ブログランキングを始めました!クリックしてもらえると嬉しいです。
人気ブログランキングへ
もうすぐコンビニやスーパーから「ハロウィーンコーナー」がなくなるのが楽しみ~な今日、この頃です。今日、近所の100円ショップに行ったら昨日までは「ハロウィーンコーナー」だった一角が「クリスマスコーナー」になっていたのには笑えました。「クリスマスコーナー」も別に好きではないけど「ハロウィーンコーナー」に比べれば抵抗感は薄いです。慣らされてしまっているからでしょうか?
大東亜戦争は宗教戦争という側面もあった、という論考を今、発売中の雑誌「WiLL」でノンフィクション作家の加藤康男さんが書いていらっしゃいます(「昭和天皇 七つの謎」)。少しそこから紹介させていただきます。
大東亜戦争に負けたあとの日本を占領したGHQ(連合国軍総司令部)の司令官であったマッカーサーは「軍服を着た法王」と言われるほどキリスト教の布教に熱心でした。敗戦によって意気消沈していた日本人を一人でも多くキリスト教徒に改宗させることがGHQの重要な政策の一つでした。GHQの中の「民間情報教育局(CIE)」がその任に当たりました。しかし、そのことは日本人には知られないようにこっそりと進められていました。
昭和22年(1947年)4月、マッカーサーはフラナガン神父という有名な神父を日本に呼びます。神父の仕事は表向きは戦災孤児の救済でしたが、もう一つの役割はそれを通じてキリスト教プロパガンダを日本人の日常に浸透させることでした。プロパガンダ(政治宣伝)というのは相手に警戒心を抱かせないこと、相手の心を武装解除して無防備にすることが目的です。やがてフラナガン神父のアイデアで連続ラジオ・ドラマがNHKで製作されました。脚本を菊田一夫が担当した『鐘の鳴る丘』です。戦災孤児がたくましく、明るく生き抜く姿を描いたこのドラマは大ヒットして、ラジオの聴取率は90%を超えた時もあったそうです。
しかし、そもそも戦災孤児がなぜいるのか、といえばアメリカの無差別爆撃が民間人を襲ったからです。明らかに国際法違反で多くの日本人を殺しておきながら、そのことは棚上げにして戦災孤児を救うためといって神父を来日させる・・・アメリカの戦略は本当に上手です。アメリカの占領政策が実際は過酷なものだったにもかかわらず、その実態が未だに日本人に知られていないのは巧みな宣伝工作でカモフラージュされているからです。
フラナガン神父は昭和22年6月に帰国しましたが、帰国前にもう一つ、事業を提案していました。それが「赤い羽根共同募金」です。募金をすると胸に赤い羽根をつけてもらえる、というこの募金活動は私の小さい頃も駅前でよくやっていたので覚えています。当時はこの募金活動がなぜ毎年、10月1日に行われているのか分かりませんでした。
約7年に及ぶGHQの占領政策によって日本人の精神はかなり改造されました。それでも日本のキリスト教徒は人口の約1%に過ぎないそうです。アメリカによってキリスト教国に変えられたフィリピンや朝鮮半島に比べればはるかに日本のキリスト教徒の数は少ないのです。それはやはり神道の力だろうと思います。八百万の神々を信じ、皇室をいただく歴史を積み上げてきた日本人はそう簡単に一神教の神を信じることはできないのでしょう。だから日本人をキリスト教徒にしようとする工作は今も相変わらず行われています。
大東亜戦争は今もまだ継続しているのではないでしょうか? 戦闘こそ行われていませんが、情報戦争、心理戦争は最近、ますます激しくなっているような気がします。
花時計のQ&Aコーナーにも「占領下の日本人改造計画」がまとめられています。こちらも是非、読んで下さいね!
http://www.hanadokei2010.com/faq_detail.php?faq_category_no=22
ブログランキングを始めました!クリックしてもらえると嬉しいです。
人気ブログランキングへ