マダムの部屋

愛国女性のつどい花時計代表でもあるマダムが思った事など書いています。

2015年03月

徳川幕府は無能だったのか?

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靖国神社の拝殿前に立ってふと左を見ると、小さなお社があります。「鎮霊社」と呼ばれているこのお社は戊辰戦争で「朝敵」や「賊軍」とされた人々の霊を弔うためのものです。戊辰戦争の敗者である徳川幕府や、幕府側に立って戦った藩の戦死者の霊は靖国神社のご祭神としてではなく、別に祀ってあるのです。靖国神社は「招魂社」といって、本来は明治天皇が戊辰戦争の戦死者を祀るために創建されたものです。しかし、明治新政府の中心となった薩摩藩や長州藩の戦死者はご祭神として祀られ、敗者となった会津藩やその他の藩の戦死者は「鎮霊社」にひっそりと祀られているのです。まさに「勝てば官軍、負ければ賊軍」です。

 わが国が西欧列強の植民地にならずに独立を保てたのは明治維新を成し遂げ、近代化に成功したから、と日本の学校教育では教えています。そして明治維新の主役は無能な徳川幕府を倒すために立ち上がった薩長の若い志士たちだったと教え、ほとんどの人がそれを信じています。しかし、事実はそうだったのでしょうか? 幕府は本当に頑迷で時代遅れで、国際情勢が読めていなかったのでしょうか?

「幕末史を見直す会」代表の鈴木壮一さんが書かれた『勝ち組が消した開国の真実―新撰組の誠と会津武士道の光跡』(かんき出版・1800円)を読みました。明治維新をまったく違う角度から見ることができ、視野が開ける思いでした。ペリーが黒船に乗って来て日本に開国を迫った時、幕府は鎖国にこだわっていたのだとばかり私は思っていたのですが、事実はそうではありませんでした。老中、阿部正弘は開国を決断して日米和親条約を結び、井伊直弼は朝廷から勅許を得られないままに日米通商条約を結びました。これに対して激しい攘夷運動がわき起こりましたが、それでも幕府は財政の総力を挙げて海軍建設に取り組みました。日本の将来を見据えた幕府の官僚たちの働きはもっと語られるべきではないか、と思います。

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 著者である鈴木壮一さんは東京都出身ですが、小学校と同時にお父さんの仕事の関係で会津若松に引っ越したそうです。会津での生活は2年間だけでしたが、その2年間の間に今の歴史観の基礎が築かれたそうです。つまり「勝者が正しく、敗者は悪い」という歴史観では真実は見えてこない、ということです。歴史は時代の変革期にどう行動するべきか、という明日への指針を示すものであるべきで、そのためには勝者だけでなく敗者の側の立場もきちんと公平に見なければならない、と考えるようになったそうです。

大東亜戦争に負けた日本は勝ったアメリカの歴史観を未だに押しつけられたままですが、戊辰戦争の歴史ももしかしたらそうだったのかも知れません。幕末史に関心のある方にお勧めの一冊です

                「幕末史を見直す会」↓

                                                     http://www1.parkcity.ne.jp/suzusou/

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台湾の簡単ランチ

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 台湾旅行の楽しみといえば・・・そう、食べる楽しみです! 南国の料理というのはとかく辛かったり刺激の強いスパイスを使ったりしがちなのですが台湾の食べ物は辛くもないし刺激的でもありません。パクチーという香味野菜は使いますがそれ以外はほとんど強い香料も使いません。素材の味そのものを最大限に生かした料理法で、驚くほど日本人の口に合います。海の幸、山の幸があるので食材も豊富です。街の安い屋台で食べても違和感がないことに改めて驚きます。

 台湾では朝から外食する人が多いそうです。早朝から仕込みに取りかかっている店が多いです。朝や昼、庶民に大人気の料理を私も食べてみました。まず「豆醤」。豆乳を温めて少し酢を入れ、薬味にネギ、刻みチャーシューを入れ、お好みで「油條」という揚げパンを入れたものです。二日酔いで疲れた胃にピッタリ! 優しい味と食感が病みつきになります。

 「魯肉飯」もお勧めです。豚の挽き肉、ネギ、椎茸、漢方の材料をじっくり煮込んだものをご飯の上にかけたどんぶり飯。黒いドロドロしたタレと白いご飯が絶妙に合っています。見かけと違って辛くもなく、かすかな甘みが食欲をそそります。

 最後にお勧めするのが「牛肉麺」。じっくり煮込んでトロトロになったかたまりの牛肉が麺の上に乗っていて、あとは薬味のネギだけですが、これがとても美味しいのです。塩味だけのスープと牛の脂身がよく合っています。麺は太さがいろいろあるようで、お好みに合わせて注文できます。

 外国へ行くと最初の23日はもの珍しさで何を食べても美味しく感じられますが、長く滞在すると飽きてくるのが普通です。しかし、台湾の食べ物は毎日食べても飽きないのが不思議です。是非、優しい台湾の味を堪能しに台湾へ行ってみて下さいね


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 P3061175豆醤

P3071207魯肉飯

P3081211牛肉麺
                          
                          
                          

優雅で華麗な台北賓館

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 総統府を出て少し歩くと「台北賓館」があります。2001年からここは月に1回、総統府の参観日程に合わせて一般に公開されることになりました。中に入るとスケッチをするために来ている人たちがあちらこちらにいます。思わずスケッチをしたくなるのでしょう、それほど「台北賓館」は上品で華麗な建物です。真向かいに台湾の外務省に当たる外交部の建物があるのですが、無機質な感じの建物で「台北賓館」とは対照的です。

