マダムの部屋

愛国女性のつどい花時計代表でもあるマダムが思った事など書いています。

2012年06月

台湾の「モボ」「モガ」たち

 台湾の李登輝前総統が絶賛なさったという映画があります。「跳舞(ダンス)時代」という映画です。「跳舞時代」は1933年に台湾でヒットした流行歌のタイトルで、出したのはコロンビアレコードでした。陳君玉作詞、鄭雨賢作曲、歌ったのは純純という女性歌手だそうです

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 当時、コロンビアレコードの台湾支社で働いていた人たちに対するインタビューからこの映画は始まります。かつて同僚だった仲間と昔を懐かしんで語り合うおじいさん、おばあさんの表情はとても嬉しそうです。コロンビアレコードがあった建物を訪ねて、遠くを見るような表情で当時の思い出を語ります。純純という歌手は気位が高く、彼女にあこがれる男性は多かったけれどもなかなか近寄れなかったそうです。そんなインタビューの合間、合間に
1930年代の台湾のニュース映像や当時、流行した音楽が入ります。洋装のカップルが社交ダンスをしている映像、恋人たちが池でボートを漕いだりカフェで音楽を聞いたり語りあっている映像を見ると、これが1930年代の台湾なのか!と驚きます。日本では大正末期から昭和初期にかけて流行の最先端を行く若者がモダンボーイ(モボ)やモダンガール(モガ)と呼ばれましたが、多少の時間差はあったとはいえ台湾にもちゃんと「モボ」や「モガ」がいたのですね

 

 台湾は1895年に日本領になりましたが、当時の日本は文明開化の真っ最中。建物も服装も生活様式も何もかも急ピッチで欧米化していた時期だったので、それがそのまま台湾に入ったのでしょう。当時、公用語は日本語だったはずですが、台湾語の歌と日本語の歌と両方、歌われていたんですね。台湾の人から見れば東京の風俗は流行の最先端ですから流行に敏感な若者が真似をするのは今も昔も同じだなあ、と思いました。

 

 この映画を製作したのは1960年代生まれの二人の女性、郭珍弟さんと簡偉斯さんです。製作の動機は「苦しかったと教えられていた日本時代の台湾に、実は両親や祖父母の若いころの輝くような恋愛や流行があったことを知ったから」だそうです。

 この映画の大ファンだという李登輝前総統は「台湾の歴史と文化が中国に直結したものではなく、日本や西洋と深く関わっていることを台湾の若い人が知る良い機会だ」とおっしゃっています。

 

 音楽好きな方に特にお勧めの作品です。「日本李登輝友の会事務局(℡03-3868-2111  Email info@ritouki.jp )」に申し込めば送料160円で送ってくれます。会員価格3,150円、一般価格3,360円です。

 

 

 

 

 

 

 

慰安婦問題の本質

 韓国が主張する、いわゆる「従軍慰安婦」というものがまったくの嘘であることは、これを読んでいる皆さんには今更説明する必要もない、常識だと思います(花時計のHPに入ってQ&Aを読んでいただくと、いっそう良く分かります)。

 しかし、最近韓国はこの問題を異常にクローズアップしています。去年12月、ソウルの日本大使館前に慰安婦をイメージさせる少女の像を立てただけでは飽き足らず、今年55日、ソウルに「戦争と女性の人権博物館」という名前の博物館を建てました。ジャーナリストの山際澄夫さんがこの博物館に足を運んで、雑誌「WiLL7月号にレポートを書かれています。 

 この博物館の展示には慰安婦の説明として「1930年代から1945年の敗戦に至るまで日本軍は制度的に軍慰安所を設立し、占領地と植民地の女性たちを動員して性奴隷にした」と書いてあるそうです。ここに書かれた「性奴隷」という言葉はアメリカに建てられた慰安婦の慰霊碑にも「Japanese Military Sexual Slave 」と、同じ表現で書かれています。この「性奴隷」という言葉、何か唐突な感じがしませんか? ただ単に「女性たちを連れてきて慰安婦にした」と書けば済むのになぜわざわざ「性奴隷」という表現を使うのでしょうか? この「奴隷」という言葉がこの問題の本質を表しているのです。

 

