マダムの部屋

愛国女性のつどい花時計代表でもあるマダムが思った事など書いています。

2012年03月

「琉球」という言葉に敏感になろう!

 先日、たまたまドライブの途中で埼玉県・上里(かみさと)のサービスエリアで休憩しました。何か食べようと思ってパンコーナーへ入ってあれこれ、選んでいたら「琉球ドーナツ」という文字が目に飛び込んできました。「琉球ドーナツ」? なぜ「沖縄ドーナツ」じゃないの?

 翌日、私は早速、「琉球ドーナツ」の謎を追ってみました。レシートにあった「ロイヤル空港高速フードサービス」に電話して、聞いてみます。

「こないだ上里のサービスエリアでパンを買ったんですけど、あそこに琉球ドーナツってありましたよね?」

「はい、ございます」

「あれ、なんで琉球ドーナツなんですか? 沖縄ドーナツじゃないんですか?」

「ああ・・・あれは業者さんの方からネーミングもされていた商品だと思います」

「業者さん? 業者がつけた名前なんですね。その業者の名前を教えて頂けませんか?」

「ああ・・・それはちょっと・・・個人情報なんで・・・」

 

 ちょっと私が神経質になり過ぎなのかなあ、と思って反省しました。でも数日後に銀行へ行って、またまたこの「琉球」という文字を発見してしまったのです。銀行の窓口で、ですよ! 投資の相談だったので個室のように一人、一人区切られている窓口です。担当者がちょっと席を外した時に何気なく横を向くと、目の前の壁に年表が貼ってありました。一番上に年、その下にその年に起こった出来事が一つか二つ、書いてあります。日本で起きた出来事の下に世界経済の動向が書いてあって、その下に世界で起きた政治的な出来事が書いてある。詳しい年表ではなくて、ごく大雑把な年表です。ところが、この年表が実に「偏向」しているのです。のんびり見ている時間はなかったのですが、一番驚いたのは1952年の下に「琉球中央政府発足」と書いてあったことです 1952年といえばサンフランシスコ講和条約が発効して日本が占領下から主権を回復した、おめでたい年です。その年の一番、大きな出来事は当然「日本の主権回復」でなければならないのに、それがなくて代わりに「琉球中央政府」????

 沖縄返還は1974年ですから、52年にはまだ完全なアメリカの占領下のはずです。「琉球中央政府」というものがあって、それがアメリカの了承を得ずに勝手に国を作った、ということなのでしょうか? 一体この年表を作ったのは誰なのか 大手都市銀行の顧客窓口にこんなトンデモ年表が堂々と貼ってあるとは・・・この現実には本当にゾウッとします。私たちの日本は本当に大丈夫なのでしょうか?

 

 今、発売中の雑誌「WiLL5月号に仲村覚さんというジャーナリストが書かれた「中国が用意している沖縄占領憲法」という記事が載っています。それによると2011117日、香港の「アップルデイリー」という新聞に「中華民族琉球特別自治区援助準備委員会設立の公告」という広告が載ったそうです。琉球=沖縄はもともと中国領、沖縄の人々は中華民族の一員、ということを主張するトンデモ広告ですが、問題はこれが沖縄ではなく香港で出たことだそうです。つまり、沖縄県民に知られないような形で中国国民に向かって琉球自治区設立には正当性があるんだぞ、と主張するプロパガンダなのです。

歴史的に見て沖縄が明や清の属国であったことは一度もありません。「琉球人」と言えるような民族はいませんし、独立した国であったわけでもありません。日本に返還されることを沖縄県民は心から望んでいたのであって、本土の人間が沖縄の人々を差別したり虐殺したという事実もありません。もし沖縄県民に「自分は日本人だ」という意識がなかったら、大東亜戦争の時にあれほど立派に戦えるはずがありません。

 

 皆さんの周りにも「琉球」という言葉が増えていませんか? 少しでもおかしい、と思ったことはどんどん口に出して言いましょう。ささいな事だから、と思って見過ごしているうちに「琉球」がどんどん一人歩きしてしまうような気がします。「琉球」という言葉に敏感になりましょう! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インドネシア残留日本人の生涯

