2011年01月08日

お世話になった方々へ


この度は亡父 桑田 誠司 儀 の葬儀に際しましてご多用の中多くの方々に御焼香、御会葬を賜りありがとうございました。お陰様で葬儀告別式は滞りなく済ませることができました。生前のご厚誼にこの場をお借りして厚く御礼申し上げます。

父のブログのIDとパスワードがわからず長い間更新が滞ったままになっておりましてコメントを頂いた方への返信もできず申し訳御座いませんでした。

このブログをご覧頂いていると言うことは殆どの方が御存じかと思いますが、父は平成21年11月に大腸癌を患い摘出手術後、他臓器への転移が多いため抗癌剤治療を続けておりました。様々な副作用を乗り越え頑張っておりましたが、平成22年12月31日0時2分に多臓器不全により62歳で病院で亡くなりました。

生来体力があった為か、自覚症状があったとは思うのですが癌を発見したときにはすでに末期の状態で肝臓、肺、リンパ腺への転移が見られ、医者から家族へは「半年生存する確率は20%」と宣告されておりました。
最初は本人には肝臓への小さな転移だけと伝えておりましたが直ぐに医者に直接話をしに行き全てを聞いたようです。本人の性格上病状を隠されてやりたい事も出来ずに延命するよりも、全てを知った上でやりたい事を出来るだけ多くやろうと考えたのではないでしょうか。

それからは50年振りに小学校の同窓会を開いて旧友に会ったり、昔仕事で行ってお世話になっていた岡山や母の実家のある愛媛へ母を連れて自分の運転で旅行に行ったり、趣味だったアマチュア無線の遠方の方に会いに行ったり、北海道へも母と二人で旅行に行ったりもしてました。結婚してから伊豆へ新婚旅行へ行って以来二人での旅行なんてなかったので母へは良い思い出作りになったのではないでしょうか。

いよいよ抗癌剤が効かなくなってきた頃、以前のブログにもあるように酸素カプセルに入るような治療に切り替え東京へ月に一度行くようになりましたが、その時も同窓生の方々がプチ同窓会のような物を企画してくれていたらしく、治療の為と言うより旧友に会える事を「もう一ヶ月生きる為の原動力」として楽しみにしていたようでした。

一年間の闘病生活で本当に多数の方に助けて頂きました。癌の治療にとサプリメントや健康食品を頂いたり、食事が辛くなれば食べやすいものを送って頂いたり、様々な治療法を紹介して頂いたり、足が弱ってくると移動の際は送り迎えをして頂いたり、応援、激励のお声を頂戴したり、、、半年もたないだろうと言われていたのに一年も頑張れたのは家族よりも友人の方々のおかげだと思います。

学生時代、共に汗を流し想い出を作って頂いた方
国道沿いの店で深夜までビリヤードをして遊んで頂いた方
一緒にゲレンデへ出てスキーを楽しませて頂いた方
一緒に芦屋クラブを起ち上げて父と同じグランドに立って頂いた方
芦屋ラグビースクールのコーチとして父と共にラグビーの楽しさを教えて頂いた方
仕事を教え担当者の枠を越えて友人付き合いして頂いた写真業界の方
JCや商工会等父の友好関係をさらに広げて困った時に助けて頂いた方
酒好き、旨いモノ好きな父と一緒に深夜まで飲み明かして頂いた方
大好きだった無線のアンテナを担いで山へ登って頂いた方
震災の時、倒壊しそうだった父の心を支えて頂いた方
カメラ、写真を通じて父とハナヤ勘兵衛を大切に思って頂いた方
入院している時、病室まで足を運んで父に元気をわけて頂いた方
最後の日、父を私達家族と一緒に送り出して頂いた方々

ほんとうにありがとうございました。

少し他の人よりは短かったかもしれませんが、充実した良い人生だったと思います。心残りがあるとすれば62年間色々な方に頂いた御恩を返しきれずに逝った事でしょうか。もしかしたらまだ「呑み足りなかった」かもしれませんね。(笑)


