石徹白川支流倉谷川 「天の岩鉾」 

(てんのいわほこ)

8/14のブログ”白山大地震から50年”にモリノタヌキさんから

<今月号の「岳人」に石徹白の倉谷にあった立石の情報を求める記事がありました>

というコメントをいただきました。

モリノタヌキさんは岳人の記事を読んで”立石”でネット検索され8/14のブログの下記 SSさんのコメントを見て投稿されたのでしょう。

わたしも立石を検索してみましたがSSさんのコメント以外の情報はありませんでした。
消えてしまう恐れのある伝承や事実をネット上に残すことも大切と思い、これを機会にこのブログで立石を紹介することにしました。

SS]さんと風露草との8月のコメントのやりとり。

ss: ”北美濃地震は、願教寺山の南西面の荒々しい崖として今もその爪跡を見せ付けて   いますね。石徹白では神鳩小屋の南、倉谷方面の尾根にあった名所の天石が崩落したようです・・・・

風:
 ”天石ってどんな石だったのでしようか。福光から五箇山への道の途中に天柱石があり
ますが、あんな石なのかな~、それとも刈り込み池の剣ヶ岩みたいなものですか”

ss: ”失礼しました。天石でなくて「立石」もしくは「天ノ岩鉾」でした。修験者の行場ではなか
ったかともいわれています。

先日10月29日、石徹白地区勉強会に呼ばれ白山神駈道のことについてお話しさせていただきました。

そのおりにモリノタヌキさんのこともあって地区のみなさんやSSさんに立石についておだずねしました。年配の方はみなさんご存じでした。

”10mほどの高さの石の柱だった”

”小学校の遠足で見に行った”

”おたけり坂から右に行って3つ目の倉谷にあった”
(石徹白川支流、大杉駐車場の下一本目が倉谷川)

”今はもう道も無いやろうな”

”神鳩小屋の水場の谷を下って倉谷に行くとわかる”
(それは遠すぎるゾの声が出る)

"船戸先生が地震のあと4・5回探しにいっとるけど見つからないみたい"

以下の地図と2枚の写真をSSさんから送っていただきましたので紹介します。

本のコピーは石徹白の史家上村俊邦氏の「石徹白から別山への道

(画像をコピー保存して開き拡大すれば読めると思います)

真ん中の写真。岩の根方の3人の子どもたち比較して立ち上がった石の高さ大きさに「天の岩鉾」の名前が”なるほどな~”と思える写真は船戸先生のもの。遠足のときに写されたのでしょうか。”火の用心”の札が見えます。しっかりした道があり人がよく行っていたのでしょう。

黒ボコ岩の左岩、転法輪窟の内部、天の岩鉾(立石)・・・北美濃地震で50年前に白山から消えたんですね、残念。

石徹白道刈りと立石



















立石


































立石位置図































(10/30 石徹白でカメラを持った船戸先生にお会いしました。まだまだお元気そうです。さらに詳しい立石情報を知りたい方は先生にご連絡ください)