白山神駈道の風露草(かみかけみちのふうろそう)

白山の古道 加賀禅定道(18km)と美濃禅定道(19km)の統一呼称。 白山最高峰御前ヶ峰2702mをはさんで加美(神)両道を股に掛け(駈け)る道が白山神駈道。あわせて37kmのこの道を一日で歩きぬけるのが荒行登山、二日で歩き通すのが難行登山、三日なら苦行登山。 加から美が順駈 美から加が逆駈登山。2011年8月から書き始めたこの道を愛し歩こう会のまじめでマニヤックなブログです。

白山神駈道登山。サポートは昨年でお終い、今後は志のある方それぞれが計画を立て登山してください。時期は、7月では残雪で危険、8月は熱中症が心配、10月では山中で不時仮眠は寒すぎるで、やはり9月が最適です。

昨年、最後のとき加賀馬場白山ひめ神社から歩き出し、その日のうちに石徹白に到着。翌日、美濃番場白山長滝社まで歩かれた方がいます。その方は今年9月、午前0時、長滝社を出て旧道を登り峠を越え、石徹白登山口から白山に登拝、その日のうちに一里野登山口まで歩き通された方がいます。

オムマニペメフムとわたし 白山神駈道の風露草 

 オムマニペメフム       
  

⑭わたし風露草が
オムマニペメフムの真言に出会ったのがネパールのエベレスト街道。

40年以上前の1975年12月末、
初めてのヒマラヤででした。

シェルパやポーターたち、バッティ(茶店)のおばさんたちがしきりと”
オムマニペメフムを口にしていました。
蓮の花の上に栄あれ”ということ
らしい。
蓮台に乗っている仏さんへの讃歌のようです。
南無妙法蓮華経”という意味なのかもと思いました。

汚泥に咲く清らかな蓮華、中央の蓮台に受粉せぬ前から果実(本当は
実になる前の子房)を付けているかのように見える
「果実同時」のハスは仏教の教えのシンボルです。

⑯⑱⑲







20160703085905
















わたし風露草は仏教徒ではありません。もちろんお経も読めません。
車での四国一周ついでにの八十八ヵ所寺巡りでも、数珠も持たずただ
ロウソクを灯し線香をあげて頭を下げるだけ。
うろ覚えの”ノウマクサンマンダー バザラダン~~ ”をもごもご口にしてみたが続かない。終わりの所だけ般若心経の”~ボジ ソワカ”を唱えてみたが何やらむなしい。

結局、他のお遍路さんがみな真面目に弘法大師中国直伝の”ノウボウ~~ボジ ソワカ”らしい
真言を唱えている横で
オムマニペメフム”を小声で、でも聞こえよがしに3回唱えて回る。 


四国の旅を終えてネットで調べてみたらBlogPaint
弘法大師が日本に伝えたのは中期真言密教、
ネパールやチベットの仏教は後期真言密教だとのこと。中期真言密教は難しい理論体系の上に成り立つ戒律重視のもの、空海みたい真面目な僧侶向けのもの。


働き喰い寝るだけ、交接が唯一の楽
しみの民衆のための仏教が求められ後期真言密教が発展してきたと風露草は思う。
象徴的真言が”
オムマニペメフム”だ。

オム  マ  ニ ・  ・ メ ・ フム

ダライ・ラマ
によると、

これら六つの真言を唱えれば、私たちの不浄な身体・言葉・思考を完全に統一された秩序と知恵の教えの道に導き、仏陀になれるというのだ。


オム(上にいる)
 
