マダムの部屋

愛国女性のつどい花時計代表でもあるマダムが思った事など書いています。

2017年04月

NHKと戦った三宅博さん

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 424日、元大阪の八尾市議会議員で前衆議院委員の三宅博さんが逝去されました。67歳でした。謹んで哀悼の意を表します。私は三宅博さんと面識はありませんでしたが、いろいろな集会で演説をお聞きしたり、国会でズバッとした、本質を突いた質問をなさる姿を拝見していました。ああ、こういう議員が日本にもいるんだ~! と感動しました。心から尊敬できる政治家でした。

 三宅さんは拉致問題、NHKの腐敗追及など、戦後日本のタブーに関わる問題に取り組んでおられました。しかし、これらはハッキリ言って票にならない活動ですから知名度は低いです。知名度が低いということは選挙で当選する確率は当然、低くなります。こんな活動は票にならないばかりか、メディアからも目の敵にされます。得することは何もありません。しかしたとえ落選しても、自分の信念を貫く、という姿勢は三宅さんの一生を貫いていました。

 昨年、夏の参議院議員選挙に三宅さんは出馬なさいました。その時、初陣の挨拶は渋谷のNHK放送センターの前でなさいました。最初の演説をNHK前でやったというところに三宅さんの本気度が現われていました。その演説を動画で見ましたが、三宅さんは「お願いします、私を当選させてください。NHKと戦うために、私を当選させてください!」と何度も、何度も頭を下げられました。しかし、当選はかないませんでした。その後、失意から立ち直られたのかな、と心配していましたが,訃報に接することになりました。

 日本では何か信念を持って、一つのことに取り組もうとする愛国者がなかなか当選できません。選挙システムの不備もありますが、有権者の意識の持ち方が何よりも問題です。投票するということは有権者の責任を果たすということです。それなのに政党の名前だけで一票を投じる人、知名度だけで一票を投じる人、学歴や年齢、容貌などで一票を投じる人が多すぎる。候補者の中身が、有権者に目に見える形で分かるようなシステムが必要です。候補者が普段、どのような活動をしているか、これまでどのような活動をしてきたか、が目に見える形で分かるようにすべきです。今のままでは日本の民主主義は形骸化するばかりです。

 三宅さんには再度、国会議員になっていただきたかったです。残念でなりません冥福をお祈りいたします。

 

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「街の声」って誰の声?

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 423日に放送された「ビートたけしのTVタックル」(テレビ朝日)という番組の中でヤラセがあったことが判明しました。その時のテーマは朝鮮半島有事の問題で、画面には「北朝鮮のミサイルが東京に飛んでくる?」というテロップが出ていました。北のミサイルを防ぐにはどうすればいいか、という話題を議論している時、街頭インタビューが映されました。若い女性が画面に登場して「きな臭い状況を変えるのは武力ではなくて、できる限り話し合い」という発言をしたのですが、この女性は実はテレビ出演は初めてではなく、過去に違うテレビ局にも出て発言している石川澄恵さんだと分かりました。例えば今年の2月、石川さんは「認可保育園に入れなかった板橋区在住の母親」としてテレビに登場、政府に保育園を増やすことを要求しています。

 では石川さんは何者なのか、というと「安保法案に反対するママの会@板橋など」のメンバーであり共産党主催のデモや集会、選挙の応援演説などに参加しているところを見ると共産党の工作員と思われます。テレビ朝日だけでなくTBS,日本テレビなどにも出ているようです。彼女は左派テレビが宣伝工作に使うのにちょうどいい人材なのでしょう。こういうことをやるのは民法だけでなく公共放送を名乗るNHKも同じです。NHKもニュース番組の中で何かの問題について「このことについて街の声は?」と、さも街でたまたま通りがかった人にインタビューをするような振りをして、予め用意していた普通の人っぽい人を登場させます。

「街の声」で紹介されるのは若い女性(できれば美人)が良いのです。そしてその問題についてあまり詳しくない、素人っぽい容貌の人が好んで使われます。社会的弱者に配慮しているふりをしながら、自分たちが作りたい方向に視聴者を誘導します。つまり「街の声」は「NHKの声」であり「テレビ朝日の声」であり「TBSの声」なのです。

 新聞の場合、この役割を果たすのが「投書欄」です。新聞社は自分たちが誘導したい方向に「投書欄」を使って読者を導きます。だから新聞によって投書の内容は違います。投書だからといって、一般の人が本当に書いたものなのだと信じこむのは禁物です。