 台北賓館は日本統治時代の明治34年(1901年)に建てられました。当初の建物はネオ・ルネサンス様式だったそうですが白アリの被害に遭って明治44年(1911年)に改築が始まり、1913年に完成しました。その際、外観はより華麗なバロック様式に変えられました。東京駅を設計した辰野金吾の弟子の森山松太郎と福田金吾が設計に当たりました。

 日本統治時代、台北賓館は台湾総督の官邸であり、皇族や国内外の賓客をお迎えする場所でもありました。戦後も迎賓館として変わらず役目を果たしていますが、実はここは日本外交史に残る場所でもあるのです。大東亜戦争の敗戦後、7年近くもGHQ(連合国総司令部)に軍事占領されていたわが国がようやく主権を回復したのは昭和27年(1952年)428日です。その時、連合国との間にはサンフランシスコ講和条約を結びましたが中華民国(台湾)はサンフランシスコ講和条約に加わらなかったので、428日、わが国は中華民国との間に「日華条約」を結びました。その調印式が行なわれたのが台北賓館だったのです。日本側代表団の団長は河田烈で、中華民国側の代表は葉公超でした。

 台北賓館の主な部分は洋館ですが和館もあり、洋館部分と和館部分は渡り廊下でつながれています。内装は金をふんだんに使った豪華なもので、石膏の彫刻や水晶のシャンデリアなど、すべて精緻で美しく、おしゃれです。和館は公開されていませんが木造建築で、台湾総督の私的な場所として使われていたそうです。

台北賓館は建物だけでなく庭園も「国定古蹟」に指定されています。北の庭園は日本式庭園で池があり、池には石作りの橋がかけられ、東屋、築山、滝などがあります。南の庭園はフランス式で真ん中に噴水があり、幾何学的に左右対称に造られた花壇になっています。月1回の参観日とあってたくさんの人が来ていましたが、外国の観光客はあまりいませんでした。ほとんど台湾の地方からの観光客のようでした。

 台北賓館の詳細は台湾外交部のウェブサイトで見られます。 http://tgh.mofa.gov.tw/




 

 P3071198正面左から見たところ
P3071199P3071200

P3071203おしゃれなファン(扇風機)

P3071204松明の形の照明
                            
                            
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行政院を見学しました

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 行政院は総統府とは別の、台湾のもう一つの政治の中枢です。日清戦争に勝ってわが国が清から台湾を割譲された1895年当時、役所に適した建物がなかったのでとりあえず樺山尋常小学校の校舎が台北市役所として使われていました。昭和12年(1937年)になり、台湾総督府営繕課の設計技師、井手薫によってようやく本格的な庁舎が建てられました。井手薫は行政院だけでなく中山堂(公会堂)や済南教会など、「台湾の顔」といえる有名な建築物も設計しています。行政院は戦後しばらくは台湾省行政長官の公署でした。

 総統府もそうですが、行政院も中庭をぐるっと取り囲むような形の建物です。上から見た時に「日本」の「日」になるように作られたのだ、という説もあることはありますが、それよりも暑さをしのぐために風通しを良くする工夫だったのではないか、と思います。

呉さんという女性がボランティアガイドとしてついてくれました。とても陽気なおばさんで、窓の形や手すりの模様、扉の飾りなど、細かな点まで流暢な日本語で詳しく説明してくれました。

 行政院は毎週金曜日、朝9時から夕方4時まで開放されています。参観するときは日本から予約を入れておくと安心です。


 P3061177行政院の模型
P3061178 呉さん
                第一会議室     P3061180

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入り口の衛兵

                   

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台湾総統府

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 台湾の政治の中心、といえば首都、台北(タイペイ)にある総統府です。総統府は中華民国(台湾)政府によって「国定古蹟」に指定されていますが、行政庁舎として今も現役の建物なので、内部は1ヶ月に1回の参観日しか見られません。私は日本で予約をして、参観日である37日についに総統府に入ることが出来ました

7日の朝8時、入り口に行くと行列ができていました。日本の高校生らしき団体がいるので、聞いてみると尾道から来た尾道学園の修学旅行の生徒たちでした。パスポートを提示し、荷物検査を受けて中に入ります。外から見ても赤レンガ、白い壁、アーチ型の門が美しく、偉容を誇る建物なのですが中へ入ると細部にまで神経が行き届いた建物であることがよく分かります。優美ですが華美ではなく、機能性が重視されています。

P3071197P3071194
                       
 総統府は大正
8年(1919年)、日本の統治時代、台湾総督府として建造されました。それ以来なんと100
年近く! 現役で使われているんです。昭和20年(1945年)、総督府はアメリカの爆撃を受けて半壊しましたが、幸い、図面が残っていたのでその図面を頼りに修復されました。台湾大地震の時もこの建物はびくともせず、台湾の人たちは改めて当時の日本の建築技術の高さに驚いたそうです。

 内部には展示コーナーがあり、建物の歴史や台湾の歴史が時系列で分かるようになっています。日清戦争で日本が勝利して台湾が日本の領土になった経緯や下関条約の条文、台湾総督が行なった50年の施政などが展示されています。参観する人には日本語のガイドや中国語のガイドがついて、説明してくれます。私たちのガイドは蔡さんという穏やかな紳士で、日本語を話すのが嬉しくてたまらない、という表情です。息子さんは東京にいて、グーグルに勤めているそうです。

 韓国の首都、ソウルにもかつては朝鮮総督府の建物がありましたが、金泳三大統領の時、ダイナマイトで爆破されてしまいました。ですから日本統治時代の外地の建物を見たいと思ったら、今は台湾に行くしかありません。幸い、台湾には総統府以外にも日本時代の建物が多数、現存しています。おそらくきれいに使われているので長持ちしているのだと思います。台湾の人たちに感謝、感謝です



  窓の形は下から上へ行くに従って丸みを帯びている



















       
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 P3071193P3071195
                     

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