マ 
 ニ(宝珠=男性器)  ・ メ(蓮華座=女性器


フム(成就=膨れ上がったものがしぼむ仏陀になる

上記( )=以下の文風露草の解釈的注釈です。

オムマニペメフム”の後期真言密教はネパールやチベットに広まりましたが漢族中国や朝鮮、日本には来ませんでした。

風露草のヒマラヤ通いも、最初のネパールから幾星霜、幾度ものインド、チベット、中国四川省になりました。
四川省の横断山脈は回数も多く特段に心に残ります。

⑬
横断山脈のあるところは東チベットの
カム地方、”
オムマニペメフム”の世界。

勇猛果敢なカムバ族が住んでいます。

わたしは赤く細い糸を束ねた鉢巻をもらいました。カムバ族の勇者の印だというのですが巻き方がよく分かりません。



至る所に
マニ車を備えたお寺、
マニ石を積んだマニ塚があり誰もがマニ⑦車を手にして
回しながら、
オムマニペメフムを唱えています。

五体投地でお寺巡りや聖地巡礼している人を見かけます。


かって、貧しさゆえに強盗家業も当たり前だったというカム地方に伝わることわざを知って、後期真言密教の一面の真実を伝えているように思えて特段に心に残りました。


人殺さねば食を得ず 寺回らねば罪消えず 
 人殺しつつ 寺回りつつ 
 進めや進め 
オンマニペメフ

オンマニペメフと真言を唱えつつ寺に詣でれば、これまで犯した
殺人強盗の罪も、これからおかす犯罪も許してもらえるという解釈です。


明治期、真の仏教を求めて命がけでチベットに向かった河口慧海(えかい)はそんな彼らの在り方を厳しく批判しています。(「チベット旅行記」)


①風露草の家にカム地方で
手に入れた
マニ石や手回しマニ車があります。

マニ車にはお経が入っており一度回せばお経一回唱えたことになるとか。
近ごろは経文の中心にボールベアリングを装着した
ハンドスピナー
(手回し回転器)も売られています。


五体投地をする信仰心、
真言を唱えて人殺しする
信仰心、一回しで20分回転するマニ車・・・・。


②
③⑤










④







⑧⑨







⑩









⑫












7月の新盆に風露草の
両親の眠る浄土真宗のお墓を、8月の旧盆に亡き妻の両親の日蓮宗のお墓を詣でました。

⑥信仰心はありませんが親しかった多くの故人を偲ぶ思いは歳と共に強くなり、何かしないではおられなくなりました。

でも
ナンマンダブツ
ナンミョウホウレンゲキョウ
どちらの称名・お題目よりも
今のわたしには 
ンマニペメフムがスラッと口に出ます。
「真言」は繰り返し声に出してこそご利益ありです。他のどの「真言」も
舌がもつれて上手く唱えられません。

根が助兵衛なわたしにとって
ンマニペメフこそが救いのマントラ
(真言)なのかもしれません。






8月11日 これで良いのか山の日 山を思う人々 立山カルデラ 白山神駈道の風露草 

8月11日山を思う人の日=風露草の日(′∀`)          
  
わたし風露草は日本山岳会の会員です。
8月11日を国民の祝日「山の日」にする運動をしていた
「全国山の日協議会」の一員です。
また、HAT-J 
(ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト 日本) と 日本山岳文化学会、
横断山脈研究会会員です。



日本山岳会から最新号のニュース「山」が送られてきました。
島々谷から徳本峠を越え上高地でのウエストン祭に参加した記事があり、地元島々谷の方々が事前に登山道を整備して下さったことへの感謝の言葉が載っていました。
わたしはこの記事をなぜか白けた思いで読みました。
日本山岳会は徳本峠越えのこの行事を毎年の恒例としていながら谷筋の荒れやすい登山道整備に誰もかかわっていないのか?
日本山岳会は未だ上条嘉門次時代みたいに地元人夫の奉仕に乗っかって登山するだけなのか?
上から目線での感謝の言葉だけ吐き、登山道インフラ整備に一汗もかかずに自己満足の登山をしているエリート集団なのか・・・。

昨年、プロガイド協会の磯野豪太氏が理事長の
「全国山の日協議会」
総会わたし風露草は 全国の山々で登山道整備に汗を流している方々に報いるイベントを「山の日」にやって欲しい 文書申し入れましたが無反応。
プロガイドと言えば登山界ではエリート中のエリート、
登山道整備は下々の中山間地域住民がやればいいことと思っているのかもしれません。

