マダムの部屋

愛国女性のつどい花時計代表でもあるマダムが思った事など書いています。

2017年01月

石油は日本の生命線

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南シナ海を自分たちの縄張りにしようとする中国の暴走に対して「南シナ海は日本とは関係ない」と言った政治家がいましたが、とんでもないことです。南シナ海を通って資源やさまざまな物資が運ばれてくるわけで、もし南シナ海を通るタンカーが中国の軍艦に止められたら私たちの生活もあっという間に成り立たなくなります。食料だってそうです。もし輸入が止められたら、餓死者が出るかも知れません。そういう状況は戦前もまったく同じだったのです。

 昭和16年(1941年)726日、アメリカ大統領、ルーズベルトは対日経済制裁について軍部の意見を聞きました。軍部の回答は「対日貿易は禁輸すべきではない。もし禁輸を行えば日本は近い将来、マレー及び東インド諸島(インドネシア)を攻撃する。そしてアメリカを太平洋戦争の渦中に投じることになるだろう」というものでした。しかしルーズベルトはこの回答を無視しました。そして128日の真珠湾攻撃に至るわけです。

 インドネシアは当時、オランダの植民地でした。石油、錫、ボーキサイト、鉄鉱石などを豊富に産出する地帯でしたがオランダによって富は搾取されていました。オランダはインドネシアをなんと350年もの長期にわたって(!)支配しました。主食である米の生産は禁止され、輸出用のサトウキビやコーヒーを栽培させられたので土地は荒廃し、人口は激減しました。日本が当時、提唱していた「大東亜共栄圏」は資源を持たない日本が資源の豊富な東南アジア諸国と共に白人の支配体制を打破しようという、一種の「アジア経済圏構想」でした。

 昭和17年(1942年)2月、インドネシア、スマトラ島のパレンバンを日本の落下傘部隊が奇襲しました。日本に落下傘部隊があることは秘密にされ、訓練もそれまで極秘で行われてきました。パレンバンにある飛行場と製油所の確保を目的とした作戦は困難を極めましたが214日、奇跡的な勝利をおさめ、国民は歓喜に湧きたちました。この作戦における将兵の奮闘ぶりを歌ったのが有名な「空の神兵」です。

 若干21歳の若さでパレンバン奇襲作戦の指揮官をつとめた奥本實中尉が遺された日記や写真をもとに構成された『なぜ大東亜戦争は起きたのか?-空の神兵と呼ばれた男たち』(ハート出版・1,800円)を読みました。奥本中尉は脚を負傷しながらも戦闘の様子を克明に書き記していました。貴重な写真もたくさん入っています。まるでスリル満点の小説を読んでいるような気分になります。戦場でも冷静さとユーモアを失わない日本の軍人の逞しさ、大らかさがよく描かれています。

 本書は3部構成になっています。一部では高山正之氏が「なぜ大東亜戦争を日本は戦わなくてはならなかったのか」解説を書いていらっしゃいます。第三部では奥本中尉の御子息である奥本康大氏がパレンバンの現在について書いていらっしゃいます。

 驚くべきことに奥本實中尉は昭和天皇に拝謁を賜っています。少尉、中尉は最前線の指揮官であり、普通は天皇にお目にかかるなど到底、ありえないことです。しかもたった一人で拝謁を賜っています。いかに石油を確保することが日本にとって死活問題であったか、を物語るエピソードです。

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欧米のホテルには聖書が置いてある

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アパホテルのオーナー、元谷外志雄氏がペンネームで書いた本をホテルの客室に置いていることが話題、というか問題になっています。来月、札幌で「第8回札幌アジア冬季競技大会」が開かれるそうですが、大会に出場する選手の選手村としてアパホテルが使われることから、この本が問題視されることになったようです。NHK119日のニュース番組で「冬季アジア大会組織委員会は、中国の選手などに配慮してアパホテルに対して本の撤去などの対応を打診した」と報じました。しかし私が組織委員会に電話して確かめたところ、特定の本を撤去してほしい、ということは組織委員会はアパホテルに要請していないそうです。またアパホテル側も否定しています。つまり、またまたNHKは嘘を日本中にバラまいた訳です