 インドネシア、と聞くと何を思い浮かべるでしょうか? バリ島など、リゾート地以外はこれといって何も思い浮かばない人が多いのではないでしょうか。それほどあまり話題に上らない国ですがインドネシアは、実は大東亜戦争の激戦地でした。日本が大東亜戦争に踏み切らざるを得なかった直接のきっかけはアメリカなどから石油の禁輸措置を受けたためです。石油がなければ軍艦も動きませんし産業も成り立ちません。そこで石油を求めて今のインドネシア、当時はオランダ領東インド(蘭印)に進攻し、石油基地を攻略する作戦を立てたのです。

 

 オランダがインドネシアを植民地にしたのは1603年のことです。オランダは400年近く、インドネシアを支配しながら反乱を恐れてインドネシア人に共通の言葉すら与えませんでした。田んぼを潰して輸出作物のコーヒーやサトウキビを植えさせたため、飢餓で人口が3分の1になったという記録もあります。日本軍はたった9日間でオランダ軍をインドネシアから追い払うと、まずジャカルタ語を共通語として普及させました。学校を作り、行政を教え、警察を作り、「ぺタ」というインドネシア軍を創設しました。たった3年のこれらの改革によってインドネシア人は急速に「インドネシア国民」としての意識に目覚めてゆきました

1945815日に大東亜戦争は終わりましたが、インドネシアではその後も約4年間、戦闘が続きました。

日本が負けると再びオランダがインドネシアの領有権を主張して戻ってきました。ところが戦前はオランダの過酷な支配に大人しく従っていたインドネシア人が今度は武器を取ってオランダ軍に勇敢に立ち向かいました。その中心となったのは日本軍が育てた「ぺタ」でした。その時、2千人の日本軍兵士も日本に帰らずにインドネシアに留まり、インドネシアの独立戦争を助けました。そんな日本軍兵士のうちの一人、藤山秀雄さんの生涯をまとめた本が出版されました。『皇軍兵士とインドネシア独立戦争―ある残留日本人の生涯』(吉川弘文館・2200円)で、著者はまだ20代の林英一氏です。

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 藤山さんは1922年、佐賀県に生まれました。炭鉱で働いたあと八幡製鉄所に勤務、19歳で志願して軍人になります。その年の12月に真珠湾攻撃があり、藤山さんはシンガポール、ビルマと転戦しますが、ビルマ戦線で砲撃を受けて右足の膝に打撲傷を受けます。戦えなくなって日本に帰還を命じられますが帰国を拒否し、ジャワ島35教育飛行隊に移ります。もしこの時、日本に帰っていたら藤山さんがインドネシアの土を踏むことはなかったでしょう。この時の心境を藤山さんは「日本に帰ってもしょうがないから」と、さらりと語っています。

 藤山さんは22歳でジャワ島中部のソロの飛行場に派遣されます。日本が負けたというニュースを聞いた時はショックのあまり失神してしまったそうです。919日、のちにインドネシアの大統領になるスカルノが演説でインドネシアの独立を訴えるのを聞きます。1946年に日本軍を離隊し、以後4年間、「フセン」というインドネシア軍の1兵士としてオランダと戦います。1948年に結婚。相手の女性は、1072もあるインドネシアの民族の中でジャワ人に次いで人口の多いスンダ人でした。

 インドネシアとオランダの戦争といっても実態はそう単純ではなく、さまざまな勢力が入り乱れてのゲリラ戦でした。インドネシア人の内部も分裂を繰り返し、敵もオランダだけではなくイギリス軍、イギリスの植民地だったインド軍兵士など、さまざまでした。泥沼の戦いが続きましたが最後はアメリカがオランダに戦後復興支援を打ち切ると脅して植民地支配の放棄を促し、オランダはしぶしぶインドネシアを手放しました。インドネシア共和国が建国されたのは19508月です。