大東亜戦争に負けたあと、わが国はGHQ(連合国軍総司令部)に約7年、占領されました。GHQといっても実態はアメリカの支配下に置かれたわけです。アメリカという国は今でこそ世界の警察官のようなイメージで見られていますが、建国の経緯は人に自慢できるような立派な国ではありません。イギリスで犯罪を犯し、流刑になった囚人たちが造った国です。原住民、インディアンの食糧だったバッファロー(野牛)を皆殺しにして、インディアンを餓死させ、手に入れた広大な土地を耕すためにアフリカから黒人奴隷を連れてきました。狭い船底に押し込められた黒人たちは長い航海の間、暑さと飢えに苦しみ、アメリカにたどり着く前に多くが病死したそうです。

 奴隷と人種差別の国であるアメリカが日本を占領し、支配することになったわけです。支配される側の日本よりも自分たちの方が当然、道徳的にも優位でなければならないはずですが、調べてみると残念ながら日本の歴史には奴隷制度も人種差別もありませんでした。日本人は人身売買というものを嫌っていたのです。困ったアメリカは無理に奴隷制度を作ることにしました。それが朝鮮人だったのです

 
 東南アジアの国を支配する時、アメリカ人は自分たちが前面に出ると住民の反発を招くので、現地の華僑に権限を与えて治めさせました。日本を占領した時も、
GHQは自分たちが批判の矢面に立たないように、被差別意識を持っていた在日朝鮮人に権限を与えました。「お前たちはこれまで日本人の奴隷だったけれども、ようやく解放されたんだ。お前たちは戦勝国民なんだ」という論理を彼らに刷りこみました。今、韓国人や在日韓国人が日本人を攻撃する時「奴隷」という言葉を使いたがるのは、アメリカが考え出したレトリックをただそのまま使っているだけなのです。それが事実であるかどうかは彼らには関係ありません。自分たちにとって都合の良い理屈であれば何でも良いのです。

 韓国人は「朝鮮人は日本人の奴隷だった」という虚構を今や、既成事実化しようとしています。博物館や慰霊碑を建てて、形にしてしまえば虚構も事実になるのです。この虚構を私たち日本人が突き崩すことができなければ日本人は永遠に断罪され、謝罪と反省を繰り返すことになります。厄介なのはこの問題に関しては、アメリカも日本の味方ではないということです。

 韓国は先日、アメリカの新聞「ニューヨーク・タイムズ」に意見広告を載せました。1971年、ドイツのブラント首相がユダヤ人慰霊碑にひざまづいてナチスのホロコーストを詫びている写真をわざわざ載せて「日本はドイツを見習って詫びろ」という主張をしたのです。こんな、とんでもない意見広告を載せる「ニューヨーク・タイムズ」という新聞がどういう新聞か、このことだけで分かります。

 私たちの先人をおとしめ、自分たちの利権を守ろうとする勢力に対して、私たちは事実を武器に闘うしかないと思います。頑張りましょう!

 

チベット人の焼身抗議を無駄にしてはいけない

 チベット人の焼身抗議が止まりません。620日もチベットのジェクンド州ザトゥというところで22歳と24歳の若者がガソリンをかぶり、自分の体に火をつけました。その様子は動画でも配信されました。二人はチベット国旗を持って炎に包まれながら「チベット独立! 法王帰還!」と叫んだそうです。これでチベット内の焼身者の数は41人、うち31人の死亡が確認されました。


 今、チベットで何が起きているのか・・・日本ではまったく報道されないチベットの実情を知りたくて
23日、小金井市民交流センターで開かれた時局講演会「アジアと世界の行方~チベット・日本、今何が起きているのか~」に行ってきました。主催は(株)日本時事評論社、講師はテレビコメンテーターとしてもおなじみのペマ・ギャルポ氏です。

 ぺマ氏は1953年にチベットで生まれました。なんと6歳でダライ・ラマ14世に従ってインドに亡命し、1965年に来日。中学生の時から日本で暮らしていらっしゃいます。今は大学教授であり、またモンゴル国大統領顧問、ブータン王国政府・首相顧問でもいらっしゃいます。

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    日本時事評論社社長            ぺマ・ギャルポ氏


 日本時事評論社社長から開会のご挨拶があり、ぺマ氏の講演が始まりました。予想通り、チベットの状況は最近、ますます緊迫しているそうです。現在、中国の正規軍
=人民解放軍は240万人と言われていますが、なんと中国政府は現在、それを上回る300万人の武装警察を投入して治安維持を図っています。チベット人はダライ・ラマ14世の写真を持っていたという理由だけで逮捕されます。トイレの中にまで監視カメラが取り付けられ、5名以上の人間が集まって話をしただけで「集会」と見なされ、連行されるそうです。そこまで締めつけてもチベット人の抗議活動は収まりません。中国のチベット統治は完全に行き詰まっています。

