マダムの部屋

愛国女性のつどい花時計代表でもあるマダムが思った事など書いています。

2013年04月

台湾を民主化した李登輝元総統

 蒋介石が死んでも「白色テロ」の嵐は収まりませんでした。蒋介石の息子の蒋経国はソ連で思想改造=洗脳教育のやり方を見ていたので、収容所での迫害はより激しくなったそうです。結局、台湾の民主化は蒋経国の死を待たなければ実現できませんでした。蒋経国が死に、副総統だった李登輝氏が総統になりました。しかし李登輝氏は改めて選挙をやりなおし、初めて選挙で選ばれた総統が誕生しました。これによって台湾は民主国家として生まれ変わったわけです。李登輝氏は、政府を代表して「白色テロ」の犠牲になった方々に謝罪しました。別に李登輝さんに責任があるわけじゃないんですけどね・・・・

 李登輝氏は長い雌伏の時を経て61歳で総統になりました。しかし、実は総統になるかどうか、非常に迷ったそうです。実は李登輝氏はクリスチャンで、本当は宣教師になりたかったそうです。その時の内面の葛藤を今回の研修旅行の最終日の講義で私たちに話して下さいました。とても面白く、貴重なお話をうかがうことができました。

 P4230759

 今回の李登輝学校研修旅行の最終日の講義のテーマは「自我の超越」でした。李登輝先生は少年の頃から自我の問題、死の問題を考えてきたそうです。お父様の仕事の関係で転勤が多く、友達ができなかったので本を読むのが楽しみだったそうです。小さい頃は小学館の『児童百科事典』が大好きで、暇さえあれば『児童百科事典』を読んでいたそうです。だから物知りで授業などつまらなかったそうです。早熟だったんですね 青年になってからは鈴木大拙の禅に関する本や『臨済録』『出家とその弟子』などを読みふけったそうです。

 李登輝先生はさまざまな顔を持っていらっしゃいます。京都大学では農業経済学を専攻なさいました。農業に対する関心は今でも大変、旺盛で台湾の土壌に合った作物を産業として育成しようとしています。総統になられてからは中国によってさまざまな圧力や嫌がらせを受け、それは今でも続いています。しかし「台湾は中国ではない」というのが一貫した李登輝さんの信念です。

 今、東アジアをぐるっと見まわしてみても残念ながら李登輝さんほどの見識と哲学と胆力を持った政治家は見当たりません。まさに「哲人政治家」であり「鉄人政治家」と言うにふさわしいでしょう。嬉しいことに、李登輝さんはいつも「李登輝を作ったのは日本精神です」と公言しています。日本精神とは何か? それは「私を捨てて公に尽くすこと」だそうです。この精神は中国にはないものです。中国の歴史は皇帝の歴史でした。中国は皇帝の私物だったわけです。ですから中国人に公の精神は育ちませんでした。

 今回の講義で李登輝さんは何度も「日本はアジアのリーダーになりなさい!」「安倍さんはきっとやるよ!」とおっしゃっていました。そして最後に昭和天皇の御製を口ずさまれたのですが、それがなんと 私の名刺の裏面に入れさせていただいている御歌だったので、個人的にもすご~く嬉しかったです!

   降りつもる  み雪にたえて  いろかへぬ   松ぞををしき  人もかくあれ

                            P4230761

 

 

 

 

 

 

緑島の政治犯強制収容所

 3名の紳士に迎えていただき、私たちはまずビデオで「緑島人権文化園区」の説明を受けました。白色テロの時代は二つに分けられるそうです。最初は「台湾省保安司令部新生訓導処」の時代(19511965年)で、次の白色テロの嵐は「国防部緑島感訓監獄」の時代(197287年)でした。この「緑島人権文化園区」には「新生訓導処」とはどのような所だったのか、そこで「新生」と呼ばれた政治犯たちはどのような生活を強いられていたのか、が写真、映像、人形を使って分かりやすく展示されています。

