8月に入って、母の新盆を前に、

その準備に忙しい毎日を過ごしています。

8年ほど前から、庭の仕事が忙しい季節を見計らって

定期的に帰国しては、母の手伝いをしてきたけれど、

母が病にかかり、そして帰らないたびに出てしまってから、

今まででは、想像できないほどの仕事の量に、

「本当に、僕一人でできるだろうか。。。」

不安な気持ちを抱えて居た僕に、

とても温かな手を差し伸べてくれたのは、

近くに住む、父方の伯父でした。


庭木の剪定の仕方から、草の刈り方、梅の木畑の下枝打ち、

そんな仕事の仕方を、何にも知らない僕に

「楽しみながら、一緒にやろう!」

そう言って毎回、叔母さんの美味しい手料理や、叔父さんが育てた季節ごとの野菜と一緒に、

何度も何度も足を運んでは、根気よく教えてくれました。


病気がちで、体の弱かった父が若くして他界して以来、

母がこの庭や、畑を守ってきたけれど、

父にも母にも、その手解きを受けることなく、

二人とも居なくなってしまった。

でも今、叔父と二人で、大汗をかきながら

作業をして、荒れた土地が、清々と蘇った様を、

二人で眺めながら、汗だくになった作業着に、そよ風を感じながら、

午後の傾き始めた日の光の中、一息いれる時の充実感とその幸せは

言葉にできないものだった。

父、母、祖父母の思い出を共有し、

そしてこの家の歴史を語り合える大事な存在。


今まで何故か、こんな風に深い交流の機会がなかったけれど、

これもまた、きっと父や母が僕にくれた大切な財産だと、

一緒に作業をする度に、その喜びを噛み締めている。


先日、そんな伯父が、「うちの庭に咲いてる花を摘んできたよ。」

と、ルドベキアタカオ、姫ひまわりを手渡してくれた。

嬉しくて嬉しくて、その花たちが眩しくて、

この花を生けながら、ちょっとだけ涙ぐんでしまう程だった。

それは、血の繋がった伯父との交流が始まった喜びが、

この花の向こうに見えるから。

きっとこの花は、これから先もずっとずっと、

伯父さんとの思い出と共に、残り続ける花。



『伯父さん、
僕は言葉が足りないから、
この嬉しい気持ちを、ちゃんと伝えたいけれど、
なんだか上手く伝えられなくてごめんなさい。
でも、伯父さんと一緒に、大汗をかきながら作業をしてきた時間は、
きっと、ずっと忘れられないくらい輝いた、幸せな時間でした。』