 チベット人にとってもっとも大切なことは信仰の自由です。しかし中国共産党は「宗教はアヘン」だと言って宗教活動を弾圧して来ました。中国は建国の翌年、1950年にチベットに進攻しましたが、それから約60年の間に約120万人のチベット人がこれといった理由もなく拷問され、無残に殺されました。チベット仏教の寺院は破壊され、貴重な仏典や宝物は焼かれて灰になりました。

 

 チベットの悲劇は日本人にとっても他人事ではありません。今年は日中国交正常化40周年ですが、おめでたいどころの話ではありません。最近、中国は「尖閣諸島は中国の核心的利益」と言いだしました。去年、中国によるわが国の領空侵犯は100回以上にのぼりました。中国大使館の1等書記官が実はスパイだった、という事件がつい最近、起こりましたがこれは氷山の一角だと思います。おそらく日本中の企業や大学、自治体などの中に中国の工作員が入りこんでいるでしょう。政治家の秘書や自衛官にまで中国人がいるという話も聞いたことがあります。日中友好の美名のもとに日本人の税金をODAで中国につぎ込み、中国を化け物のような国にしてしまった責任は政府と官僚、おもに外務省にあると思います

 

 最近、ぺマ氏は『最終目標は天皇の処刑』という本を出版なさいました。あえて衝撃的なタイトルをつけたのは、編集者の「それぐらいのショックを与えないと日本人は目覚めないから」という理由からだったそうです。中国は日中国交正常化以前から日本を「解放」する計画を立て、その計画通りに着々と工作を進めているそうです。それに対して日本人はあまりにも中国に対して警戒心がなさすぎます。最近、ようやく中国の脅威に気づき始めた人もいますが、一般的にはまだまだ無防備です。

 ぺマ氏の講演の結論としては、日本はインドと手を結ぶのが一番良いそうです。インドはもともと親日国です。最近はIT産業で潤っていますし、核武装もしています。インドと中国は国境をめぐって何度も紛争をしていますから、中国の戦略についてもインドはよく分かっています。日本とインドが手を結べば東南アジアや南アジアの国々に「嫌な中国の言うことを聞かなくてもいい」という選択肢が生まれるそうです。

 
 6歳で祖国を離れ、異国でほとんど一生を過ごすことになったぺマ氏の人生から私たちは学ばなければならないと思います。焼身抗議をしたチベット人たちの犠牲を無駄にしないためにも、私たちも頑張りましょう。中国の侵略から日本を守りましょう!

 

 

「元日本人」から日本人への激励メッセージ

東日本大震災の時、台湾が真っ先に救援隊の派遣を申し出てくれたことや、台湾の義援金の額が世界一だったことはまだ記憶に新しいと思います。台湾の人たちがなぜそれほどまでに親日的なのかーーそれは台湾と日本の歴史を知らなければ分かりません。台湾の近代史を知るにはこれ以上ないと言えるほど素晴らしい本があります。『台湾人と日本精神(リップンテェンシン)―日本人よ、胸を張りなさい』(小学館文庫・619円)です。著者は蔡焜燦(さい こんさん)さんです

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                  蔡焜燦氏 


 蔡さんの人生は波乱万丈です。蔡さんは昭和
2年(1927年)生まれ、今85歳です。1895年、日清戦争に勝ってわが国は清国から台湾を割譲されたわけですから、蔡さんが生まれた時、台湾は日本領土でした。蔡さんが通った小学校は台中県の清水というところにあり、当時「公学校」と呼ばれていた、台湾人児童だけが通う学校でした。朝鮮や満州、パラオなど、当時、日本が統治していた土地の現地児童が通う学校はすべて「公学校」と呼ばれていたそうです。これは日本語力にハンディのある児童に配慮したもので、決して「差別」ではないそうです。その証拠に清水公学校のレベルは非常に高く、当時、内地(日本本土)の学校にもなかった校内有線放送学習という授業科目がありました。童謡、浪花節、ラジオドラマ、神話、日本の歴史など、さまざまなレコードを有線放送で流し、児童はそれを備えつけのスピーカーで聞けたそうです。内地からやって来た琵琶法師が生演奏を聞かせてくれたこともあったというから驚き です。音楽の授業では名曲を聞くだけでなく、当時は高価だったハーモニカにドラムやクラリネットも加わってバンド演奏をしたりしたそうです。何だかとっても楽しい小学校だったようですね