 「新生訓導処」に収容されていた人たちは最盛期で2000人にのぼり、看守を入れれば3000人もの人たちがここで共同生活をしていたそうです。約100人の女性政治犯もいました。政治犯といっても何か罪を犯したわけではなく、罪をでっち上げられた人がほとんどです。ちょっと思想的な本を読んでいたとか、詩集を持っていたという程度のことが罪とされ、形ばかりの裁判で刑が決められました。刑期は短い人でも810年、長い人は15年、なかにはなんと 30年以上もここに監禁されていた人もいるそうです刑期の長さを決めた理由もまったく分からなかったそうです。ほとんどの人が逮捕されたときは青年で、独身でした。中年になって出獄しても職はなく、前科者の烙印を押されて社会復帰は難しかったそうです。それでも生きて出所できた人は運の良い方で、おびただしい数の人たちが銃殺刑になりました。ほぼ毎日、銃殺される人が何人かいたそうです。自殺者、病気で亡くなった人もたくさんいました。蒋介石は一人一人の罪状を書いた書類を見ながら「懲役刑」という字にXをつけて、赤い大きな字で「銃殺刑」と書き換えたそうです。

 「新生訓導処」の生活は主に外での労働と屋内での思想改造=洗脳教育でした。海辺で石を切って、それを積み上げて高い石塀を築いたり、畑で野菜を作ったり、家畜を飼育したりしました。反共(=反共産主義)教育が毎日、徹底的に行われたそうですが、もともと共産主義思想を持っているわけではないので、教官が何を言っているのか分からず「???・・・」という感じだったそうです。

 緑島で「新生」と呼ばれていた人たちは東西冷戦と朝鮮戦争の時代、国家に守られるどころか国家によって迫害され、抑圧された被害者と言えるでしょう。しかし、その悲惨な歴史を再現して、形にして残そうと動いたのがその当事者である、かつての政治犯たちでした。2001年「緑島人権記念園区プロジェクト」が動き出し、資料を集め、展示内容が検討され、2008年に一般公開されました。展示を見て驚いたのですが、実に史実に忠実できめ細かい展示内容でした。特に悲惨さを強調するわけではなく、あくまでも史実をありのままに再現しようという意図がよく分かりました。

 カメラマンであり、画家でもあった陳孟和氏はこの展示を作るプロジェクトの中心メンバーのお一人で、昭和5年生まれ。中学3年で終戦を迎えました。1952年、台北師範大学美術科1年に在学中に逮捕され、懲役15年の刑に服しました。カメラマンとしての腕を評価され、「新生訓導処」の写真をたくさん撮っていらっしゃいます。

 P4200746
      説明する陳孟和氏

 P4200747P4200748
   今にも動き出しそうなリアルな人形。

 

 

 

 

 

第19回李登輝学校研修団に参加しました

 419日~23日、第19回李登輝学校研修団に参加して台湾に行って来ました。この研修団に参加するのは3回目ですが、今回も非常に実りある、楽しい旅でした。研修団の参加者は35名でした。前半の3日間は台湾の東南の海に浮かぶ「緑島」へ行き、後半の2日間は台北で座学、つまり講義を受けました。

1895年、わが国は日清戦争に勝って清から台湾を割譲されました。1895年~1945年のちょうど50年間、台湾は日本領でした。日本統治時代に台湾に生を受けた、いわゆる「日本語世代」の方たちは生まれた時から日本人だったので私たちと同じように、あるいは私たちよりももっと流暢な日本語を話されます。その方たちの講義をナマで聞けるのもこの旅行の楽しみの一つです。最終日には李登輝元総統の特別講義もあったんですよ~。御年90歳になられる李登輝元総統、大変お元気で気迫のこもった講義をして下さいました

 さて19日、私たちは台湾の首都・台北に着くと国内線の飛行機に乗り換えて台湾の東南にある都市、台東に飛びました。台東に1泊して翌日、船に乗って約1時間、「緑島」に向かいました。船に乗る前、「海が荒れると3Dの揺れが経験できますよ~」と「日本李登輝友の会」の片木さんにさんざん脅かされていましたが、何とか無事に到着してホッとひと安心。港からバスで「緑島人権文化園区」に向かいました。

 「緑島」は政治犯収容所があった島です。しかし緑島に政治犯収容所があったことは台湾人でもごく一部の人しか知らず、ましてや外国人の団体がここを訪れるのは空前絶後、前代未聞だそうです。

