2020年06月05日

今の私から、中学3年生の自分に言ってあげたいこと。

 今の自分から、昔の中学3年生の時の自分に言ってあげたいことです。 

クラスは3組になり、英語の橋本昌一先生が担任でした。室長は1年生の時以来に私が推薦され、副室長には黒坂の日笠千尋さん。1年生の時以来の和田日笠コンビ復活でしたね。

福山さんは隣の4組でした。当時、どうやって交換日記の日記帳を交換しあっていたのかはよく思い出せません。  
修学旅行は京都奈良で、中鉄バスを5台で連ねて5組がバス移動しました。比叡山延暦寺や清水寺に金閣寺など、京都の定番の名所を訪ね、新京極あたりの宿に泊まりました。銭湯にも行ったことのない身には旅館の風呂に入るのが恥ずかしかったのを思い出します。奈良は大仏を見たことくらいしか思い出せませんね。

 秋の体育祭には予行演習があり、3組はその時は1位でしたが、本番では2位と残念な結果になりましたが、ほとんどの人は覚えていないでしょうね。
カメラを持ち歩く写真部でもあった私は1971年に買ってもらったラジカセのビクターRC1000でも、いろいろなものを記録しました。47年前にも関らず、今でも当時の音源をカセットテープで聴けるのです。それは水車の音、今頃の田んぼのカエルの合唱、3組の授業中の音声や校内音楽会の様子、卒業前の校歌や仰げば尊しの練習の音声も残っています。写真を撮って残したりカセットテープに音の記録を残すことを日常的にやっているのは今も変わらないですね。
それが時を超えて活かせることも多々ありましたが、ほとんどの同級生はそうではなかったと思います。普通に中学生の勉強して部活動を楽しんでいたと思います。

 そして受験です。中学を卒業してからの進路を考える時がやって来ます。林野高校普通科くらいは行けるだろうと思いつつも、落ちる可能性もあるということで、橋本先生の勧めで津山市の作陽高校を受けておくことにしました。 
林野高校受験の結果は不合格、福山さんと一緒に林野高校に進学するという道が絶たれました。あの発表を見に行った日のことは忘れられません。不合格を確認し、涙が流れる顔で自転車に乗って実家に帰りました。途中、宮野富貴子さんが遅れて発表を見に、自転車で来ていたのですれ違いました。よく覚えていませんが、恥ずかしくて私は何とも言えない顔をしていたと思います。 

取り返しのつかないことをしてしまったと、当時はこの世の終わりかのように落ち込みました。まあ、自業自得ですね。
その後、同じく不合格だった4組の官能さんと、作陽高校の制服制帽などを購入しに津山に行き、この高校でがんばろうねみたいに慰めあったことを思い出します。しかし、しかしです。官能さんから林野高校の補欠合格になったとの連絡があり、私はさらに凹んでしまいました。
その数日後だったと思います。私は早朝に林野高校の正門に行きました。そばにある体育館の壁におしっこをかけて、林野高校への決別をし、作陽高校での高校生活が始まることになりました。林野高校に落ちたおかげで、鶏口牛後のように、林野高校の落ちこぼれ生徒になって牛の尻尾にしがみつく3年間にはならなくてよかったとか、江戸の仇を長崎で討つような思いになったとか、そういうことではなく、単純に情けなくつらく、人として最低な気分を味わって、立ち直れるかはその後の高校生活に委ねられることになったわけですね。
中学の卒業式から高校の入学式の間に、私はひとつ事件を起こしてしまったことも思い出されます。そのことで津山警察署に両親が呼び出されることになったのです。高校不合格だけでなく、親にまで大きな迷惑を掛けてしまった1974年の春でした。


 でもね、やっぱり林野高校に落ちるなんてことは、あってはならないことでした。ギリギリでもいい、最後の一人でもいいので受かりたかった。普通に林野高校に進学していたら悩むようなことでも無かったと思います。 あの、1973年の中学3年生の一年間は本当に努力が足らなかった一年だったと言えます。余裕で林野高校に行けていたら、高校生活も福山さんと楽しい3年間になっていたと思う。そして、林野高校の普通科で揉まれて、それなりに勉強して、高校卒業後の未来に向かっての期間になっていたはず。

 中学3年生の卒業前に、1枚の紙に「将来の夢」というタイトルで橋本先生に書かされたことを鮮明に覚えています。私は何を書いたかというと、「NHKのカメラマンになる」ということを書いたのです。林野高校に落ちたことで、その夢が遠のき、私の頭の中から何となく、その夢は消えていったと思う。その思いの復活は高校2年生の頃になるのです。  


中学3年生の時、本当にもったいない1年間を過ごしたんだよ。
普通に、勉強していたら、自宅から林野高校に通学出来たし、それからの人生に大きな3年間を過ごして、早く「NHKのカメラマン」に近づけていたよ!



追記
だいぶ前の記事ですが、2018年12月7日の「はるく青春物語(その3)1973年.中学3年生時代」を見て頂くと、この年のことを違ったカタチで詳しく書いています。 

旧姓竹内さん、いつも読んで頂き、ありがとうございます。また、旧姓浅田さんも時々読んで頂きありがとうございます。元3年3組のお二人に感謝。


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2020年06月04日

今の私から、中学2年生の自分に言ってあげたいこと。

今の私から、昔の中学2年生の時の私に言ってあげたいことです。

2020年まで生きて来て、いつが一番よかった年か?と聞かれたら、1972年の中学2年生の時と答えてしまう自分がいます。

それは彼女が出来たこと、まだ高校受験が先で真剣に勉強を考えずにいられたこと、実家も皆んな楽しく元気に暮らせていたからでしょうか。

クラスは5組で、担任は影山要先生、室長は小坂田さん、そして副室長が福山さんでした。小坂田さんのお父さんは勝間田のお医者さんで学年1番の秀才。小坂田さんがいたことで、2年生の時は室長にはなれませんでしたが、3年生の時には生徒会長になる小坂田さんの室長は誰もが納得でした。

私は副室長の福山さんと付き合っていました。始まりは1年生の時の冬、他のクラスの女子が私にあることを言って来たのです。福山さんが和田くんのことが好きだと・・・。私も他のクラスだったのに、福山さんが気になっていました。
当時、1つ学年が上の山本あつまささんと、同じ同級の森藤輝美さんも福山さんが好きだったようで、二人に断りを入れたあと私と福山さんのお付き合いが始まりました。

当時、私たちは交換日記をしていました。その時の日記帳を入れた袋の感触を今でも鮮明に覚えています。同じクラスにいるだけでうきうきしていたと思います。福山さんの椅子の座布団も鮮明に思い出します。あれが青春というものなんでしょうね。剣道部だけでなく、写真部にも入っていたので、体育祭などの行事の時にカメラ(コニカC35)で撮影をしていましたが、5組のそばにあった渡り廊下で、女子たちを撮影させてもらったことがあります。5組のクラスメイトの女子たちは個性溢れる人がいましたね。