 今、わが国は「専守防衛に徹する」ことが、さも良いことであるかのように語られていますが専守防衛で国は守れません。北朝鮮は日本が先制攻撃できないことをよーく知っています。北朝鮮にしてみれば、自分たちの準備が整った段階でいつでも、どこからでもミサイルを撃ち込むことができるのですから圧倒的に有利です。北のミサイルを迎撃ミサイルですべて撃ち落とすことには限界があります。万が一、一発でも日本に着弾すれば被害ははかり知れません。北が核を持つことに対する執念を捨てないのなら日本は「敵地攻撃能力」を持たねばなりません。「専守防衛」という考え方は圧倒的に不利な考え方であり、最初から負けを覚悟するようなものです。勝ち目はないけどとりあえず頑張ろう、みたいな精神論に過ぎません。「一億玉砕」と同じで非合理的、たとえ勝ったとしても国内は戦場になり、一般国民が犠牲になります。

政治家は今こそ勇気をもって「敵地攻撃能力」を持つことを主張しなければなりません。

 

 

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忘れられた大将、松井石根

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 428日は何の日だか知っていますか? 昭和27年(1952年)428日はサンフランシスコ講和条約が発効しわが国が「主権を回復した日」です。この日をもってGHQ(連合国軍総司令部)の長く不当な軍事占領が終わったんだ~!やった~! ということで本来は大変めでたい日のはずです。しかし未だに428日は祝日ではなく、政府主催の式典も行われていません。国民の中の有志が民間で式典を執り行っている状態です。これでは日本は本当の主権国家とは言えないのではないでしょうか?

 GHQによって占領されていた約7年(!)の間に日本の憲法は変えられ、教育基本法は変えられ、皇室典範も変えられました。いくら戦争に勝ったからといって相手国の法律を変えることは国際法違反です。野蛮国のやることです。だから本当は昭和27428日の翌日に、占領中に変えられた法律は無効にすべきでした。しかし7年の間に日本の政界も官界も教育界も顔ぶれが一変していました。GHQの「公職追放令」によっておびただしい数の指導的立場にあった人たちが職場を追われ、その隙間を埋めた人たちはGHQのお蔭でその職にありついた人たち(敗戦利得者)です。彼らはGHQが決めたことを覆すことはできませんでした。

 GHQによって押し付けられた憲法を変えない限り、日本は本当の主権国家とはいえないでしょう。そしてGHQが占領統治をスムーズにするために裁判という体裁を取っただけの「東京裁判」で「戦犯」の汚名を着せられた人たちの名誉を回復することもとても大切です。この人たちは単に裁判の体裁を整えただけの復讐劇の犠牲者なのですから。

 ノンフィクション作家、早坂隆氏が書いた『松井石根と南京事件の真実』(文春新書817870円)を読みました。松井石根(まついいわね)は「東京裁判」で南京で民間人に対する殺戮があったことの責任を問われてA級戦犯として絞首刑にされた人です。しかし松井石根は帝国陸軍の中でも屈指の中国通であり、陸軍の中で「シナ屋の長老」と呼ばれていた人でした。中国国民党の蒋介石と親しく、蒋介石に期待もし、結局、裏切られた人でもありました。

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 陸軍幼年学校時代の松井がもっとも影響を受けたのは川上操六でした。川上の思想はざっくりいえば「日本軍の存在理由は東洋の平和確保のため」というものでした。日本が将来、ロシアとの戦争を回避するのは困難であり、その備えとしてアジア全体の秩序を構築しなおすべき、そのためには日本とシナ(中国)との提携が必要、という考え方でした。川上は日本の安全保障のためにシナとの提携を主張したのだと思いますが、松井という人はより理想主義的にシナへの思いをどんどん深めていきました。南京攻防戦の最中、孫文の陵(中山陵)に対する攻撃を松井が禁じたことは有名です。孫文の陵以外にも寺などの歴史遺産に対する攻撃も松井は禁じています。そのような松井の命令のために砲撃が制限され、前線の部隊では思うように作戦を実施できず、日本側の被害が拡大するという事態を招きもしました。そのために部下の反発を招きもしました。

 このような人物が南京で民間人に対する虐殺を指示した、という理由で戦犯にされたのです。松井自身もさぞ驚いたことでしょう。このこと一つをとっても、いかに「東京裁判」がデタラメなものだったか、がよく分かります。

 「南京大虐殺はあった」「いや、なかった」という議論は何度も繰り返され、数多くの本が出版されています。しかし南京攻防戦の主役であった松井石根の存在はなぜかまったく語られません。松井の存在はタブーになっているのです。おそらく「南京大虐殺はあった」派の人たちにとって松井は存在してはいけない人物なのかも知れません。松井の生涯を知れば「南京大虐殺」など、あるはずないことが小学生にでも分かるからです。

 

 

 

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めぐみさんが拉致されて40年

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 朝鮮半島情勢を論じるテレビのコメンテーターなどの言うことを聞いていると、まるで金正恩とトランプという、二人の攻撃的な性格の指導者のせいで今の半島有事が起きている、と言わんばかりですがこれはまったく的外れです。北朝鮮がイランやシリアとつながっていて、テロリストに武器を売ったりする危険な国だということはずっと前から分かっていたはずです。北朝鮮が核開発を絶対に放棄しないということも分かっていたはずです。分かっていながら歴代のアメリカ大統領はなぜか北朝鮮の危険性に目をつぶって(?)決断を先送りしていたわけで、そのことの方が問題だったのです。