母の介護の為に、この家に帰ってから10ヶ月、

春からは、姉と一緒に、ひたすら、ひたすら突っ走ってきた。

母という存在がどれほど偉大で、大切な存在だったか、

母がどれ程、僕たちに愛情を注いでくれていたのかを知れたこと。

僕を応援してくれている、友人たち、

そして、叔父との新たな交流が始ったことが、

僕にとって、大きな慰めと前進する力になっている。





母の新盆と共に、もうすぐ、

この激動だった10ヶ月が終わろうとしている。


次また、この実家に帰ってくるのは、

秋が深まり、コスモスが咲いて、赤とんぼが飛び、

夜には、そこら中に虫の声が聞こえている頃。



そしたらまた、「ただいま!お母さん!」そう言って

今まで通り、玄関の戸を開けようと思う。




お母さん、お姉ちゃん、そして伯父さん、

どうもありがとう。




秋風の吹く頃に、また会いましょう。







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山百合



先日、母の49日を無事に終え、

今は8月の新盆の準備と、

まだ残っている、公的な手続きに追わている毎日。



最近どうしても早朝に目が覚めてしまう。

夜が明け始める頃に聞こえるひぐらしの声の所為だろうか。

夕方に聴こえるひぐらしの声とは違って、

早朝に鳴くひぐらしの声に、

深い孤独と不安な気持ちを煽られてしまうのは、僕だけだろうか‥‥




数日前、早朝の山に花を摘みに出かけた。

少しひんやり、しっとりとした、ブルーの世界が

朝焼けと一緒に、だんだんと明るくなって

朝露に濡れた木々や草が、陽の光に輝き始め、

足元に広がる水田のむこうの山に、白い花が見えた。

近づいてみると、それは真っ白な山百合。



「夏山の緑の中に咲いてる山百合は、神秘的で綺麗だね‥‥」



昔、母と夏の山を見に出かけた時に出会った山百合を思い出した。


山の緑にの中に立ち並ぶ、目の前の山百合の白い色と、

湿った、冷たい空気に漂う、山百合の甘い香り、

そして、辺りに響き合う、ひぐらしの声に

ひととき身を投じていたら

もう、母が居ないという、空虚さと寂しさがこみ上げてきた。



「百合の花は、雄しべを取らないと、花びらが汚れたり、
 服についたら落ちないから、本当は取ったほうがいいんだけど、
 私は、この朱色の雄しべを付けたままの方が好きなの‥‥』


そう言って、小さな手に一本の山百合を嬉しそうに持っていた母に

もう一度会いたかった。




49日を過ぎて、母はきっと天上で、

若くして亡くなった父や祖父母、

そして母方の祖父母と叔父に再会している頃だろうか。


もう、この家に帰って

玄関の戸を開けて、「ただいま!」と言っても、

「よく帰って来たね、疲れただろう?」

そう言って微笑んでくれる人は居ない。



僕がまた母に会えるのは、

僕がこの世去って、やはり49日が過ぎる頃なのだろう。

その日が待ち遠しいけれど、

僕はまだ、生き続けなければならない。




今朝もまた、夜明けのひぐらしで目を覚ました僕は、

あの日の、山百合を持った、

母の小さな手を思い出していた。







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献花




2017年 6月3日 午前11時47分

母が帰らない旅に出ました。



9ヶ月間、この庭の季節の移ろいとともに、

母と一緒に生きられたこと、

そして、最期に母が息を引き取る瞬間までを

見届けることが出来ました事を、とても幸せに思います。



幼い頃から、たくさんの苦労を抱えながらも

いつも僕に、優しい笑顔をくれた母に、

そして、四季の移ろい、山や野に咲く花の美しさと、

その憂いを教えてくれた母に、

僕に花への心を残してくれた母に、

好き勝手に生きてきた僕を、黙って見守ってくれた母に、

毎回、帰郷する度に、四季の恵みいっぱいの美味しいご飯を作ってくれた母に、

庭の手入れの時期や、方法を教えてくれた母に、

どんなに寂しくとも、「私の事は心配ないよ。」と言って笑ってくれていた母に、

病気と闘いながら、最後に微かな声で、

『博、博はもう立派な大人になったんだ。そのままの博でいいんだよ。
どんなことを言われても、どんなことがあろうと、
自分の信念を持って、堂々とまっすぐ生きて行きなさい。
博の花の作品を、これからも楽しみにしているからね。』

僕の頭に手を当てて、目に涙をためて、そう言ってくれた母に、

僕の、花への心を育んでくれた母に、

たくさんの、愛をくれた母に、

たくさんの思い出を残してくれた母に、

僕の、ありったけの愛と、感謝と、涙と、笑顔、

そしてこの花を贈ります。



母の長い間の苦しみも、悲しみも、寂しさも、

不安も、後悔も、喜びも、想い出も

全てが解き放たれて

青い空に溶けて、そよ風と陽の光に洗われますように。




お母さん、どうもありがとう。

僕は、お母さんの子供に生まれたことを嬉しく、誇りに思います。

お母さんがくれたもの全てを、大事に心に留めて、

これからも、姿は見えなくなっちゃったけど、

お母さんと一緒に、まっすぐに生きて行くからね。



沢山、沢山、想ってくれて、ありがとう。

またいつか、きっと会おうね。

その時まで半分だけお別れだね、お母さん。




ありがとう お母さん。


半分だけ、さようなら‥‥ お母さん。









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