。


②イリャンプー(標高6368m)











⑤ワイナポトシ
















④Sajama_National_Park






















白山の恵み 富山湾の白山神社参拝  昇竜半島の旅再開    白山神駈道の風露草

昇竜半島歩き旅再開

6月5日昨年2017年6月5日、富山湾を一日歩いただけで、その後わたし風露草の交通事故と体調不良で中断してしまった富山県側から輪島に向けての
昇竜(能登)半島歩き、一年弱ぶりで再開。
昨年はわたし、連れ合いのAboさん、山仲間のMikiさんの3人、自転車をその日の目的地まで車で運んでから出発地より
目的地まで歩き、到着後、自転車で車を置止めた場所まで戻りました。
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昨年は
雨晴海岸から阿尾の浦まで歩きました。

今年は自転車が出来ないので、以前の
ようにわたし・連れ合いのAboさん二人だけの往復とも歩きの旅で再開です。




5月15日、昨年のゴールの
阿尾の浦から能登半島国定公園の氷見海岸を
約10km歩き
大境の白山神社・洞窟住居跡
まで行って折り返しました。
天気はまあまあでしたが、大気中の水分が多くて立山連峰はかすんで剣の大窓雪渓がうすぼんやりした白条に見えるだけでちょっと残念でした。


⓵









②













②2②4









②3②5




②6



昨年より半月以上早いので、
道端に咲く花も違っていました。






③2
明治の初め、氷見の藪田から身を起こし
苦節を経て京浜工業地帯の基礎を創った実業家浅野総一郎
(アサノセメント)を
讃える





③





九転十起の像。

へ~と思う。







④⑤




















⑥⑦














冬から春先にかけての氷見海岸には
ブリを捕まえる大敷網が沢山見られる。



⑯











⑧









⑨⑩









⑪








⑫













⑬











大境港は越中式定置網発祥の地らしい。
洞窟脇にそのことを
書いた石碑があった。




大正時代、洞窟の白山神社改築のため拝殿奥の土台を掘ったら7000年前の縄文海進時代に洞窟で暮らしていた縄文人の骨や遺物が出てきて国の指定史跡になっている。
眼前の海に立山連峰が神々しい姿を見せて連なっている。
往時、彼ら縄文人も朝な夕な拝んでいたのではないだろうか。

富山湾岸には白山神社がかなりあり、ここ大境港もそうだ。
何でだろうかと思う。
二上山から白山が見えるという人もいるが、手前の山々に阻まれ無理じゃないかと思う。
富山湾の海の幸を育んでいるのは北から黒部川、片貝川、早月川、上市川

常願寺川、神通川、庄川、小矢部川の八川。
そのうちでも槍ヶ岳からの
神通川、白山からの庄川の影響は大きい。
流域面積は神通川の方が大きいが、贔屓の引き倒しで緑の豊かさでは庄川の方が大きいと思いたい。
ホタルイカも含めて魚介類は白山庄川が育てていると思いたい。
だから山の姿は立山が素敵でも、やっぱりここは「白山社なのだ」の大境縄文風露草人なのである。

そう偏屈に思いながら遠くかすむ立山連峰を今度は左手に見ながら氷見に
戻り、道の駅の番屋街で氷見寿司をつまみ、総湯に入る。

正直言って、氷見
番屋街での氷見寿司は美味しくなかった。
金沢人は口がおごっているからかも。
江戸時代、朝獲れた氷見ブリを馬の背に載せ俱利伽羅峠越えで金沢近江町市場に届けさせ、夕方
新鮮なものを食ベていたという金沢人。
大阪は食い倒れの街というが、わたしは金沢こそそうだと思う。

氷見一番のおいしい魚を金沢で食べているわたし偏屈風露草、残り物しかない氷見の肴ではチョッと物足りないのかもしれない (´▽`)。


次回は九段浜遊歩道からの旅になります。
 

福畠町水分神社参拝    白山神駈道の風露草

55日 アクタス記者随伴で浅犀みくまり道9時間登山後の筋肉痛回復のため、3日後から散歩やらジョギング

 8日は卯辰山ちょっぴり散歩。

9日は卯辰山3時間花の散歩。
10
日は福畠町の水分神社参拝と小一時間の近辺散歩。
11
日は天気清明白山くっきりの木場潟6.4km一周ジョギング。                              12日は宇ノ気の公園屋外大型トランポリン遊具で孫相手にかけっこ。


浅犀みくまり道の命名てんまつ

 

ルート全体の形で風露草は「浅犀U字トレック道」 日本山岳修験学会会員でもある石森さんは「浅犀みくまり道」を提案した。

恥ずかしながら風露草、「水分=みくまり」という言葉、その時初めて聞き
あまりいいとは思えなかった。

道の開鑿にあたったJAC石川支部のメンバー全員の投票で「みくまり道」になってガッカリした。

今は石森さんに感謝している、よくぞこの名前を考え出してくださったと。
道の開鑿・維持にかかわりその名前を使い言えば言うほどなじんで好きになっています。

 

http://blog.livedoor.jp/hakusankamikake/archives/6284255.html



畿内に水配分を行うを祀るみくまり社が多くあり、全国各地に幾つもの
分社が存在している。

石川県は金沢市福畠に一社のみ。


浅犀みくまり道の名前のもとでもある水分神社、

一度はお参りし、筋肉痛も直してもらわなくちゃと思い、510日 金沢市郊外深谷温泉奥の山間地福畠集落に初めて行きました。


なぜ福畠に水分神社が

 

