「特別攻撃隊」、つまり敵機に体当たりする攻撃は戦後日本の教育界や言論界ではずっと「無謀だった」「無駄だった」と貶められてきました。しかし本当にそうだったのでしょうか? 最近の研究では特攻の命中率は実は驚くほど高かったことが分かっています。特攻は100%死ぬことが確実な攻撃方法です。突っ込んだ飛行機はもちろん操縦する飛行士も必ず死にます。せっかく訓練で鍛え上げた優秀なパイロットを殺すことになるという意味では犠牲の大きすぎる攻撃ではありますが、これによって相手に恐怖感を与えたこともまた事実です。特攻機を撃ち落とそうと待ち構えている敵の攻撃をかいくぐって敵艦にうまく命中するためには高度な技術と冷静さが要求されます。当時20代の、なかには10代の若者がそんな攻撃を志願してやっていたのです。そして死を恐れない日本人と実際に向き合ったアメリカ人の恐怖が結果として、日本を救ったのではないでしょうか?
昭和20年(1945年)、沖縄に米軍が迫っていた頃、特攻機が沖縄に向かって次々と出撃していました。鹿児島の知覧飛行場は有名ですが、知覧だけではなく南九州には陸軍・海軍合わせて12の飛行場がありました。第2国分(海軍)、指宿(海軍)、万世(陸軍)、鹿屋(海軍)、串良(海軍)、都城西・東(陸軍)、宮崎(海軍)などです。これらの飛行場から1,828機の特攻機が出撃し、2,897人の若者が沖縄の海に散華しました。それらの特攻基地を順番にめぐって大東亜戦争について学び、英霊に思いをはせる旅の企画があります。講師は戦史作家の牧野弘道氏です。
4月19日~21日の2泊3日の旅で、行きも帰りも羽田空港から全日空機を使います。関西方面から来る人は現地合流になります。19日は指宿温泉泊、20日は鹿児島市内に泊ります。興味のある方は ↓ 問い合わせてみてください。きっと充実した3日間になると思いますよ
(株)アースウェイ(歴史散歩友の会)
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