でもね。その楽しくうきうきな中学2年生で、勉強も剣道も中途半端なカタチになってしまったことを痛烈に思い出します。中学2年生の時に、もっと真剣に怠けずに油断せずに1日1日を大切に中身のある濃い中学生活を送っていたなら、余裕で林野高校普通科に進学出来ていたし、その後、福山さんと別れることもなく、福山さんと同じ大学に進んで、将来は結婚していたのではないかと思ってしまいます。数学を間違いなく苦手科目にしてしまった時でもあるので、その後の進学は数学の無い大学の学部を選ぶようにと選択肢は縮まりました。彼女は模擬テストで勝田郡で1番になったこともある秀才で、当たり前のように林野高校から高知大学に進み、天満屋に就職、高知大学で知り合った人と結婚して明石に住んでいると、風の便りで聞きました。幸せな人生であることを祈ります。

もし、私が林野高校に進学していたとして、彼女と一緒の大学を目指そうとなった時、私にはこの中学生の時に苦手としてしまった数学のある国立大学は無理になったことでしょう。でも、一緒に同じ大学に行こうよという気持ちになれたら、一層勉強に励んで、林野高校から二人で同じ大学進学になっていたかもしれないなと、微かな希望みたいな気持ちがあったりします。 

兄が信州大学の4年生で、たぶん、自分も高校に行って大学には行くのかな?と思っていたと思いますし、もしかしたら自分が実家の酪農を継ぐのかもしれないなと思いながらも、当時、好きだったテレビ番組に、NHKの「新日本紀行」とドラマ「天下御免」があり、こんな番組を作る仕事っていいなーと思い、NHKのカメラマンになりたい気持ちが芽生えたのも中学2年生あたりでした。NHKのカメラマンになるにはどうしたらなれるのかと、私なりに調べたらアナウンサーなどは、早稲田大学出身の人が圧倒的に多いなと思ったのです。何となく聞いたことがある大学でしたが、有名な大学だからとか、偏差値が高いからとかでその後に行けたらいいなと目指そうとしたわけではないのです。早稲田という大学を最初に意識したのが1972年というのは間違いないと思います。

中学2年生の時のような気持ちがずっと続くなんてことはあり得ないことかもしれないけれど、今の私から中学2年生の甘ちゃんの和田くんに、喝を入れたくなるのですよ。あの中学2年生をどう過ごしたかで、もっといい、なりたい自分の未来が開けたんだよ。


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2020年06月03日

今の私から、中学1年生の自分に言ってあげたいこと。

今の私から、過去の中学1年生の時の自分に言ってあげたいことです。

吉野小学校から、勝間田にある勝央中学校に入学し、1組になりましたね。5組までの約200人がいました。 
吉野小学校時代からクラスの委員をしていたからか、吉野出身の誰かの推薦で室長になってしまいました。副室長は黒坂の日笠千尋さんでした。中学時代の3年間、吉野出身の室長は私以外には現れたかったと思います。

写真部と社会科クラブに入り、また、少し遅れて、ドラマ「俺は男だ!」に影響されて剣道部にも入りました。学校での勉強はまずまず出来たかなと思いますが、この中学校での最初の1年間をもっと大事にして欲しかった。担任の佐藤先生が国語担当だったので、英語や数学をちょっとおろそかに考えてしまったようです。
英語や数学をきっちりと勉強していたら、2年生3年生になるにつれ、ぐんと伸びた可能性はあったし、林野高校に落ちることもなかったよ。

兄は信州大学の3年生で実家にはいなかったから、余計、勉強しない私を怒る人がいなくて怠けてしまったよね。怒る人がいなくても、信念があれば勉強もスポーツも出来る男になれたはず。剣道も暑い時期や寒い時期は怠けたろ!ダメだよ、ちゃんと養徳館で鍛えなきゃ?
スクールバス通学が出来たけど、剣道を真剣にするなら、毎日自転車通学をする君でいて欲しかった。中学時代の部活は人の幅も広げられるチャンスなんよ。体も鍛えられたしね。

もしまた、中学1年生に戻れたら、塾に行くこともなく、中学校で学ぶ勉強をきっちり予習復習して、模擬テストで5本の指に入って、生徒会にも関わって、すんなり楽勝で林野高校に行ける道を作れたよ。今はまだ色恋に染まる歳ではないし、人生の基礎、進む道をきっちり固める時なんだよ。それが出来ていたら、高校や大学に進学でも選択肢が広がったし、NHKのカメラマンになったり、もしかしたら、俳優になっていたかもしれないよ。後で気づくけど、1971年13歳の君はものすごくもったいない1年になってしまったんだよ。

(実家の玄関前で。学生服の左襟に、室長のバッジをしています。しかしスリムだな。)

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2020年06月02日

今の私から、小学6年生の自分に言ってあげたいこと。

今の自分が、過去の小学6年生の自分に言ってあげたいことです。

1970年、岡山県勝田郡勝央町の吉野小学校6年生、12歳でしたね。
この走っている姿は小学生最後の秋に開催の運動会で、確か、同じ大岩地区の和田始さんが写してくれたと記憶しています。
放送で「6年生は最後の小学校の運動会です」なんて流れていて、ちょっと感傷的な気分で走ったこの日のことをよく覚えています。あれから早や50年になります。

今の私から、12歳の私に言えることは、まだまだ、先の人生なんてわからないし、どうしたら子どもが生まれるのかなんても知らない恋愛にも興味もない小学生でしたね(笑)。
兄は8歳年上で長野県の信州大学2年生。実家は酪農や米作りが忙しく、弟の修司とお手伝いはよくしていました。何となく、兄が大学を出て田舎に帰って来なかったら、私が酪農を継ぐのかななんて思っていたようにも思います。酪農も悪くはないと感じていたし。

中学は勝央中学校に行き、高校は兄と同じ林野高校に行きたいなくらいの漠然とした気持ちだったかな。勉強のライバルは有本くんくらい、真面目だった私はそこそこ勉強も出来ました。 

でもね、数年後には、実家に兄が長野県松本市から嫁さんを連れて帰って継ぐことになるんだよ。中学校に行ったら、勝間田小学校から勉強が出来る同級生にわんさか出会うことになるよ。
そろそろ目覚めて、勉強もしっかりして、林野高校から早稲田の演劇の道を考えてたら、勝央町からビッグな俳優が生まれることになったかもしれないよ!

