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明治11年(1878年)、47歳のイギリス人女性が横浜埠頭に降り立ちました。イザベラ・バードが初めて日本の土を踏んだのは横浜でした。しかし彼女にとって横浜は雑然としていて美しさに欠けていました。「本当の日本の姿を見るために出かけたい」と思った彼女は「この国でもっとも外国人に知られていない地方を探ろう」という、かなり無茶なことを計画します。英国代理領事のウィルキンソンはイザベラの計画を聞いて「それはたいへん大きすぎる望みだが、英国婦人が一人旅をしても絶対に大丈夫だろう」と言います。それを聞いて安心したイザベラは北へ向けて旅立ちます。
旅行家として数々の紀行文を残したイザベラ・バードは牧師の娘として生れました。幼い頃から病弱で、脊椎の病気のために青春時代はほとんど牧師館のソファに横になって過ごしたそうです。しかし「健康になるために」なんと! 23歳で外国旅行を志します。イギリスからまずカナダ、アメリカへ行きます。2年後、初めての旅行記『英国女性の見たアメリカ』を出版します。中年になってから本格的な旅行を始め、オーストラリア、マレー半島、チベット、日本、朝鮮、中東などを回りました。
イザベラ・バードの書いた『日本奥地紀行』(平凡社ライブラリー・1,500円)を読みました。外国人が、それも女性がたった一人で(通訳であり、身の回りの世話をする伊藤という男を雇いはしたものの)言葉も通じない田舎を旅するということは簡単なことではなかったはずで、彼女の勇気と大胆さに驚きます。当時の日本人にとっては外国人を見ること自体が驚きで、彼女の行くところ常に周りには見物人が人垣を作る事態になってしまいます。どこへ行っても常に注目されるということは、非常に疲れるはずです。しかし、やがて彼女は日本の田舎の風景の美しさ、日本人の正直さや勤勉さ、日本の子供たちの無邪気さ、愛らしさなどに魅せられていきます。
明治11年6月に東京を出発したイザベラは約3ヶ月かけて福島、山形、新庄、横手、秋田を経て青森、さらに北海道にまで足を伸ばします。農村の道は舗装されていないし乗る馬は貧弱で、まったく言うことを聞きません。ノミの大群や持病の発作にも悩まされますが、それでも見るものすべてが美しく感じられたようで、この人はよほど我慢強い人なのではないか、と思います。心底、旅が好きな人だったのでしょうね。
まだ写真がなかったのでしょうか、イザベラは日本の家や風景、日本の庶民の姿をスケッチしています。そのスケッチが素晴らしくて、見ているだけでほのぼのした気持ちになれます
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