 昭和16年に大東亜戦争が始まりましたが、台湾に陸軍特別志願兵制度が敷かれたのは昭和17年でした。ようやく正規の日本軍人になる道が台湾人にも開かれたということで、この志願兵制度が発表されるや約千人の募集に対してなんと約40万人の台湾人青年が殺到しました。志願者のなかには血書嘆願した若者もいたそうです。蔡さんも昭和18年の少年航空兵に志願し、合格しましたが軍政の都合で入校は昭和20年に延ばされました。岐阜の陸軍航空整備学校奈良教育隊に入校、訓練を受けている時、終戦を迎えます。

 
 戦後の蔡さんの歩んだ道のりは台湾の苦難の歴史と重なります。日本の敗戦と同時に台湾は中華民国に接収されることになりました。当初、台湾の民衆は「祖国復帰」という言葉に甘い期待を持っていました。日本の統治にことさら不満はなかったけれどもこれで「敗戦国民」から「戦勝国民」になれる、という喜びもあったようです。しかし大陸からやって来た中華民国軍
=中国国民党の兵士たちは天秤棒に鍋や釜をぶら下げて、ボロボロの綿入り服を着てわらじ履き、見るからにだらしない姿でした。軍隊といえば一糸乱れず威風堂々と行進する日本軍しか知らなかった台湾人たちは前途に不安を抱きます。

 その不安は的中します。それまで公用語だった日本語は禁止され、北京語を使うことが強いられました。北京語をほとんど知らない台湾の知識人や技術者は職につくことも難しくなってしまいました。蔡さんも北京語は上手ではなかったので、あまり言葉を話す必要のない体育の教師になりました。しかし、教育現場も日本時代とはすっかり変わってしまいました。生徒たちに無償の愛をそそいでいた日本人教師とは違い、中国人教師は平気で児童の親に賄賂を要求しました。落第しそうな生徒の親は教師に現金をわたし、進級させてもらう始末でした。教師だけではなく警官もちょっとした罪で市民を拘留しては賄賂を要求しました。つまり中華民国となった台湾はすべて、金がモノをいう社会に堕落してしまったわけです。

 

 昭和22年(1947年)228日、いわゆる「228事件」が勃発します。大陸からやって来て台湾の支配者におさまった外省人に対する台湾人たち(本省人)の不満が爆発したのです。この時、蒋介石は台湾の知識人、約3万人を次々と逮捕し、凄惨なリンチや処刑によって殺しました。この事件の全貌は未だに分かっていません。

 

日本の統治と中華民国の統治、二つの時代を生き抜いた蔡さんは中国人と日本人の違いとは「公」の観念があるかないか、だと言います。中国人には今も「公」という観念がありません。最近、話題になっている共産党幹部の汚職や不正などを見ても、彼らには私欲の追及しかないことが分かります。「公」の観念のない社会は腐敗します。蔡さんは日本の統治の中でもっとも素晴らしかったのは教育だ、と言います。教育を通じて日本人は台湾人に「公」の観念を教えたのです。しかし今、その先生であったはずの日本の学校教育は果たして「公」を教えているでしょうか? 国旗や国歌に対する敬意を教えているでしょうか? 台湾の南の都市、高雄にある東方工商専科学校では壁に漢文の教育勅語を今も掲げているそうです。台湾の人たちがそれほどまでに日本の教育を評価してくれているということを一人でも多くの日本人に知ってもらいたいです。

この本は「元日本人」蔡焜燦さんから現代を生きる日本人への激励のメッセージだと思います。

 

 

「元日本人」から日本人への激励メッセージ

 東日本大震災の時、台湾が真っ先に救援隊の派遣を申し出てくれたことや、台湾の義援金の額が世界一だったことはまだ記憶に新しいと思います。台湾の人たちがなぜそれほどまでに親日的なのかーーそれは台湾と日本の歴史を知らなければ分かりません。台湾の近代史を知るにはこれ以上ないと言えるほど素晴らしい本があります。『台湾人と日本精神(リップンテェンシン)―日本人よ、胸を張りなさい』(小学館文庫・619円)です。著者は蔡焜燦(さい こんさん)さんです