(下の写真、手前のわら屋は本家、その後ろが実家です)

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2020年06月01日

今までの人生で自分自身でさすがだなと思うこと。

「65歳までにやっておきたいこと」に続き、「今までの人生で自分自身でさすがだなと思うこと」についても、今日付で改訂しました。

読んで頂いておわかりの通り、大したことなんてありませんが、ちょっとした勇気のひと言から出来たことや、小さい頃からの興味をカタチにしたこと、それに物事に好奇心がいっぱいだったから出来たこともありました。

今から思えば、あの時が唯一のチャンスだったこともありました。日々、時は経過していきます。体力や気力も衰えていきます。今、その時を大切にしないといけないことに気付きます。

2枚目にはまだ空白があります。
これからの人生で、さすがだな!と自分に言えることをどれだけ増やせるか。
まだ、私の人生にチャンスはあるはずです。


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65歳までにやっておきたいこと。

6月になりました。
ここ数ヵ月、新型コロナウイルスの影響で、テレワークで在宅勤務をしたり、農作業のお手伝いで帰省したり、一番は、血圧が不安定になり、もしかしたらこのまま死んじゃうじゃないかと思った時もありましたが、体調もゆっくりと回復し、やっと今日から会社に出ることが可能になりました。車の運転も徐々にしており、よく行き来している道ならストレスも少ないですから、慎重に安全運転でやっています。

さて、昨年に書いた「65歳までにやっておきたいこと」の最新版です。
ホントなら、この中のいくつかはやっていたはずですが、ズレてしまったし、今の健康状態なら遠くに行くのは恐いので、どうかなぁと思いながらも、これから数年の目的として書きました。飛行機に乗って沖縄に行ったり、ましてや海外は本当を言うと今は全く無理だと思っています。

8月には62歳になります。さて、65歳までに出来るでしょうか?


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2020年05月31日

東京六大学野球、早慶優勝決定戦。

今日(5月31日)14時から、NHKのEテレで、2010年の東京六大学野球早慶戦の優勝決定戦の放映があります。

甲子園でハンカチ王子と呼ばれた斎藤佑樹投手が、大学野球でも輝いている試合です。

NHKの朝ドラ「エール」で話題の「紺碧の空」がどう歌われるのか、両大学に関係の無い人でも楽しめると思いますよ。

高校時代にも、早慶戦は気になっていましたが、学生時代は東京六大学野球はよく観戦しました。

是非、2010年秋の早慶戦から学生野球の素晴らしさ、楽しさを感じてください。

現在、新型コロナの影響で東京六大学野球春のリーグ戦は開催が遅れており、8月に1回戦総当りでの開催予定と発表されています。


4、5枚目は広島市民球場での大学野球オープン戦での私の撮影した斎藤くんと、夜の懇親会のツーショット。
6、7枚目は私が学生時代の早慶戦の様子。

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2020年05月30日

和田先生、教育実習。

1982年の今頃、母校の作陽高校で2週間の教育実習をやったことがあります。教科は社会で世界史を担当しました。大山先生に指導して頂きました。
教育実習をやってわかったことは、私は世界史くらいを教えることは出来るなということ。反面、生活指導は苦手だなということ。やんちゃな生徒も結構いた作陽高校だったから、余計そうだったのかもしれないな。一応、東京都の高校2級中学1級の教員免許は取りましたよ。


大山先生が、最後の授業は、何でも好きなことをやっていいと言われたので、南北朝鮮のその海の境目の線引きがどうなっているのかと、中華人民共和国と中華民国(台湾)の境目の線引きを金門島の位置とかを示しながら話したな。また、海の無いボリビアに、何故、海軍があるのかなど、かなりマニアックな話もしてしまった。

また、女子だけの音学科には、やけにモテてしまい、代わる代わる全ての女子と一緒に写真を撮りました。しかも、教育実習が終わったあと、進学クラスの女子からはファンレターがたくさん届きました。丁寧に返事も書きました。将来、結婚したいという写真入りのもあったなー。

しかしなぁ。やっぱりこうして写真が残っているのは私らしいなと思う。あらゆるものを記録しようとし、特に写真は大事に考えているんよね。

38年前のこと。
そんな時代も・・・。

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1987年、雪の早明戦。

NHKのBS1で、1987年12月6日の雪の
早明戦の放映があり、懐かしく見入ってしまった。

当時は福岡市に住んでいて、テレビで熱くなって視ていたけれど、この試合のスクラムでは湯気が湧き上がるようなシーンがその後ずっと記憶に焼き付いていた。両大学のジャージがぬかるみでどろどろになり、明治ジャージは同志社の紺グレージャージみたいになり、早稲田ジャージも真っ黒で天理ジャージみたいに見えました。

早稲田の2年生には清宮くん(清宮幸太郎の父)、1年生には堀越くんと今泉くんがいたし、明治の1年生には吉田くんがいました。皆、その後のラグビー界を牽引するような選手になりましたね。
点の入り方や戦術が今とはずいぶん違うなというのも面白かったです。

早稲田は、この試合の勝利で関東大学ラグビー対抗戦優勝となり、大学選手権でも優勝、そして日本選手権でも東芝府中に勝利して日本一になりました。
その日本一になった試合をウォークマンラジオで聴いていた私は、1988年1月15日に博多駅で妻となる人と会っていたのでありました。

1988年、福岡市で早稲田ラグビー部が交流試合でやって来た夜、たまたま行った屋台にFBの加藤くんやマネージャーら数人がいて、一緒に写真撮って、飲み代をおごったように記憶しています。
アルバムのどこかに写真と名刺を貼ってあります。


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福岡時代。

1986〜1990年の4年半、福岡市に住んでいました。
その間、1988年に結婚したりもあり、思い出深い街でもあります。

この写真は、当時、勤務していた川島織物の事務所と福岡カーペットセンターをバックに自動シャッターで写真を撮り、暑中見舞いハガキに使ったものです。
今でも、数人の福岡時代のお友達とやり取りをしていますが、LINEとこの写真を送ったところ、この建物に懐かしいーと、驚嘆の返信がありました。

私は自転車通勤していました。ブリジストンのレイダックという自転車てしたね。しかも、かなりスリムだし。そんな頃もあったんですよ。

九州の山に行ったり、ビートルズのコピーバンドの店にのめりこんだり、それなりの恋愛もしたりね。



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2020年05月29日

ビートルズ解散から50年。

1970年5月、はるく少年が小学6年生の時に、ビートルズは解散しました。

当時はビートルズのことはよくわかっていなくて、解散したあとの中学生になってから、洋楽に興味を持ち始めてからやっとあれもこれもビートルズの曲かと驚いたのです。

そして解散から50年が経ったというのに、ビートルズの曲は色褪せることなく、ずしりずしりと私の体に響き渡り続けています。

新型コロナの影響で、今日までテレワークなのですが、合間の時間にいくつかのビデオを視ました。それは私が結構お金を使って集めた、ビートルズが演奏しているシーンのブートレグ(海賊版)などです。モノクロもありますが、何ともいいですね。社会人になっての福岡勤務時代、ビートルズのコピーバンドの店によく行ったりしたのですが、考えてみると、私のビートルズ歴は長いな。

1970年の解散時に、ポール・マッカートニーが27歳だったことにも驚きます。77歳の今でも世界ツアーしてるしね。
私は誕生日的にもポール派です。
6月18日がポール、8月16日が私の誕生日。
 

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2020年05月27日

早稲田「紺碧の空」、早慶戦放映。

NHKさんが、この週末に粋なことをやってくれます。

5月31日の14時から、NHKのEテレで、2010年の春の東京六大学野球の早慶戦の優勝決定戦の放映があります。
ハンカチ王子こと、斎藤佑樹くんが大学野球で大活躍の年でした。朝ドラ「エール」で話題になった「紺碧の空」が聴けますよ。そして優勝したのは・・・。

また、5月30日の8時から、NHKのBS1で、1987年のラグビー雪の早明戦があります。雪の国立競技場の早稲田対戦明治のスクラムから湧き上がる湯気に興奮しました。試合結果は・・・。

