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靖国神社の拝殿前に立ってふと左を見ると、小さなお社があります。「鎮霊社」と呼ばれているこのお社は戊辰戦争で「朝敵」や「賊軍」とされた人々の霊を弔うためのものです。戊辰戦争の敗者である徳川幕府や、幕府側に立って戦った藩の戦死者の霊は靖国神社のご祭神としてではなく、別に祀ってあるのです。靖国神社は「招魂社」といって、本来は明治天皇が戊辰戦争の戦死者を祀るために創建されたものです。しかし、明治新政府の中心となった薩摩藩や長州藩の戦死者はご祭神として祀られ、敗者となった会津藩やその他の藩の戦死者は「鎮霊社」にひっそりと祀られているのです。まさに「勝てば官軍、負ければ賊軍」です。
わが国が西欧列強の植民地にならずに独立を保てたのは明治維新を成し遂げ、近代化に成功したから、と日本の学校教育では教えています。そして明治維新の主役は無能な徳川幕府を倒すために立ち上がった薩長の若い志士たちだったと教え、ほとんどの人がそれを信じています。しかし、事実はそうだったのでしょうか? 幕府は本当に頑迷で時代遅れで、国際情勢が読めていなかったのでしょうか?
「幕末史を見直す会」代表の鈴木壮一さんが書かれた『勝ち組が消した開国の真実―新撰組の誠と会津武士道の光跡』(かんき出版・1800円)を読みました。明治維新をまったく違う角度から見ることができ、視野が開ける思いでした。ペリーが黒船に乗って来て日本に開国を迫った時、幕府は鎖国にこだわっていたのだとばかり私は思っていたのですが、事実はそうではありませんでした。老中、阿部正弘は開国を決断して日米和親条約を結び、井伊直弼は朝廷から勅許を得られないままに日米通商条約を結びました。これに対して激しい攘夷運動がわき起こりましたが、それでも幕府は財政の総力を挙げて海軍建設に取り組みました。日本の将来を見据えた幕府の官僚たちの働きはもっと語られるべきではないか、と思います。
著者である鈴木壮一さんは東京都出身ですが、小学校と同時にお父さんの仕事の関係で会津若松に引っ越したそうです。会津での生活は2年間だけでしたが、その2年間の間に今の歴史観の基礎が築かれたそうです。つまり「勝者が正しく、敗者は悪い」という歴史観では真実は見えてこない、ということです。歴史は時代の変革期にどう行動するべきか、という明日への指針を示すものであるべきで、そのためには勝者だけでなく敗者の側の立場もきちんと公平に見なければならない、と考えるようになったそうです。
大東亜戦争に負けた日本は勝ったアメリカの歴史観を未だに押しつけられたままですが、戊辰戦争の歴史ももしかしたらそうだったのかも知れません。幕末史に関心のある方にお勧めの一冊です
「幕末史を見直す会」↓
http://www1.parkcity.ne.jp/suzusou/
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