福畠の村名は土地肥沃にして畑多く、神恵によって福多しの意。
かかる村名も水があればこそで、この日の参拝途上でも水の好きなウドや
野ぶきを多く見かけた。灌漑用人工池があちこちにあった。急崖の山間地なので農作用水確保に苦労しているのかも知れない。

福畠近郷に水の神の四王寺白山社(しおうじしらやましゃ)・小野白山社(このしらやましゃ)がある。村民の水への願いがうかがえる。


福畠集落の産土(うぶすな)神社は平岡社。茄子作(なすづくり)
春日大社(大阪枚方=枚岡=平岡)の分社らしい。


維新政府の意向に沿って明治6年 四王寺白山社と小野白山社が福畠の平岡社に合祀され一つの神社にまとめられた。

白山社に代わるそれ以上の名でなければ合祀の納得を得られなかったのだろう。平岡が水分神社(みくまりじんじゃ)と改称したのもこのときである。

昭和24年に合祀解消、四王寺白山社・小野白山社は復活したが福畠は水分神社の名のまま今に至っている

 

この日は福畠水分神社と小野白山社の二社を2時間かけて散策・参拝。

福畠水分神社はまだ雪囲が外されておらず境内に大木化しつつあるウドが
生えていて、眼前に福畠集落の景観。


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小野白山社に三つの不思議
があった。

集落名の小野。オノと呼ぶのかと思ったらコノで、初めて見た。
?  ネットで調べたが小野はやはりオノの呼び方しかない。

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小野白山社の丘の端がガケ崩れのガケ際に石像2体、危なげにある??

石段を昇って行くと鎧武者とその前に跪く(ひざまづく)若者だった。

どうやら型作りしたみたいなセメント素材の像で、何処からか持ってきたものらしく次の崖崩れがあれば転げ落ちそうな状態。


鎧武者の横に小野から出て行ったのかもの戦没兵士の忠魂碑。


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拝殿側にもう一つ獅子台座に座った導師像があった。これも???

 

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道端の野ブキを摘み、廃屋に心痛め、遠くの医王山を眺めながら水分神社下に置いた車にもどる。

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後日、このあたりの小神社を束ねている
波自加彌(ハジカミ)神社の田近宮司さんにうかがった。
鎧武者と若者は桜井の別れの場の楠木正成(まさしげ)・正行(まさつら)父子、導師像は孔子だろうとのこと。金沢市内の会社の敷地にあったものを持ってきて置いたらしい。





なんでこんな像がここに?

 

平岡=枚方(ひらかた) 大阪府枚方市枚方茄子=なすづくり春日大社は天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祖とする一族が祭祀を取りおこなってきた。中臣氏から藤原氏にもつながる一族で「平岡連(ひらおかむらじ)」と呼ばれ、その末裔に水走氏という有力な武士団がいた。鎌倉幕府滅亡後、南北朝時代に水走氏は南朝側の楠木正成、正成が湊川の戦いで死んだあとは息子の正行に従い北朝の足利尊氏と戦い、だんだん没落して枚岡神社の神職として生き残び今日にいたる。

なんとなく、巡り巡って水走氏につながる福畠=平岡社(水分神社)と合祀したことのある小野白山社境内に楠木父子像があることも分かるような分からないような・・・。

ネットで調べたら、忠君愛国 軍国主義のシンボルの桜井の別れの楠木父子像、型枠にセメントを流し込みかなり作られ戦意高揚のため全国各地に置かれたようだ。
敗戦で思想が否定され、困った金沢市内の会社が小野白山社境内に持ち込み、放置したものかも知れない。  わたし風露草の独断的推測です。

廃屋の目立つ小野集落を歩きながら、あと30年も経てばがけ崩れが進み、
像は下に落ちて割れるかもしれないと思う。

 

遅れ軍国少年だった風露草、桜井の別れの歌をよく口さんでいました

-桜井の訣別-

 

1.青葉茂れる桜井の  里のわたりの夕まぐれ

  木(こ)の下陰に駒とめて  世の行く末をつくづくと

  忍ぶ鎧(よろい)の袖の上(え)に  散るは涙かはた露か  ♪

 

2.正成(まさしげ)涙を打ち払い  我が子正行(まさつら)呼び寄せて

  父は兵庫に赴かん  彼方(かなた)の浦にて討ち死せん

  汝(いまし)はここまで来つれども  とくとく帰れ故郷へ ♬

 

3.父上いかにのたもうも  見捨てまつりてわれ一人

  いかで帰らん帰られん  この正行は年こそは

  未だ若けれ諸(もろ)ともに  御供(おんとも)仕えん死出の旅  ♫

 

4.汝をここより帰さんは  我が私の為ならず

  おのれ討死為さんには  世は尊氏の儘(まま)ならん

  早く生い立ち大君(おおきみ)に  仕えまつれよ国の為  ♩

 

5.この一刀(ひとふり)は往(い)にし年  君の賜いしものなるぞ

  この世の別れの形見にと  汝(いまし)にこれを贈りてん

  行けよ正行故郷へ  老いたる母の待ちまさん  ♬

 

6.共に見送り見返りて  別れを惜しむ折からに

  またも降りくる五月雨の  空に聞こゆる時鳥(ほととぎす)

  誰か哀れと聞かざらん  あわれ血に泣くその声を  ♪♫

 



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