マダムの部屋

愛国女性のつどい花時計代表でもあるマダムが思った事など書いています。

2014年06月

マスメディアの台湾いじめ

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 台湾の首都、台北にある「国立故宮博物院」の宝物が上野の東京国立博物館で一般公開され、大変な人気だそうです。「国立故宮博物院」の宝物が海外に出るのはこれが初めてだそうで「日本なら」といって貴重な作品群を外に出してくれた台湾側の厚意に感謝したいです。私も以前、台湾で見たことがありますが、本当に素晴らしいものばかりです。それもそのはず、中国共産党との内戦に負けた蒋介石が台湾に亡命する時、北京の故宮にあったこれらの宝物をアメリカの軍艦を使って運び出した、という歴史があるのです。いつか蒋介石が大陸の支配者に返り咲いたとき、これらの宝物は中華民族のリーダーとしての蒋介石の正統性を示すものになるはずでした。しかし、その日が来ないまま、宝物は台湾で観光客の目を楽しませることになりました。

 ところが、この一大イベントがあやうく中止になるところだったのを知っていますか? ことの発端はポスターやチケットの文字が「台北 国立故宮博物院展」となるべきなのに「国立」の字が抜けて「台北 故宮博物院展」となっていたことが発覚したのです。東京国立博物館が作成したポスターは「台北 国立故宮博物院展」となっていたのですが、共催したメディア(NHK、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、東京新聞など)が作成したポスターやチケットは「台北 故宮博物院展」となっていたそうです。このことが伝わると台湾では大騒ぎになったそうです。

 台湾の馬英九総統は激怒して「21日までに正式名称を載せたポスターに差し替えない場合は展覧会を中止する」と通告してきたそうです。東京と九州で開催される予定だった展覧会が中止になったらこれは大騒ぎです。単に展覧会が中止になっただけでなく外交問題に発展する可能性もあります。慌ててポスターを作り直し、東京国立博物館の館長が謝罪してようやく事なきを得たようです。しかし、なぜこんな事態になったのでしょうか?

 そう、もうお分かりですよね。例によって日本のメディアが中国様に気兼ねしたからです。「国立」という文字をそのままにすると台湾(中華民国)を国家として認めている、けしからーん、と中国様に怒られるのではないか、それなら「国立」の字を削除してしまえばいい、という浅知恵によるものなのでしょう。実際、誰が犯人かは曖昧にされましたが、おそらくNHKか毎日新聞か朝日新聞でしょう。これほど卑屈なメディアが世界に存在するでしょうか?

 日本のマスメディアが中国の機嫌をそこねることを極端に恐れるのは今回が初めてのことではありません。NHKなど台湾のニュースをほとんど流しません。中国のニュースは毎日のように流しているのに。東日本大震災の時、台湾が世界でもっとも高額の200億円(!)もの義援金をくれたこともまったく伝えませんでした。恥ずかしい、の一言です。

 日本のメディアが台湾を日陰者のように扱うので、台湾について日本人はほとんど知らされていません。未だに台湾は中国の一部だと思っている人がたくさんいるのは悲しいし、日本の国益にも反することです。この展覧会をきっかけにして台湾に関心を持つ人がもっと増えてほしいです。

 「日本文化チャンネル桜」の「台湾チャンネル」でもこの問題を取り上げて解説していますので、是非ご覧下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=PAN1bBALtc4




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「河野談話」継承を評価するアメリカ

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 20日、有識者による「河野談話の作成過程の検証チーム」が検証結果を発表しました。予想通り「河野談話」は当時の日本政府と韓国政府の、それもごく一部の人間しか関われない「密室」で文言をすり合わせて作成したものであることが判明しました。事実に基づくものではなく、政治的妥協の産物、なれ合いの出来レースだったわけです。「強制性さえ日本が認めてくれたら、あとは悪いようにはしないから」という当時の韓国政府の嘘に河野洋平氏はころっと騙されたわけです。

 河野洋平はこれに対してコメントを出しているのですが、これが何度読んでも意味不明なコメントです。「検証の結果は正しい。まさにこの通りです」と言いながら自分がしでかしたことがどれほど国益を損じたか、の自覚がまったく感じられません。まさに他人事。今、アメリカに住んでいる日本の子供たちが「河野談話」のせいでいじめられている事態をどう考えているのでしょうか? 老醜をさらしている、としか言いようがありません。河野洋平をただちに国会に証人喚問すべきです。

 河野洋平のコメントにも呆れたのですが、もっと呆れたのはアメリカの報道官のコメントです。「安倍政権が河野談話を継承するということに注目している」と、アメリカの報道官はコメントを出しました。これって・・意味、分かりますか? 河野談話を継承するということに「注目している」「評価している」「撤回しないでほしい」「撤回するなよ!」という意味なのだと思います。なぜアメリカはここまで内政干渉してくるのでしょうか? 

