hamachan_2012のブログようこそ

一期一会を大切にして多くの人とブログを通じて交流できたらと思っています

多くの趣味を持って第二の人生をエンジョイしています。

桂 文珍 兵庫大独演会     兵庫県立芸術文化センター

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日時  2017.9.20 2:00開演
場所  兵庫県立芸術文化センター

向いのご家族からチケットが3枚あって都合が悪くなって行
けないので使ってほしいと頂きました。元会社の友人2人を
誘って行ってきました。
席は4列目と舞台から近くて、早くからチケットを買ってお
られたと思いました。

今回で2回目だつたようですが、『リクエスト寄席』という
もので、来場したお客から高座にかける噺を決めてもらうと
いうものでした。入場すると演目が61題書かれた投票用紙に
希望する噺三つに〇をつけて回収箱に投函することになって
いました。
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〇桂文五郎  『二人ぐせ』 NHKの落語大賞の予選にこの 
        演目で出演されるとのことでした。
〇桂文珍   『憧れの養老院』

〇桂文珍   『くしゃみ講釈』

〇内海映華   三味線の弾き語り小話

〇桂楽珍   『ごんべいたぬき』

〇桂文珍   『商社殺油地獄』



〇桂文珍   『くしゃみ講釈』は、初めて聴いた噺で
        面白かったです。
  あらすじ 妙なことから、講釈師・後藤一山に界隅
の小町娘との恋仲を邪魔された男。腹の虫がおさまらず
、友人の知恵を借り、仕返しを目論む。一山の目の前で
胡椒の粉をくすべ、くしゃみで講釈をワヤにしてやろう
というのだ。だが、元来物忘れの激しいこの男。胡椒を
買いに行った八百屋で胡椒の名前を忘れてしまった。
からくり一段を語ってようやく思い出すが・・・

からくりに講釈とお楽しみ満載の噺。講釈にくしゃみが
どう入るかが演者の腕の見せ所。サゲの前に講釈師が
言う『何か私にコショウはあるのですか』のコショウは
『故障』で異議の意だそうです。


向いのご家族からチケットをもらつた時に息子に話すと
何度か救急車が来ていたと話をきいて、おばあさんが初
めて入院でもされているのてはと気になっていました。
落語会を聴いて帰宅してから何度もお礼のため訪ねますが、
留守が続いていました。
昨日、娘さんに出会ったら、本日亡くなられたと聞いて驚
きました。最後のプレゼントと言われて、一度はお話した
かったです。残念です。山崎喜久子さん82歳 逝去。
冥福をお祈りします。

『行司だけが知っている大相撲の知識と魅力』神戸市老眼大学

大相撲秋場所は、横綱 大鵬、鶴竜、稀勢の里が初日から
休場するという異常事態になり、また途中から大関高安と
照ノ富士と上位5人が休場となった。
残ったのは、横綱・日馬富士、大関・豪栄道の二人となった。
若手にもチャンスがきたとも思えます。
豪栄道にはカド番脱出
と優勝を期待している。
18日現在   
豪栄道は8勝1敗とカド番脱出しました。