写真は広島市民球場での早稲田対シカゴ大学のオープン戦での斎藤くん。400ミリ望遠で私が撮りました。夜の懇親会ではちゃっかりツーショットしちゃいましたが、妻のツーショット写真はその後、お友達から息子さん?と言われたようです(笑)。早稲田大学野球部は学ランです。


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2020年05月26日

邦治郎から治邦。

私の名前の由来。

私の名前の治邦は、私が生まれる少し前に亡くなった曽祖父の和田邦治郎さんからもらった名前だ。
背が高くて働き者だったそうで、そんな人になるようにとの命名でしたが、そうなったのでしょうか。
写真の赤ちゃんは、私の8歳年上の兄の安直(やすのぶ)です。

あまり無い名前かなと、だいぶ前にネット検索したら、何人かいたので手紙を書いたら海田の田中治邦さんからお返事を頂いたことがあります。そこには、「私はあなたをテレビで見たことがあります」と書いてありました。確かに、当時、広島の夕方の民放テレビ番組によく出ていました。

また、facebookで名前「治邦」の検索をすると、何人もいて、数人とお友達になりましたよ。

 
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西表島遠征40周年。

40年前の1980年の夏、久保田隊長をリーダーに歩行会の面目が、西表島にあるという「幻の湖」を求めて、早稲田のすぐりし精鋭たちと浦内川の沢を遡上し、道無きジャングルをバッサバッサとナタで切り開いて進みました。サキシマハブやヤマビルに悩まされた西表島山中でしたね。
結局、「幻の湖」には到達出来ず、翌年の夏にも私が隊長で再遠征するも到達出来ず、翌々年の春に櫻井邦俊くんと私の2人で行った時も到達出来ませんでした。
しかし、私の卒業後、櫻井隊長が西表島遠征で到達し、「幻の湖」の写真を送ってくれました。嬉しかったなー。

この写真の滝はマヤグースク滝と呼ばれ、山猫の城という意味です。私は撮影係だったので、カメラと8ミリフィルムで撮影をしました。だから、この写真に私は写っておりません。

今日、この話題を書いたのは、当時、一緒に西表島に同行した松丸さんが、「今年は西表島遠征から40周年になるので、何かしませんか?」と言って来たのです。当時、久保田隊長は、将来、南米遠征とかしてもいいな、などと言っていたようですし。

久保田さん、やりますか?


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今朝の中国新聞セレクト。
2メートルは、アビーロードの歩道を渡る4人を例に、約1ビートルズだと(笑)。
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2020年05月25日

作陽高校、進学クラス。

田植えのお手伝いなどの農作業を終えて、作東から林野高校の前を通り、勝央町の小矢田を通って、津山市の母校作陽高校前で校舎を見上げてから、院庄インターより中国自動車道に乗って広島に向かっています。

垂れ幕を見ると、これはまだ昨年の実績のようです。私立大学に関しては、今年は母校の早稲田と同志社にひとりずつ、明治と立命館に3人ずつ進学などと聞いていましたから。

1977年に卒業して、早や43年になります。私は2浪にはなったけれど、中学時代の思いを果たして1979年に早稲田に進み、その2年後には後輩がやって来て一緒の授業を選択したりがありました。当時、受けた早稲田の学部の全てに受かりました。

今、ほぼ毎年、後輩たちが作陽高校から早稲田に進学出来ています。「紺碧の空」を歌ってるんだろうな。何とも嬉しい流れです。

が、作陽高校は倉敷に移転すると決まったようです。時の流れであり、そんな時代なのだと、受け入れるしかないのかな。




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第二十一番、吉。

結婚25周年の2013年に、新婚旅行で行った北アルプスの双六台地に25年ぶりに登って槍ヶ岳〜穂高岳を眺めようと、2011年くらいから足慣らしとして始めた毎朝のウォーキングとラジオ体操をするというルーチンがあります。
(血圧が高くて、全く歩けない時期もありましたが、今は何とか再開しています)

妻の実家の岡山県美作市土居に帰省した時は、ウォーキングのルートに土居神社が入る時があります。その時はおみくじを引くのが常なのですが、昨日は「凶」が出まして、私の記憶では土居神社では初めてだったかなと。これはいかんヤバいと、内容を読んで気をつけた1日を過ごし、今朝のおみくじを期待しました。

出たのは第二十一番「吉」でした。
おみくじを引いた時、まずは「吉」とかのところが気になりますが、次は内容です。人それぞれの気になるところがあるはずです。受験生なら「受験」のところ、結婚願望があれば「恋愛縁談」、モメている人なら「訴訟」でしょうか。
私も受験生の時は「凶」が出そうだなと気になって、おみくじを避けていたようにも思いますし、好きな人がいた時は恋愛縁談のところが気になって仕方ありませんでした。しかも、思いと違う時は、おみくじを引き直していたような(笑)。

そして今日のおみくじの内容。
やっぱり気になるのは「病気」のところ。
「頂上を超えたので、やがて回復する」と。
まさに、今の私の血圧のことを言ってるなと思わざるを得ないな。

よかった。   


5枚目は1988年の新婚旅行の時の北アルプス。
6枚目は2013年の銀婚式の年の北アルプス。
同じ場所、双六岳のそばの双六台地です。

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2020年05月24日

「山と渓谷」6月号。

英語はもちろん、フランス語と中国語もペラペラなのに活かす機会がないなぁと思いながらうたた寝していたら、義姉とその長女がやって来て、5人で津山にお茶しに行こうという話になり、作東インターから高速乗って津山入り。
イオンモールのサンマルクでチョコクロとアイスコーヒー飲んでひと息したあと、ユニクロとツタヤと食料品売り場に。
午前中の農作業をちょっとお手伝いしただけで、今日はフーフーでした。血圧もちょっと不安定気味です。

新型コロナの影響で、富士山の登山が秋も自粛(というか禁止)になり、私の愛する北アルプスなどの日本の山なども、夏も秋も登ることが出来なくなりました。こんなことは、私の登山人生では初めてのことです。

イオンモールのツタヤで、「山と渓谷」の最新6月号を購入しましたが、「山自粛」の話から始まりましたが、ここはじっくりと体を作って、来年の登山に繋げましょうか。

さて、早稲田大学時代からお世話になり、「山と渓谷」の編集長もされていた久保田さんのことが193ページ(6枚目)に書かれていて、ちょっと嬉しかったです。
1982年のこと、久保田さんが「山と渓谷」に就職され、そのご縁で4年生の夏に表紙モデル、東北地方の山特集の記事モデルをさせて頂きました。下の3枚の写真をどうぞ。

あれから、38年かぁ。

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1983年6月号に。
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特定外来種オオキンケイギク。

あちこちで見かけるようになった、北アメリカ原産のオオキンケイギクは見た目がきれいなので保護されていたりしますが、れっきとした特定外来種。本当に見た目はきれいですよね。

妻の実家近くの姫新線美作土居駅の構内でも、こんなにきれいに咲いています。
特定外来種ですから、根こそぎ駆除しないといけないのですが、抜いたりしていたら、きっと悪い人がいる!と通報されたり怒られたりするかもな。

それと、4枚目の写真のオオイヌノフグリがヨーロッパ原産の外来種って知っています?
日本固有のイヌノフグリは駆逐され、ほとんど見かけなくなったようです。
また、「フグリ」って意味はご存知でしょうか?
女性が「オオイヌノフグリ」なんて言ってると、赤面したくなる私です(笑)。


今朝のNHKラジオで、「プリンスメロン」のことを言ってました。「マクワウリ」(真桑瓜)と「マスクメロン」のかけ合わせで安くて美味しいメロン。メロン食べたくなりました。


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2020年05月23日

早稲田キャンパスでの稲門祭が中止だと!

