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南シナ海を自分たちの縄張りにしようとする中国の暴走に対して「南シナ海は日本とは関係ない」と言った政治家がいましたが、とんでもないことです。南シナ海を通って資源やさまざまな物資が運ばれてくるわけで、もし南シナ海を通るタンカーが中国の軍艦に止められたら私たちの生活もあっという間に成り立たなくなります。食料だってそうです。もし輸入が止められたら、餓死者が出るかも知れません。そういう状況は戦前もまったく同じだったのです。
昭和16年(1941年)7月26日、アメリカ大統領、ルーズベルトは対日経済制裁について軍部の意見を聞きました。軍部の回答は「対日貿易は禁輸すべきではない。もし禁輸を行えば日本は近い将来、マレー及び東インド諸島(インドネシア)を攻撃する。そしてアメリカを太平洋戦争の渦中に投じることになるだろう」というものでした。しかしルーズベルトはこの回答を無視しました。そして12月8日の真珠湾攻撃に至るわけです。
インドネシアは当時、オランダの植民地でした。石油、錫、ボーキサイト、鉄鉱石などを豊富に産出する地帯でしたがオランダによって富は搾取されていました。オランダはインドネシアをなんと350年もの長期にわたって(!)支配しました。主食である米の生産は禁止され、輸出用のサトウキビやコーヒーを栽培させられたので土地は荒廃し、人口は激減しました。日本が当時、提唱していた「大東亜共栄圏」は資源を持たない日本が資源の豊富な東南アジア諸国と共に白人の支配体制を打破しようという、一種の「アジア経済圏構想」でした。
昭和17年(1942年)2月、インドネシア、スマトラ島のパレンバンを日本の落下傘部隊が奇襲しました。日本に落下傘部隊があることは秘密にされ、訓練もそれまで極秘で行われてきました。パレンバンにある飛行場と製油所の確保を目的とした作戦は困難を極めましたが2月14日、奇跡的な勝利をおさめ、国民は歓喜に湧きたちました。この作戦における将兵の奮闘ぶりを歌ったのが有名な「空の神兵」です。
若干21歳の若さでパレンバン奇襲作戦の指揮官をつとめた奥本實中尉が遺された日記や写真をもとに構成された『なぜ大東亜戦争は起きたのか?-空の神兵と呼ばれた男たち』(ハート出版・1,800円)を読みました。奥本中尉は脚を負傷しながらも戦闘の様子を克明に書き記していました。貴重な写真もたくさん入っています。まるでスリル満点の小説を読んでいるような気分になります。戦場でも冷静さとユーモアを失わない日本の軍人の逞しさ、大らかさがよく描かれています。
本書は3部構成になっています。一部では高山正之氏が「なぜ大東亜戦争を日本は戦わなくてはならなかったのか」解説を書いていらっしゃいます。第三部では奥本中尉の御子息である奥本康大氏がパレンバンの現在について書いていらっしゃいます。
驚くべきことに奥本實中尉は昭和天皇に拝謁を賜っています。少尉、中尉は最前線の指揮官であり、普通は天皇にお目にかかるなど到底、ありえないことです。しかもたった一人で拝謁を賜っています。いかに石油を確保することが日本にとって死活問題であったか、を物語るエピソードです。
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