花時計では、平成23年3月11日に発生した東日本大震災の直後から、被災地へ救援物資を送る活動を続けてきました。被災地の赤ちゃんに紙オムツを送ることから始まり、その後はジャーナリストの山際澄夫さんの「ダンボール一箱支援」に参加して、宮城県南三陸町の世話人さんから現地の様子を教わりながら、その時々、季節毎に必要な物資を送ることができたのではないかと思います。
年月の経過と共に発送の間隔が空いてきましたので、ご寄付の随時受付は終了とさせていただきます。今後、物資を送る際には花時計ニュースでお知らせしますので、無理のない範囲でご協力いただけましたら幸いです。(今までの残金は、今後の支援物資代に充てさせていただきます。)何卒よろしくお願いいたします。
花時計会計・結城
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【救援物資関連記事一覧】
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個人支援 できる範囲で少しずつ
第4回 救援物資キャンペーン・第4弾の報告です
第5回 救援物資キャンペーン・第5弾の報告です
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復興イベント 南三陸のお母さんたちが作ったホタテキャンドル
第6回 救援物資キャンペーン・第6弾の報告です
第7回 救援物資キャンペーン・第7弾の報告です
第8回 被災地からお礼状が届きました!
第9回 救援物資・第9弾のご報告です
第10回 救援物資・第10弾のご報告
第11回 救援物資・第11弾のご報告
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さて、話題は変わりまして。
救援物資の活動で知り合った現地の世話人さんに会うために、夏休みを利用して南三陸町に行ってきました。以下、旅行の報告になります。皆さんも一緒に旅をしている気分を味わっていただけたら幸いです。
【南三陸町歌津までの旅費】一人分
●東北新幹線はやぶさ 東京⇔仙台(約1時間半)往復・指定席 ¥22.800
●高速バス・仙台南三陸線 仙台駅前のりば⇔枡沢(約2時間)往復・回数券 ¥2.800
●宿泊 ニュー泊崎荘 南三陸グルメプラン・海旬コース(一泊二食) ¥10.800
(2名1室~¥9.800)
(・∀・)つ 合計 ¥36.400 + お弁当、お土産代
仙台駅から高速バスに揺られること約2時間。車窓からは青々とした稲穂の波と、その合間に土を盛って復興作業を続ける重機の姿が見え隠れしてきます。
枡沢バス停でバスから降りると、さあっと涼しい風が吹き抜けました。空気が澄んでいて、どこか懐かしい感じがします。目の前の何の変哲もない大通りが、震災の時には6mの津波が道のあちらとこちらから押し寄せてぶつかり合った場所だと後で知りました。
宿に着くと、いつも救援物資の受け取りと配達をしてくれている世話人の女性が会いに来てくれました。お互いにメールや電話でイメージを膨らませていたので「想像してた人と違う~」と笑い合い、挨拶後すぐに車で南三陸町を案内してもらいました。
町全体が津波の被害を受けた志津川の町です。既に瓦礫もなく平坦に均されているため、高速バスの車窓から見た時は、この場所に町があったと気付くことが出来ませんでした。
広々とした大地の真ん中に、ニュースなどでよく見かけた防災対策庁舎が佇んでいました。防災対策庁舎側面の階段の歪みが、津波の破壊力を物語っています。この庁舎で亡くなられた方々のご遺族からは、見るのが辛いので取り壊して、代わりに慰霊のためのモニュメントを建ててほしいという意見も出ているそうです。その真向かいにある建物は、車の移動中だったのでよく見えませんでしたが、中はがらんどうのようでした。
志津川の高台に作られた仮設の商店街です。夕方に着いたので空いているお店が少なかったけれど、展示されている写真や切り絵、モアイ像や招き猫を見ながら興味深く散策することができました。
ちょうど今年の7月23日に、天皇皇后両陛下がご来町されたとのことです。天皇陛下が及善蒲鉾店の笹蒲鉾を気に入られて宮内庁御用達になったそうなので、私もあやかってお土産に買ってきました。高級魚キチジ(キンキ)入り、シソ入り、チーズ入り、それぞれ違う風味で後を引く美味しさです。
商店街の壁面に、震災前と震災後の志津川の写真が張られていました。
再び車に乗って泊崎半島の最南端、歌津崎へ。そこにある神社から、霊島・金華山を眺望することができました。(天気が良ければ、もっと良く見えるそうです。)
世話人さんのご自宅にもお邪魔させていただきました。お仕事やご家族のお世話で忙しい方なのに、沢山のお料理でおもてなしを本当にありがとうございました。ご主人様と息子さんが漁師さんなので、タコもウニもツブ貝もタラも全て新鮮で甘みがあり、びっくりするほど旨味が凝縮されています。夢中になって頂いていたら写真を撮り忘れていました。食べかけをパチリ。本当はもっと綺麗に盛り付けてあったのに、すみません。タラの身と肝の煮付けは、写真を撮る前にお腹の中に消えてしまいました。タラの肝はふっくらと柔らかく、まるでフォアグラのようでしたよ。
この夜、世話人さんの計らいで二人の女性と対談することができました。一人は、着の身着のままお孫さんの手を引いて避難した80歳のおばあちゃん。もう一人は、今も仮設住宅で生活している女性です。