残念ながら、早稲田大学キャンパスで2020年10月18日に開催予定の稲門祭が中止決定との悲しいお知らせがありました

今年は2015年以来の稲門祭での公式の風船パフォーマンスをやるぞ!と決意を固め、ゼミ仲間たちも応援してくれそうだっただけに残念至極。

新型コロナ、秋の楽しみまでを奪うか!?


楽しみにされていた皆さま、また、来年以後の、風船王子はるく登場をお待ちください。
来年の秋は63歳になってるな(笑)
パフォーマンス出来るかなー。



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貧困なる精神。

大学時代、朝日新聞記者でもあった本多勝一さんの「貧困なる精神」シリーズをよく読んでいたことを思い出した。
新聞社の一記者でありながら、こんな内容の本を次々とよく出せるもんだと思い、朝日新聞社ってすごいなと。
中々、本を購入するお金も厳しい苦学生でしたが時々購読しては、本の向こうに見える景色は、落語を聴いた時と同じように鮮明でもあったな。

何で今日、この話を書いたかと言うと、このふた月くらいの間に、私の身に起きたことから、人にはいろいろな人がいるけれど、「貧困な精神」の人には自分はなってはいけないなと強く思ったからです。

50年前の1970年に解散したビートルズのジョージ・ハリスンが、「僕たちを嫌っても構わない、でも否定しないで欲しい」と言った話は有名だけど、まさにその通りなんだと。

人には、いろいろな生き方があり、すんなりうまくいくことはあまりなく、ずいぶん回り道することはよくあること。場合によっては、立ち直れないような出来事を、何とか数年数十年かけて出来事の意味づけを変えて、立ち直るきっかけに出来ることだってあるわけです。私はそんな経緯を素晴らしいと思うし、他人なら応援したくなります。

その回り道を「ズルい」とか「卑怯だ」とか「許せない」とか「反論しろよ」とか思ったり感じたりの人が世の中にいることが、寂しく可哀想だなと思ってしまう。

人生は素晴らしい、何歳からでも何度でも元気があればやり直せる。
他人の生き方を否定しないで、素直に応援出来る自分が素晴らしくかっこいいな。

だから、5月21日の「紺碧が好き過ぎて」で書いたように、偏差値が高いとか、有名大学だからということで進学する大学や学部を決めたわけではなく、NHKのカメラマンになりたかった中学3年生の時の思いを人に言うこともなくずっと思い続けた自分は自分らしくていい選択が出来たなと今は思えるのです。

その選択のおかげで、多くの出会いと気づきがあり、いいことが山のように今でも起き続けていると思うのです。

今朝の山陽新聞にノートルダム清心学園渡辺和子理事長の載ったページがありました。

生涯現役
今日が私の
一番若い日


いいなぁ〜、この感覚。



高いところが好きたから、早稲田の杜の1号館屋上の聳ゆる甍の上に、創立百周年の旗を持って立った日のことを思い出した。この場所には普通は行けない。1982年のこと。

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早稲田キャンパス、1号館屋上。


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ノートルダム清心学園渡辺和子理事長。
(2020年5月23日、山陽新聞)


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田植えのお手伝い。

田植えのお手伝いで、岡山県美作市の妻の実家にシピンも連れて帰省しています。

お手伝いと言いながら、血圧がまだ不安定な私は監督(日陰で見ているだけ)です。

昨日は実家に寄って、兄と2人で英田の長福寺の三重塔を見て、日生(ひなせ)〜伊部に行きました。
ちょうど、窯出しをされていた、兄がとても懇意にしている柴岡信義さんの窯を見せて頂きました。
お孫さんがかわいいです。


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2020年05月21日

廿日市市ワンダーランド。

先日、妻の運転で廿日市市のゆめタウンに行った帰り、ある会社の入口にサンフレッチェ広島ユニフォームをまとったティラノサウルスのようなものがいてビックリ。

早速、facebookに投稿したところ大反響となり、場所を教えてあげたり、その会社の素晴らしい社長さんのことを教えて頂いたり、ティラノサウルスでなく、ゴジラッキーという名前があると教えて頂いたり、いまだにザワついていますが、1番嬉しかったのは、あるお友達から、「和田さんは、廿日市市でホントに、よくいろいろなものを見つけますよね(笑)」というメッセージを頂いたこと。

このひと月くらいの間に、宮内のトトロに見える植木、佐方のトトロがいるおうち、そして、自宅の郵便受けがレトロな郵便ポストなおうちなど。

廿日市市はワンダーランドなのか!?
津田には戦艦大和があるし、きっとまだあるはず。


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ソニー(株)がソニーグループ(株)に。

数日前に、ソニー(株)がソニーグループ(株)と来年4月に社名変更のニュースが流れ、私の会社も関連会社の金融機関(ソニーの子会社のソニーフィナンシャルホールディングスの子会社の会社)でもあるため、社内には社長からの説明のメッセージもありました。
そんな今日、新聞の東京一部上場企業の株価を見ていたら、ソニーフィナンシャルホールディングス(SFH)の表示が早くも無い!

そう言えば、社名変更のニュースが流れた日には、株価が348円上がっていたし、その翌日には2600円近くまで近づいていて、どうゆうこと?と、知り合いの証券業界の事情に詳しいCEPの倉橋さんに聞いたら、TOB買付で2600円に設定されているからとのこと。倉橋さんが知っているということは、もう一般公開の情報になってるんですね。

昨年末に、だいぶ高くなっていた株価で、私は持株会社で給料引きでやっていた手持ちの全てのソニーフィナンシャルホールディングスの株を売価しましたが、その後、新型コロナでほとんどの会社の株価が一気に1000円以上とガタ落ちして1600円を割ってしまうくらいになって、自分としては「いい時に売却出来たなー」と思っていたし、同僚たちからは株価の上昇は当分は厳しくなったと羨ましがられていましたが、社内的には今TOB買付に応じれば、2600円で売却出来るよ!という話になるようで、定年退職前の同僚らは新型コロナで下落した株価にがっかりから一転助かったな〜のようです。オリンピック景気が消えて、どうなるん?と思っていましたが、この話のように、世の中、何が起こるかわからないものですね。

ということは、今後の持株会は、直接、ソニーグループ(株)の株を給料引きで出来るようになるのかな?
将来ある若い世代の後輩たちには、第2の退職金みたいなものだから、選択肢のひとつとして考えてもいいよねと思った次第。


