マダムの部屋

愛国女性のつどい花時計代表でもあるマダムが思った事など書いています。

2015年01月

戦後教育を作ったのは誰なのか?

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 日本の子供ってなにかおかしい、元気がないな、と感じているのは私だけでしょうか? 日本の子供は物質的には恵まれているのに全体的に表情が暗く姿勢が悪く、子供が本来持っている輝くような生命力が感じられません。幕末から明治にかけて日本を訪れた外国人の書いたものを読むと、みな一様に「日本の子供ほど幸福そうに見える子供はいない」という趣旨のことを書いています。子供はみなにこにこして機嫌が良く、むずかったりわがままを言う子などいない、と書いてあります。日本に必ずしも好意的でなかった外国人ですら日本の子供に関しては絶賛しているのに、一体いつからこうなってしまったのでしょうか?

 戦後の学校教育がおかしいことは多くの人が気づいていると思います。学校教育も十分おかしいのですが、それでも家庭教育が健全に機能していればさほど問題はないかも知れません。子供はまず家庭で親の影響を受けて育つものだからです。しかし、家庭教育すら機能していない家が今は少なくないのですから問題は深刻です。こんな子供たちの状態を高橋史朗さんは「心のコップが下を向いている子供たち」と表現しています。

 高橋さんは30歳でアメリカに留学したそうです。その理由は二つあって一つは「教育勅語がなぜ日本の国会で廃止を決められたのかを知りたかった」、もう一つは「高校の時の日本史の先生がにやにや笑いながら『特攻隊は犬死にだった』と話したことに強い違和感を持ち、そういう先人の名誉を何とか回復したいと思った」から、だそうです。その頃、新聞に「アメリカで陸軍と海軍の文書が25年、30年経つと公開されるようになった」という記事が載り、それに触発された高橋さんはアメリカに渡ることを決意します。占領時代のアメリカ側の文書を調べるためです。

 首都ワシントンには「ワシントン・ナショナル・レコード・ギャラリー」というGHQ(連合国軍総司令部)文書が保管されている場所があります。高橋さんはそこでGHQの教育改革に関する資料探しをしようとするのですが、それはなんと! 段ボール箱917箱に収められていたそうです。ページにすると240万~250万ページ、もちろんすべて英語です。絶望的な気分になりましたが「917箱ならば一生をかければできる」と思い直したそうです。ただし年間にコピーできる枚数は100枚という制限があったので、高橋さんは資料をひたすら筆写したそうです。

 アメリカにある資料館をあちらこちら訪ね、占領時代を知るアメリカ人を探してインタビューをして占領時代のGHQによる教育改革に迫った高橋さんの労作『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』(致知出版社・1800円)を読みました。日本人を精神的に武装解除するためにGHQがやっていたことが非常に実証的に解明されていて、戦後日本を覆っていたベールが一枚、一枚めくられていくような、謎解きの面白さのようなものを感じながら読みました。

 教育は国家百年の計、といいます。百年先を見据えて日本人の手による真の「教育改革」をするために、まず占領期に何が行われていたのか、戦後の教育制度を作ったのは誰だったのか、を私たちは知らなくてはならないと思います。


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「オバマケア」の知られざる実態

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 アメリカのオバマ大統領が鳴り物入りで導入した医療保険制度改革「オバマケア」とは一体、どのようなものなのでしょうか? 米民主党政権のやることをなぜか日本のマスコミは評価する傾向があるので、「オバマケア」も「貧しい人たちがようやく医療保険に入れるようになった」「オバマ大統領は貧しい人たちの味方」「オバマ大統領はよくやっている」という肯定的な文脈で語られています。しかし、「オバマケア」で得をするのは本当は誰なのでしょうか?

 「アメリカ史上初の黒人大統領」として人気のあったオバマ大統領も最近は既にレームダック化している、と言われています。去年、11月に行われたアメリカの中間選挙では共和党が勝利しました。残り2年の任期があるとはいえ、オバマ大統領の影響力は格段に落ちることになります。しかし「オバマケア」はもうスタートしており、その波がアメリカ社会を揺るがしています。恐ろしいのは「オバマケア」の余波はわが国にとっても決して他人事ではない、ということです。「オバマケア」の波が日本に押し寄せる前にその実態を知っておく必要があると思います。

 「オバマケア」は日本のような国民皆保険制度ではありません。国民には保険に加入する義務が課せられましたが(無保険者には罰金が課せられる)受けられる治療の中身は保険の種類によって違います。企業保険に加入できる人は恵まれている方ですが、企業保険がない人は政府が設立した保険販売所で保険を「買う」そうです。低所得者層は「メディケイド」という自己負担ゼロの公的医療保険に加入しますが、メディケイド患者を診る病院も医師も限られています。民間の保険会社は儲けを優先するので、保険に加入していても実際には患者の選べる治療はごく限られたものになります。

