2013年02月06日
2012年11月 コペンハーゲン&ワルシャワ

11月に仕事で本社があるコペンハーゲンに行ったのである。コペンハーゲンには年1回くらいしか行っていないが、これでは本社首脳陣と疎遠になってしまう。これからは反省して年3回位は詣でることにしたい。 で、今回は日本で新しくシャムネコのパートナーとしての契約が進行中の、ノラネコ社をお連れしてのコペンハーゲン詣でである。日本のIT&コンサルのトップクラス企業であるノラネコ社との契約できるところまで成長したシャムネコジャパンだと思うと、4年前のニューオリンズで自分に訪れた転機を思い出し、我ながらここまで頑張ってきたと思う。
11月のこの街は寒い。

でも、これからもっと寒くなる。上の写真はシャムネコ社の屋上からのコペンハーゲンの中心部の景色。チボリ公園が見える。
町はクリスマスの雰囲気に包まれていた。


話は変わるが、第二次大戦のときに東京はアメリカにとてつもない空爆を受けた。当時普通の住宅地だった青山に住んでいた20歳くらいの俺の母親は、地獄絵図のそのもののあの日に、近所のおじさんにガイドされ青山墓地に命からがら逃げて、直接の爆撃を逃れた。まわりの家々は跡形もなく破壊された。青山墓地が幸運をもたらした。青山墓地がなければ俺も生まれなかったのだ。

ワルシャワも第二次大戦で徹底的に破壊された。ナチス軍である。助けてくれるはずだったソ連はなぜか来なかった。
ファシズムとソーシャリズムの狭間で運命を翻弄された国である。ワルシャワ市街では、当時の傷あとも多少垣間見られた。でも古い街並みを情緒よく再現して復興しているこの街に敬意を表する。戦争の歴史の博物館に寄っていろいろ学んだ。

この街はコペンハーゲンよりさらに寒い。1時間も歩いていると凍てついてくる。そんな中を8時間くらいうろついていた。赤ワインを甘くしてシナモンやクローブなどのスパイスを入れて温めたホットワインが、凍える体を助けてくれた。
音楽的にはこの国はショパンの国だ。ショパン博物館で彼が使用したピアノ等を見学した。