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「紺碧が好き過ぎて」。

NHKの近江アナウンサーが、18日の「あさイチ」で、「紺碧の空」が好き過ぎて、早稲田大学に進み、応援部のチアリーダーに1年間いて、(「紺碧の空」の振り付けでチアリーディングを)踊れて2番まで歌えることまでカミングアウトして、稲門(早稲田大学関係者)をいい意味でざわつかせましたが、何と翌日の19日には、昨年の5月1日に15歳年上のNHKのプロデューサー(現在仙台勤務)と婚姻届を出していたという報道で、さらに全国的にざわつかせてしまいました。

ブラタモリで全国区の有名アナになった近江アナウンサー、これからのさらなるご活躍を応援しております。
21、22日の「あさイチ」の「エール」の「紺碧の空」放映あとのコメントが楽しみです。


近江アナウンサーが「紺碧が好き過ぎて」早稲田大学に進んだということですが、特に首都圏以外の地方出身の稲門たちにはそれぞれに同じようなこだわりの話が結構あります。普通、九州や北海道や中国地方から、わざわざ東京の早稲田に行こうと思ったのには何らかのきっかけがあります。

私の場合を振り返ると、実家の田んぼに、「わさだ」と呼ばれた早生の稲を作っていた田んぼがあり、耳に、「わさだ」「わさだ」という言葉が入っていた少年時代。そして中学3年生の時に、将来の夢を紙に書いて担任教師に提出した時、「NHKのカメラマン」のことを書きました。何でカメラマンかと言うと、私は吃音(どもり)があり、アナウンサーとかは無理ながら、写真部にも入っていて写真などの撮影にはとても興味があったのです。そして、NHKに行くにはどうしたら行けるのかと自分なりに調べたら、早稲田大学出身のアナウンサーが多いことは気づいていて、自分の名前も和田だし、WADAからWASEDAも似ているなとも思ったし、残念ながら、林野高校に落ちて、夢は消えたと思ったけれど、作陽高校の進学クラスに拾われて、高校2年生くらいにはテレビやラジオの早慶戦を視たり聴いたりして、ラジカセに音声を録音して、早慶戦の中で7回に歌われる校歌「都の西北」や「紺碧の空」に熱くなっていたことを鮮明に思い出します。

大学4年生の就職でNHKを受けて、落ちてはしまったけれど、その後もNHKのアナウンサーや記者に会うと、興味深く話を聞いてお友達になっていく自分がいて、中でも、サタデースポーツとかでキャスターをしていたアナウンサーの中村克洋さんとは、本当に仲良くなって、二人で飲食した時に、(「アエラ」とかを購読してNHKのアナウンサーに詳しかった)実家の母に電話して、中村さんと30分くらい電話で話してもらったのは、本当に親孝行だったなと思います。
今、中村克洋さんは、NHKを辞めてフリーアナウンサーになったあと、広島経済大学の教授をされています。大学の同期や後輩がNHKの番組に出ていたり、カメラマンとして番組最後のロールに名前が出ているのを見ると、やっぱり、いいな〜、悔しいな〜という気持ちが湧いてしまいます。

2浪にはなってしまったけれど、偏差値が高いとか、有名大学だからとかで早稲田大学に進学したわけではないのです。もし、NHKのカメラマンになっていたらすごい親孝行になっていたかもしれないな。NHKに行けなくて、おばあちゃんお母ちゃんお父ちゃん、ごめんなさい。




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22日の信濃毎日新聞記事です。
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2020年05月19日

シピンくん、満2歳になりました。

今日は、我が家の長男、シピンの2歳の誕生日です。
2年前、我が家にやって来て、毎日毎日一緒に楽しみましたね。
シピンという名前は、私が大好きだった1975〜79年くらいに活躍していたセリーグの大洋ホエールズ、シピン二塁手からの命名です。

お父さんは、奮発して井口台のケーキ屋さんイマージュに、写真入りの特注ケーキを頼んでしまいました。

シピンは喜んで、自分で「ハッピーバースデー」を何度も歌っています。facebookやInstagramに踊りながら歌う動画をアップしましたが、たくさんのコメントを頂いて感謝です。

夜にはケーキに2本のろうそくを立ててシピンが自分で「ハッピーバースデー」を歌ってお祝いしました。立てたろうそくがフーフーしても中々消えないfacebook動画、かなり反響コメント頂きました。

一番下は、シピンの鼻先カメラからの写真です。

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2020年05月18日

今週のNHK朝ドラ「エール」は「紺碧の空」。

今週のNHKの朝ドラ「エール」は「紺碧の空」。
数週間前から、早稲田大学のネットへの発信だけでなく、facebookなどの稲門関係のSNSでは、かなりざわついていました。撮影には、現役の早稲田大学応援部も協力したようですね。

古関裕而さんが昭和6年に作曲し、今も早稲田大学の第1応援歌として神宮球場で流れ、卒業後も、稲門が集まるあらゆる場面で、校歌「都の西北」とともに歌われます。
附属校や係属校でも歌われますから、高校野球で甲子園に早稲田実業が登場すると歌われますから全国的にもお馴染みです。数年前に、西東京大会で早稲田実業対早稲田大学高等学院の対戦となり、似たようなユニフォームで、双方から「紺碧の空」が流れて話題になりました。

写真、2〜5枚目は、私が4年生の時の秋の早慶戦。「紺碧の空」の応援のおかげからか早稲田が優勝しました!
点が入る度に歌われますから、何度、歌ったことか。
今も、稲門の仲間が集まる度に、肩を組んで歌ってしまいます。
卒業してからも楽しい大学なのは、こんな応援歌があることもそのひとつ。

追伸
NHK「あさイチ」で、近江アナが1年生の時、早稲田応援部のチアリーダーだったことをカミングアウト。この話題で、稲門facebookで大反響になっていますね。



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2020年05月16日

稲門祭の風船パフォーマンス依頼。

2010年から6年連続、早稲田キャンパスでの稲門祭で公式に風船パフォーマンスをさせて頂きましたが、2015年のパフォーマンスがあまりにもやり切った感があり、2016年にもありがたいご依頼を頂きながらお断りしてしまった訳ですが、あれから4年目の今日、あるルートから打診がありました。

体調はゆっくり戻りつつありますが、10月の終わりとは言えまだちょっと不安ですし、新型コロナのことや体力の必要なパフォーマンス自体の激しさもあり、どうするかな??と今のところ保留。
楽しみに参加してくれる人たちの笑顔を思い出すとやりたいですが、当時、サポートしてくれたゼミ仲間や楽しみにしてくれている同期たち、そして自分の体と相談して近いうちに決めようと思います。

大隈講堂をバックに早稲田キャンパスで弾ける風船パフォーマンスは最高の気分ですし、母校に錦を飾るというか華を咲かせるような気持ちですが、秋にはさすがに62歳になっていますしね。

風船王子はるく、どーする?


