大阪市立桜宮高校バスケット部の主将が体罰を苦にして自殺した事件は衝撃的でした。激怒した橋本市長が体育科の入試停止や教諭の全員入れ替えなどを言いだして、入試前の生徒に動揺が広がりました。この事件はとかく体罰という点ばかりが注目されるのですが、私は今の学校教育の中の運動部のあり方やスポーツの商業主義などもこの事件の背景にあるのではないか、と思います。
本来、学校の部活動は教育の一環だったはずなのに、今は何かのスポーツで好成績を上げればそれだけで勉強しなくても進学できるし、就職もできる、という風潮になっています。有名選手になればテレビにも出られるしプロに転向すればお金も稼げます。マスコミはスポーツ選手をタレント扱いします。それを見て、自分の子供をスポーツ選手にしてひと山当てたい、という親が現われます。学校側もスポーツで学校の知名度を上げてくれたら成績なんか悪くてもいい、という態度です今回、事件が起きた桜宮高校のバスケット部は名門だったそうです。バスケット部の顧問を16年間も続けて学校の知名度を上げるという功績のある顧問教諭に対して校長先生も何も言えなかったようです。「健康な精神は健康な肉体に宿る」と言いますが、学校の運動部の不祥事が後をたたないのはなぜなのでしょうか?
GHQ(連合国総司令部)は占領時代、日本人を骨抜きにするために3C(セックス、スポーツ、シネマ)を楽しむように仕向けたそうです。それでも私が子供時代は今ほどスポーツ選手をちやほやしなかったような気がします。テレビも試合の結果などをただ淡々と伝えていたように記憶しています。今はどうでしょうか? オリンピックでメダルを取った選手が帰国するとテレビはインタビュー攻めする一方で、メダルを取れなかった選手はほとんど無視されます。努力したという点ではさほど差がないのにあまりにも公平を欠いていると思います。
教育は「知育、徳育、体育」の3本柱で成り立っています。体育は体を鍛え、強い精神を持てるようにするためのもので、相手と戦うよりは自分との戦いという点で絶対に必要なものです。しかし、今の学校の部活動は「勝つこと」に比重を置き過ぎです。高校野球の選手も半分、プロのようなものなので以前のような爽やかさが感じられません。小学生の頃から野球留学をしているような選手がプロ並みのプレーをしても、何か白けてしまうのは私だけでしょうか?
アマチュアスポーツとはどうあるべきか、という根本的な問いがない限り、このような事件はこれからも起こると思います。