png行司の衣裳
   行司の服装 房の色は三役格、草履を履き帯刀
         しない。
講師 日本相撲協会 幕内格行司 木村銀次郎氏
日時 9月5日(火) 13:30~15:00
概要
 ・平成49年生まれ(43歳) 行司になりたいと思って
  いたので19歳までにならないとなつていたので、
  早い方が良いと中学校を卒業して峰部屋へ入門し
  た。各部屋に一人の行司が在籍している。行司が
  番付け表を独特の相撲文字で作成するため習字を
  習いに行った。人に見せられるまでは、3年が掛
  かる。
 ・生活は午前5時起床して1日2食であったが、相撲
  取りでな
  いので3食に変った。最初は一日2番審判をするが、
  最初から誰も教えてくれない。仕事は盗めという
  ことです。
  審判は幕下格行司のため素足で土俵に上って判定
  した。
  平成18年十両格の行司に昇進した。年功序列で一
  番失敗すると格下げされる。
 ・行司の役割
   勝負が決まったと判定したらどちらの力士が勝っ
   たかを軍配によって示さなければならない。行司
   の判定に対して勝負
審判が異議を申し立てた場合、
   物言いとなり、協議がされる。行司は拒否できない。
   私は負けた方を先に見てから勝ったほうを見ている。
 ・その他
  ・場内アナウンスをする。懸賞のスポンサー名を読
   み上げる。
   取組編成の準備をする。
 ・地方巡行
  270人編成で移動する。バスの場合は55人乗りて30人
  乗る。 
  新幹線の場合、グリーン車は幕内が乗車できる。飛行
  機は重量制限に引っかかる。横綱や大関など役力士は
  分散して
  シートベルトは何本も必要。
 ・部屋の仕事
  後援者への連絡、力士のスカウトー野球、サッカー
  あらゆるスポーツを見に行つている。
  師匠は部屋の親方です。
最後に演台の前に出て来られて、マイクなしで『呼び出し』
を良く通る声で呼ばれました。

感想 怪我人が多いのは、力士の体重が重たくなってきた
   と言われていました。外人力士は一部屋一人となつて
   いるが、白鵬はじめ日本人以上に努力していると話さ
   れていたのが、印象に残りました。

我が家の花

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『八重と新島襄』 保坂正康著

jpg新島
 
2009年にNHKの『歴史秘話ヒストリア』で八重が『ハンサ
ム・ウーマン』として取り上げられたことが刺激になり、話
題にあがるようになった。
そんな八重が2013年、NHKの大河ドラマ『八重の桜』の
主人公になります。被災地である福島県出身ということたげ
でなく現在なお訴えるものがあるからでしょう。

八重の生涯は3つのステージでとらえることができます。
第一は、会津藩で生まれて戊辰戦争で敗れるまで。砲術師範
の山本家に生まれ白虎隊の少年に銃の使い方を教え戊辰戦争
では銃をもつて戦ったので『幕末のジャンヌ・ダルク』と称
された。兄の山本覚馬の無事を知り京都に来たようです。

第二ステージは、米国留学から戻った新島襄と京都で知り合
って以降です。帽子と靴を身につけ、洋風の結婚生活をして
夫を襄と呼び捨てしていたので保守的な京都の人には受け入
れられなかつたようです。米国の養母に宛てた手紙で『彼女
は見た目はハンサムではありません。ただ、やることが非常
にハンサムなのです』伝えています。

第三ステージは新島の死後、昭和7年に86歳で死去するまで
42年間一人で生きた時代です。その中で日清・日露戦争で
従軍看護婦を務め、皇族以外で初めてで叙勲を受けたこと
です。日本のナイチン・ゲールとよばれたほどでした。

朝敵の汚名をそそぐとの思い
八重生き方は大正13年という時期を中心にして、それ以前
と以降に分かれるとかんがえられます。明治23年から大正
13年までの34年間を同志社大学創立者の夫人としての生き
方を守った。大正天皇の妃・貞明皇后はきわめて鋭敏な歴史
感覚をもつていた。それは4人の
皇子たちへの伴侶に歴史的
な配慮を行ったという事実がある。
具体的に、皇太子には久邇宮邦彦王の長女良子女王を選び、
秩父宮には、会津藩の松平容保の六男松平恒雄の長女節子
を推した。高松宮には徳川慶喜の孫である喜久子、三笠宮
には子爵の高木正得の二女の百合子であった。
つまり
貞明皇后は、薩摩藩、会津藩、徳川家、大名、華族
と明治維新の勝者も敗者もその怨念やわだかまりをすべて
天皇家と縁つづきにすることによって歴史的な和解をなそう
と試みたのである。

八重は
秩父宮と節子(世津子)の婚約が発表された昭和3年6月
その報をきいた八重は、すぐに和歌を詠んだ。
『いくとせか峯にかかれる村雲の 
     はれてうれしき光をそ見る』
大正13年12月に貞明皇后の同社大学の行啓があった。

貞明皇后の歴史的和解ということを実行されたことは、初めて
知りました。





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