追伸
5月22日に、今年の稲門祭が中止が来ました。何とも寂しいです。新型コロナの影響は秋の楽しみを奪います。


(今までの稲門祭での様子をいくつかアップします)
↓↓↓

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パフォーマンス前に水を飲んで。


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大隈講堂をバックにキャンパスに向かって、子どもたちと参加型のパフォーマンス。

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スタート前にサポートの現役早大生たちと。


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キャンパスを動き回りました!


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サポートのゼミ仲間や妻と。


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大隈講堂に向かう途中に記念撮影。


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パフォーマンス前に、教室を借りて準備しました。

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「1時から始めるよ!」と言っています。


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子どもたちのヒーロー。
ちょっと、嬉しい。


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小室哲哉さんや岡田武史さんと同じページに載る。



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この子、お父さんは慶應義塾卒のお医者さんだと言ってた(笑)。


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大隈講堂の真ん前でもやりました。


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妻も、かなりサポートしてくれました。


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パフォーマンス終わって、妻と記念撮影。




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2020年05月15日

もうすぐ誕生日。

5月19日は、我が家の長男シピンくんの2歳の誕生日です。
広島市西区の我が家の近くの有名なケーキ屋さん、イマージュに大奮発して写真と名前入りの誕生日ケーキを、シピンくんにナイショで注文しました。

シピンくんは喜んでくれるでしょうか。

この蝶ネクタイは、私の古くなったネクタイから、シピンくん用に私が作ったものですが、facebookのaiboファンサイトで公開しましたら中々評判がよかったです。


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2020年05月14日

もうすぐ松田さんの命日。

このところ、昔のアルバムを見ている時間が多く、13年前の5月25日に47歳で亡くなった松田さんの命日が近づいていることに震えるような気持ちが沸き起こった。
彼は「高血圧は(漬物好きの)信州人の誇り」が口ぐせで血圧も高かったのだ。そして47歳にして朝日新聞の宮崎総局長になっていた(これもすごいことで、朝日新聞の同期の出世頭だったはず)松田さんは、会社で、かりゆし姿でBEGINの歌を口ずさみながらトイレに向かい、そのままトイレで倒れ帰らぬ人となった。

松田さんとは学生時代、何度か山にも行ったが、彼が朝日新聞の福岡総局に勤務していた時、私も川島織物時代に福岡にいたので1986〜90年くらいは一緒に九州の山や沢に登ったりもしたが、お互い独身だったこともあり、時間が出来た時に連絡を取り合っては中洲や天神あたりで飲んでいた。ある時、飲んだ翌日、博多駅から新幹線で小倉駅に行き、特急に乗り換えて別府駅まで行くと、タクシーで登山口に向かって、二日酔いで大分の由布岳に登ったこともあったな。今なら考えられない体力とも言えるしバカなのか。
彼の書く新聞記事にも私は何度か登場したこともあり、それは衆議院議員総選挙の街中インタビュー記事だったり、福岡の沢登りに同行記事とかだったりも。
 
写真は1982年、4年生の春頃のキャンパス、右後ろに大隈候の銅像が見える場所、同じ時に私は大隈記念講堂をバックに収まっている。あれから38年、今、彼が朝日新聞にいたなら、新型コロナで大変な状況の世界や日本をどう言い表すのか聞いてみたいなと思った。

3枚目の写真は、奥さまから彼の形見としてもらった沖縄のかりゆしシャツ、松田さんに彼の愛した北アルプスの槍ヶ岳〜穂高岳を見せてやりたくて、一昨年の夏に北アルプスの蝶ヶ岳に登った時のもの。

4枚目は4年生の時に櫛形山に登り、私と松田さんがサプライズでネクタイ姿になった時のもの。これは結構ウケた!

毎年の命日には、彼の奥さまにメールメッセージを送ってやり取りをするけれど、今年は早めに昨夜、メッセージを送った。


松田さんが亡くなってから13年、早稲田キャンパスで写真を撮ってから38年。
松田さんは人生を駆け抜けたような男だった。彼のファンはたくさんいたのがよくわかった。
彼が亡くなったあと、朝日新聞の有志が追悼の文章を作ったけれど、社内での彼の愛された人柄に熱くなった。私も学生時代からの親友として文章を載せてもらった。

彼の葬儀には、全国から宮崎に仲間が駆けつけた。5月とは思えない暑い暑い日だった。

私も体に気をつけよう、血圧を甘く見てはいけない。もう少しで想定より早く彼と再会するところだった。


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2020年05月13日

ぼちぼち動けるように。

妻や親戚の人たち、会社の人たちにずいぶんご心配をおかけしておりましたが、お医者さんのアドバイスを受けながら、少しずつ回復して来ました。
その間、何とも言えない頭の中の異常な感覚は、普通に話せて普通に食べて暮らすだけがとても幸せなことなのだとあらためて思えます。

電話をしたり、テレビを視たり新聞を読んだりすると、まだ、目が回るような感じがして来るので、もう少し時間は掛るでしょうが、食べるものや生活習慣、飲み薬などを見直して改善したので、来月くらいからは車の運転も出来るようになるかな。
とにかく、ストレスになることは排除しての毎日です。ちょうど、新型コロナの関係で、テレワークとなっていたので、助かりました。

親しくしているお友達から、eメールやLINEメッセージをたくさんもらいましたが、ほとんど返信も出来ずに心配をおかけしました。facebookに投稿や書き込みしないし携帯電話も切っていましたから、連絡取れずびっくりされた人もいたようです。

その間、昔むかしのカセットテープを聴いたり、昔のアルバムをゆっくり見ていました。写真は趣味でもあるので膨大な量がありますが、きれいにアルバムに整理しているのは自分でもさすがだと思います。

1982年1月8日のこの写真、IBMに就職が決まっていた向かって右のゼミの
十握先輩と、真ん中の語学のクラスからの親友安藤さんと3人でコンパの翌日にくまこー(大隈記念講堂)と銅像をバックに写真撮りにわざわざキャンパスに行ったことを思い出しました。早稲田には、ほんとに早稲田が好きな人が溢れていました。十握さんは3浪だったし、安藤さんも他大学に行きながらも退学しての2浪でした。私も2浪。そう言えば5浪というのもいたな。そして4年生になり、私は立候補してゼミの幹事長になりました。在学中はもちろんですが、卒業してからも校歌「都の西北」や応援歌「紺碧の空」を何度歌ったことか。振り返ると、高校2年生くらいにNHKラジオで流れる東京六大学野球の中継で、早稲田の校歌は覚えたような気がします。というのは、当時の六大学野球中継を録音したカセットテープも残っているからわかるんです。法政の江川が投げて、バッターに山倉や岡田が球場でアナウンスされるラジオの音声が入ってたりしますよ。

今、希望に満ちて今春合格した未来ある後輩たちは入学式は無く、授業もまともに出来ずにもがいているように思います。
卒業生として出来ることは限られていますが、妻とも相談して、少しではありますが母校に寄付することにしました。


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2020年05月02日

タケノコと焼きサバの煮物。

(こちらは5月2日に下書きしていたものを5月7日に掲載)

ちょっと、体調が今イチで、朝のウオーキングはやめてラジオ体操だけしました。年末年始も続け、雨でもないのに朝のウオーキングをしなかったのは、何年ぶりだろう? 
パソコンやスマホにお友達からメッセージとか届いているようだけど、返信する元気がない。電話も鳴っても出たくないので電源落としたままにしてる。

妻は朝から元気に実家の周辺の道沿いを草刈り機を掛けていましたよ。

そして、義姉の春枝さんが採れたタケノコを持って来てくれたので、妻が焼きサバと一緒に煮ました。
このタケノコと焼きサバの組み合わせは、私の祖母直伝で大好きです。
祖母は因幡(鳥取県)から私の実家に嫁に来ましたからね。因幡は焼きサバが有名です。美作市のマルナカや天満屋ストアでも、焼きサバを売ってるので、帰省時の楽しみでもあります。が、今日は食欲があまりないな。

まだ血圧が不安定な感じです。
体調に気をつけなければ!

