ハマナカ商店日記

京都の手芸メーカーが営む町屋のアンテナショップ。
Openに向けての日々をお届けいたします。
11月4日にオープンいたしました!!

歴史

町屋について その2

みなさまおはようございます。
週末いかがお過ごしでしょうか。

京都も今週末は桜が見ごろですね。
天気が良ければお花見を楽しんでいる方も多いのではないでしょうか?

先週にひき続き今回も町屋についてのお話です。
今回注目するのは「壁」。

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写真は2階の床の間です。
なんともいえない良い感じの土壁の色ですね。ほっこり落ち着きます。

この土壁は「じゅらく壁」といいます。
安土桃山時代に豊臣秀吉が京都に建てた「聚楽第」(じゅらくだい)付近で
採れる土を使っているためにこの名がついたといわれています。

無題

こちらがかつてあったとされる聚楽第です。
関白の政庁として秀吉が建て、その後甥の秀次に関白職と共に聚楽第も譲り渡しました。
しかし、秀吉は実子である秀頼を後継者にするため邪魔になった秀次を自害に追いやり
聚楽第も取り壊してしまいます。

そんな聚楽第跡はこの町屋のすぐそばです。
現在は民家が密集しており、発掘調査もできず聚楽第の全貌は
不明な点が多いのだそうです。

聚楽第…
それに先週の蛤御門の変…
歴史用語が出てくると目が泳いでしまう私。

町屋改修、本当にいろいろと勉強になります!!

かつて、聚楽第周辺地域は大名屋敷で埋め尽くされていたといいます。
この町屋のある場所はどうだったんでしょうか?

遠い時代に思いをはせつつ町屋プロジェクトは進みます。

この先も『ハマナカ商店日記』にどうぞおつきあいくださいませ。

大畑







町屋について

みなさまおはようございます。
週末いかがお過ごしでしょうか?

今週はハマナカ商店の建物についてご紹介いたします。
先週の記事にも少し書きましたが、もともとは会社の女子寮として
使用していた京町屋です。

IMG_0096
この町屋は明治の終わり~昭和の初めに建てられたと思われます。

というのも、江戸時代中ごろから明治の中ごろまでは
「厨子(つし)二階」と呼ばれる中二階建ての町屋が作られ、
明治後期から大正にかけて、「総二階」と呼ばれる現在の二階建てにあたる
天井の高い形式が生まれたからです。

こちら、町屋の二階、階段を上がったところになります。
IMG_0093


そして1864年に起きた「蛤御門の変」によって
京都市中が戦火に見舞われ、焼き払われたことからも
それ以降の建物であると推測されます。

歴史ある建物、手芸のアンテナショップとして、
これからどのように変身していくのでしょうか?

みなさま今後もどうぞおつきあいくださいませ。

大畑
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