マダムの部屋

愛国女性のつどい花時計代表でもあるマダムが思った事など書いています。

2015年08月

陸軍中野学校第一期生の青春

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「陸軍中野学校」を知っていますか? 映画でこの学校の存在を知った人もいると思いますが、旧日本陸軍が世界に誇った諜報員、つまりスパイの養成機関です。任務の性質上、その実態はベールに包まれ、陸軍の中でも極秘の存在でした。戦後も関係者は沈黙を守っていたのでどんな学校だったのか誰も分からず、さまざまな誤解や憶測で語られてきました。悪意に満ちた噂も多かったようです。謎に包まれた中野学校の正しい姿を知ってもらいたい、という思いで第一期生である日下部一郎さんが書かれた『決定版 陸軍中野学校実録』(KKベストブック 900円)を読みました。武力の戦いの陰に隠れて、決して日の当たらない任務に一生を捧げた若者たちの青春群像が生き生きと描かれていて感動しました。

 近代戦争は総力戦だ、といわれます。21世紀の今も毎日、国と国とが国益を賭けてさまざまな次元で絶えず火花を散らしています。武力衝突も戦争の一つの形ではありますがひそかに、時には武力戦以上に熾烈なのが謀略戦です。大東亜戦争も武力というよりは謀略戦に負けたのではないでしょうか? 重要な情報をいかに早く手に入れるか、ということが国益を左右するのは昔も今も変わらないはずです。わが国がこれから本当の主権国家になるためにはスパイの養成は欠かせません。そのためにも、かつてあったスパイ養成機関を知ることは無駄ではないと思います。

 この本の主人公、久村一郎は中野学校第一期生18名のうちの一人として登場します。昭和13年(1938年)8月に入校してから大東亜戦争の終結までのさまざまな出来事が小説のように描かれています。まるでスリルに満ちた青春冒険ドラマを読むような面白さです。久村一郎はおそらく日下部さんご自身でしょうけれども、そのほかの登場人物は実名で登場する人も多いので、歴史の勉強にもなります。終戦直後のクーデター計画など、当事者でなければ知りえない貴重な秘史も知ることができます。当時の日本のエリートの愛国心に胸を打たれます。スパイというとなにか暗い存在、怖い人たち・・という漠然としたイメージを持っている人に是非、読んでいただきたいです!


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小野田少尉の遺言

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 小野田寛郎さんを知っていますか? フィリピン、ルバング島で約30年間、ジャングルの中で自分に与えられた任務を遂行した人です。小野田さんは去年(平成26年)1月、逝去されました。昭和49年(1974年)日本に帰還後、ブラジルへ渡って牧場を開拓したり、子供の健全な育成のための塾を開いたり、さまざまな活動に挑戦されました。小野田さんはルバング島での生活や自らの信条を綴った何冊かの本を上梓されていますが、亡くなる直前に書かれた『生きる』(PHP研究所・1000円)という本を読みました。少年時代から陸軍少尉になるまで、島での日々、亡くなった戦友のこと、帰還後の複雑な胸中などがコンパクトにまとめられています。戦争のことだけでなく人間が生きるということはどういうことなのか、人生全般について小野田さんが考えられたことが書かれています。現代日本人に対する小野田さんの、まさに遺言のような内容でした。

 この本を読むまで私が疑問に思っていたのはなぜ小野田さんは終戦を知らなかったのか、ということでした。おそらくこの点は多くの人が疑問を抱くことでしょう。しかし、本を読んで分かったことは厳密にいうと小野田さんは終戦を「知らなかったわけではない」ということです。小野田さんがこだわったのは戦争が終わったかどうか、ではなく自分に下された命令がまだ解除されていないから任務を離れるわけにはいかない、ということでした。小野田さんは陸軍中野学校を卒業し、特殊任務を与えられてルバング島へ赴いていたからです。

 私たちがイメージする「戦争」というのは戦闘行為ですが、正規軍同士の戦闘行為だけが「戦争」ではないのですね。「戦争」にはゲリラ戦、心理戦、宣伝戦、経済戦など、いろいろな形があります。小野田さんにとっての「戦争」は正規軍同士の戦闘行為ではなかったわけです。

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 密林の中で常に緊張感と隣り合わせで過ごす日々というのはどういうものなのでしょうか? 『生きる』には日々の細々とした暮らしぶりが生き生きと描かれています。食べ物のこと、衣類のこと、小屋のこと、武器の手入れのこと、自分の健康を維持するための工夫、戦友の最期・・・・これほどよく覚えているだからさぞ克明に日記をつけていたのだろうな、と思いながら読んでいたのですがなんと! 小野田さんは日記をつけなかったそうです。敵に捕らえられたときに証拠となるものを残さないためにメモは残さない、というのが中野学校の教えだったからだそうです。いやあー、本当にすごい人です!