それはともかく8月11日はわたし風露草の誕生日。
前日の8月10日、HAT-J北陸支部の企画で
立山カルデラ見学会に行ってきました。
いかに多くの方々が登山道維持だけでなく様々の危険な山仕事に
携わっているかを知り、上記的こだわりの自分が恥ずかしくなりました。


立山カルデラ砂防博物館館長の飯田肇氏はHAT-Jの会員です。
そんなこともありHAT-J北陸支部は博物館主催の立山カルデラ見学会
に協力しています。


カルデラは火山の活動によってできた大きな凹地で「 釜」「鍋」という意味のスペイン語に由来している。

立山カルデラは火山灰高原弥陀ヶ原の南側斜面がゴッソリえぐれ
鍋底状態になっている場所です。


立山カルデラ見学① (2)


(各図や
写真の
上にカーソルを当て拡大してみて
ください)




立山カルデラ見学①
















 立山カルデラ見学② (2)   



残念ながら2日前までの大雨でトロッコ利用が出来ず往復とも貸し切りバス利用になってしまいました。


立山カルデラ見学③



















バスの窓から跡津川断層真川大露頭を見ました。

跡津川断層は立山から白山まで続く69kmの長い活断層帯で160年ほど前に真川のこの場所がズレ動き飛越地震が起こった。
マグニチュード7.1の大地震で、大鳶山小鳶山が崩壊し立山カルデラは
大量の土石で埋め尽くされ、立山温泉にいた多くの人々が亡くなった。
(上の立山カルデラエリア図を拡大して見て下さい)


立山カルデラ見学②














立山カルデラ見学⑭ (2)


立山カルデラ見学⑤ (2)













立山カルデラ見学⑤ (3)













立山カルデラ見学⑥





























飛越地震土石流で出来た
どじょう池





立山カルデラ見学⑨
















同行した日本山岳会石川支部のF・Aさんが、石川県で絶滅危惧植物になっているオニノヤガラを教えてくれた。光合成せず菌類と共生してその作り出す栄養をいただいて育つ腐生植物だとか。弓矢の矢柄みたいに
棒状に直立した珍しい植物だ。

立山カルデラ見学⑩




立山カルデラ見学㉕ (2)









そういえば見学地一帯はドクウツギ、ヤナギが多く、ブナが無くて大きな木はダケカンバやドロノ木ばかり。 崩壊後の緑化遷移がまだ不十分
なのだろう。

立山カルデラ見学⑭
立山カルデラ見学⑬











立山温泉旅館跡地
の休憩所で昼食。
飛越地震地震で埋まったあと別の泉源で再興した旅館。豪雨災害や
弥陀ヶ原バス開通による登山客減少で45年前に廃業にいたった。

立山カルデラ見学㉗
浴槽跡を見ていて亡くなった先妻と二人で薬師岳を越え、ザラ峠から
立山温泉に下り温泉に入ったこと。事故って死亡しても文句言いませんという証書にサインして千寿ケ原
まで今よりはるかにボロい工事用
トロッコに乗って下ったことを思い
出す。旅館
廃業3年前の1967年の
こと、50年も前の話しだが亡き人との
めくるめくひと時を思い出し涙がにじむ。




工事作業員のために別の場所に天涯の湯が作られた。見学者はその
横の足湯しか使えない。わたしも浸けてみた。

立山カルデラ見学㉒立山カルデラ見学㉓






















立山カルデラ見学㉔
















立山カルデラ見学㉕
















見学会最大の見どころは白岩砂防堰堤だ。

立山カルデラを漏斗(じょうご)に例えれば下の狭くなった注ぎ口部分が白岩。ここが崩壊すれば上部の土石が一気に常願寺川を流れ下り富山平野を埋めてしまう。
右岸岩壁劣化崩壊を防ぐため青い橋を架けトンネルを掘り、トンネルの中から
岩壁にアンカーをうち込み、ワイヤーで引っ張っている。
恐るべき努力である。

立山カルデラ見学㉑













立山カルデラ見学⑰













立山カルデラ見学⑳













立山カルデラ見学⑰ (2)