 1945年、わが国は大東亜戦争に負けてGHQ(連合国司令部)に7年近く占領されました。GHQというのはつまりはアメリカ軍です。アメリカ軍の占領下で私たちの先人は筆舌に尽くしがたい苦難の日々を過ごしたことでしょう。しかしそれでも日本はまだ幸いな方でした。日本人は変わらず日本人を名乗ることもできたし、皇室も存続できたからです。台湾の人たちの運命はもっと過酷でした。日本の敗戦によって台湾人はある日突然、中国人にされてしまったのです。中国共産党との戦いに敗れた蒋介石率いる中国国民党が大陸から台湾に逃げ込んできて、台湾を占領したからです。

 国民党軍は大陸から追いだされた屈辱感や怒りを台湾の人たちにぶつけました。人種的にも中国人と台湾人はまったく違うし、台湾人はすっかり日本人になっていました。中国語の話せない台湾人(本省人)と大陸からやって来た中国人(外省人)は意思の疎通もできず、習慣も価値観も違うので当然ぶつかります。台湾人の不満が積もり積もって1947228日、爆発しました。いわゆる「228事件」です。「228事件」で一体何人の台湾人が犠牲になったのか未だに分かっていません。そして「228事件」によって本省人と外省人の間にある対立はいっそう深くなりました。

 1949519日、国民党政権は戒厳令を布告しました。その翌日から1987715日までのなんと38年間台湾は世界史上もっとも長い戒厳令下に置かれたのです。戒厳令下では普通の法律ではなく軍法が適用されます。国民は自由と権利を奪われ、何の理由もなくある日突然、逮捕・連行されるという恐怖政治が続きました。政府による国民への迫害や抑圧を「白色テロ」といいます。「白色テロ」の時代、政治犯に仕立て上げられたのは日本統治時代に高等教育を受けたエリートたちでした。蒋介石は台湾を支配するために台湾から日本的なものを排除しようとしました。台湾人を中国人に改造するためには日本人の価値観や倫理観を消さなければならない、と考えたのです。

 私たちが「緑島人権文化園区」に着くと、3人の紳士がにこにこしながら迎えてくれました。この方たちは、かつて政治犯収容所に囚われていた方たちです。私たちに収容所の説明をするために今日、わざわざ台北から駆けつけて下さったそうです。

P4200739P4200745



 

 

GHQが抹殺しようとした日本人の精神

 大東亜戦争に負けてわが国がGHQ(連合国総司令部)に約7年間、占領されていた時代、GHQは日本が二度と欧米に刃向かえないように日本人の頭の中を改造しようとさまざまな工作をしていました。しかし、当時の日本人には気づかれないように実に巧妙に行っていたので、そのことは今でもほとんどの人が知りません。映画、ラジオ、テレビ、新聞、雑誌などはすべて内容を「検閲」され、個人の手紙までが100通に1通の割合で開封され、なかを調べられました。もし占領軍に対する批判的な文章があれば、こっそり書き換えられたり破棄されたりしました。そればかりか、当時の日本を代表する知識人が書いた本を没収し、焼却してパルプにしていたのです。それまで当たり前に本屋や図書館にあった本がある日突然、姿を消してしまいましたその数、なんと 7千冊にも上ると思われます。このGHQが行った、野蛮で卑劣で非文明的な行為については花時計のQ&Aのコーナーにもまとめてあります。是非、読んでいただきたいと思います。

 今、発売中の雑誌「歴史通」に、この「焚書」された本を収集なさっている「占領史研究会」主催者である澤龍さんが寄稿なさっています。澤さんは没収された7千冊のうちのなんと! 6千点を集められ、自宅に保存されています。その写真も見ることができますが、いや~膨大なものです。これらを丹念に集められた努力には本当に頭が下がります。澤さんがどのようにして「焚書」の事実に気づいたか、なぜこれらの本を収集しようと決意したか、は「歴史通」を読んでいただきたいと思います。