 かつての日本軍が韓国人女性を強制連行して、慰安婦という「性奴隷」にするような悪逆非道の軍隊でなければアメリカも困るからです。かつての日本が侵略戦争をするような悪い国でなければ困るからです。日本軍が清廉で規律正しい軍隊で、日本が良い国だったとしたら、何の罪もない日本に原爆を2発も落として民間人を虐殺しまくったアメリカこそが悪逆非道な国、ということになってしまうからです。

 アメリカで黒人の参政権が認められたのはなんと! 昭和39年(1964年)です。日本では東京オリンピックが開かれた年です。それ以前はアメリカの黒人に参政権などなかったのです。アメリカこそ奴隷をアフリカから強制連行してきて、奴隷の労働力によって富み栄えた国です。アメリカ人にとって奴隷の存在は当たり前で、奴隷のない国など考えられないでしょうが、わが国は歴史上、奴隷のない、非常に珍しい国なのです。日本人には「人間をお金で売り買いする」ということは感覚的に合わなかったのです。ではアメリカと日本と、どちらが悪逆非道の国なのでしょうか?

 韓国も嘘の歴史で凝り固まっていますが、アメリカも嘘の歴史で「世界の警察官」ヅラをしている国です。嘘がバレそうになると相手を脅して真実を封印しようとするところもよく似ています。しかし、嘘はいつかはバレるものです。去年、安倍総理が靖国神社に行った時もアメリカは「失望している」というコメントを出しましたね。最近、アメリカの嘘も徐々にバレてきたなあ、と報道官のコメントを聞いて思いました。


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少年は見た! 地獄の朝鮮半島

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 以前、花時計では『竹林はるか遠く』という本を図書館にリクエストする活動をしたことがあります。『竹林はるか遠く』を書いたヨーコ・カワシマ・ワトキンズさんは
1945815日を朝鮮半島の北、今の北朝鮮の羅南というところで迎えました。815日が「終戦の日」というのはあくまでも内地の話しで、外地(台湾、満州、中国、朝鮮、樺太など)に住んでいた日本人にとっては815日からが本当の生きるための壮絶な戦いの始まりだったのです。それまで自分たちを守ってくれていた精強な日本軍が武装解除され、ある日突然「難民」になってしまったからです。戦争の終結=平和、ではなかったのです。そのことを戦後の日本人はすっかり忘れています(忘れさせられています)。平和というのは警察や軍隊の武力によってかろうじて保たれている状態に過ぎないのです。

ヨーコ・カワシマ・ワトキンズさんが住んでいた羅南の中学生で、中学3年で敗戦を迎えた清水徹さんという方が書かれた『忘却のための記録』が『竹林はるか遠く』と同じハート出版から刊行されました。『竹林はるか遠く』に勝るとも劣らない優れた記録文学だと思います。挿絵も清水徹さんが描かれています。

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 戦後、外地から引き揚げた日本人は満州や大連地域から
122万人、北朝鮮地域から30万人、韓国地域から42万人、中国から50万人、台湾から32万人、そのほか南方の島々まで含めると計319万人といわれています。とてつもない数です。そのうち南方からの引き揚げ者は比較的恵まれていましたが、北方から、特に満州からの引き揚げ者は悲劇に見舞われました。北朝鮮在住の日本人の運命も過酷なものでした。89日にソ連軍が日ソ不可侵条約を一方的に破棄し、清水さんの住んでいた羅南の辺りへの空爆を開始しました。やがてソ連軍が上陸してきて清津では日本軍とソ連軍の死闘が繰り広げられ、清水さんたちは戦場を逃げ惑う「難民」になってしまいました。

 清水家5人のうち内地に無事たどり着けたのは4人で、お父さんは19462月、収容所で亡くなりました。朝鮮総督府の交通局に勤務していたお父さんの立派な最期はこの本のクライマックスといえるものです。

 『竹林はるか遠く』の著者、ヨ―コさんは勇敢な少女でしたが『忘却のための記録』の主人公である清水徹さんも非常に勇敢な少年です。羅南公立中学校は名門中学だったようで、徹さんの文章の中に何度も「羅南中学生の誇り」「日本人としての誇り」という言葉が出て来ます。しかし生きるためにその誇りをかなぐり捨てて食べ物を獲得しようと必死の努力をします。次から次へと襲ってくる苦難を乗り越えて、38度線を歩いて突破し、南朝鮮(今の韓国)にたどり着く場面は感動的で、涙なしでは読めません。

 つい70年前に日本人を襲った悲劇が戦後の日本ではまったく忘れられ、教科書にも一行も書かれていません。帰国を果たせずに北朝鮮の土となった多くの日本人の無念を私たちは忘れてはいけないと思います。



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父親の汚名を晴らすために戦った天児都さん

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「従軍慰安婦」という言葉は戦後、作られた造語だということを知っていますか? 「従軍」というのは軍隊に所属している、いわゆる「軍属」のことです。軍属の人たちは軍と行動を共にして、軍から給与をもらいます。亡くなれば軍人同様、靖国神社に祀られます。しかし「従軍看護婦」はいても「従軍慰安婦」なんて存在しなかったのです。では、「従軍」と「慰安婦」を結びつけるという発想は誰が考え出したのでしょうか? それはなんと! 千田夏光という日本人なのです。