立山カルデラ見学⑱





















立山カルデラ見学⑲














































幸田 文 感想文碑画像を載せて終わることにする。
砂防工事への偏見が少し取れてよかった。
わたし風露草にとってこの8月10日は いい「山の日」 だった。

立山カルデラ見学⑮

(写真の上にカーソルを当て拡大して読んでください)


ゆったり夏の上高地 白山神駈道の風露草 

ゆったり神河内に遊ぶ

日本山岳会石川県支部メンバーは毎年、上高地河童橋たもとにある
山岳研究所に宿泊、
上高地自然探勝を楽しんでいます
今年は8月5~6日、14名の会員会友が集いました。
わたし風露草とAboさんの二人、昨年末冬上高地山旅を思い出しながら
5日は大正池周辺、6日は徳沢園へトレッキングしてきました。

③














地図上でクリックし拡大して下さい。以下のブログはその報告です。


8月5日 河童橋から大正池


①


















支部長H・N氏とわたしたち2人が載せたJ・I氏の高級車で金沢を早朝に出て岐阜の平湯温泉に向かう。温泉のアカンダナ駐車場でタクシーに
乗り換え上高地バスターミナルへ。ターミナルから15分歩いて河童橋を渡り
日本山岳会山岳研究所着。もう何度もお世話になっているなじみの宿だ。荷物を置きさっそく河童橋から梓川沿いに下流の大正池に向かう。

④





河童橋は昨年12月から
8ケ月ぶり。

暖かく、観光客でごった
返していました。










⑪
H・N、J・I2氏は高級カメラに三脚に乗せて芸術写真撮影。
私は中古で買ったボロバカチョンカメラ片手に、Aboさんはおにぎりを入れたナップザック担いでのんびりと散策。
まずは梓川右岸の
日本山岳会
創立の恩人の英人
ウエストン氏碑へ。




⑩




梓川左岸の
六百山・霞沢岳の緑がきれいです。





⑫






⑬














田代湖の周りで岩魚が泳いでいました。





大正時代に大噴火した
焼岳、流れ出した溶岩が梓川をせき止めてつくり上げ、その時に枯れ死した巨木を擁する
大正池

中尾峠が見えます。
峠の向こう側にわたし風露草の常宿、中尾温泉の
望焼館があります。


⑦




















冬の大正池


⑧















夏の大正池

⑤

















⑮

















冬来た時と打って変わっての穏やかな大正池、湖畔には可愛いホタルブクロの花が咲いていました。今朝早かったので、二人とも眠くてベンチで横になりひと眠り。

⑭
















河童橋の山岳研究所に戻り、ひと風呂浴びてからJ・I料理長の見事な
包丁さばきのご馳走づくめで大宴会。貸し切りなので遅くまで盛り上がりました。

(電力は山研後ろの善六沢の流れを利用した
ペルトン水車による自家発電、遠慮はいらない

⑯











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8月6日 河童橋から徳沢園往復


今日も晴れ。皆さんは早めに帰途につきましたがわたし風露草、リハビリトレーニングを兼ね、Aboさんに冬景色でない上高地をもっと見てもらうため梓川上流にも向かう。
冬は横尾の槍見展望所まで行ったが今回は山研で待ってくれている
H・N支部長とJ・I料理長のことを考え徳沢園までの往復とする。

最初、
梓川左岸の道で明神橋まで行く。

⑰















明神橋を渡れば明神館、明神池。人でごった返している。


⑰ (2)
















冬にテントを張った徳沢園、お昼少し前に到着。中ビンビールを買い求め昨夜の寿司飯の余りで握った焼きお握りで昼食。


⑱





⑳





























横尾の標識、前穂高岩壁、明神岳
岩壁が妙に懐かしい。

⑲







㉑
















⑰ (3)
























今度の冬はひょうたん池にでも行こうか
とうっかり口にしたら
エ~!”と否定的な反応。”そうだよな~”と思う

明神からは梓川左岸の道を歩き、大急ぎでH・N支部長とJ・I料理長が
待つ山研に戻る

金沢に3時半に帰り着く。



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