 それにしても、この膨大な量の本を選び出し、秘密裡に没収し、廃棄し、パルプにするという行為は何を意味しているのでしょうか? これはもちろんアメリカ人だけでできることではなく、たくさんの日本人を協力者として雇っていたはずです。なぜGHQはそこまでして日本人の精神的土壌を破壊しようとしたのでしょうか? なぜ日本を弱体化させようとしたのでしょうか? その答えは「焚書」された本の内容を分析すれば分かります。GHQは心底、日本人が怖かったのです。戦争には勝ってもいつまた日本人が立ちあがり、自分たちの存在を脅かすか分からない、復讐されるか分からないという不安があったのだと思います。それほど日本人は精神性の高い、民度の高い民族でした。

 GHQがもっとも怖れたのは天皇の存在でした。日本の軍隊は皇軍=天皇の軍隊でした。天皇が直接、指揮を執るわけではないのですが、将軍から末端の兵士まで一人一人が「自分は名誉ある皇軍の一員だ」という自覚と使命感を持っていました。もし戦場で国際法に違反するようなことをしたら天皇陛下が恥をかくことになる。そう考えたからこそ日本軍には戦地で当たり前に行われていた略奪や民間人の殺戮、強姦などがほとんどありませんでした。天皇と臣下の関係は「君民一体」です。これは西洋の「支配する」王様と「支配される」臣下の関係とはまったく違うものですからアメリカ人が脅威に感じたのは当然のことでしょう。天皇に対する国民の崇敬の念はアメリカが何としても消したいものだったと思います。

 「焚書」は見事な効果を挙げました。戦後の日本はほぼアメリカが望むような国になりました。誇り高い武士だった日本人は目先の利益のことしか考えない商人に成り下がりました。自分が日本人であることすら徐々に忘れていっています。政治家や官僚は自ら進んでアメリカのポチになろうとします。これもGHQの占領政策がもたらした影響ではないか、と思います。

 安倍政権が428日を「主権回復記念日」と定め、政府主催で式典をやることになりました。これを機会に占領時代に何が行われたのか、占領政策はいかに過酷で非道なものだったのか、を明らかにしていただきたいです。

 

 http://www.hanadokei2010.com/faq_detail.php?faq_category_no=105

アメリカ、カナダでがんばる「なでしこアクション」

 「なでしこアクション」代表の山本さんからメールを頂きましたのでご紹介します。アメリカで、そしてカナダで日本女性たちが祖国の名誉のために動いています。皆さん、どうぞご協力をお願いします!

 

【1】    カルフォルニア・グレンデール慰安婦記念碑反対!メッセージを送ろう!
2012
7月に慰安婦記念日を制定したカルフォルニアのグレンデール。ここのフランク・クィンテロ市長が、この4月に訪韓し、慰安婦博物館・ナヌムの家を訪問、日本大使館前の慰安婦少女像と一緒に記念写真撮影。すっかり韓国のねつ造慰安婦プロパガンダを信じ、グレンデール市の公共の場に慰安婦記念碑を建てようとしています。現在、カルフォルニアなでしこアクションの仲間が立ち上がり、この動きを阻止しようと市長にコンタクトをとっています。
 彼女達の行動を応援する為にも、これ以上日本を貶める捏造歴史が形になってしまわない為にも、私達からも反対のメッセージを送りましょう!日本の名誉を護るため、一つでも多くのメッセージが届きますよう、皆様のご協力お願い申し上げます。メール送信先メアド、件名サンプル、英文サンプルを纏めました。
詳細はこちらをご覧ください。

カルフォルニア・グレンデール慰安婦記念碑反対!メッセージを送ろう!
http://sakura.a.la9.jp/japan/?page_id=3360

<参考サイト>
続・慰安婦騒動を考える
訪韓中のグレンデール市長、慰安婦像の設置宣言
http://ianfukangaeru.blogspot.jp/2013/04/blog-post_15.html

2】カナダなでしこより お知らせ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
カナダではトロント市が20121213日に南京大虐殺記念日を宣言しました。カナダのなでしこアクション仲間がこの宣言の撤回に動いています。この度、南京難民区当時のフィルムに英字幕を付けた動画を公開しました。

Film of the Nanking Refugee Zone
http://www.youtube.com/watch?v=l8fSLWNg2UE

南京大虐殺は捏造!真実の南京資料として拡散お願いいたします。



 

ブログランキングに参加しています

人気ブログランキングへ

愛国女性のつどい花時計
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