2009年11月17日

(再)連載小説 「失われた航跡」

第十一章・パライバ州ジョアン・ペソア(5)

  会社に戻ると、秘書の柏木が慎二に手を挙げて合図した。ボスが呼んでいるというサインである。役員室へ例によって何も持たずに行ってみると、またしても山尾さとみがいた。あまり良い話ではないな、と妙な勘繰りをした。
「ITUの品質部会に山尾さんと行ってもらいたいんだが、どうかな」
「品質部会?」
「ええ、議長国が今年はイタリアで、さっきTI社のアルドー・ネリという方から電話があって、ぜひシンジ・フカザワを連れて来てくれと頼まれたもんですから。どうでしょう?」
例によって山尾が横から口を挟んだ。
「いつ、どこであるの?」
「サンパウロで新年早々だそうです」
なんたる偶然か、と慎二は思わず淡い期待を持った。森恭子に関した事件から遠ざかる一方の状況でしかなかったが、その地名を聞いただけで運が向いて来たように思ったのだ。ブラジル、EB社にジョアン・ペソアからのCDRもまだ届いていない。どうせならEB社に行って自分で分析してもKMがいる場所の特定ができるはずだ。この際、山尾が気に食わないのどうのと言ってはいられない。
「本部の経費でもよろしければ行けます。私のところは出張旅費がもう使い切っていますので」
「そうか。経費の方は問題ない、じゃあ頼む」
畑は簡単に経費の本部付替えを了承した。もっとも新年早々に出張に行ける部長職は慎二くらいなものだったから、畑にしても渡りに船だったのだろうと、慎二も快く受けた。経営企画室の依頼は畑にすれば外せない天の声なのだ。社長の命と同じ意味合いがある。それでも慎二にとっては内心は願ってもないチャンスだと思っている。
山尾は、ITUの招請状に自分の名前を書き込み、慎二にもエントリーするようにと書類を持って来た。確かに議長としてアルドー・ネリの署名があった。慎二はネリの一言がありがたかった。
「この人とは古いお付合いみたいですね」
「うん、イタリアも日本と同じ国内と国際に分かれていて、彼は国際通信の創業当時からのたたき上げだよ。もう十年くらい国際回線接続をやって来た男だ。私がローマに行った時、ちょうど品質管理担当のMDに出世して異動したんだ」
「へええ、会ってみたいな」
「そうだね、どうせ会場では毎日顔を見ることになるさ。なにしろ議長閣下だ」
山尾は、国際会議に少なからず期待を持っているらしかったが、慎二は山尾と話しながらそれとは別のことを考えていた。サンパウロでの会議の後、休暇を取ってジョアン・ペソアに行ってみようかと思っていた。英国の拠点を追われた今、恭子は間違いなくKMの庇護を必要としている。したがって、恭子が仮にジョアン・ペソアにはいないとしても、なにかそこに追跡のヒントはあるだろうと、希望は捨ててはいない。必ず、彼らの拠点のどこかに潜伏しているはずだ。
山尾は腕組みをして、じっと何かを考えている慎二を見て、手持ちぶさたになってしまい、帰って行ったようだった。
慎二はメラメラと燃え上がるものを感じていた。恭子が無言で伝えたかった何かがある。このままでは、意思が伝わらないまま、お互いに宇宙をさ迷ってしまうような気がした。どうしてテロリストになったのか、恭子の人生に深く係わりたかった。失った途方もない時間を説明して欲しかった。自分の半生は、真心を知らずに過ごした恭子への慕情で占められていたのだから……。 きっと恭子も、自分を想ってすごして来たはずだ。でなければ、あの日、あの時、電話などかけなかったはずだ。
はやる気持ちを抑え、データ呼だけだったブラジルのジョアン・ペソアという都市を地図帳で探した。紙の上でも広大な国に探しようない。索引にも見つからなかった。インターネットのホームページにシティコード別の番号簿がある。慎二はその都市名からブラジルの州名をたぐった。 パライバ州と分かった。後はこまめに地図帳を目で追った。
『あった、東の外れの街だ』
その都市は南緯七度くらいに位置している、殆ど赤道の真下だ。
『飛行機は行ってるんだろうか?』
ICPOもFBIもジョアン・ペソアに行き着いてはいないだろう。慎二はいつも利用する旅行代理店の営業マンに電話した。フライトの有無とどんな街なのかを知りたかったからだ。反応は意外に早かった。
「ええ、サンパウロからだったら日に二便あります」
「どんな所なの?」
「パライバ州都ですよ。ブラジルの最東端、ブランコ岬で現地ではわりと有名なリゾートです。国内線も予約しておきますか?」
「いや、経営・企画の方でサンパウロまで一括して予約を入れるようだから、向うで必要だったら買うからいいよ。悪いけど、日本人を含む外国人が住んでるかどうか調べてもらえる?」
「ええ、良いですよ。少し時間をください、折返しお電話します」
旅先では、航空会社の発行する案内にずいぶん助けられた思いがある。彼らは脚でこまめに調査するから、タイムリーさはないが、インフラに関する情報は確かである。下手な公の統計などよりは遥かに便利だ。喫煙室でタバコを吸っていると、マリアがコーヒーを持って来てくれた。そこへ丸岡が顔を出した。慎二は二人ともよくフォローしてくれたと思っている。
「聞きましたよ、山尾さんから。もしかして、KMを探すんじゃあないでしょうね」
「ああ、そのつもりだよ」
「危険ですよ、日本人はとにかく狙われる」
「このまま黙って見過ごすわけにはいかないんだ」 
慎二には丸岡の忠告は充分わかっている。そして丸岡も慎二の《拘り》が何であるかを知らなかったが、目の前の不条理を取り払おうとする情熱に似た闘争心を知っている。マリアは丸岡とは違い慎二の拘りを理解している。それが慎二の半生を賭けた拘りであることを。
旅行代理店から電話があり、営業マンは外国人登録はないと伝えた。慎二は意外な気がした。


hallofessay
posted at 06:54
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