 この本は『本当の日本の歴史 理論近現代史学Ⅱ』というタイトルで、その名の通り歴史の本です。元谷氏はこの本の趣旨を「本当の日本の歴史を広く知っていただくことを目的として製作したもの」と述べています。歴史の本ですから民族や宗教とは何の関係もありません。この本には「南京大虐殺はなかった」と書いてあるらしいですが、1937年、日本軍が中国の民間人を虐殺した事件はなかった(中国大陸にいた邦人が虐殺された「南京事件」は実在しました)ことは日本国内ではもう定説になっています。中国共産党にとっては都合の悪い話かも知れませんが、客のほとんどは日本人ですから何の問題もありません。日本には言論の自由も学問の自由もあるのだし「なかったこと」を「あった」と書いたら逆に問題です。

 アメリカのことは知りませんがヨーロッパのキリスト教国に行くとホテルの部屋に聖書が置いてあることがあります。おそらくアメリカでも同様のことはあるでしょう。客がキリスト教徒でない場合、これは「宗教の押し付け」になると思いますが、だからといって私たちがホテル側に「聖書を撤去してほしい」「気分が悪くて泊まれない」と要請するでしょうか? おそらくしないでしょう。もし部屋にコーランが置いてあったとしても大抵の日本人は受け入れると思います。だから歴史の本ごときで騒ぐ方が異常なのです。

 南京大虐殺の嘘を広めたのは「朝日新聞」の本多勝一記者です。だから朝日新聞はいまだに南京大虐殺があった、ということにしておきたいんでしょうね。こんな時代遅れの新聞、やっぱり日本にはいらないなあ、と今回も改めて思いました。

 

 

 

 

 

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「二重国籍」、何が問題なのか

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民進党代表選挙に出馬する蓮舫氏が「二重国籍」ではないか、という疑惑が持ち上がった去年9月まで、私たち日本人にとって「二重国籍」という言葉はなじみの薄いものだったはずです。私自身「二重国籍」についてよく分かっていませんでした。しかしその後、蓮舫が口を開くたびに発言が二転三転し、記者会見で「戸籍を開示するべきではないのか?」という度重なる質問をあーだ、こーだと言ってはぐらかす様子を見て、多くの人がこの問題の重要性に気づいたのです。そういう意味では日本人は蓮舫氏に感謝しなければならないかも知れません。

 テレビや新聞、週刊誌ですらなぜかこの問題に沈黙を保つ一方でネットの世界ではすごいスピードで情報が拡散されていきました。蓮舫が「台湾籍の離脱を17歳の時にした」と発言すると、その夜には台湾の国籍法では20歳まで離脱できないことがネットで明らかにされました。中華民国の官報はネット上で公開されているので、外部の人でも調べることができます。蓮舫が記者会見で言っていることは実はことごとく嘘だったと分かるのにさほど時間はかかりませんでした。やはりネットの情報拡散力は凄い、ということがまた証明されました。

 インターネットの言論プラットフォーム「アゴラ」で、この問題を最初に提起した八幡和郎さんの書かれた『蓮舫「二重国籍」のデタラメ』(飛鳥新社・1,111円)を読みました。八幡さんは元通商産業省の官僚で2年間、フランスで暮らした経験がおありです。息子さんはパリ生まれだそうです。その経験が八幡さんがこの問題に気づく背景にあったということが、この本を読むとよく分かります。ヨーロッパでは二重国籍や多重国籍の人がたくさんいて、帰化人の政治家もたくさんいるそうです。帰化して政治家になった人はみなフランスという国家に対する忠誠や、フランス文化に対する愛着をつとめて熱く語るそうです。2014年にフランス首相となったマニュエル・ヴァルス氏は自分を首相にしてくれたフランスへの感謝を常に語るそうです。では、蓮舫は自分を政治家にしてくれた日本への感謝を口にしているのでしょうか?