 
 オランダは日本と戦ったのはわずか
9日間で戦勝国中もっとも被害が少ない国でした。アメリカが勝ったからたまたま戦勝国になったというだけのことでした。しかし自力で日本軍に勝てなかった分、却って復讐心の炎を燃やし戦後、日本軍兵士に対してもっとも残酷な報復を行ないました。オランダの軍事法廷では裁判長の裁量一つで検察の求刑より重い判決が出ることも少なくありませんでした。捕虜になった日本兵に対して国際法違反の虐待、拷問を行ないました。戦争はもう終わったのになんと236人もの日本軍将兵が「捕虜虐待」や「現地人を拷問した」という身に覚えのない罪名で死刑に処せられたのです 遺族は「戦犯の家族」という汚名に戦後、苦しめられました。

インドネシアの独立のために日本は多大な犠牲を負いました。そのような先人の戦いぶりを私たちは誇りに思い、次の世代に語り伝えなければなりません。

 

 

 

 

教科書が教える中国史は嘘ばかり!?

 中国の近現代史はアヘン戦争でイギリスに負けた時から始まる、孫文は「三民主義」を唱えた中華民国の建国の父、毛沢東は地主に虐げられていた農民を解放して土地を公平に分配した、日本は中国の領土だった満州を侵略して満州国を建てた・・・・今、日本の教科書ではこんなふうに教えていないでしょうか? 中国についてこれまで私たちが習ってきた歴史はほとんど嘘で、シナリオを書いていたのは毛沢東だったーこんな衝撃的な事実を明らかにした本が去年の秋、出版されました。『真実の中国史[1840-1949]』(李白社)です。

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  熱っぽく語る宮脇淳子氏                        

 17日(土)、この本を書かれた宮脇淳子さんの講演会が東京・文京シビックセンターでありました。主催は「戦略・情報研究会」(代表 久野潤 kunojun@amethyst.broba.cc)です。歯切れの良い、いつもの「宮脇節」は絶好調でとても楽しい、良く分かるお話でした。

  
 中国史を考える時、つい私たちが騙されてしまうのは「中国」という言葉だと思います。「中国」という言葉を中国人自身が使うようになったのは1911年の辛亥(しんがい)革命の時、つまり20世紀になってからのことです。辛亥革命は清朝の将校たちが起こしたクーデターでしたが、彼らのほとんどが日本の陸軍士官学校に留学した経験がありました。当時、彼らは自分の国を「支那」と呼んでいましたが「支」も「那」も良い意味ではないので「中国」と言い換えることにしました。そして辛亥革命=黄帝即位紀元4609年としたので、これが「中国五千年」というフレーズになりましたが、これは日本に対抗してでっち上げた嘘です。黄帝というのは伝説の皇帝ですが、これは神武天皇を意識して創りあげたものだし「4609年」は日本の皇紀2600年の2倍、古い国ということにしようということで決めた数字です。

 1840年のアヘン戦争に負けて中国は西欧列強に分割され、屈辱の歴史が始まった、というのも嘘です。実際には1894年の日清戦争で清が日本に負けたことから欧米列強の介入が始まり、清は半植民地化されます。しかし、日本のせいで中国の近代史が始まった、と言うのは悔しいので毛沢東はイギリスに負けたから、というふうに歴史を書き換えたのです。

 宮脇先生のお話を聞いているとつくづく日本人と中国人は違う民族だ、ということを感じます。日本人は歴史の客観性を大切にしますが、中国人にとっての歴史とは「勝利の物語」です。自分たちにとって都合が良ければそれで良いのです。今、中国共産党は自分たちの正統性を証明するために歴史の捏造を繰り返しています。「南京大虐殺」などというデタラメな話を作り上げるのは、そうしなければ政権を維持できないからです。

 しかし日本の教科書を執筆している学者は真実を知ってか知らずか、嘘の歴史を日本の子供たちに教えています。これでは学者、研究者を名乗る資格はありません。今、中国は「これが中国史だと日本の子供に教えなさい」と日本の文科省に圧力をかけていますが、それは「歴史」ではなく「政治」なんだということをまず、私たち自身が知り、多くの人に伝えてゆく必要があります。

 