 以前「六か国協議」という枠組みがありました。ロシア、アメリカ、韓国、中国、北朝鮮、日本が「朝鮮半島の非核化のために」協議しているんだ、と説明していましたが、これは一体何をやっていたんでしょうか? 「六か国協議」は今となっては北朝鮮にただ核とミサイル開発をする時間を与えただけ、という大失敗の結果になりました。先日、アメリカのティラーソン国務長官が日本にやって来ました。そして「アメリカのこの20年間の北朝鮮政策は間違っていました」とハッキリと言いました。だから、これからは間違えないようにする、という意味でしょう。そう、今までが間違っていたのです。

 日本にとっては核、ミサイル問題だけでなく拉致という重大問題があるのに、政府も外務省も主体的に北朝鮮と戦ってきませんでした。横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されたのは1977年です。1970年代には既に北朝鮮が日本国民を、なんと日本国内で(!)人さらいしていることは警察も分かっていたはずです。にもかかわらず見て見ぬふりをし続け、場合によっては隠蔽しようとした無責任さは許されるものではありません。かつて社会党の議員は平然と「拉致なんかない」と言い放っていました。拉致の実行犯は日本国内にいるにもかかわらず、未だに一人も逮捕されていません。「スパイ防止法がないから」というのなら、一刻も早くスパイ防止法を作れば良いのです。

 安部首相も岸田外相も「日本国民の生命と財産を守るためにあらゆる事態を想定して対処します」と力強くおっしゃいますが、虚しさだけが募ります。日本独自にやれることもたくさんあるのに、なぜやらないのでしょうか? 残念ながら日本政府と外務省に任せていては百年経っても拉致被害者は取り戻せないような気がします

 トランプ大統領が北朝鮮を攻撃する「Xデー」があるのかないのか分かりませんが、いずれにせよ問題の先送りはもう許されません。今までの無責任のツケが今のこの事態を招いたのですから。

 

 

 

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八田與一の銅像、破壊される

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台湾南部にある台南市の烏山頭ダムで416日の朝、八田與一(ほったよいち)さんの銅像の頭部が切られているのが発見され、警察に通報されたそうです。写真を見ましたが頭部だけがスパッと鋭利なもので切られています。頭部は発見されていないので、持ち去られたようです。このニュースは産経新聞が報じましたが、この事件が何を意味するか、までは産経新聞も解説していません。

 八田與一氏は日本では無名ですが台湾では小学校の教科書にも載っている人です。大正9年(1920年)から10年もの歳月をかけて烏山頭ダムを完成させた技術者です。烏山頭ダムは当時、「東洋一のダム」と讃えられました。

台湾というと温暖で雨が多いので、さぞお米が豊富に採れるのだろうな、と思う人が多いでしょう。しかし雨は夏に集中的に降り、冬はほとんど降りません。河川も多いのですが流水量に偏りが多く、灌漑に用いることはできませんでした。沿岸部は塩害にやられていました。八田與一が台湾総督府内務局土木課の技術者として赴任した当時、台湾南部の農業の生産性はとても低いものでした。

八田與一は官田渓という河川を堰き止めて巨大なダムを建設しました。これを貯水池として用い、さらに網の目のように嘉南平原に灌漑用水路を設けました。農法の改善や田畑の管理を徹底することで嘉南平原を台湾最大の穀倉地帯に変えたのです。その偉業に台湾の人たちは今でも感謝を忘れず、八田與一の銅像の前にはいつ行っても献花が絶えないそうです。それだけに今度の事件は地元だけでなく、台湾全土で衝撃をもって受け止められています。台南市の頼清徳市長は、迅速な捜査と像の修復を指示したそうです。毎年、八田與一の命日である5月8日に慰霊祭が開かれていますが、像は早ければ1週間で修復できるので慰霊祭に何とか間に合って良かったです。 

 このニュースを聞いて私が瞬間的に閃いたのは、明治神宮に油をまいたという二人の中国人の女です。もちろん二つの事件はまったく別のものではありますが、犯行の目的は共通しているような気がします。人々に敬愛されている建造物を壊したい、汚したい、という憎しみです。

 明治神宮と違って八田與一の銅像のところまで行くのは簡単ではありません。台湾の中部にある台南という地方都市の郊外の、ダムを見下ろす小高い丘の上に銅像はあります。頭部を切り取り、頭部を持ったまま移動するには車が必要でしょう。かなり計画的な犯行だと思います。一日も早く犯人が見つかることを祈るばかりです。

 最近、日本全国で神社に放火されたりする事件が増えているそうです。これらは決していたずらなどではなく、一種のテロです明らかに日本人に対する憎悪に基づいた犯行です。こういうことをする輩が私たちの社会に確かにいるのです。手を打たなければ文化財はどんどん消失してしまいます。

 

 

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