2017年11月

粟又の滝写真20枚とビデオ動画を組み合わせてyou tubeにアップしてみました。

養老渓谷といえば栗又の滝や梅が瀬渓谷など沢巡りのほうが有名ですが、山のほうにも紅葉の見所があります。
梅が瀬渓谷の入り口から右に坂を上るとこちらにも紅葉の名所があるのです。
道路沿いにもみじの紅葉を満喫しながら大福山へ向かいます。
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ここはハイキングコースとなっていて、養老渓谷駅から梅が瀬渓谷の沢沿ってに入って、最深部にある日高邸跡のもみじを見て、急な坂を上って大福山に至り、緩やかな坂を下りながら、紅葉を見ながら小湊鉄道「養老渓谷駅」に戻るコースで、葯10キロほどあります。

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養老渓谷の「梅が瀬渓谷」最深部にある「日高邸跡」のもみじです。
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日高邸に通ずる「梅が瀬渓谷」
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明治の偉人日高誠実(のぶざね)は、明治19年、50歳になって陸軍省を辞し、官有地229町歩を無償で借り受け、理想郷梅ヶ瀬を建設すべくこの地(当時の地名で市原郡白鳥村西沢)に居を移しました。

そして近隣十ヵ村の人たちの協力を得て、植林・養魚・畜産等に力をつくすかたわら、梅ヶ瀬書堂を開校し、近郊在住の師弟に国漢・英数・書道・剣道等を教授し有為な人材を育成しました。

従学する人々は市原・君津・長生・山武・夷隅の五郡(当時)にわたり、数百人に達したといわれます。
 しかし、深山幽谷の地形はあまりにも地の利が悪く、台風や豪雨のたびに山は崩れ、川は埋まり、根付いたばかりの梅樹も根こそぎ倒され、養魚場も荒らされました。

誠実は私財を投じては復興に精を出しましたが、志は次々についえ、大正4年近隣の人々から惜しまれながら80歳の生涯を閉じました。

 梅ヶ瀬書堂跡は往事を偲ぶよすがもなく、この地に日高誠実がいたことを知る人さえ少なくなっていましたが、その志を後世に伝えるため、有志により大福山休憩所近辺に顕彰碑の建立を計画したところ、多くの人々の賛同があり、平成11年11月23日、書堂跡、大福山展望台、養老渓谷駅前の3箇所に顕彰の碑が建立除幕されました。

※以上「日高誠実先生顕彰碑建立計画に関する趣意書」より大意を転載。

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養老渓谷の紅葉見物のついでに上総中野駅に寄って見ました。
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上総中野駅とは、千葉県夷隅郡大多喜町にあるローカル駅です。
小湊鉄道といすみ鉄道が乗り入れした終点接続駅ですが、相互乗り入れはしておりません。
このように二つの路線はホームの反対側で車止めで、行き止まりになっています。
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何で相互乗り入れしないかと言うと、鉄道の長い歴史の中に様々な経緯があります。

私鉄である小湊鉄道は設立当初、内房線の五井駅と外房線の安房小湊駅を結ぼうとしていました。
一方で、当時の国鉄「木原線」(現私鉄・「いすみ鉄道」)は木更津駅と大原駅を上総亀山駅を通じ、現在の久留里線を経由して結ぼうとしていました。

