「愛国行進曲」という歌を知っていますか? おそらくほとんどの人が知らないと思います。私もつい最近、知ったばかりです。作詞は森川幸雄、作曲は瀬戸口藤吉。1番の歌詞は、
見よ東海の空あけて
旭日(きょくじつ)高く輝けば
天地の正気(せいき)溌剌(はつらつ)と
希望はおどる大八洲(おおやしま)
おお清朗の朝雲に
聳(そび)ゆる富士の姿こそ
金歐無欠(きんおうむけつ)揺るぎなき
わが日本の誇りなれ
歌詞は漢語調だからちょっと難しいですね 大八洲(おおやしま)というのは日本のことです。金歐無欠(きんおうむけつ)というのは国家がしっかりと独立していて外国の侵略を受けたことがない、という意味です。メロディはとても軽快で、口ずさむと自然と勇気が湧いてくるような明るい曲です。すべての日本人がこの曲を声を合わせて歌い、心を一つにしていた時代もあったのだなあ、と不思議な気がします。日本ではもう忘れられてしまっているこの曲を、今も歌い継いでいる人たちがいることをご存知ですか?
以前、私は父から台湾のタクシーの運転手さんがこの歌を歌ってくれたんだ、という話を聞いて驚いたことがあります。父が台湾を旅行していた時のことだそうです。タクシーに乗ったら、運転手さんがいきなりこの曲を歌いだしたんですって! おそらく父が日本人だということを何となく感じ取って、父の年齢からいって当然、この曲を知っているだろうからきっと喜ぶだろうと思って運転手さんが歌ってくれたのだと思います。台湾の日本語世代の人って本当に日本人に対して温かいですよね。ちょっと恥ずかしい、なんて考えることなくぱっと歌い出す明るさ、おおらかさがホント、素晴らしいと思います。
この歌を歌っているのは今では台湾の日本語世代だけなのかと思ったら、先日、ある人からいや、インドネシアでも歌っていますよ、という話を聞きました。それも、なんと建国記念日に歌っているそうです!
大東亜戦争が起きる前はインドネシアはオランダの植民地でした。オランダはインドネシアを400年支配しながらインドネシア人に共通の言葉を与えませんでした。言葉を統一するとお互いに連絡を取り合って反乱を起こすおそれがあるからです。田んぼをつぶし、土壌を無視して輸出作物のコーヒーや砂糖きびを植えさせたので、飢餓でインドネシアの人口は半減したそうです。そんな地獄からインドネシア人を解放したのは日本軍でした。オランダ軍を追い払った後、日本軍は3年の間にインドネシアに学校を作り、ジャカルタ語を教え、行政を教え、「ぺタ」という軍隊を創設しました。日本が大東亜戦争に負けたあと「ぺタ」は独立義勇軍に成長し、再びインドネシアを植民地にしようと戻って来たオランダ軍を破ってついに独立を果たしました。インドネシアの人たちはその恩を忘れないで今でも建国記念日に「愛国行進曲」を歌ってくれているのです。
日本軍はインドネシアに進出したのは石油が欲しかったからで、インドネシア人のためではない、という人がいます。確かにインドネシアは石油資源があり、インドネシアに侵攻した目的は一番には石油の確保でした。しかし、もし日本軍が石油だけを目当てにインドネシアに侵攻したのなら、戦後なぜ多くの日本兵が日本に帰らないでインドネシア人と共に戦ったのでしょうか?
歴史というのはさまざまな角度から見なければなりません。インドネシアの人たちが今も「愛国行進曲」を歌っているという事実・・・それがすべてを語っているのではないでしょうか?