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八幡さんはこの本の中で「一般人の二重国籍」と「政治家の二重国籍」を分けて論評しています。

問題なのは政治家としての倫理観であって、法的に罪に問われないから問題ない、ということではありません。政治家とは常に国益を背負って仕事をするのですから国籍=自分がどこの国に帰属しているか、が問われるのは当然のことです。これからは有権者にも政治家に国家観や倫理観、歴史認識などを求める意識が必要です。「ハーフって格好いい!」というのはタレントに対する時にはOKですが、政治家が国籍を明確にしない態度に対しては断固として「NO!」と言わねばなりません。

 国境や国家の壁を低くすることが平和につながる、という理想(というか妄想)はイギリスのEU離脱やトランプ大統領の出現によって修正を迫られています。かつてヨーロッパではいくつ国籍を持っていてもとがめられない時代があったそうですが、「難民や移民の増加」、「テロ」、「租税回避」という問題が深刻なので、今は国籍に関して厳格化の流れになっています。

 ヨーロッパの混乱は他人事ではありません。わが国でもこれから移民や難民を受け入れようという動きがあります。移民を受け入れる云々の前に、まず国会議員や公務員の二重国籍をどう規制するか、と決めるべきではないでしょうか?

 「国籍なんてどうでもいいんじゃないの?」「グローバル時代なんだから、そんなことにこだわるのはおかしい」と思っている人に是非、読んでほしい一冊です

 

 

 

 

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慰安婦問題の火付け役たち②

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 ありもしない「慰安婦問題」に火をつけ、大火事にした日本人の中であまり知られていないのが
「日本キリスト教婦人矯風会」の代表だった高橋喜久江さんです。199012月、高橋喜久江さんは尹貞玉(元「韓国挺身隊問題対策協議会」共同代表)に千田夏光の『従軍慰安婦』という小説を送っています。千田夏光は売れない小説家でしたが「従軍」と「慰安婦」を組み合わせた造語「従軍慰安婦」をタイトルにしたこの本はけっこう売れたそうです。しかしこれはノンフィクションではなく、あくまでもフィクションでした。尹貞玉は高橋さんに教えられるまでこの本の存在を知らなかったそうです。高橋喜久江さんがどこで慰安婦問題と出会ったのかは分かりません。しかし1990年代に毎年のようにソウルで、あるいは東京で開かれていた「挺身隊問題アジア連帯会議」に高橋さんは出席しています。

 ソウルの日本大使館の前に199112月、捏造慰安婦像を建てた団体が「韓国挺身隊問題対策協議会」です。「挺身隊」=軍需工場などに勤労動員された女学生で、慰安婦とは本来、何の関係もありません。しかし韓国では「挺身隊」=慰安婦=売春婦なのです。この時点でもう事実とまったく違う話になっているし嘘はどんどんエスカレートしていきました。この「韓国挺身隊問題対策協議会」の背後に北朝鮮がいたことは今では明らかになっています。

 1990年代というのは慰安婦の嘘がどんどん広がった時代でした。そして、その頂点と言えるのが199384日に発表された「河野談話」でした。「河野談話」自体は「慰安婦の強制連行」を認めたものではないにもかかわらず、記者の質問に(誘導に?)答えた河野洋平官房長官があたかも強制連行があったかのような発言をし、それを反日メディアが事実のように報道しました。

 「日本キリスト教婦人矯風会」は明治19年(1886年)、「東京婦人矯風会」という名前で設立されました。1870年代のアメリカで禁酒運動を展開していたプロテスタント系の団体「女性キリスト教禁酒連合(Women`s Christian Temperance Union)」の日本支部として矢嶋楫子らが中心となって設立したそうです。明治26年(1893年)、「日本キリスト教婦人矯風会」に改組。初期の活動は「禁酒禁煙運動」「公娼制度の廃止運動」「婦人参政権獲得運動」「一夫一婦制の建白」などで、どちらかというと保守系の団体だったようです。日露戦争の時には戦地の兵士に慰問袋を送る活動などもしています。

 しかし現在の活動は保守とはとてもいえないようです。「慰安婦問題」以外に「靖国神社問題」「戦後補償問題」「天皇制問題」「外国人住民基本法案制定運動」などに取り組んでいるそうで、立派な反日政治団体といえます。キリスト教の「愛と平和」を語りながら日本の先人を貶め、国家解体をめざす活動に邁進している、といっても過言ではないでしょう。

 キリスト教の偽善と欺瞞にはつくづくご用心を!