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                    蔡焜燦氏
                    
 蔡さんの人生は波乱万丈です。蔡さんは昭和
2年(1927年)生まれ、今85歳です。1895年、日清戦争に勝ってわが国は清国から台湾を割譲されたわけですから、蔡さんが生まれた時、台湾は日本領土でした。蔡さんが通った小学校は台中県の清水というところにあり、当時「公学校」と呼ばれていた、台湾人児童だけが通う学校でした。朝鮮や満州、パラオなど、当時、日本が統治していた土地の現地児童が通う学校はすべて「公学校」と呼ばれていたそうです。これは日本語力にハンディのある児童に配慮したもので、決して「差別」ではないそうです。その証拠に清水公学校のレベルは非常に高く、当時、内地(日本本土)の学校にもなかった校内有線放送学習という授業科目がありました。童謡、浪花節、ラジオドラマ、神話、日本の歴史など、さまざまなレコードを有線放送で流し、児童はそれを備えつけのスピーカーで聞けたそうです。内地からやって来た琵琶法師が生演奏を聞かせてくれたこともあったというから驚き です。音楽の授業では名曲を聞くだけでなく、当時は高価だったハーモニカにドラムやクラリネットも加わってバンド演奏をしたりしたそうです。何だかとっても楽しい小学校だったようですね

 昭和16年に大東亜戦争が始まりましたが、台湾に陸軍特別志願兵制度が敷かれたのは昭和17年でした。ようやく正規の日本軍人になる道が台湾人にも開かれたということで、この志願兵制度が発表されるや約千人の募集に対してなんと約40万人の台湾人青年が殺到しました。志願者のなかには血書嘆願した若者もいたそうです。蔡さんも昭和18年の少年航空兵に志願し、合格しましたが軍政の都合で入校は昭和20年に延ばされました。岐阜の陸軍航空整備学校奈良教育隊に入校、訓練を受けている時、終戦を迎えます。

 
 戦後の蔡さんの歩んだ道のりは台湾の苦難の歴史と重なります。日本の敗戦と同時に台湾は中華民国に接収されることになりました。当初、台湾の民衆は「祖国復帰」という言葉に甘い期待を持っていました。日本の統治にことさら不満はなかったけれどもこれで「敗戦国民」から「戦勝国民」になれる、という喜びもあったようです。しかし大陸からやって来た中華民国軍
=中国国民党の兵士たちは天秤棒に鍋や釜をぶら下げて、ボロボロの綿入り服を着てわらじ履き、見るからにだらしない姿でした。軍隊といえば一糸乱れず威風堂々と行進する日本軍しか知らなかった台湾人たちは前途に不安を抱きます。

 その不安は的中します。それまで公用語だった日本語は禁止され、北京語を使うことが強いられました。北京語をほとんど知らない台湾の知識人や技術者は職につくことも難しくなってしまいました。蔡さんも北京語は上手ではなかったので、あまり言葉を話す必要のない体育の教師になりました。しかし、教育現場も日本時代とはすっかり変わってしまいました。生徒たちに無償の愛をそそいでいた日本人教師とは違い、中国人教師は平気で児童の親に賄賂を要求しました。落第しそうな生徒の親は教師に現金をわたし、進級させてもらう始末でした。教師だけではなく警官もちょっとした罪で市民を拘留しては賄賂を要求しました。つまり中華民国となった台湾はすべて、金がモノをいう社会に堕落してしまったわけです。

 

 昭和22年(1947年)228日、いわゆる「228事件」が勃発します。大陸からやって来て台湾の支配者におさまった外省人に対する台湾人たち(本省人)の不満が爆発したのです。この時、蒋介石は台湾の知識人、約3万人を次々と逮捕し、凄惨なリンチや処刑によって殺しました。この事件の全貌は未だに分かっていません。

 

日本の統治と中華民国の統治、二つの時代を生き抜いた蔡さんは中国人と日本人の違いとは「公」の観念があるかないか、だと言います。中国人には今も「公」という観念がありません。最近、話題になっている共産党幹部の汚職や不正などを見ても、彼らには私欲の追及しかないことが分かります。「公」の観念のない社会は腐敗します。蔡さんは日本の統治の中でもっとも素晴らしかったのは教育だ、と言います。教育を通じて日本人は台湾人に「公」の観念を教えたのです。しかし今、その先生であったはずの日本の学校教育は果たして「公」を教えているでしょうか? 国旗や国歌に対する敬意を教えているでしょうか? 台湾の南の都市、高雄にある東方工商専科学校では壁に漢文の教育勅語を今も掲げているそうです。台湾の人たちがそれほどまでに日本の教育を評価してくれているということを一人でも多くの日本人に知ってもらいたいです。

この本は「元日本人」蔡焜燦さんから現代を生きる日本人への激励のメッセージだと思います

 

 

 

 

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