 私たちが中国をなかなか理解できないのは日本という国がまれに見る幸福な国だから、かも知れません。海に囲まれた日本列島の中でわが国は古代からずっと同じ広さの国土を保ってきました。このこと自体があり得ないほど幸運なことです。万世一系の天皇のもとで国民は同じ言葉、同じ文化、同じ伝統を共有してきました。貧富の格差も比較的少なく、階級差もさほどひどくなく、職業による差別も男女差別もほとんどありません。私たちにとってはこういうことはごく当たり前ですが、中国人から見れば夢のような話です。悔しくて憎くて仕方がないのも分かるような気がします。

 最近、知ったのですが中国には「嘘つき」に該当する言葉がないそうです。嘘をつくのは当たり前だから、だそうです。これって本当なのでしょうか? もし本当なら、私たちは恐ろしい国の隣にいることになります。真実の中国史をしっかり学んで、中国人とこれからどうやって付き合うか、考えるためにもとても良い本が出版されたと思います。

 

 

 

 

 

 

 

救援物資キャンペーン・第7弾の報告です

花時計では南三陸町に救援物資を送る活動を続けています。

震災から1年が過ぎましたが、お店ができても遠くて買い物に行けない、品物に限りがあるなど、まだまだ現地は日常を取り戻したとは言えない状況のようで、今でも食料品、生活用品などを送ると喜ばれるそうです。

現地で支援が必要とされている間はこの活動を続けていきたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

今回、救援物資のためにご寄付下さった会員のみなさま、どうもありがとうございました。お蔭様でたくさんの物資を送ることができました。

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うどん(乾麺)、紅茶、ホットケーキミックス、パスタ、お茶漬け、カレーのルー、
チーズかまぼこ





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豆腐、納豆、ちくわ、こんにゃく、しらたき、カニかま






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うどん(生麺)、焼きそば、ウインナー、ハンバーグ






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乳酸菌飲料、りんごジュース、ヨーグルト、コーヒーゼリー、プリン、チーズ、羊羹




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お菓子いろいろ







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冷えピタ、風邪薬、トローチ





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化粧水、メイク落とし洗顔料、ナプキン






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お買い物の明細です。

一番右のレシート、レジで計算を間違えられてしまったのに気づいて、差額を返金してもらいました。ご安心下さい。

20袋入りの乾麺を1箱買ったのに、20箱で計算されていて驚きました(笑)




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救援物資キャンペーンへご寄付いただける方へ

①こちらのページから参加表明をお願いします。(1口500円)
http://hanadokei2010.com/team2_form.php?team_category_no=5
(花時計トップページ左上のボタンから入ることもできます。)

②こちらの振込先へご寄付をお願いいたします。
http://www.hanadokei2010.com/sien.php

③ご入金の確認ができましたら、私(結城)から返信させていただきます。

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被災地に向けてのメッセージ掲示板を設置しました。
いただいたメッセージは印刷して、被災地へ荷物を送る時に一緒に送らせていただきます。
http://www.hanadokei2010.com/bbs_message/epad.cgi

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神話が分かれば日本人が分かる

 今年は『古事記』が編纂されてからちょうど1300年の節目の年に当たります。それを記念するのにふさわしい本が出版されました。『古事記は日本を強くする』(徳間書店・1400円)です。花時計が「日本の神話」講座でお世話になった神道学の第一人者、高森明勅先生と、国際政治学がご専門の中西輝政先生の共著です。共著といっても対談ではありません。お二人がテーマに沿って交互に原稿を書きながら、まるで一人の著者が書いたようなまとまった内容になっています。対談というのは相手とうまく話がかみ合わないと面白くないものですが、この本は内容も濃い上に専門が違うお二人の視点の違いが効果的で、構成に工夫がこらされていると思いました。

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 『古事記』
=古(いにしえ)の事を記したもの、という意味です。なんと私たちの祖先は1300年も前に「いにしえに起きた事を知ってまとめよう」という意識を持っていたのです! 『古事記』は上・中・下に分かれています。上巻は神々の物語で、初代天皇である神武天皇が生まれるところまでが語られます。中巻からが人の世の出来事、というように一応分かれてはいますが、その境目は何かが起きてはい、ここからが人の世です、というような分かりやすいものではありません。神々と人間とが混じり合って物語を繰り広げる、という感じです。

