ハッピーか、ハッピーじゃないかについて考える。
わたしが何かを決めるときに大事な、一つの大きな指針です。
わたしにとっての幸福が、誰にとっての負担か?誰にとっての不幸か?
はたまた、このわたしの悲しみは 誰にとっての幸せか?
そしてそれらを考えると、とても難しいことのように思えて 息がし辛くなります。
なんともないことかもしれない
ぜーんぜん、社会に、世界に、なかったことになってゆくようなことかもしれない
また 何れわたしも 忘れてしまうことかもしれない。
きちんと決まった時間で働き、欠けてしまってはいけない仕事をしている人に、若いから大丈夫 と言われたことがあります。
わたしは自分の 震えるほどやりたいことを、とても我が儘に、そして自由にやっています。
見方はそれぞれあると思う。
し、わたしみたいな生活を 侮辱し卑下し、否定することって さんさら間違いでないし、その言葉の意味も、わからないでしょうって言われるかもしれないけどわかる。
たとえばね、
中学生の時に学校に宇宙飛行士の方がきて話をしてくれた日
今はどうかわからないけど、宇宙飛行士の条件として160cm無いとだめって話がありました。
たとえばだよ!
わたしがもし宇宙飛行士になりたくても、なれないんだなぁって思った。
友人は、お家の都合で医者になるのを諦めた。
ある時、自分はプロのサッカー選手にはなれない、と悟った友達がいた。
悲劇でもなんでもない、けれど、とっても とってもとっても大きな 決断があらゆる場所で起こってる。
仕方のないことでも、自分で決めたことだとしても、とてつもないパワーが生まれる瞬間だと思います。
きれいごと、なんて言われるかも知れないけれど、
破れたんだ、傷ついて、ばかみたいに泣いて、どうしようもなくなって
そのどれもを 綺麗だった!という事の、何が悪い、とわたしは思います。
その後のハッピーをつくれるかつくれないか、だけがすべてで
今自分がどんなことをして、どんな風に悩んで、どんな道を選んだとしても
幸せになることを辞めるわけじゃない
誰かのことを妬んだり、疎ましく思ったりすることは 自分にとってのハッピーじゃないからしたくない
夢を見ることを、歳のせいにするのはハッピーじゃないからしたくない
もしわたしが音楽ができなくなっても、いま周りにいるあらゆる人たちを否定するのはハッピーじゃないからしたくない
全部自分の心の話です。
誰だってきっとそうだよ
優しくしたいし、幸せになりたい
そしてもしそれが自分だけじゃなかったら、きっともっともっと すごく楽しい。
やり方は何億通りだってあります。
いつだって選んでいいし、いつだって変えていい。
クアトロワンマンを終えて、渦巻く沢山の想いは どれもこれから先の標識になります。
だって、なにやってるんだろう?
なんて一瞬でも思いたくない!
自分で決めて、それが誰かのハッピーになっている今、
あらゆるパワーを使って全うすることが、必ず反応を起こすという確信と希望があるから。
一瞬一瞬が愛おしいけれど、今が全てじゃなくて。
それはわたしが、生きているからです。
明日のハッピーをつくるために、出し尽くしていたい
そして、明日の幸せを描きながら死んでいきたいと
あのステージで心から思いました。
居てくださった全ての皆様へ
本当にありがとうございました。
タグチハナ
わたしが何かを決めるときに大事な、一つの大きな指針です。
わたしにとっての幸福が、誰にとっての負担か?誰にとっての不幸か?
はたまた、このわたしの悲しみは 誰にとっての幸せか?
そしてそれらを考えると、とても難しいことのように思えて 息がし辛くなります。
なんともないことかもしれない
ぜーんぜん、社会に、世界に、なかったことになってゆくようなことかもしれない
また 何れわたしも 忘れてしまうことかもしれない。
きちんと決まった時間で働き、欠けてしまってはいけない仕事をしている人に、若いから大丈夫 と言われたことがあります。
わたしは自分の 震えるほどやりたいことを、とても我が儘に、そして自由にやっています。
見方はそれぞれあると思う。
し、わたしみたいな生活を 侮辱し卑下し、否定することって さんさら間違いでないし、その言葉の意味も、わからないでしょうって言われるかもしれないけどわかる。
たとえばね、
中学生の時に学校に宇宙飛行士の方がきて話をしてくれた日
今はどうかわからないけど、宇宙飛行士の条件として160cm無いとだめって話がありました。
たとえばだよ!
わたしがもし宇宙飛行士になりたくても、なれないんだなぁって思った。
友人は、お家の都合で医者になるのを諦めた。
ある時、自分はプロのサッカー選手にはなれない、と悟った友達がいた。
悲劇でもなんでもない、けれど、とっても とってもとっても大きな 決断があらゆる場所で起こってる。
仕方のないことでも、自分で決めたことだとしても、とてつもないパワーが生まれる瞬間だと思います。
きれいごと、なんて言われるかも知れないけれど、
破れたんだ、傷ついて、ばかみたいに泣いて、どうしようもなくなって
そのどれもを 綺麗だった!という事の、何が悪い、とわたしは思います。
その後のハッピーをつくれるかつくれないか、だけがすべてで
今自分がどんなことをして、どんな風に悩んで、どんな道を選んだとしても
幸せになることを辞めるわけじゃない
誰かのことを妬んだり、疎ましく思ったりすることは 自分にとってのハッピーじゃないからしたくない
夢を見ることを、歳のせいにするのはハッピーじゃないからしたくない
もしわたしが音楽ができなくなっても、いま周りにいるあらゆる人たちを否定するのはハッピーじゃないからしたくない
全部自分の心の話です。
誰だってきっとそうだよ
優しくしたいし、幸せになりたい
そしてもしそれが自分だけじゃなかったら、きっともっともっと すごく楽しい。
やり方は何億通りだってあります。
いつだって選んでいいし、いつだって変えていい。
クアトロワンマンを終えて、渦巻く沢山の想いは どれもこれから先の標識になります。
だって、なにやってるんだろう?
なんて一瞬でも思いたくない!
自分で決めて、それが誰かのハッピーになっている今、
あらゆるパワーを使って全うすることが、必ず反応を起こすという確信と希望があるから。
一瞬一瞬が愛おしいけれど、今が全てじゃなくて。
それはわたしが、生きているからです。
明日のハッピーをつくるために、出し尽くしていたい
そして、明日の幸せを描きながら死んでいきたいと
あのステージで心から思いました。
居てくださった全ての皆様へ
本当にありがとうございました。
タグチハナ








