マダムの部屋

愛国女性のつどい花時計代表でもあるマダムが思った事など書いています。

2015年11月

樺太残留朝鮮人帰還運動の真実

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樺太(サハリンはロシア語)は明治8年「千島樺太交換条約」によってロシア領にされましたが日露戦争で日本が勝利すると北緯50度以南が日本に返還されました。日本政府は樺太に多額な投資をして産業を興しました。戦争の影響もあり、石炭の需要はどんどん増えていきました。樺太の人口は明治43年には28千人あまり、昭和3年には一気に増えて22万人、昭和16年にはなんと! 40万人を数えました。日韓併合によって朝鮮が日本の領土となると、一旗揚げようと樺太に渡る朝鮮人もたくさんいました。大正3年、朝鮮・京畿道に生れた朴魯学もそんな1人でした。

 日本人と朝鮮人が共存して暮らしていた樺太にソ連が突然、侵攻してきたのは昭和2089日でした。戦争中とは思えないほどのどかだった樺太はあっという間にソ連に占領され、朴魯学はソ連占領下の樺太に取り残されました。戦後、日本を占領したGHQとソ連が取り決めた「米ソ引き揚げ協定」によって日本国籍を持つ者は引き上げが実現しました。朝鮮人の引き揚げに関しては韓国政府とソ連との間で解決すべきでしたが、両国に国交がなく、朝鮮人は行き場を失いました。しかし朴魯学は日本人女性、堀江和子と結婚したことにより、日本に引き揚げることができました。日本に帰った朴魯学は、樺太に置き去りにされた同胞たちのうち、韓国に帰りたいと望む者を何とか帰還させたいと必死の努力を続けました。

 樺太に取り残された朝鮮人の帰還運動に半生をささげた朴魯学夫妻の足跡を追った『サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのかー帰還運動にかけたある夫婦の40年』(草思社・1900円)を読みました。著者である新井佐和子さんは朴夫妻と共に帰還運動を続け、朴魯学の死後は堀江和子さんと共に「サハリン再会支援会」を設立した方です。運動に直接、関わった人が書いた文章だけに描写が具体的で生き生きとしています。そしてこの本には驚くべきことが書かれています。

 昭和50年、朴魯学はひょんなことから高木健一という弁護士と知り合います。高木弁護士は既に帰還運動のことを知っていました。やがて「樺太に朝鮮人が取り残されたのは日本政府の責任なのだから日本政府を訴えよう」という話になり「樺太抑留韓国人帰還請求訴訟」という訴訟が起こされることになります。この高木弁護士がのちに「慰安婦問題」の火付け人となった弁護士であることは、今では多くの人が知っています。そして、裁判を進めていくうちに「朝鮮人の帰還運動」だったはずのものはいつしか「日本の植民地支配」「日本の戦争責任」さらには「朝鮮人の強制連行」という、ねつ造された日本の歴史を糾弾するものへと変質していってしまうのです。

 今、韓国は相変わらず「慰安婦問題の解決」を日本政府に求め続けています。もし「慰安婦問題」で日本から賠償金を引き出せそうもないと知れば、次は「徴用工への賠償」を言い出すでしょう。次から次へと繰り出してくる中韓による「謝罪と賠償を求める歴史戦争」の原点は「樺太残留朝鮮人帰還運動」にあったのではないでしょうか? 改めて慰安婦問題の根深さを思い知らされる一冊です。



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がん検診でがんになる!?

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「ピンクリボン運動」を知っていますか? 乳がんを早期発見するために検診を受けることを奨励する運動のことです。今、40歳以上の女性は2年に1回、乳がん検診を受けることが国や自治体によって奨励されています。乳がん検診は「触診」と「マンモグラフィー検診」です。マンモグラフィーというのはマンモ=乳房、グラフィー=画像、乳房にエックス線を当てて癌を発見する装置のことです。私も受けたことがありますが左右の乳房にそれぞれ2回ずつ、角度を変えてエックス線を照射します。ですから1回の検査で4回、エックス線を浴びるわけです。もちろん低線量でしょうが乳腺は体の中でも放射線の感受性が高い場所なので、リスクはまったくないわけではありません。

 マンモグラフィーはアメリカで1930年代に研究が始まりました。世界初のマンモグラフィーが完成したのは1966年です。日本では今、マンモグラフィーは「どんな小さな癌でも発見できるからやった方が良い」という流れになっていますが実はアメリカやスイスではマンモグラフィー検診の廃止が検討されているそうです。その原因は検診によって乳がんが発見される人は増えても乳がんによって死亡する人の数は減らない、つまり検診は治療しなくてもいい癌を発見してしまうだけだから、だそうです。

 『患者よ、がんと闘うな』で有名な近藤誠さんの新著『日本は世界一の「医療被曝」大国』(集英社新書・720円)を読みました。近藤さんはこれまで一貫してがん治療の矛盾点、問題点を世に訴えてきましたが、この本ではご自分の専門である放射線科の知識を駆使してがん検診の闇を徹底的に暴いていらっしゃいます。