しかし両方とも実現しませんでした。
2つの成らなかった房総横断線がこの駅で接続しました。

小湊鉄道といすみ鉄道の本線はそれぞれ車止めになっており接続していないが、駅舎と反対側にある側線で接続しています。

小湊鉄道といすみ鉄道の相互乗り入れは以前より提案がなされていますが、実現していなません。
2社とも(特に小湊鉄道側が)消極的で、今日まで至っています。

そろそろ年賀状の準備など思っていた所へ届いた突然の手紙
鹿児島に住む幼ななじみのH君

毎年年賀状は欠かさずしていたのだが、奥さんから「喪中につき年賀状は。。。」との知らせ
びっくり、残念です。

彼は子供の時から誰とでも公平に、そして穏やかに接して、成績はいつもトップクラスで、
とても愛すべき人でした。

数年ほど前に行われた同窓会には、遠方からはるばる参加してくれました。
最後に全員で合唱した「ウサギお〜いし あの山〜〜」♪

その時は、感極まって感涙した姿が忘れられません・・・
追悼の意味で、その時の様子をアップさせていただきます。

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縦の虹が見られました。

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バスからの撮影です。

一つにまとめて見ました。

写真をクリックして下さい。
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朱色に塗られた観月橋と紅葉が織りなす景色は訪れる人の心を和ませてくれます。
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日本海や佐渡までが一望できますが、この日はあいにくの雨でした。 
100mの高さの回転昇降展望塔、「パノラマタワー」やレストランもあります。

山懐には弥彦神社が祭られてうます。
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山頂までロープウェイで
途中からガスっていて、紅葉はあまり見ることが出来ませんでした。
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山頂では、雪交じりの雨が降っていました。
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今日は佐渡ヶ島は見えません
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こんな乗り物で下に降ります。
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大正時代、日本の五百町歩(500ヘクタール)以上の大地主の半数は新潟にあった。
なかでも「千町歩」の巨大地主は新潟に5家を数え、田上の田巻家(原田巻家)も、そのひとつ。
田巻家は江戸末期、1300町歩、小作人2794人を抱えた。
1897年、7代目当主が「不況で仕事のない小作人を働いてもらう」ために、当時日本三大名人の一人と言われた
富山・井波の宮大工松井角平に依頼して建てた離れ座敷が、椿寿荘。
建築に3年半を費やした。
屋敷は、建坪約140坪、ヒノキを使った重厚な寺院様式で、クギを一切使わず仕上げている。
目を引くのは、随所に使われた銘木。
樹齢800年の会津欅(ケヤキ)をふんだんに使った玄関と露縁。
菊を透かし彫りした欄間のクスノキの1枚板。
圧巻は露縁のひさしのけたに使われた約20メートルの節ひとつない吉野杉。
大阪から海路、新潟から信濃川をさかのぼって運ばれました。
(以上 田上町HPから拝借)

玄関を入るとすぐ、「画家・三富与一氏」の衝立の絵が出迎えてくれます。
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それぞれの部屋、豪農だけあって広いですね。
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長岡もみじ園です。

明治29年頃、大地主・高橋家の別荘内に庭園として造られた紅葉の名所です。

樹齢200年程のモミジやカエデが色鮮やかに染まります。


宿泊したホテル「樺野沢・グリーンプラザ上越」
樺野沢(かばんさわ)と読みます。

スキー客をメインに利用するホテルで、シーズン前のこの季節は紅葉のツアー客が利用されています。
この日は初雪で、ホテル前の山肌は白くなりかけてきて、ホテル周辺も雪交じりの雨でした。
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大正15年から造園された情緒たっぷりの日本庭園です。
園内はつつじやもみじをはじめ多数の樹木に覆われ、その間には灯篭、石碑、太鼓橋、池などを配しています。

10月28日から11月26日までのライトアップでは、昼間とは一味違った、幻想的な雰囲気を味わうことができます。

日本海に延びる、長さ102mの木製の橋「夕凪(ゆうなぎ)の橋」。
この橋から日本海に沈む夕日は、世界一大きいと言われています。

『橋の欄干に鎖を結び鍵をかけると恋が成就する。』
そんなうわさが自然発生的に広まり、いつしか「恋人たちの橋」と呼ばれはじめました。

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新潟県十日町市蒲生地区の小さな山間いに、ゆったりと広がる「蒲生の棚田」

カメラマンには人気の場所です。

ツアー旅行のため、じっくりと腰を据えて撮ることは出来ませんが、紅葉とのコラボです。

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十日町市松之山の丘陵に、樹齢90年ほどのブナ林が広がっています。

昭和初期、木炭にするためこの辺りのブナは全て伐採され原野となりました。

その後、一斉に育ったブナはすらりとした立ち姿が美しい事から「美人林」と呼ばれています。

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12シリーズです。
行った順に、アップして行きます。

NO-1は「諏訪狭」です。
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12シリーズです。
行った順に、アップして行きます。

NO-1は「諏訪狭」です。

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雪が降ってまず

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