日韓併合から100年の節目だということで一昨年、菅直人首相(当時)が談話を発表したことはまだ記憶に新しいと思います。談話を出すというニュースを聞いた時から嫌な予感がしていたのですが、案の定、その談話の中に「朝鮮王朝儀軌」の韓国への返還、という、まったく筋違いの内容が入っていました。日本と韓国との間の文化財の取り扱いについては既に条約で決まっています。日韓併合100年だからといって、今更韓国に返す筋合いはありません。おそらく、談話の内容が何もないとマズイと思って菅直人がこれを盛り込んだのでしょう。
その談話によって野田首相が李明博大統領に「朝鮮王朝儀軌」を返す羽目になりました。これだけでも私たち国民にとってはしらけた気分にさせられる出来事ですが、この軽率な行為がまた韓国人を図に乗せる結果となりました。「朝鮮王朝儀軌」以外の文化財も返せ、と言い出したのです。今年の夏には「日本に奪われた」文化財返還運動のための組織が結成されるそうです。
日本の政治家の愚かさにもあきれますが、韓国人の自国の歴史に対する無知にも改めて驚かされます。彼らが「奪われた」と主張している文化財とは、実は日本人が「守った」ものなのです。
日本の美術館で時々「高麗青磁」「李朝の白磁」「李朝のやきもの」などといったテーマの展示が行われます。これを見た人たちは韓国人はさぞ陶磁器に関心が深いのだろう、陶磁器が日常生活に欠かせないものなのだろう、と思うでしょう。しかし韓国のレストランで出てくるのはステンレス製の味も素っ気もない器です。家庭で陶器を使っているのは富裕層だけで、庶民はやはりステンレス製の器で食べています。箸もスプーンもステンレス。朝鮮の歴史は戦乱の歴史です。戦乱のとき、庶民は箸や茶碗を持って逃げなければならないので、割れないステンレスが普及したのだと以前、聞いたことがあります。しかし今は豊かになったのですし、戦争もないのだから器に関心を持つ人も増えたのではないかと思うのですが、街で陶器を見かけることはほとんどありません。
大正5年(1916年)、朝鮮の骨董屋の片隅に置かれていた鉄砂の壺を買ったのは柳宗悦でした。のちに民芸運動を起こす柳宗悦は朝鮮の陶磁器に魅せられ、さまざまな陶磁器や素焼きの土器を買いもとめています。朝鮮総督府農商工部山林課の職員として朝鮮で暮らしていた浅川巧(たくみ)もまた朝鮮の陶磁器に惹かれていました。彼は仕事の合間に道具屋を回って普段使いの器まで次々と買い集めています。柳や浅川が朝鮮の陶磁器や民芸品について書きのこした文章を今、読むと、ちょっと不思議なぐらい彼らが「朝鮮の美」に魅了されていたことが分かります。柳は「朝鮮の美」を愛するあまり、朝鮮総督府の政策を批判し、物議をかもしたりしています。
韓国にツアー旅行に行くと、観光コースの中に必ず入っている慶州の仏国寺というところがあります。慶州は新羅(しらぎ)の首都だった古都です。ここに洞窟の中に彫られた石仏があるのですが、それは1911年、偶然、郵便局員によって発見されるまで永く忘れ去られていました。朝鮮王朝は儒教を国教としたので仏教は迫害され、寺院は山奥に追いやられたまま人々の記憶から消えていたのです。郵便局員が発見した仏像を朝鮮総督府はていねいに修復しています。
芸術品を長い年月の間、色や風合いを落とさずに保存するためには設備や技術も必要ですが、何よりも作品に対する愛情が必要です。しかし朝鮮時代、国教だった儒教はモノを作る人間を評価しませんでした。食べ物を作ったり生活に使う道具を作るのは低い階層の人間のやることでした。手先の、細かな仕事が好きで、得意な日本人とは対象的です。韓国人が今でも陶磁器に関心がないのは朝鮮時代の名残りだと思います。
私たちの先人は朝鮮に埋もれていた美を発掘して、努力して普及させたのです。日本に文化財を返せ、と要求している韓国人は、自分たちが自国の文化をいかに粗末にしてきたか、を知るべきです。彼らが考えているのは「文化財というのは金になる」ということだけです。文化とは何か、が分からない韓国人が文化財返還運動なんて、滑稽としか言いようがありません。