 近藤さんによれば日本のエックス線検査件数は世界でも飛び抜けて多く、人口100万人当たりのCTの設置台数も世界一だそうです。確かに秋の集団検診では採血、採尿のほかに胸のレントゲン検査、胃のバリウム検査が当たり前のように行なわれています。1回に浴びるエックス線の線量がどれほどなのか、患者は知らされません。それでも検査による被曝に医者も患者も無頓着なのは「どうせ低線量だから」と考えているからでしょう。しかし近藤さんによれば「低線量でも発がんリスクはある」そうです。

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 原子力発電所で働く作業員の被曝限度は年平均
20ミリシーベルト、1年間で50ミリシーベルト以下、5年間で100ミリシーベルトと法律で定められているそうです。年平均20ミリシーベルトは高い数値だと思う人もいるかも知れませんが、近藤さんによれば腹部のCT検査を受ければ1回で20ミリシーベルトに達してしまうそうです。しかも「医療法」には患者が医療によって受ける被曝限度を「ここまで」と数値で定めてはいません。検査被曝によってこうむるリスクよりも、病気が発見される効果のほうが重要だ、と考えているからでしょう。もちろん必要な検査なら受けるべきですが、無駄な検査、過剰な検査は避けるべきではないでしょうか?

 多くの人が特に自覚症状もないのに定期検診を受けます。それは「がんは早期発見すれば助かる」ことを信じているからです。しかし、それは本当なのでしょうか? 自分の健康について私たちは医者任せにせず、もっと勉強しなければならない、と痛感させられた一冊です。


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英語のごり押しは亡国への道

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 ここ数年、教育現場で英語をごり押しする動きが目立ってきています。小学校から英語を必修化することは既に決まってしまいました。高等教育でも英語偏重の流れが異様なまでに進んでいます。20148月、内閣官房傘下の「クールジャパンムーブメント推進会議」が「英語を公用語とする英語特区をつくる」という驚くべき提言を発表しました。その特区の中では英語を話さなければいけない=「日本語を話してはいけない」というのです。これは常軌を逸している、おかしいと感じるのは私だけでしょうか?

 巷には英会話教室が乱立しています。ですから英語を学びたい人が学ぶ場は十分にあります。それなのになぜ教育現場で英語をごり押しするのでしょうか? そもそも日本国内で就職し、結婚して暮らしていく分には英語など必要ありません。一生、英語を話さず母語だけで生きていける国に生まれたことは幸せなことなのです。政府が英語をごり押しするのは決して「国民の教育」のためではなく、別の目的があるからなのです

 若手の気鋭の政治学者、施光恒(せてるひさ)さんの書かれた『英語化は愚民化―日本の国力が地に落ちる』(集英社新書・760円)を読みました。施さんは政治学者でありながら政府の「英語化」政策に警鐘を鳴らしていらっしゃいます。それはなぜなのでしょうか?

 明治の初期、今と同じように日本語を廃し、英語を公用語にしようという提言がなされた時期がありました。特に積極的だったのは初代文部大臣、森有礼でした。森有礼は近代化を進めるためには英語を公用語とし、政府内でも日本語の使用を止めなければならない、と主張していました。欧米に留学し、英語が話せた森有礼は欧米の言語学者などに自分の主張を書いた英文の手紙を送り、意見を求めました。ところが森の手紙を受け取った欧米の識者たちは彼の主張に反対し、たしなめるような返事を送ってきました。アメリカ言語学協会の初代会長であるホイットニーもその一人でした。ホイットニーは「母語を棄て、外国語による近代化を図った国で成功したものなど、ほとんどない」と書き、森有礼に日本語を改良して、日本語による近代化を進めなさい、と諭しています。

お雇い外国人、ダビッド・モルレーも森の主張に否定的でした。ダビッド・モルレーは「教育とは、前世代までの伝統の蓄積に立って行われるべきものであり、まったく新しい基礎の上に成り立つものではない」と指摘しました。

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 福沢諭吉も森の主張に真っ向から反対しました。慶応義塾を立ち上げた福沢はもちろん英語に堪能で、英語学習そのものに対して批判的だったわけではありません。当時の日本の知識人はみな英語で授業を受け、英語で著書を著すことができるほどの語学力を持っていました。しかし英語の「公用語化」には断固として反対だったのです。彼らのお陰で日本語は生き残りました。今、英語のごり押しをたくらんでいる政治家や財界人にも是非、明治の先人たちの苦労を知ってほしいです。

 今はグローバル時代なのだから日本人も英語ぐらいできた方が良い、とお考えの人、あるいはうちの子も早くから英会話教室に行かせなきゃ、と考えているお母さんに読んでほしい一冊です。





 

 

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