父が得た貴重な御縁を大事にし、頂いた御恩を父の代わりに返すと共に、父が守ったハナヤ勘兵衛と言う店を守り継いで行ける様努力する事が父への供養にもなるかと思います。
浅学非才にして若年の身でございますので、何卒格別の御指導と御鞭撻を賜りますよう、また、残された母や祖母、姉弟には故人亡き後も変わらぬ御厚誼を賜りますよう御願い申し上げます。


父のように文才は無く、読み辛く長いだけの文章になってしまいましたが、皆様に拝趨の上お礼申し上げるべき所、略儀ながらこのブログをもちましてお礼申し上げます。

平成23年1月8日

株式会社ハナヤ勘兵衛
代表取締役社長     桑田 敬司






このブログは暫くの間そのままにしておこうと思います。
ハナ勘の4代目の社長として「社長のブログ」を続けるか、このブログは父のブログとして残して別途「社長のブログ」を新たに作るか、また決まりましたらこちらとホームページ(更新が滞っておりご迷惑をおかけしております)に御報告いたします。



hana_kan at 03:44|PermalinkComments(9)TrackBack(0)

2010年12月13日

暫しのお休み

先週は東京で減圧治療の二回目でした。
 書いたつもりでしたが UPにミスしたようでゴメンナサイ。
 体調が良くないので(黄疸が出てきました)暫しお休みです。
 ネタはいっぱいありますので もう少しからだが動くようになったら
 ボチボチ書いていきます。 ご心配をお掛けしてスミマセン。
 家には居ますし 携帯は繋がりますのでお急ぎの方はご連絡下さい。

hana_kan at 10:14|PermalinkComments(5)TrackBack(0)

2010年12月03日

フィルムはどうなる?

世の中は完全にデジタルですね チョコチョコ聞かれますが
 「フィルムって無くなるのですか?」 さてどうでしょうね。
 あくまで私見ですが 無くなることはないと思っています。

 音楽の世界でもCDが主体にはなりましたがLPは残ってますよね
 「やはりLPでないと CDだと音の深みが出ないんだよ」なんて方モネ。

 フィルムはそこまで減ることはないと思いますね。 
 世の中の全ての人がコンピューターを使えるようになるのなら別ですが
 それでもフィルムの愛好家は無くならないでしょう。LP程度には残る?

 既に販売されたフィルムカメラ ライカをはじめ膨大な量ですよ
 コレの愛好家がいらっしゃる限りは フィルムの供給は有りますね。
 但し 使用環境はますます不便にはなるでしょう コレは間違いなし。

 コダクロームが消えて数年 アメリカ送りでバカ高い現像料でも
 未だに全世界から集まってくるそうな それもかなりの量らしいです。

 当店における現像所の集配も 昔は一日に朝と夕方の二便でした。
 今は昼前後の一便だけですね 聞くところによると一般のお店は
 集配料を支払って来て貰うそうな 幸い当店ではそこまではしてません

 そしてリバーサルの現像も 以前は夕方に集めて夜間に現像して
 翌日の朝便にて配達されてましたが 今は夜間の作業は無し
 ですからお客様のお手許には 以前は翌日にお届けできたのが
 今はどうしても中一日かかります。

 フィルムの作業は少しヤヤコシイ伸ばしなどは一週間が当たり前
 地方ではリバーサルプリントも一週間だって!
 当店に地方からフィルムを送ってこられる方が結構いらっしゃいますが
 地元のカメラ屋さんに現像を出して プリントするより 芦屋へ送った
 方が往復の郵送日数を含めても早いんですって。 チョットビックリ。

 でもいずれは都会でもそうなる可能性はありますね 絶対量不足!
 フィルムの種類も減ることは間違いないでしょう 今のように
 ISO100のリバーサルが数種類ナンテ事はなくなるでしょうね。
 枚数も36枚撮りに収斂されていくのでしょうね 仕方ないことです。

 フィルムは無くならないでしょうが 使用環境は厳しくなります。
 当店ではフィルムはずっとフォローしていきますので
 愛好家の皆様 宜しくお願いします。 ガンバリマース!
  

hana_kan at 08:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)