蒋介石が死んでも「白色テロ」の嵐は収まりませんでした。蒋介石の息子の蒋経国はソ連で思想改造=洗脳教育のやり方を見ていたので、収容所での迫害はより激しくなったそうです。結局、台湾の民主化は蒋経国の死を待たなければ実現できませんでした。蒋経国が死に、副総統だった李登輝氏が総統になりました。しかし李登輝氏は改めて選挙をやりなおし、初めて選挙で選ばれた総統が誕生しました。これによって台湾は民主国家として生まれ変わったわけです。李登輝氏は、政府を代表して「白色テロ」の犠牲になった方々に謝罪しました。別に李登輝さんに責任があるわけじゃないんですけどね・・・・
李登輝氏は長い雌伏の時を経て61歳で総統になりました。しかし、実は総統になるかどうか、非常に迷ったそうです。実は李登輝氏はクリスチャンで、本当は宣教師になりたかったそうです。その時の内面の葛藤を今回の研修旅行の最終日の講義で私たちに話して下さいました。とても面白く、貴重なお話をうかがうことができました。
今回の李登輝学校研修旅行の最終日の講義のテーマは「自我の超越」でした。李登輝先生は少年の頃から自我の問題、死の問題を考えてきたそうです。お父様の仕事の関係で転勤が多く、友達ができなかったので本を読むのが楽しみだったそうです。小さい頃は小学館の『児童百科事典』が大好きで、暇さえあれば『児童百科事典』を読んでいたそうです。だから物知りで授業などつまらなかったそうです。早熟だったんですね 青年になってからは鈴木大拙の禅に関する本や『臨済録』『出家とその弟子』などを読みふけったそうです。
李登輝先生はさまざまな顔を持っていらっしゃいます。京都大学では農業経済学を専攻なさいました。農業に対する関心は今でも大変、旺盛で台湾の土壌に合った作物を産業として育成しようとしています。総統になられてからは中国によってさまざまな圧力や嫌がらせを受け、それは今でも続いています。しかし「台湾は中国ではない」というのが一貫した李登輝さんの信念です。
今、東アジアをぐるっと見まわしてみても残念ながら李登輝さんほどの見識と哲学と胆力を持った政治家は見当たりません。まさに「哲人政治家」であり「鉄人政治家」と言うにふさわしいでしょう。嬉しいことに、李登輝さんはいつも「李登輝を作ったのは日本精神です」と公言しています。日本精神とは何か? それは「私を捨てて公に尽くすこと」だそうです。この精神は中国にはないものです。中国の歴史は皇帝の歴史でした。中国は皇帝の私物だったわけです。ですから中国人に公の精神は育ちませんでした。
今回の講義で李登輝さんは何度も「日本はアジアのリーダーになりなさい!」「安倍さんはきっとやるよ!」とおっしゃっていました。そして最後に昭和天皇の御製を口ずさまれたのですが、それがなんと 私の名刺の裏面に入れさせていただいている御歌だったので、個人的にもすご~く嬉しかったです!
降りつもる み雪にたえて いろかへぬ 松ぞををしき 人もかくあれ