「日本維新の会」が河野洋平元官房長官の慰安婦問題に関する談話、いわゆる「河野談話」を検証するチームを立ち上げるそうです。今さら検証するまでもない、と思うのですが、それでも具体的な動きが出てきたことは良かったと思います。「河野談話」は事実関係をきちんと調べて出されたものではなく政治的判断の産物だった、ということを「維新の会」には明らかにしていただきたいものです。
「河野談話」が出されたのは1993年8月4日でした。「河野談話」は韓国側のしかけた罠に河野元官房長官がはめられて出させられたのだろう、というのはほぼ定説になっています。河野氏の政治家としての資質やイデオロギーに問題があったのだ、というふうに語られていますが、どうもそれだけではなく、新たな背景が最近少しずつ見えて来ました。チャンネル桜火曜日キャスターでジャーナリストの大高未貴さんがレポートして下さったのですが「沖縄県史」の記述に捏造と思われる部分があるそうです。これが真実だとすると、慰安婦問題はやはり沖縄とつながっていて、その背景には北朝鮮や中国がいることはほぼ間違いないと思われます。これは非常に貴重なレポートなので、是非知っていただきたいです!
大高さんのレポートをかいつまんで要約すると、ことの発端は今年3月23日、沖縄県与那国島で「朝鮮人『従軍慰安婦』与那国島慰霊祭」なる催しが行われたことでした。なぜ突然、こんな慰霊祭が行われたのか調べてみると「沖縄県史」第10巻にその由来となった事件が書かれていたそうです。大東亜戦争中、台湾から与那国島に「連行された従軍慰安婦45名」が載った船が米軍機の爆撃によって撃沈され、慰安婦が亡くなった、と書かれていたそうです。「沖縄県史」にその「慰安婦遭難事件」を書いたのは池村恒正という歯医者さんだそうですが、池村さんはもう逝去されたそうです。池村さんはたまたま同じ船に乗り合わせて危機一髪、助かったそうです。
ところがこの「慰安婦遭難事件」の顛末を書いた文章をよく検証してみると登場する人名も違うし、事実関係に首をかしげる点が多いそうです。そこで大高さんは与那国島に行って取材してみました。すると驚くべきことに、与那国島ではこの事件を記憶している人はまったくいない! そうです。池村さんという人も本当に歯医者だったのかどうか疑わしく、この「慰安婦遭難事件」はどうも捏造の可能性が高いそうです。
「沖縄県史」が出たのは1974年ですが、これを基にして1992年に沖縄朝日新聞記者の福地という人物が『沖縄戦の女たちー朝鮮人従軍慰安婦』という本を出版しています。その前年、1991年に朝日新聞の植村記者が「日本軍が朝鮮人慰安婦を強制連行した」というトンデモ記事を書いています。そして1993年に「河野談話」が出されています。この一連の動きは水面下でつながっているのではないでしょうか?
「沖縄県史」という公的な出版物に捏造があったということ自体が信じられませんが、それが一連の「日本軍による慰安婦強制連行」というプロパガンダの源であったとしたら、「県史」の記述の真偽が明らかになればプロパガンダの根拠はすべて突き崩せるわけです。
チャンネル桜で放送された動画です。是非、ご覧ください!
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http://www.youtube.com/watch?v=8M7Z2oXRvmI&feature=youtube_gdata