 1973年、千田夏光氏は『従軍慰安婦』という本を出版しました。今から40年以上前のことです。これが今に至る「慰安婦問題」のそもそもの始まりです。では、千田夏光は「従軍慰安婦」という発想をどこから得たのでしょうか? それは麻生徹男さんという産婦人科医との出会いからだったのです。麻生さんは昭和12年から16年まで、中国大陸の戦線で軍医をなさっていました。慰安所で働く女性の定期検診や衛生管理をするかたわら、趣味の写真を撮っていました。麻生さんは約1400枚もの写真と当時の慰安婦たちの記録を残されています。麻生さんはあくまでも医者の目線で写真を撮っていたわけですが、それが今、韓国のソウルにある「女性と人権博物館」や「ナヌムの家」などで勝手に使われて展示され、日本政府を糾弾する「証拠」に悪用されてしまっています。

 そして、麻生さんは韓国と反日日本人たちによって「慰安婦を強制連行した首謀者」だとか「慰安所を作った張本人」という、とんでもない汚名を着せられてしまったのです。反論しようにも麻生さんはもう亡くなってしまっています。しかし、麻生さんの娘さん、天児都(あまこ いく)さんは父親の汚名をそのままにはしておきませんでした。

 天児都さんも産婦人科医です。天児都さんはお父様の残した資料を整理して1993年、『上海から上海へ』(石風社)という本を出版されました。また『慰安婦と医療のかかわりについて』(梓書院)という本も出されています。当時、従軍慰安婦の存在を否定するような本を出すことはとても勇気のいることだったと思いますが、この本を出したことによって世論は明らかに変わったそうです。やはり事実を記録した本の持つ重みは分かる人には分かるのです。

 「日本文化チャンネル桜」のキャスターで、ジャーナリストの大高未貴さんが天児都さんにインタビューしている動画があります。親しくしていたお父様を裏切り、『従軍慰安婦』というトンデモ本を出した千田夏光に対する気持ちなども静かに語っていらっしゃって、私はとても感動しました。是非、見ていただきたいです

                       

http://www.youtube.com/watch?v=ahIU5D8Vtlk&feature=youtube_gdata


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中国の暴虐を「世界記憶遺産」に登録しよう

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 中国が日本軍による「南京大虐殺」という、実際にはなかったことをユネスコの「世界記憶遺産」に登録しようとしている、というニュースを聞きました。またか、と不快に思った方も多いと思います。それにしても、この「世界記憶遺産」って何なんだ
ろう? と思って調べてみました。

 ユネスコの「世界記憶遺産」は損失や破損の危機にある文化的価値のある文書や書物をデータ化して保存しようというものだそうです。これまで世界各国から申請のあったさまざまな文書や資料が登録されています。例えばアンネ・フランクが書いた『アンネの日記』、アンデルセンの原稿や手紙、ベートーヴェン「第九」の直筆の楽譜、ゲーテの直筆原稿、グーテンベルク聖書、などなどです。しかし、実在しなかった「南京大虐殺」を証明する資料ってあるのでしょうか? 架空のものでも「世界記憶遺産」に登録してしまえば実在したことになる、という発想にはいつものことながら驚かされます。日本人には絶対にない発想です。

 形のないものでも登録できるのなら、日本も中国による「天安門事件」を「世界記憶遺産」に登録しよう、という運動をしたらどうでしょうか? 198964日、勃発した「天安門事件」では一体何人の中国人学生や一般人が殺されたのか、未だに中国政府は発表していません。外国人ではなく自国の国民を残虐無比に殺した事件として人類共通の記憶に登録したらどうでしょうか?

 もし韓国が「慰安婦の強制連行」を「世界記憶遺産」に登録しよう、という動きを見せたら日本は「ライタイハン」を登録するように申請したら良いのではないか、と思います。ベトナム戦争の時に韓国軍がベトナム人女性を強姦して、生ませた子供のことをベトナムでは「ライタイハン」と呼びます。「ライ」=混血、タイハン=大韓、という意味です。「ライタイハン」の数は正確には分かりませんが、おそらく3万人はいるだろう、と言われています。3万人の混血児が生まれる、ということはどれほど多くのベトナム人女性を韓国軍は強姦したのでしょうか? 生まれた時から父親のいない彼らは「韓国人との混血児」ということでベトナムで差別されているそうです。これも人類共通の記憶としてとどめるべきことではないでしょうか?

 「人を呪わば穴二つ」という言葉があります。自分のやったことを棚に上げて人を呪えば、それはいつか必ず自分に返ってきます。日本政府や外務省は中国や韓国の暴虐を「世界記憶遺産」に登録すべく、申請運動をするべきだと思います。


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