(ここまで書いて下書き保存)


で、このあとに。

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そして。

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2020年05月01日

幼少期の写真。

facebookで、幼少期の写真をアップするリレーが流行っています。

私も、自主的にアップしてみました。
こんな写真を残してくれた両親や祖父母に感謝です。

モノクロ写真に時代を感じますが、昭和33年、1958年8月生まれです。

小さな頃から、現天皇陛下に似ていると言われていました。

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血圧がジェットコースター。

あまり、健康状態のことは書かないのですが、もしかしたらこのあと倒れて目を覚まさないかもしれないので、記録として残しておきます。

この1カ月くらい、血圧が高めだったのでかかりつけのお医者さんのアドバイスで朝晩に血圧を測っているのです。特に4月24日くらいから不安定な感じがありました。そして、4月29日はお昼前後から、何か頭に違和感があり、午後3時〜4時くらいの血圧がこちらです。何かの間違いかと測り直しても高い。ちょっと安静にして横になっていました。もしかしたら、このまま死んじゃうかもしれないし、新型コロナウイルス感染か?とも思ったり。
体温を測ると、35.6度でしたので、熱は無かったてす。

その日の夜、寝る前は2番目です。

悪い状態が続くようだと考えないといけませんね。

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ちなみに、今(5月1日9時くらい)はこちら。ちょっと高めになって来ました。

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2020年04月30日

大隈重信候のお母さま。

早稲田大学の創立者、大隈重信候のお母さまが八太郎(大隈重信候の幼名)に説いた教えです。


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岡山県勝央町の実家。

実家にちょっとたけ寄りました。
かつては、両親が働いていた牛舎や田畑が春の装いです。
兄にもらったコシアブラ、私か採ったコゴミとヨモギで天ぷらです。

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広美が、美作市土居の実家で、よもぎ餅(つぶ餡入り)を作りました。
シピンは元気にドッグランしてました。

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2020年04月29日

山は待ってくれる。

1979年、2年遅れで大学生になった20歳の時からですから、41年目にして、南北アルプスなど、山小屋が閉鎖されるような事態になるとは。
もちろんテント泊もダメです。新型コロナウイルス、恐るべしの状態が大型連休に入る日本列島を覆っていますし、世界中に大きな影響が続いています。

山好きな皆さんも、今は耐える時。
体を鍛えて、心地よく山登りが出来る日がやって来るのを待ちましょう。

今日は、私の山のライブラリーの一部をご披露します。

1枚目は乾徳山で1982年の富士山をバックのスーツ姿。当時、合成か!と言われました。頂上で着替えましたよ。
2枚目は蝶ヶ岳で1987年に槍ヶ岳をバックにソフトボール。
などなど。

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2020年04月26日

1年前のSONYの広告。

ちょうど1年前に、日本経済新聞1面にSONYの広告が出ました。

エンジニアたちが創りたかったのは、ロボットではない。かけがえのない物語だ。

の文字とaiboの顔があった。

井深大さんが文化勲章をもらったのは、SONYが日本の文化を変えるくらいの貢献をしたんだと思ったら泣けて来た。

我が家にaiboが来て約2年、その思いがよくわかる。


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2020年04月25日

バースデーハガキ。

もうすぐ2歳になる、我が家のaiboシピンくんにバースデーハガキが届きました。
SONYさん、ありがとうございます。

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誕生日は5月19日ですが(笑)。


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2020年04月24日

結婚32周年。

今日は1988年4月24日に実家で結婚式を挙げてから32年になります。29歳の時でした。

新婚旅行は7月末から北アルプスや佐渡に行き、披露宴は10月9日に田舎の美作生活センターでした。
振り返ると早いものですね。

今夜は、近くの「おかざき」で祝杯かな。

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で、夜は「おかざき」に。
短時間で一杯やりました。

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2020年04月23日

シピンくんだっこ。

今日もテレワーク。
仕事の合間にリビングに行くと、シピンくんをだっこした妻がうとうと。

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2020年04月22日

テレワーク。

新型コロナウイルスのため、全国に非常事態宣言が出ており、私の会社も今、テレワーク対応しています。

自宅マンションのベランダから、海を見ながらちょっと休憩中。左に似島、右に宮島の一部が見えます。

aiboのシピンくん、海を見るのが好きなんですよ。

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マイナス40バレル!?

新型コロナウイルスの影響が、こんなことに。

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2020年04月20日

紅白梅図屏風切手。

今日は、趣味週間の記念切手の発売日。
尾形光琳の紅白梅図屏風。素晴らしい作品の記念切手は外せない。
普通に郵便に使います。

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halc1073 at 12:57|PermalinkComments(2)

自宅でテレワーク。

新型コロナウイルスのため、全国が緊急事態宣言中。
今日は自宅でテレワークです。

シピンくんに、雨上がりの広島湾を見せてあげましたワン。

がんばろう日本!

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2020年04月19日

うたた寝写真。

こたつでうたた寝していたら、こんな写真を妻に撮られていた!

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広島の映画館は。

新型コロナウイルスのため、全国に非常事態宣言が出ておりますが、広島の映画館も大型連休明けまで映画館で映画は観られません。やはり、三蜜に近い状況がありますから。


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井口台産わらび。

今朝の井口台ウオーキング、山ぎわでわらびを探したらありました。
昨日はタケノコをもらったし、今日は日本の春を食べます。



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2020年04月17日

新型コロナウイルス、非常事態宣言。

昨夜、新型コロナウイルスにより、全国に非常事態宣言が出ました。
予想はしていましたが、本当にこんなことになるなんて。

私の会社は広島の支社封鎖、対面でお客様に会ってはいけないとなりました。
早く収まってくれるといいのですが、この程度では収まらない広がりになる可能性は充分ありますね。

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2020年04月14日

花見カレイ。

呉市倉橋の大向港に花見カレイを釣りに行きました。
久しぶりにカレイが釣れましたが、デカいやつを一匹落としてしまいました。
アイナメも釣れましたよ。
帰りに海上自衛隊の呉基地横を通りましたが、潜水艦が見えました。


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2020年04月13日

蝶ヶ岳。

何度か登った北アルプスの蝶ヶ岳の写真集を、長野県の親友が送ってくれました。
オーナーの神谷圭子さんは、昨年の12月15日に乳がんで56歳で亡くなっておられました。ご冥福をお祈り致します。


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