 

大東亜戦争が始まる3~4年前、1937年頃からアメリカは日本を「敵国」と見なし、将来の占領に備えて日本研究を始めていました。西欧人が他国を侵略する時、その国の宗教をまず研究するそうです。宗教こそがその国の国民を支えている精神的な背骨だからです。日本の場合、それは神道と皇室である、という結論を得たアメリカは、占領政策の中に「神道と神話を日本人の意識から消すこと」を入れました。ですから戦後生まれの私たちは学校教育の中でまったく神話を教えてもらえませんでした。小学校に入ると、どこの国でもまず「国の始まり」を教わるのに、日本だけが自分たちの国がどのように始まったのか、という起源を教えていないのです。でも神話は単なる物語であって史実ではないのだから、神話が国の始まりというのはおかしい、と思う人も多いかも知れません。その問いに対してこの本の中では「神話は史実よりも大事な日本人の真実です」と答えています。

 

日本の神話がよその国と違う点はたくさんありますが、もっとも特徴的なのは皇室との関わりです。今上天皇は初代・神武天皇と万世一系でつながっている血筋です。つまり神々の子孫なのです。しかし、一神教を信じるアメリカ人にはこれは理解できないことでした。神々の世界と人間の世界の間に明確な一線がない、というのは西欧人には信じがたいことなのです。西欧の神は唯一絶対神ですが日本の神は八百万(やおよろず)の神です。海にも川にも山にも神様がいるというふうに日本人は考えます。アメリカ人にしてみれば神様がたくさんいる、ということを信じているというだけで日本人を許せなかったのかも知れません。

 キリスト教のような一神教は近代的でカッコ良いけれども多神教は未開の宗教で時代遅れ、というように私たちは刷り込まれていないでしょうか? しかしギリシャ神話を見ても分かるように、キリスト教に制圧される前はヨーロッパも多神教の世界でした。ユダヤ教やキリスト教、イスラム教という一神教がどんどん勢力を拡大して異教徒を殺してしまったので一神教以前にあった世界観は今は見る影もない状態になってしまいましたが、それでも日本にはまだ神道という形で多神教が残っているのです。

 キリスト教は「愛と平和の宗教」のようなイメージがありますが、十字軍の遠征に見られるように対立と戦争を引き起こしてきたことも事実です。パレスチナ問題やイランとイスラエルの対立などを見ても、どうも一神教というものは他者に対して不寛容というか、一神教自体の中に人間が心の中に持っている憎しみをかき立てる要素があるのではないか、と思います。

 

中西先生が神話に目覚めたのは29歳の時で、イギリスの大学の図書館で古い『日本書紀』を見つけたそうです。外国で暮らしていると日本語や日本文化に飢える時があります。何でもいいから日本語の文章を読みたい、と思って中西先生は『日本書紀』を読み、それから『古事記』を読み返したそうです。そして「これで国際政治が分かった」と思ったそうです。日本とはどういう国か、ということが分からないままで国と国との関係を研究する学問はできない、ということなんですね。つまり日本人としてのアイデンティティをしっかり持っていないと、外国のことも分からないわけです。それ以来、中西先生は教え子が留学する前には必ず勉強会を開いて『古事記』や『日本書紀』を読ませるそうです。中西先生は「グローバル時代だからこそ日本人は神話を学んでしっかりとした精神の背骨を作らなければならない」とおっしゃっています。

 

 東日本大震災の犠牲者追悼式典に臨席された天皇・皇后両陛下のお姿はまるで子供を失くした両親のようでした。たとえ地震という天災のせいであってもたくさんの人命が失われ、国土が荒らされたことを天皇陛下は自分の責任だと感じていらっしゃるのではないでしょうか? 日本の国土はイザナキの命(みこと)とイザナミの命が生みだした神聖なもの、日本人の命は国の宝、という意識を両陛下がお持ちになっていることがテレビの画面を通してですが何となく感じられました。そんな両陛下のお姿が被災者をどれほど慰め、励ましたことでしょうか。日本に皇室があって良かった、と改めて思いました

 

 

 

 

 

 

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