 

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慰安婦問題の火付け役たち

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一昨年の1227日、日本政府と韓国政府の間で「日韓合意」が結ばれましたがその後、あの醜悪な捏造慰安婦像は減るどころか増える一方です。今や韓国国内にある像だけでも60体になっている(!)そうです。ソウル近郊の京畿道では15日、議員30人からなる団体が中心となって慰安婦像建立計画を発表しました。地方都市の麗水、光州などでも像建立に向けた募金が始まるそうです。噂ではなんと! 竹島にも建立するつもりだそうで、そのうち韓国中、どこへ行っても像を見せられるということになるかも知れません。

 「慰安婦問題」というものはもともとありませんでした。戦地で業者が慰安所を経営し、そこで働く女性は業者に雇用されていたわけです。その事実を嘘で歪め、膨らませて「慰安婦問題」にしてしまったのは一体、誰だったのでしょうか? それがなんと! 韓国人ではなく日本人だったのです

 1983年、吉田清治という男が『私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行』(三一書房)という本を出しました。韓国の済州島で現地の女性を自分が先頭に立って「脅してかたっぱしからトラックに押し込んで連行した」という内容でした。このネタに朝日新聞が飛びつきました。何度も紙面に吉田清二を登場させこれでもか、これでもかと日本軍=悪のイメージを読者に刷り込みました。しかし、吉田清二が稀代の詐欺師であったことはのちに明らかになり、朝日新聞は過去の記事を訂正しました(それでも謝罪はナシ)。

 1990年、社会党の参議院議員、本岡昭次が予算委員会で質問しました。ここで初めて「従軍慰安婦」と「朝鮮人強制連行」を結びつけた造語「従軍慰安婦強制連行」という言葉が公の場に登場しました。「従軍」=軍属。「従軍記者」「従軍看護婦」「従軍カメラマン」は存在しましたが「従軍慰安婦」はもちろん存在しません。存在しなかったものが存在していたことになってしまいました。

19918月、当時、朝日新聞大阪支局にいた植村隆が「元従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」の見出しで記事を掲載しました。生存する慰安婦が初めて自分の体験を語ったスクープ、と朝日新聞は大はしゃぎでした。しかしソウル特派員がちゃんといるのに、なぜ植村隆がこの記事を書いたのか、という疑問が湧きます。その理由はのちに明らかになりました。彼の妻の母親は慰安婦の支援団体の幹部だったのです。情報を事前に入手し、自分の手柄にしていたわけです。

19921月、朝日新聞は「慰安所、軍関与示す資料」という大見出しの記事を掲載しました。

中央大学教授の吉見義明が朝日新聞に資料を提供したらしいです。この資料をきちんと読めば「軍の関与」とは「善意の関与」であったことが分かります。しかし吉見義明も朝日新聞も事実とは真逆の「悪意の関与であった」かのように記事を偽装しました。

1996年、国連人権委員会に「クマラスワミ報告書」なる文書が提出され、ここで初めて「性奴隷」という言葉が登場しました。「慰安婦は性奴隷だった」というのがクマラスワミ報告書の主張ですが、この「性奴隷」という言葉を作ったのは戸塚悦郎という弁護士です。今では慰安婦の碑に当たり前のように書かれている言葉ですが、実は国連に自分を売り込みたい戸塚悦郎がたまたま思い付きで使った言葉だったそうです。もう一人、売国弁護士として忘れてはいけないのは高木健一です。199112月、金学順ら3名の元慰安婦を含む32人の原告が日本政府を相手取り、東京地裁に提訴した時の主任弁護士です。1993年、高木弁護士はインドネシアの新聞に「日本政府に対して賠償を求める裁判のために元慰安婦は名乗り出てほしい」という広告を出しました。するとなんと! 当時は生まれていない人や、生まれていてもまだ赤ん坊だった年齢の人までが名乗り出たそうです。

 「慰安婦問題」に火をつけた女性の中で有名人はやっぱり社民党の福島瑞穂さんでしょう。199112月、金学順ら3名の元慰安婦が名乗り出た時、記者会見に同席して金学順に話す内容から話し方までレクチャーしていたのが福島瑞穂です。もう故人になられましたが、松井やよりさんも忘れてはいけない人です。元朝日新聞編集委員であり、200012月「女性国際戦犯法廷」を開いて「昭和天皇は戦犯」というとんでもない判決を出す立役者だった人です。

 やっぱり朝日新聞は廃刊に追い込むしかありませんね。こんな新聞は存在していてはいけないと思います。

 

 

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