 一見平和でのどかで豊かな今の日本で自殺する人が毎年、3万人近くいます。もしかしたら生きる意味を見失っている人がたくさんいるのではないでしょうか? 自分は何のために生れてきたのだろうか、何を目標に生きていったらいいのか・・・そんな悩みを持つ人にお勧めの一冊です





 

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空の勇士の物語

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 戦争の話というと悲惨な話、悲しい話ばかりが語られますが、これは戦後日本人のビョーキだと思います。なぜ華々しい英雄談、勇敢でカッコいい武勇伝が語られないのでしょうか? 結果的に負けたとはいえ大東亜戦争では世界をあっと驚かせるような大活躍を帝国陸海軍はしていたのです。日本人ならではの戦法も技法もありました。特攻攻撃に関しても「戦法としては邪道」だとか「特攻隊は無駄死に」などと否定的なことばかりが言われていますが、アメリカの発表した数字よりも実際ははるかに戦果があったそうです。特攻攻撃を受けた米兵の中には精神に異常をきたした人がたくさんいたそうで、それだけ効果のあった戦法だったからこそ多くの若者が志願したのではないでしょうか? 「戦争の反省」というならばなぜ勝てなかったのか、次はどうすれば勝てるのかという前向きな反省が必要ではないか、と思いますが。

 かつてペリーが日本にやってきた時、日本人はただ仰天していただけではありませんでした。好奇心の塊のような人がいて、黒船=蒸気船を研究してあっという間に見よう見まねで造ってしまいました。アメリカ人はさぞ驚いたことでしょう。船や飛行機といえば、白人しか造れないのだという「白人優越主義」が常識のように語られていた時代でした。なのに、日本人は黄色人種でありながら蒸気船を造り、蒸気機関車を作り、航空機を造ってしまったのです。

 日本軍は大空で戦う時も「武士道」を意識して戦っていました。昭和1612月のマレー沖海戦で日本の航空部隊がイギリスの誇る戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」を大破させた時、あとでわざわざ航空機を飛ばして犠牲となった「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」の乗組員のために追悼の花束を1個ずつ海に投げ入れたそうです。こういうエピソードをなぜマスコミは報じないのでしょうか?

 「戦争反対」と叫んでも戦争はなくなるわけではありません。まず戦争の現場を知ることが必要であって、そのためには体験者のお話を聞けばいいと思うのですがテレビや新聞に出てくる「体験者」はなぜか戦争=悲惨なもの、としか語りません。本当に体験者ならばもっと具体的なお話が普通あるはずなのですが・・

 軍事ジャーナリストの井上和彦さんが、かつて「撃墜王」と呼ばれた元日本軍のエースパイロットから体験談を聞いてまとめた『撃墜王は生きている!』(小学館・1400円)を読みました。大東亜戦争当時、世界では敵機5機以上を撃墜したパイロットを「エース」と呼んでいたそうですが日本軍には数多くの「エース」がいました。井上さんはその中からご存命の5人の方に会って、直接、話を聞いてこの本をまとめられました。どの方も90歳近いお年であるにもかかわらず記憶が鮮明で空中戦の細部まで覚えていることに驚きました。どの方の話も痛快で、冒険譚を聞くような感動と興奮を覚えながら読みました。

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「特攻隊は、本当は行きたくないのに無理矢理行かされた犠牲者だ」とか「薬を飲まされて無理矢理、飛行機に乗せられたんだ」などとさも見てきたように言う人がいますが、そういう人にこそこの本を読んでもらいたいです。一瞬の判断の遅れや見落としが命取りになる空中戦で勝つためには、技術もさることながら何よりも冷静でなければならないということが、この本を読むとよく分かります。数の上では圧倒的に劣勢な中で、それでも勇敢に戦って戦果を挙げ、生きて帰ってきた人たちがいるのです。私たちは謙虚にその人たちのお話を聞くべきではないのでしょうか?




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