 複雑でわかりにくく、アメリカ人自身もよく分かっていない「オバマケア」の実態を取材し、まとめた本を読みました。『沈みゆく大国アメリカ』(集英社新書・720円)です。著者はジャーナリストの堤未果さんです。堤さんがこの本を書きあげる原動力になったのは亡くなったお父さんの遺言ともいえる言葉だったそうです。「国民皆保険制度がある日本に生れて、本当に良かった。これがない国だったら、最後は悲惨だっただろう」。お父さんの「この国の国民皆保険制度を守ってくれ」という言葉が堤さんの背中を押してくれたそうです。

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 この本を読んで、保険証
1枚で全国、どこの病院でもいきなり行ってすぐ診てもらえるし、目が飛び出るほどの治療費を請求されることもない日本の医療制度の有り難さが身にしみて分かりました。日本の医療制度はWHO(世界保健機関)からも賞賛されるものです。しかし、この有り難い制度も今、変えられようとしています。「混合診療」という言葉がニュースにしばしば出てくるようになりました。

 制度は一度、変えられたらもとに戻すのはほとんど不可能です。日本のすぐれた医療保険制度を守るために一人でも多くの人に読んでもらいたい本です。



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バシー海峡の悲劇

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 台湾とフィリピンの間に「バシー海峡」という海峡があります。ここは大東亜戦争中「魔の海峡」とか「輸送船の墓場」などと呼ばれていました。日本の将兵を満載してフィリピン・ルソン島のマニラをめざして進む輸送船をアメリカの潜水艦や航空機が待ち構えていて、片っ端から撃沈したからです。一体どれぐらいの数の日本兵がここで犠牲となったのか、正確な数字は分かりません。しかし、少なくとも
10万人を超える将兵が海の底に沈んでいったのではないか、と推測されています。

 バシー海峡を一望できる小高い丘の上に「潮音寺」というお寺が建っています。この寺はバシー海峡で海の藻屑となった日本兵を慰霊するために中嶋秀次さんという方が建てたものです。中嶋さん自身、バシー海峡でアメリカの潜水艦に撃沈された輸送船「玉津丸」に乗船していましたが、奇跡的に一命をとりとめました。中嶋さんは戦後、戦友たちの供養をしたいという一念で台湾に慰霊碑を建てようと孤軍奮闘しますが、蒋介石がまだ生きていたということもあり、さまざまな困難に直面することになります。

 201310月、中嶋秀次さんは92歳で逝去されました。漫画家であり作詞家のやなせたかしさんも201310月、94歳で亡くなりました。やなせたかしさんには2歳下の弟さんがいたのですが、弟さんもやはりバシー海峡で米軍の魚雷攻撃を受けて亡くなっています。中嶋さんとやなせさん、奇しくも「バシー海峡の悲劇」によって人生を左右された二人を追ったノンフィクション『慟哭の海峡』(角川書店・1600円)を読みました。著者はノンフィクション作家として数々の傑作を書いていらっしゃる門田隆将さんです。

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 門田さんには台湾関係の作品が多いのですが、今回のテーマにもまた特別の思い入れがあったそうです。門田さんは
27年前、バシー海峡を望む台湾最南端のガランピー岬に行き、犠牲者の霊に手を合わせたことがあるそうです。当時、28歳だった門田さんはバシー海峡の悲劇を知っていたわけで、その時の思いが27年後に作品に結実しました。

中嶋秀次さんが「玉津丸」の船内で体験したことや12日間に及ぶ壮絶な漂流の日々、次々と死んでゆく戦友たちを描いたくだりは読むのが辛くなります。こんな悲劇があったことを今の日本人はまったく忘れていますが、実は台湾人は忘れていません。門田さんが取材のために台湾・恒春半島を訪れて当時のことを知っている人を探すと、なんと! 浜に流れついた日本兵の遺体を運び,埋葬した経験があるという二人の老人に出会えたそうです。その二人は当時の記憶も鮮明で、話をしながらぼろぼろ涙を流していたそうです。70年前、浜には毎日のようにおびただしい数の日本兵の遺体が打ち寄せられてきて、それを地元の人たちは泣きながら運び、荼毘に付したそうです。台湾の人たちって本当に暖かいですよね

 この本がきっかけになって「潮音寺」を訪れる日本人観光客が増えるといいな、と思います。



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