皆さん、震災当時のことを振り返ることはあまりないとのことでした。世話人さんも、防災対策庁舎を見に入ったのは今回が初めてだったそうです。ご家族や地域の人々を守るために精一杯がんばってきた女性たちですから、過去を振り返るより前を向いて駆け抜けてきたのだと思いますし、まだ思い出すこと自体が怖く直視できない部分もあると思います。それでも皆さん優しく、色々なことを話して聞かせてくれました。
高台にあるこの宿は津波の被害を免れたため、在庫していたロールケーキを振る舞ったり、雑魚寝状態の避難所から被災者を受け入れたりしてくれたそうです。雪の降る中、何十日も避難所生活を送ったおばあちゃんが「この宿で温かい布団で寝た日は涙が出た」と話してくれました。おばあちゃんも、もう一人の女性も、この宿に宿泊している間は毎日、何度も階段を上り下りして支援物資を各部屋へ届けたり、トイレ掃除を率先してやっていたそうです。
また一口に被災者と言ってもその状況は様々で、例えば財産を全て失った人と家が残った人とでは温度差が激しく、心の溝が生じてしまったことが辛かったそうです。それでも立場の違いを乗り越えて協力し合ってきた彼女達の笑顔はピカピカに輝いていて、お互いに心から信頼し合っていることが伝わってきました。伺った貴重なお話を全て掲載することはできませんが、出来るだけこのブログ記事の中にちりばめさせていただきました。
そしてニュー泊崎荘の社長を始め従業員の皆様、この対談に快くロビーを貸して下さった上、コーヒーやロールケーキ(絆ロール・パティシエくりこさん手作り)でおもてなしいただき、心より御礼申し上げます。
ニュー泊崎荘2F朝陽亭からの眺め。目の前の海は、震災当時は多くの瓦礫で浮島が現れたようになっていたそうです。(地平線の向こうはサンフランシスコ)
南三陸グルメプラン・海旬コース(デザート付)
どれもこれも新鮮で濃厚な味わいでした。男性でも満足の量だと思います。
翌朝のチェックアウト時、ロビー売店でお土産を買いました。お部屋のお茶請けに出されていた歯応えサクサクのクッキー(アーモンド、ごま)と、お味噌汁に浮かべると美味しい焼ばら海苔です。
車で迎えに来てくれた世話人さんが、バス停へ向かう途中で泊浜に寄って、そこからの景色を見せてくれました。沖に浮かんでいるのは、世話人さんのお宅の漁船。震災時、津波で破壊された防波堤の隙間から沖へ流され無事だったため、そのエンジンを利用して避難所に電気を点けたり、逸早く漁に出たりと大活躍だったそうです。足元を覗き込むと、堤防の壁面にカキとウニが沢山くっついていました。
白いテント地の建物はカキの加工場だそうです。泊浜にあった加工場は全て流されてしまったため、今はこの中で作業が行われています。東京ドームと同じ素材で作られているそうです。
ワカメ漁用の白い小船たちが、穏やかな波に揺られていました。小船を港に寄せて手作業でワカメを持ち上げるそうですが、水を含んでいてとても重いため、かなりの重労働とのことです。水揚げ後すぐに港の広いスペースでワカメを部分によって仕分けたり干したりする作業が行われます。
車の窓から歌津の復興住宅が見えました。仮設住宅に住んでいる人たちは、この建物に入居することになるそうです。入居希望者は、お年寄りが多いとのことでした。
枡沢バス停の近くにある、歌津の仮設店舗です。めかぶ漬が美味しいと聞き、すかさず購入。爽やかな若葉のような香りと、コリコリとした歯応えが感動的です。
バス停に着き、世話人さんとはここでお別れです。お土産に塩ウニや冷凍ツブ貝を渡されて、その温かな心遣いに胸がいっぱいになりました。何から何まで本当にお世話になりました。(写真は、自宅に戻ってから作ったツブ貝と焼ばら海苔のスパゲティ。オリーブオイル、ニンニク、唐辛子との相性がバツグンです♪)
帰りの高速バスから見えた、未だ残る震災の傷跡。
このように南三陸町はまだ復興の途中ではありますが、温かなおもてなしの宿はありますし、海産物はどれもこれも海の豊かさがギュウッと詰まっていてとても美味しい!ということがわかりましたので、時にはボランティアではなく観光客として訪れてみるのも良いのではないかと思います。一泊二日の短い時間でしたが、行ってみないとわからないことが沢山あったので有意義な旅になりました。食いしん坊の私は、ご馳走になった海産物を東京で取り寄せできないか聞いてみましたが、さすがに生モノの発送は難しいとのことです。う~ん、残念。歌津のワカメ(肉厚でとても美味しいワカメです)のように取り寄せができたら良かったのですけど。皆さんもぜひ南三陸町へ行って、地元でしか味わえない海の幸を楽しんでみて下さいね。
以上、長くなりましたが南三陸町旅行の報告でした。最後までお付き合いいただきありがとうございました。(・∀・)
※「ダンボール一箱支援」「歌津のワカメ」については、山際澄夫さんのブログのサイトマップから閲覧することができます。
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おまけ
8/30(土)JR亀有駅前リリオパークにて開催された葛飾大音楽祭に、南三陸の方々が招待されていました。このイベントは復興支援を目的として去年から開催されていて、楽器をプレゼントしてもらった南三陸の子供たちがそのお礼として演奏することになったそうです。
南三陸の子供たちによる太鼓や踊りの出し物に、観客も一緒に歌ったり踊ったり盛り上がりました。テントでは東北物産品の販売も。南三陸の皆さんが売り子を頑張っていました。